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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2008-09-23

退転と不退転について


 ティラデンテスにとって、かつての同志の変など、小事であったに違いない。彼は自らの死をも超えて、祖国ブラジルの独立と自由を夢見、確信していた。死んでゆく彼のはどこまでも強く、勇気と慈愛の魂にあふれていたのである。

 ティラデンテスに報われたものは「死」であった。しかし彼は、「」の勝利、「魂」の勝利を勝ち取った。「」の強さこそ勝利である。革命精神を捨て、同志を裏切った者は、「死」は免れたかもしれないが、既に「敗者」であった。彼らは、「敗北」の汚を永遠に背負ってゆくことになった。

「勝利」も「敗北」も、「敵」も「味方」も、「幸福」も「不幸」も、すべて我が身の胸中、「一念」にある。外面に現れた姿は、一つの仮の姿にすぎない。真の実像は、「」の中に深く刻まれているものである。その味で、ティラデンテスこそ、真の勝利者であった。


 1792年421日、ティラデンテスは46歳で処刑された。ポルトガル政府は見せしめのために、彼の故郷で(原文は「に」)遺体をさらしものにした。そして、子孫3代にわたって制裁を加えることを決めたという。

 しかしブラジルの民衆は、一人の真の勇者を決して忘れはしなかった。彼の志は多くの人たちに受け継がれた。

 革命の火種は、やがて赤々と燃え広がり、ティラデンテスの死からちょうど30年後、ブラジルは独立を達成するのである。


東京・小金井圏青年会議 1990-01-28 小金井池田文化会館


 私の世代であれば「ティラデンテスの指導」を知らぬ者はいない。いたとすれば、そいつは田舎者(もちろん差別用語)だ。前を田吾作に変えるべきだと言っておこう。


 今、ネットで調べたんだが驚くほど情報が少ない。一般的には「チラデンテス」と表記されているようだ。ティラ=抜く、デンテス=歯で「歯抜き」。つまり、歯科技術を持っていたジョアキン・ジョゼ・ダ・シルバ・シャビエルの俗だ。ま、渾(あだな)といっていいのだろう。


 アメリカ合衆国の独立が1783年、フランス革命の発端となったバスティーユ牢獄の襲撃1789年のこと。つまり、ティラデンテスはナポレオンと同時代を生きたことになる。ポルトガルからの独立を夢見たティラデンテスは「貧しい」という理由でスケープゴートにされた。裕福で士でもあった他の9人も死刑になるはずだったが、結局、国外追放ということで落ち着いた。ティラデンテスはリオのランパドーザ広場で絞首刑となった。遺体は見せしめのため八つ裂きにされた。この広場は現在「ティラデンテス広場」とづけられている。

 調査は以上だ。本題に入ろう。疲れてきたので手短に書く。


 私は二十歳(はたち)の頃、会う人ごとにこんな質問をした。「『御本尊を踏まないと殺す』と言われたらどうする?」と。「エー、突然そんなこと言われてもなあ……」「と言ってる間に殺されるよ。さあ、どうする!」。少年部時代からの知り合いであるSがこう言ったのを今でもはっきりと覚えている。「その場で踏んで、家に帰ってから懺悔の唱題をする」。Sよ、お前ってやつは……何て正直者なんだ。この時、Sはまだ活動していなかった。


 我々は手がつけられないほど安易な姿勢で「不退転」を口にする。そのくせ実際は、勤行さぼりまくりの「退転の日々」を優雅に過ごしたりしている。退転と不退転の間には無限の距離が存在する。多分、エベレストの山頂よりも遠いよ。


 私がここで提示したい疑問はこういうことだ。「退転したっていいじゃないか」。相田みつをが既に言っていたかも知れない。私はなにも「ものわかりのよさ」を奨励しているわけではない。ただ、何とはなしに、もっと再チャレンジを認めてやってもよさそうなものだ、と考えているだけなのだ。ところが、人間社会(特に宗教団体)で「裏切り」は道徳にもとるものの最たる行為とされている。「裏切り者には死を!」ってじだよな。


 御書を開いても「退転することなかれ」のオンパレードである。ではなぜ、「退転しても構わないけど、また戻って来るんだよ」とは言われなかったのか? こういう自問自答をしないから、君の対話には説得力がないのだよ。淫祠邪教に洗脳された信者みたいのが学会には多過ぎる。まったく反吐(へど)が出そうだ。


