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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-12-14

「慈愛」のリーダーは「知恵」が湧く


 自分がどうなろうとも、「同志」のため、「後輩」のため、そして「悩める人」のために尽くし抜く。また、戦いに臨んでは、常に自ら先頭を切って行動し、活路を開き、同志に「勇気」と「希望」を与えてゆく――。ここに人間としての偉さがある。人格の輝きがある。

 学会でいえば、日々地道に広布の第一線で活躍されるリーダーの方々こそ、その尊(たっと)き実践の姿であると実する。


 学会は、真に人間を錬磨し、変革しゆく「大地」である。そのリーダーである皆さま方は、決して「組織悪の指導者」であってはならない。どこまでも「法と信の指導者」として、自らを鍛え抜いていただきたい。

 組織上の役職でも、社会的地位でもない。一人の人間として、どれほど偉大であるか。どれほど豊かな「慈愛の」の指導者であるか。これこそが肝要であると申し上げたい。

「無慈悲」の人には「知恵」は出ない。「慈悲」の人には、限りない「知恵」が湧く。友の幸福と、社会の平和・安穏のための「知恵」が、生命の奥底からこんこんとあふれ出てくるものだ。今、求められているのは、そうした慈愛と知恵のリーダーである。


【第23回本部幹部会 1989-11-18 創価文化会館


「あ、こうすればいいんだ!」と手を叩くようなアイディアが知恵である。視点や表現を変えてみたり、予外の組み合わせなどによって、同じ景色が全く新しく見える瞬間だ。


 指導者が慮すべきことは、「どうすれば、皆がやりやすくなるか」という一点に尽きる。


 人のものををしふると申すは車のおもけれども油をぬりてまわりふねを水にうかべてゆきやすきやうにをしへ候なり(1574頁)


 悪はなくても、「車にブレーキをかけ」たり、「船を山に運ぶよう」な結果になっている幹部が目立つ。力不足を認めながらも平然としていられるのは、「結局、上からの指示だから仕方がない」という逃げ口上があるためだ。組織官僚主義に毒されてくると、木っ端役人みたいな幹部が増えてくる。


 政治学習会を担当した第2総東京の方面幹部(青年部)に呆れたことがある。公明新聞の職員ということで、政界の裏事情を盛り込みながら、立て板に水を流すようにまくし立てた。私は「何て、愚かな奴だろう」とで罵った。会合の目的を見失い、ただ自分の話に酔っている姿が歴然としていたからだ。背の低い、眼鏡をかけた野郎だ。


 責任がないから知恵も出ない典型である。政治学習会とは、「語り口」を教えないと味がないのだ。参加者の誰もが自信を持って語れるフレーズを具体的に示すことが最大の目的である。


 また、選挙時期に政策のことで質問をすると、「とにかく言い切っていこう」とか、「祈れば何とかなる」みたいな馬鹿げた指導をする連中も多い。お釜に米と水を入れて題目を唱えれば、ご飯が出来上がるとでも言うつもりなのだろうか? あるいは、御本尊法使いとでもっているのだろう。


 更に面倒なのは、政権与党入りした公明党の複雑な立場によって、いよいよ説明しにくい事態が続出していることだ。公明党がリードしてつくられた「年金100年安プラン」(2004年)は、わずか3年で木っ端微塵となった。社会保険庁の実態がわからなかったことを踏まえたとしても、失点は避けようがない。


 ちょっとい出してごらんよ。あなたが、3年前にどれだけ自信満々で言い切っていたかを(笑)。山本リンダじゃなくても「困っちゃうな」。


 これはね、本当にしい局面に達しているのだ。私なんぞは、既に何度も表明している通り、新テロ特措法案には個人的に反対している。だが、公明党は賛成しているのだ。友人に対しても、率直にその旨を語ってゆくつもりだ。「で、ほとほと困り果てているんだよ。本当の友達はお前しかいない」と情に訴える予定である(笑)。私の政治的信条は衆参のようにねじれている。


 これだけ問題が発覚しても社会保険庁は誰一人、処分されていない。国が告訴しただけである。また、渡辺喜美行政改革担当相が、独立行政法人の整理合理化計画で奮闘しているが、各大臣からはゼロ回答という惨憺たる結果となっている。これを見ても官僚支配が明らかだ。戦後、半世紀以上にもわたって官僚支配が続いているのだから、政権交代したぐらいで打破できる問題ではあるまい。