 生命尊厳を説く法が、殉教を奨励する。この矛盾の中に鍵が隠されている。殉教者は遺された人々の魂に火を点ける。ティラデンテスも吉田松陰も同じ方程式だ。イエスソクラテスも同様だ。たとえ殺されたとしても、断固として曲げない信が人々の背骨に鋼鉄のごとき芯を打ち込むのだ。一人の死が万人の生に生かされる――これが殉教の本質であろう。


 と書いていて気づいた。不退転のゴールはエベレストの山頂である。つまり、そこで待ち受けているのは“確実な死”に他ならない。不退転=殉教である。今日は冴えているぞ。


「中々折伏が決まらなくて」とか、「うちの組織は人材が少ないんだよね」とか、「近頃はクソみたいな幹部しか見当たりませんなあ」とか、「新聞啓蒙さえすりゃあ、いいのかよ!」とか言っているようじゃ、エベレストの麓をうろうろしているようなレベルだろう。諸君を「1合目グループ」と命しよう。


 エ? 何? 私? そうだなあ、私のレベルはどうだろうね。青年部時代は「歌って踊れる創価班」を目指していたのは確かだ。本部担当の総括を降りる際、「安室奈美恵のような若い女と結婚する予定である。これからは私のことを“亀戸のサム”と呼ぶように」と皆に強要したことも間違いない。後輩を殴ったり蹴ったりしたのも事実である。ということで、私のレベルを公正に判断すると、4合目くらいでしょーな。


 誤解のないように断わっておくが、私の能力があと60%ほど未開発であるという味ではない。あと60%ほど、私の知らない妙法と師弟の世界があるだろうとの予測である。


 人生は短い。余命3ヶも、余命3年も、余命30年も大した差はない。生まれたばかりの赤ん坊だって、余命70年なんだよ。こんな短期間で誰もがになれるというのは真っ赤な嘘だ。なれるはずがない。そんなものは「創価都市伝説」だ。なぜなら、になれるのは不退転で一生を歩み続けた人だけなのだから。

2005-10-19

同信退転の屍を乗り越えて進め


 諸君はこれからも、同信退転の人々の屍(しかばね)を乗り越えて進む時もあるかもしれない。多数の人が様々な戦いや事件によって退転することもあるかもしれない。先輩が疲れて、不純になって前進の障害になることもあるかもしれない。長い長い広宣流布の旅路においては、様々なことがあるとう。しかし、その時にたとえ誰人がいなくなっても、誰人が権力や時代に迎合しても、諸君の一人でも二人でも、5人でも10人でもいい。本当の大聖人の法を、創価学会の伝統を、代々の会長の精神を受け継いで、立派に戦い切っていただきたいのであります。

 その人がおれば、因果倶時で、学会も、そしてまた、大聖人の法も、拍車をかけるがごとく発展するのです。どうか、本門の“右手(めて)に血刀、左手(ゆんで)に手綱、馬上ゆたかな美少年”で、高等部員の時代と学生部員の時代、否、一生の広宣流布の時代を生き切っていただきたいことをお祈りし、私の激励といたします。


【夏期講習会/高等・中等・少年部合同部員会 1966-08-11 総本山大石寺・大客殿】


 これが未来部に対する指導である。否、指導というよりは、“創価血脈相承”といってよい。「未来部が大切だ」とは誰もが言う。だが、これほど真剣に高校生と向き合う幹部はいないだろう。我々はどうしても、どこかで子供扱いしてしまう。そのを、先生の言葉は破折する。


 人のの浅ましさや、人生の危うさ、人間の脆(もろ)さを私が知ったのは、20代後半の頃だった。幸か不幸か、この頃から、事件・事故・トラブルに関わらざるを得ないコースに入った。若い私の手に及ばぬ事柄も多く、無力に苛(さいな)まれたことも随分あった。それでも、前へ進んだ。前へ進むしかなかった。その悪戦闘のさなかで、私は信と人間を学んだ。


「一通りのことはやってきた。それなりに訓練も受けてきた」という自負はあった。そして、壮年部となった。甘かった(笑)。新しい地域へ引っ越した途端、今まで放置されてきた問題に直面した。それも、次々に(笑)。その上、10年間も引きずっている内容。「まあ、大したことはない」と高(たか)を括(くく)っていた。双方の誤解を解けば、直ぐに解決できるようなことだった。ところがどっこい、そうは問屋が卸(おろ)さなかった(笑)。


 問題が起こった時に、直接関わっていた幹部の面々は、絶対に自分の非を認めず、その一方で、被害者は組織を恨むばかり。10年間にわたって、もつれにもつれた情は、そう簡単には収まらなかった。いくつかの問題は、裁判沙汰になってもおかしくないほどだった。それでも、完璧とは言えないまでも、一応の決着はつけた。これまで、を閉ざしてきた方々の本音も聞き出した。いずれも、大変なご労をされてきた方々だ。「その時、私がいれば」と何度、拳(こぶし)を握りしめたことか。


「何とかできる人」がいれば、どんな問題も何とかなるのだ。


 釈尊滅後、法は民衆から遊離した(インド仏教滅亡の要因は「民衆からの遊離」に)。そして、インド教は滅亡の道を辿った。創立80周年までに、本物と偽者がふるいにかけられることは間違いない。「師と共にどう生きたか」――この事実が問われる段階となった。

2005-07-14

わずかな心の隙が魔の跳梁を許す


 つまり、太田親昌(ちかまさ)や長崎時綱の二人の退転は、彼らが駿河の中者であった高橋六郎兵衛入道と情的なもつれがあり、そこを行智らにつけ込まれたものと考えられる。

 情のわだかまりから生まれた、わずかなの隙(すき)。そこに、すかさず入り込んだ「悪知識」によって信を破られてしまう。それのみか逆に、かつての妙法の同志である子達を散々に迫害する。ちょうど、近年の山崎某や「正信会」によって、退転と反逆の道を歩んでしまった卑劣の輩とよく似ている。しかし、二人とも、法は厳然であった。信において、全く怖いものは「悪知識」である。


 信の実践にあっては、“いかなる人につくか”、それによって成不成が決まってしまうといっても過言ではない。本当に広宣流布のためになっているのか、また、護法のためになっているのか、その点を大きな基準として“つくべき人”を決めていかねばならない。


【第11回富士宮圏幹部会 1988-03-01 富士宮国際文化会館


 人は情の動物である。プログラムを入力すれば、その通り動くというわけにはいかない。リーダーの役目は正論を吐くことではなく、皆のを知ることであろう。


 情が理を狂わせ、わぬ誤解に発展することもある。人間の組織は一筋縄ではいかない。きちんと交通整理をする人がいなければ、支部はおろか、本部までが、デマ情報に翻弄される場合すらあるのだ。そうした例を私はいくつも知っている。かような組織は、悪い人物がはびこりやすい。巧みな情報操作によって、組織はいいように振り回される。


 太田・長崎の両が敵にを売り渡したのは弘安2年。ここ一番という大切な時に、必ず悪党は正体を露呈することになっている。ご存じのように行智は、熱原の農民をいじめ抜いた稀代の悪僧。


 大田の親昌・長崎次郎兵衛の尉時綱・大進房が落馬等は法華経のあらわるるか(1190頁)


 尚、太田親昌は、太田兵衛次郎と同一人物と推測されている。


 悪知識は、同志や組織に対するマイナス情に理解を示し、急速に接近してくる。惰弱な人物は、狡猾な手口によって利用されていることにも気づかず、いつの間にかコントロールされるようになる。はい、退転者の一丁上がり(笑)。


 一緒に班長になった先輩がいた。数年間、共に活動していたが、部長が退転した時に、大いなる不信を起こした。そして、私が上京した直後から、会合に出なくなった。悲しいい出である。当時、私は何度も力説した。「部長がいなくなった今こそ、部長から受けてきた訓練を発揮する時だよ!」、「部長に対する謝のがあるなら、今まで以上に頑張らなきゃいけないよ!」と。私の母は常々、この部長のことを悪く言った。私はライオンがが吠えるように、「うるせえ、くそババア! てめえの子がお世話になった人に対して、よくも、そんな口が利けたもんだな。ぶっ飛ばすぞ!」と怒鳴りつけた。私は今でも、この部長に対するを忘れたことはない。いつの日かきっと、再び広布の庭に戻ってくることを信じている。