 号令や精神論で乗り切れる状況ではないことを、よくよく自覚してもらいたい。更に、末端幹部の知恵でどうにかできることでもない。総区長・県長、方面長レベルで知恵を発揮しなければ、惨敗は避けられない。

2006-04-02

風に向かって走れ


 ところで、大航海を可能にしたものの一つは「新しい船」であった。

 要約し、わかりやすく言うと、王子らの工夫もあって、「風に向かって走る船」が開発されたのである。

 それまでの航海は「風向き次第」であった。追い風の季節風を待っての旅であった。それを様々な技術改良によって、順風の時のみならず、あらゆる風向きの場合にも前進できるようにしたのである。

 この発明は、自然を克服した大きな一歩だった。まさに“必要は発明の母”である。

 人間もまた、風向きで流されるのではなく、目的地を目指して“風に向かって走る”力があって初めて「人生の大航海」ができる。

 その力の源泉となるのが「信」であり、信によって培った「信」である。そして、人間としての偉大な使命の「自覚」なのである。

 いわゆる順風満帆の人生、山登りでいえば、ふもとの方をもなく歩いて回るような人生は、何の味わいもなく、また、大きな価値を生まないものである。むしろ、険な山の尾根に敢然と挑み、山頂を目指す生き方こそ、大いなる「価値」と「歴史」を残すものだ。

 いわんや私どもの「広布」と「人生」の歩みは、あらゆる向かい風にも力強く挑戦し、新しい価値と歴史をつくりながら、人類史に永遠の光彩を放ちゆく、誉れの航海であると申し上げたい。


第20回本部幹部会 1989-08-17 長野研修道場


 これを座談会で実験した壮年部の方がいた(笑)。私は直接見てないのだが、隣の地区の男子部が「もう、凄かったッスよ」と語っていた。水を張ったタライに、手作りの帆船を浮かべ、正面から扇風機を回したそうだ。何度やっても、船が引っくり返ったという(笑)。だが、その気やよし。忘れ得ぬエピソードである。


 風が強ければ強いほど、凧(たこ)は天高く舞う。四度の大とは、困を極めるほどに、より深き使命に目覚め、自体を顕照しゆく生きざまを示されたもの。生命(いのち)に及ぶほどの危険に遭遇しても尚、「喜悦はかりなし」(1360頁)と、自在に人生を楽しむ絶対的幸福境涯の高らかな人間讃歌だ。


 僧・日顕によって、学会は真の世界宗教へと飛躍した。ここに、学会のみが、大聖人の衣鉢を継ぐ、正当な和合僧である証が存在する。


 学会全体に襲い掛かった風雨は、全て先生が受けられた。そして、これほどの功績・績を残されながらも、いまだに戸田門下生として弟子の道を貫かれている。我々は“反転攻勢”などと軽々しく言ってのけるが、それはひとえに先生の一から始まり、先生の一に帰着しているのだ。


 その師じるのであれば、せめて、自分に向かって吹く風には、堂々と立ち向かってゆきたい。


 大風吹けば求羅は倍増するなり(1136頁)

2006-03-24

発想の転換が新時代の突破口を開く


 大航海時代以前、実はヨーロッパは、世界の中でも閉鎖的な地域であり、さほど豊かでもなかった。

それに対し、アラブ世界をはじめ、アジアの方がよほど学問も進み、豊かでもあった。

 当時、東洋はヨーロッパ人にとって、いわば憧れの地であった。そのロマンの大地との交流は、東西を細々と結ぶシルクロードによって、辛うじて保たれていた。が、14世紀にはチムール帝国の興隆によって、シルクロードは閉ざされ、交通は遮断された。

 東洋との交渉の停止。それは、ヨーロッパ世界の行き詰まりをも味した。

この時、発を転換し、新たな東洋への道を開こうとした国があった。――“陸”がダメなら“海”がある。東洋への“海の道”を開拓すればよい。必ずや、その新たな道を開いてみせる――と。こうした新時代の突破口を開いたのは、ポルトガルであった。

 これも一つの「知恵」の力である。「発」の勝利といってもよい。歴史の「挑戦」への立派な「応戦」であった。

 豊かな「知恵」と「発」。いつの時代も、これを持つ者が次々と境を開き、勝ち越えてゆく。まして妙法は、限りない「知恵」と「発」の源泉である。ゆえに、私どもに打開できない境はないし、どこまでいっても行き詰まりがないことを確信されたい。