 何もない時であれば、「やっぱ、依法不依人でしょ」となる。ところが、いざ自分の周りにが競うと、そうはいかなくなるのが凡夫の常。が揺れなくなるまでには、少なくとも10年以上の訓練が必要だ。それ以降だって、大変なのよ(笑)。後継者としての確かな軌道に入ると、どんどん大変な問題を引き受けざるを得ないコースになってゆく。しかしながら、力がついてくると、問題が出てくる度に、「よっしゃあ、俺の出番だ!」となるから不議だ(笑)。

2005-06-06

青春の誓いを裏切るな


 諸君は、若き日に広布を誓い合い、多くの同志とともに金の歴史を刻んでいる妙法の青年リーダーである。諸君にだけは絶対に退転してほしくない。信の挫折である退転は、いかなる理由があったとしても、自分自身を、そして、自身の青春の誓いを裏切ることになってしまうからだ。それでは、あまりにも惨めである。

 私も、師・戸田先生との若き日の“誓い”に、人生の全てを賭けてきた。あらゆるに耐え、信の道を進んできた。価値ある人生は、青春時代の“誓い”を、生涯貫くところに実現されることを確信していたからである。今は全く悔いがない。

 信仰の真髄は“生涯不退”にある。どうか諸君は、幸不幸の人生の荒波を経たとしても、どこまでも青春の誓いも固く、生涯、求道と不退の大道を歩み抜いていただきたい。


【青年部代表者会議 1986-12-27 創価学会新館】


 5日間ほどお休みを頂いた(嘘)。実は、レンタルサーバーの契約が切れていたため、サイトが消失してしまった。いやはや、青くなっちまった(笑)。サーバー会社も呑気なもので、案内メールを1通寄越しただけで後は知らん振り。まあ、これを見落としていた私が悪いんだけどね。復旧の目途が立つというので契約を更新したものの、土日を挟んで本日の再開となった次第。昨年の66日に引っ越し、全く同じ日に再開するってのも不議ですな。今日は、牧口先生のお誕生日。


 このように、Web上にアップロードした情報というのは、うたかた(泡沫)みたいなところがある。デジタル情報はコピーしやすく、消失しやすいことを頭に置く要あり。


 ってなわけで、ボランティアによるバックアップ委員を募集します(笑)。Web自動巡回ソフトなどを使って、ログを保存して頂けると幸い。


 ま、なくなりゃ、なくなったで、最初っからやり直すだけ――という覚悟はありますぞ(ニヤリ)。


 この指導では、「真面目」の字義に触れた上で、次のように指導。


 要するに学会は、真面目だったからここまで大発展を遂げた。このことを絶対に忘れてはならない。真面目さの中に凝結した自己の人格と一が、我が人生を飾っていくのである。


 更に、青年部時代の華やかな舞台から、壮年部の地味な活動の場へ進む場合もあるが、「本有常住」の一で一切を開きゆくことを強調。上記の指導が結論となっている。


 私の青年部最終役職は総区副青年部長である。副支部長兼任の地区部長で壮年部入り。3年前に東京都下へ引っ越し、一昨年からはブロック長を兼任している。この間、ただの一度も我が誓いを裏切るような真似はしてない。役職や所属が変わった程度で変節するような信をしているつもりもない。いつ、いずこにあろうとも、自分のいる場所で、本物の創価学会をつくる決に燃えている。


 しかし、青年部の最高幹部に対して、「諸君にだけは絶対に退転してほしくない」と語る先生のはあまりにも深い。


 いかにも今度信をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし、日蓮と同ならば地涌の菩薩たらんか、地涌の菩薩にさだまりなば釈尊久遠の弟子たる事あに疑はんや、経に云く「我久遠より来かた是等の衆を教化す」とは是なり、末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経をたて身をまかせ給うべし(1360頁)


 有あるが故に、わかったつもりになっている御聖訓の一つ。「地涌の菩薩だから題目を唱えている」のではない。「題目を唱えているから地涌の菩薩」なのだ。つまり、題目を唱えなくなった瞬間から、地涌の菩薩ではなくなるということ。「日蓮が一門となりとおす」とは、死ぬまで自行化他にわたる題目を唱え切ることに他ならない。途中で退転するようなのは、地涌の儀式の途中で転んだか、引っ込んだかしたのだろう(笑)。


 日々、「戦い切る」ことが大事である。余力を残せば、“力を出し切れない自分”を築いていることになるからだ。


 今日一日の不平不満が退転の因となり、今日一日の大闘争が不退転の因となることを確認し合いたい。

2004-12-31

島原の乱にみる裏切り


 では、なぜ彼は卑怯にも同志を裏切ったのか――。

 農民を中とした一揆軍のなかで彼は異質の存在であった。いわば“エリート”であり、経済的にも恵まれていた。土のにおいのない、民衆の悩とは別世界の人間であった。ここに一つの問題がある。

社会的地位を持つ、いわゆるエリートとか、インテリなどは、要領がよく、口がうまくて、愚直なまでの「誠実さ」に欠ける場合が多い。特に日本では、そうした傾向が強いようだ。しかし、本物の深き人生は、大誠実なくして築けるものではない。

 これまで退転し、同志を裏切っていった卑劣な人間たちもまた、一応は社会的地位があり、組織的立場も高く、自分は“エリート”だとうぬぼれていた。

 しかし本来、学会に特権階級はない。つくってもならない。学会はどこまでも、頑固なまでに純粋な“信”を貫く庶民と庶民との団結が根本である。その美しき世界を守り、広げてゆくことこそ諸君の使命である。


【第1回未来部総会 1988-08-07 長野研修道場


島原の乱」を通して、先生は史観を養うよう強調。歴史の表には書かれていない権力者の図を見抜き、民衆の涙まですくい取る内容となっている。


 成り上がり大だった倉重政が島原藩を治めるようになるや、領民は重税を課せられた。その後、時の将軍・徳川家光より、キリシタン対策が甘いとの叱責を受けた。これによって徹底的な弾圧が始まる。


 拷問は、水責め・火あぶり・烙印・指詰め・穴つるし・硫黄(いおう)責め・針さし責め・竹鋸挽(たけのこび)きなど、手段の限りを尽くした。最後は、「山入り」ということで、雲仙地獄の熱湯の中へ投げ込まれた。犠牲となった人々は100人を超えた。


 藩の財政がしくなるにつれ、更なる重税が農民に押しつけられた。子供が生まれると人頭税。死者を埋葬すれば穴銭。囲炉裏(いろり)を作っても、窓を作っても税が課せられた。ナスの木1本にも、実をいくつという具合であった。それが納められなければ、妻子を人質にとられた。また、水牢に入れたり、「みの踊り」という拷問にあった。身体にみのを巻き、火を放つ。のた打ち回る姿を「みの踊り」とづけた。


 勝家に代が変わると、更なる苛政が行われた。


 唐津藩の天草地方も過酷さという点では島原と変わりがなかった。1637年、民衆の屈した膝が地面にのめり込むような事件が起きた。30俵の米が納めきれない大百姓・与三右衛門の嫁が、として川の流れにつくった水牢に閉じ込められた。家族の申し出も空しく、6日間、嫁は水漬けにされた。臨を迎えていた嫁は水牢の中で出産。しみ悶(もだ)えながら死んでいった。これによって、農民達の怒りが爆発。島原の乱の発端となった。


 この歴史を「キリシタン一揆」であると見る場合もある。だが、当時、囚われの身となっていたポルトガル人の記録が残っており、これによると、この叛乱はキリシタンが宗教的な立場から起こしたものではなく、過酷な圧政に耐えかねた農民による抵抗運動だった。そして、領主であった倉氏が、叛乱によって面目を失い、後の処を恐れたために「キリシタンの一揆である」と喧伝(けんでん)したのだという。


 つまり、“幕府が禁止している宗教を取り締まる”ことを理由にすれば、民衆に対してどんなに残虐なことをしても、当然のこととして正当化することができる。そう考えた領主や代官らの支配者は、自分たちの民衆に対する過酷な政治をごまかすために、“宗教者による反逆”という形に位置づけたという見方である。