第20回本部幹部会 1989-08-17 長野研修道場


 つまり、“坊主”が駄目なら“友人葬”があるってこと(笑)。


 くれぐれも間違いのないように書いておくが、創価学会は“坊主と手を切った”わけではない。一方的に破門されたのである。まあ、我々の気としては、“手を切った”でもいいんだが、これじゃあ、外部の方が誤解してしまう恐れがある。結果的には、“癌”が摘出されたような格好になったけどね(笑)。


 坊主と袂(たもと)を分かち、真っ先に問題となったのは、御本尊下付と葬儀法要だった。学会は、これを会友(校友)運動と友人葬で乗り切った。不議なことに、バブルが弾けた後、新たな葬儀のあり方が社会的にも見直されるようになった。生前葬や音楽葬、はたまた、散骨など、故人の志に基づいて自由に行う風潮が高まった。ありきたりの儀式を嫌ったといってもよいだろう。


 その先駆を切ったのが、学会の友人葬だった。普段、話したこともない、見知らぬ坊主に読経してもらうぐらいなら、地域でお世話になった先輩にやってもらった方が、断然いいよね。また、学会の場合、大半の参列者が読経・唱題に和するので、何といってもがこもっている。実際、友人葬に参加して、学会への理解を深め、入会に至った方も少なくない。


 何かあるたびに、「困った、困った」を連発するような人は、発の転換がしい。いかなる困があろうとも、「何とかしよう」と前向きに進む姿勢があって、初めて発は転換する。「押しても駄目なら、引いてみな」という柔軟さが求められよう。


 振り返れば、“伝統の2”の淵源となった昭和27年の蒲田支部での闘争において、「組(現在のブロック)」に光を当てたことも、“発の転換”といえよう。更に、軍楽隊(現在の音楽隊)の結成や、体育大会(後の文化祭)など、いずれも“発の転換”をもって、若き先生が牽引(けんいん)してきたのが学会の歴史であった。


 発の貧しい者は、新時代のリーダーたり得ない。

2005-03-20

知識と知恵


 知識は、単に頭の中で描いた概に属するものである。ポンプであれば、現実に水をくみ上げるポンプそのものではなく、その概・設計図に当たる。それに対し知恵は、いかに現実に水をくみ上げ、活用していくかということに通ずる。人間の情や実、更には志、生き方にも関わるものである。

 人間は誰しも幸福を願って生きる。しかし、頭の中に、いかに多くの概・知識が蓄積されても、それが即幸福ではない。幸福は、具体的な実践によって獲得され、我が生命で実するものであり、単純な観ではないからだ。それに対し、知恵は、様々な認識や概を手段とし、行動へと昇華しながら、現実に幸の道を歩み、幸福を実現しゆく生命の力である。


【西ドイツ・ボン大学教育学研究所所長 ガイスラー教授と会談 1988-11-23 東京聖教新聞社】


 知識は理、知恵は事ともいえるし、知識は迹門、知恵は本門ともいえよう。設計図と建物の関係に例えるとわかりやすい。


 経済学者が必ずしも金持ちとは限らない(笑)。「親孝行をせよ」と教える教師が、孝行子かどうかは別問題(笑)。


 水の上に右足を差し出す。そして、その足が沈む前に左足を出す。更に左足が沈む前に右足を出す――するってえと、水の上も歩けることになる。これを観論とは申すなり。


 世間で考えられている幸福の定理は何だろう? 「自分らしく生きること」、「自分の可能を発揮すること」、「後悔しないよう、全力で頑張ること」などが挙げられよう。これに異論を挟むつもりはないが、どうも抽象的過ぎてピンと来ない。程度の低い道徳のようにじてしまう。


「自分」とは何なのか? 「可能」の内容は? などと考え出すと、たちどころに行き詰まってしまうのではないだろうか。だが、実際は、そんなことを考えている余裕すらない。テレビのリモコン操作や、携帯メールの入力で忙しいのだ。


 知識は知恵に入る門である。その知識すら深まらなくなった昨今、大人達は、子供に知識を詰め込むことにした。学校に“知る喜び”はない。生活の伴わない知識は、子供にとってストレスと化した。豊富な知識と、貧しい情が小さな身体に同居している。


 我々学会員は、絶対的幸福になる道理は知り得た。あとは行躰(ぎょうたい)即信によって、妙法の当体と自己を開きゆく実践をするのみである。実践を欠いた言葉は空しい。真剣勝負で悩める一人と正面から向かい合った時、自(おの)ずと知恵は発揮される。