 農民は蜂起した。当時の文献によれば、島原領内の人口2万7671人の内、一揆に参加した人数は2万3888人で、全人口の86%に上っている。原に篭したのは老若男女を含めて3万7000人。


 年が明けた寛永15年(1638年)、幕府軍は総攻撃を仕掛ける。この時、功を焦った総指揮官・板倉重昌が戦死。この死を悼(いた)んだ板倉一族を代表して、板倉勝澄(かつずみ)が、追善のために建立寄進したのが、富士大石寺の五重である。死後100年が経過していた。


「老いと若さ」に書いた通り、島原の乱は37000人全員の死をもって終わった。直ちに1万869人の首が斬られた。だが、たった一人だけ生き延びた男がいた。山田右衛門作(えもさく)という南蛮絵師である。島原の乱にあっては大将格として参加している。


 女や幼い子供に至るまでが殺害されることを知りながらも、島原の民の団結が乱れることはなかった。たった一人の壮年だけが退転した。この歴史的事実を指摘して、上記の指導がなされている。尚、山田右衛門作については、昭和41年(1966年)に総本山大客殿で行われた第21回夏期講習会(壮年部)でも、触れられている。


 学会に迷惑をかけ、純粋なる和合僧組織にいられなくなったのは、ことごとく大幹部であり、本部職員であった。自分の権勢強化を目的とし、組織に政治を持ち込む人物が少なからず存在する。信のカケラもないこれらの手合いは、広布推進というリズムの中で必ず淘汰されてゆく。学会が仏勅の団体であれば、ごまかしやインチキは絶対に通用しない。


「自分は特別だ」といういが微塵でもあれば危ない。それは単なる錯覚だ。特別だとい込んだ途端、周囲の人々を見下す視線となる。さしたる闘争もせずに自分を高みにおいて、民衆を睥睨(へいげい)したのが日顕宗であったことをい出すべきだ。


 天草四郎は実に16歳で指揮を執り、立ち上がった。戸田先生は、あまりにも犠牲者が多過ぎたことにを痛め、「もう少し何とかならなかったのか」と語っておられたという。そして、「長生きし、人生経験を多く積んでいくことも、指導者として大切なことである」とリーダーの進むべき道を示された。


 天草四郎を中とした農民の団結にを馳せつつ、降りしきる雪の中「創価完勝の年」が終わる。


 明後日は、先生が喜寿を迎える。これにまさる喜びはない。

2004-10-19

日興上人の高弟も退転


 日興上人は、この「弟子分帳」の中で退転、反逆者の者に対しては「背き了(おわ)んぬ」等と明確に記され、厳しく断罪されておられる。私も入信間もないころ拝読し、日興上人の信に対する厳然たる姿勢に胸打たれた一人である。

 ところで「離反・破門」の弟子は66人中12人に及ぶ。割合でいえば約18%となる。

 この「弟子分帳」に記された門下は、信強盛と目された人たちであった。しかし、その中においてさえ2割近くの弟子が離反しているのである。

 また、「弟子分帳」の中の退転者の内訳(うちわけ)をみるとき、いわゆるの通った、また社会的階層の上の門下ほど違背の者が多い。

 社会的な地位とか、また組織上の役職の上下のみによって、信の深さは決まらない。

 かえって地位や財力や立場にとらわれて信を見失い、保身に走り、退転の坂をころげ落ちてしまうことは、まことに怖いことである。

 しかし、それとは対照的に、日興上人が「在家人弟子分」と位置づけられた農夫などの庶民の門下17人の中には一人として背信の者は見当たらない。

 この中には、殉教の誉れの勇者である「熱原の三烈士」(神四郎、弥五郎、弥六郎)も含まれている。


【第5回本部幹部会 1988-05-22 創価文化会館


 歴史に残る指導の一つ。昭和63年のこの頃、電話回線を利用した同時中継は各方面の主要会館でしか行われてなかった。東京でも、まだ総合本部で1ヶ所だったと記憶している。私がいた旧第6総合(荒川・墨田・江東)でも、荒川文化会館だけだった。


 宗門問題が起こる一年半前の指導である。先生は宗史に残された厳然たる歴史をひもときながら、日蓮正宗が葬式教化していった事実を明らかにされている。“僧侶が上で、信徒が下”という目に見えない壁を打破されようとしていた。