 本日、交流座談会。神奈川から来られた方の体験談が実に素晴らしかった。全国副婦人部長が入るも、携帯電話に応じて中座。呆れ果てた。私の御書講義は50点。前回よりも5点高いのは、10分で終わったから(笑)。全員発言ができなかったため、拠点の外にて参加者全員にを掛ける。

2005-02-07

慈悲は智慧につながる


 それにしても、大聖人が細やかに人情の機微をとらえられ、最大の真で門下を激励されている御姿に、私は打たれる。愛する同志、後輩のために、一人ひとりのの綾(あや)を丹にたどり、踏まえながら、どこまでも尽くし、守り抜いてゆく――この強靭にして慈愛豊かな人間にこそ、法の精髄があることを知らねばならない。

 戸田先生は、よく言われていた。――一次元からいえば、「慈悲」があるということは、即「智」につながっていく。真の「慈悲」の人は、あの人のためにどうすべきか、どうしてあげたらいいかと、常にを砕きに砕いている。ゆえに、誰も気に留めないようなところにも気がつき、うっかり見過ごしてしまうようなところまで、自然に見えてくるものだ――と。

 所詮、「智」といっても、決して特別な「力」や「才」がなければ得られないというものではない。

 広布への汲(く)めども尽きぬ信の深さがあれば、次第にからの「いやり」とか「配り」が備わっていくものである。

 しかも「智」は、単なる「知識」ではない。「知識」を生かし、活用していく源泉が「智」である。いかに「知識」があっても、“慈悲なきインテリ”“冷酷な知識人”であっては、本物の「智」はわいてこないし、「知識」のみでは、生きゆく力も、幸せの価値も見出させないであろう。

「慈悲」こそ、真の「智」の源泉であり、「信仰」の根幹である。


【港・目黒・渋谷合同支部長会 1988-09-12 東京・麻布文化会館


 慈悲即智であり、智即慈悲であるとの指摘は重要。は内より薫(くん)じて、ある時は慈悲と現れ、ある時は智と発揮される。


 引用された御書は、「富木殿御返事」(968頁)。富木常忍が大聖人に帷(かたびら)を供養したことに対するお礼の手紙。90歳になる母親が、子のために縫った。母が亡くなる1年前のことだった。富木常忍は60歳ぐらいであったと推測される。素晴らしい出来栄えに驚いた常忍は、自分が着るよりも、慕ってやまない大聖人に着て頂きたいとい、母と相談した上で大聖人に御供養したとわれる。


 一枚の衣に仕立てられた「」と「」のドラマ――大聖人は全てをご存じであられた。


 殺伐とした社会では、「無慈悲」が実されるばかりで、「慈悲」という言葉はふわふわと浮いた印象を受ける。日常生活の中で慈悲を実践に移しているのは、もはや学会員だけであろう。


 慈悲は抜与楽と訳す。友のを抜くためには同しなければならない。そして、悩んでいる人に楽を与えるには、迅速な行動が求められる。


 我が国では、阪神・淡路大震災からボランティア熱が高まった。ボランティアは慈悲の一分といえよう。尊い無私の行動を知り、「まだまだ人間も捨てたもんじゃないな」と銘した人々も多かった。


 ボランティアの語源は、ラテン語の「Volutas(ボランタス・自由志)」、フランス語の「Volunte(ボランティ・喜びの精神)」、英語では「Volunteer(ボランティア・志願兵)」とされる。まさに随自意の精神そのものであり、誰かに言われたから行うなどといった雇われ根はない。


 相手の尊厳を守るための、やむにやまれぬいが慈悲である。人を追い込んだり、問い詰めたりするのは無慈悲というのだ。慈悲は、表面的な優しさでもなく、厳しく叱ることでもない。分析することでも、評価することでもない。共に涙し、共に汗を流すという人間の絆であり、契(ちぎ)りである。


 されば、人のの深さを示したものが慈悲だ。友のしみを引き受ける精神が慈悲だ。


 日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもなが(流)るべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ(329頁)


 大聖人の慈悲を体現する学会幹部と育とう。

2004-08-02

知識から智慧へ


 まず第一は「知識から智へ」という命題であります。

 私の師戸田会長は、「知識を智と錯覚しているのが、現代人の最大の迷妄である」と鋭く見破っておりました。確かに、現代人の知識量・情報量は50年前、100年前に比べて飛躍的に増大しておりますが、それがそのまま幸福をもたらす智につながっているとは、とうてい言えません。

 むしろ「知識」と「智」のはなはだしいアンバランスが不幸をもたらす場合があまりにも多い。それは、近代科学の粋が核兵器に直結していることや、先ほど申し上げた「南北の格差」の広がりなどに、如実に表れております。

 空前の高度情報化社会を迎えた今、膨大な知識や情報を正しく使いこなしていく「智」の開発は、いよいよ重大な眼目となっているのではないでしょうか。

 例えば、発達した通信技術は、民衆の「恐怖」と「憎悪」を煽るために悪用される場合もある。その一方で、教育の機会を世界に拡充するために活用することもできます。それを分かつのは、人間の「智」と「慈愛」の深さなのであります。


【講演「平和と人間のための安全保障」 1995-01-26 ハワイ・東西センター】


「水の結晶」と「7.5Hz」の怪文書が今でも出回っている地域があるとのこと。情報化社会は、誤った情報に踊らされやすい社会の異であることを自覚したい。


 この手の怪情報は10〜15年おきに登場している気がする。以前にも、「先生の指導」と称した、もっともらしい文書のコピーが全国を席巻したことがある。


“ありがたい話”を盲目的に信じ込むのは邪宗教のいき方である。


 智とは生きる力そのものであり、行き詰まりを打開せしむる生命力の謂いでもある。そして、生命の変革を伴う英知の飛翔だ。決して、“悪知恵”の反語といったレベルのものではない。


 もう一歩踏み込んで自分を振り返ってみると、先生が話される言葉の一つ一つは、戸田先生の元で熾烈な訓練を受け抜き、57年余りの大闘争の上から発せられたものである。それを小賢しくも、通り一遍読んだだけでわかったような気になっていれば、釈尊の弟子が如是我聞したのとは全く異なる次元となってしまう。「なぜ、今、この指導をされているのか?」この一点を呻吟(しんぎん)するようないで求め、祈りと実践の中で師弟が不二となるリズムをつくらねば。

2004-06-22

知恵と知恵との勝負


 いかなる次元であれ、戦いというものは、常に知恵と知恵との勝負である。相手の動きを、どう読むか。そのうえで、どう手を打つか。この“知恵比べ”を制したものが、栄冠を手にする。これは、時代や社会を超えた、勝負の鉄則である。

 広布の舞台にあっても、指導者は賢明でなければならない。広布の活動はますます多岐に、幅広く展開されている。リーダーはそれに応じた知恵と力をもたねばならない。いずこの分野でも、妙法の正しさを証明し、人々にからの納得と満足を与えられなければ、もはやリーダーとはいえない。


【兵庫広布35周年記幹部会 1988-03-26 尼崎池田文化会館


 どんな世界の勝負であれ、相手も真剣だ。漫然と構えていたのでは、勝利は手中にできない。「知恵」とは作戦ともいえよう。


 御聖訓に云く「謀(はかりごと)を帷帳の中に回(めぐ)らし勝つことを千里の外に決せし者なり」(183頁)と。戦場に辿り着く前に、勝敗を決する気魄(きはく)と用周到さが求められる。


 作戦の目的とは何か? それは全軍の動きを軽くすることである。そのためには、角度をつけた方針が必要となる。“今まで”と代わり栄(ば)えがないようであれば、更なる勢いはつかない。


 作戦とは、一人ひとりの動きを最大限に価値あらしめるためのものだ。無策であっては、後輩のやる気を引き出すことはしい。戦いのリズムに変化をつけ、惰を斬り捨て、全軍の士気が上昇カーブを描いてゆくような打ち出しが望ましい。


 広布の闘争における作戦とは、法華経の兵法である。つまり、作戦といっても信に尽きる。祈り無き作戦は、ただの策に過ぎない。時折、見受けられるが、策として唱題会を行う場合がある。これも駄目。弱い一の導師に祈りを合わせたところで結果が出るはずもない。作戦の上に信を乗せるのは本末転倒だ。どこまでいっても信が根本であるからだ。


 知恵は現場にある。戦う同志の声にから耳を傾けてゆけば、自(おの)ずから活路は開けてゆく。「いつも、ありがとう!」「本当にご労様!」と声を掛けることもなく、命令や指示のみに終始していれば、人のは離れてゆくだろう。


「皆、満足」、「皆、納得」の和合の姿こそ、創価の組織の実相であらねばならない。