 先日、ある男子部と懇談していたところ、「昔は、あんなに頑張っていたメンバーが、今は何もやってないと知り、驚きました」と語っていた。私はすかさず切り返した。「『あんなに頑張っていた』なんて言ったって、どうせ、会合に出てたとか、ちょっとばかり華々しい結果を出したって程度なんだろ? 結局、信が弱いということに尽きるのだ」と。


 信とは、妙法への帰命(きみょう)であり、広布への死身弘法の覚悟である。我が胸中にあるを信じて、社会の中で開花させるところに信の王道がある。先生は、「自らを信じよ! 卑下するなかれ! 卑下は法への違背だ。胸中の界への冒涜だからだ」(「祈りは勇気」)とも指導されている。だから、自分を信じることのできない者は、相手を信じることもできないから、結果的に折伏ができなくなる。


 上流階級に退転者が多かったのは、階級によって自分を飾り、信即生活という人間革命の軌道を外れてしまったためだろう。六老僧においては、実に日興上人お一人という有り様だった。つまり、現代においても、“先生に近い”ということをある種の権威にして、自分を大きく見せようとする幹部は五老僧の末流といえよう。


 どこに存在しようとも、人生の終局まで、「日蓮が一門となりとをし」(1360頁)た人のみが、大聖人直結であり、本物の池田門下生である。

2004-09-12

退転・反逆者の共通点


 各地、各部で新体制がスタートした。新任幹部は最初の3ヶが勝負である。その味からも「幹部の姿勢」について確認したい。

 一つ目に、幹部は絶対に威張ってはいけない。傲慢であってはいけない。

 自分で威張っているとっている人はいない。しかし、こんな人は傍(はた)から見ると威張っていることになる。


 1. 人を大で怒鳴る。すぐに怒(おこ)る。自分の情を自己抑制できない。

 2. 我慢できないで、すぐに切れてしまう。人格として幼稚である。

 3. 人の見が聞けない。“うるさい”と言わないまでも、面倒くさそうな顔をする。すぐ反論して自分の見を通してしまう。「話し合い」ができない。

 4. 話が長い。まるで独演会。その割に内容がない。


 学会は「和合僧」の組織である。皆が自由にものを言える雰囲気が大事である。

特に現場をよく知る婦人部の見は大事にしなければいけない。幹部が調和をとることである。きちんと合議して、皆が納得してこそ、う存分、力を発揮できるのである。

 二つ目は、金銭問題である。再三にわたって注があるように、創価学会は会員の皆様の尊い財務によって支えていただいている。

 すべて広布のためであり、厳格、厳正に行われてきた。この点、幹部はいささかも、おろそかにしてはならない。

 金銭にルーズであったり、不明瞭さ、不透明さのある人間は、最後は信の軌道を踏み外していく。

 そして、三つ目として、男女の関係において、絶対に問題を起こすようなことがあってはならない。

 これまでも問題を起こした反逆者、退転者等、学会に迷惑をかけた輩が出た。極悪ペテン師の山崎正友、また、竜年光、藤原行正、原島嵩等である。我々は正体を、よく知っている。

 池田先生も、その本を見抜かれ、配され、厳しく注もされた。しかし、悔い改めるどころか、逆恨みして退転していった。そして恐喝事件を起こしたり、金銭問題や女問題を起こしたり等々、敗北の人生となった。

 これら大ある学会を裏切った連中には、共通点がある。


 1. 勤行をしない。学会活動を馬鹿にして、活動しない。

 2. 欲が深く、金に汚い。身分不相応に贅沢をする。金のありそうな取り巻きを集め、飲み食い代を払わせる。

 3. に弱く、生活が乱れ、女関係が、だらしない。

 4. どこで何をやっているかわからない。時々、行方不明になる。

 5. 見栄っ張りで、格好をつけ、自分は特別な人間であるとわせる。

 6. 傲慢で誰の言うことも聞かず、陰で幹部を批判する。


 日蓮大聖人は、退転者の傾向として「おくびやう物をぼへず・よくふかく・うたがい多き者」と仰せである。

 知らず、忘、裏切りは人間として極悪であるばかりか、法上も絶対に許されざる不知である。断じて許してはならない。


【各部代表者会議 秋谷会長 2004-08-26】