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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2008-08-23

20年先を目指し、獅子のごとく生きぬこう


 いつもいつも冴えゆく

  光と語りながらの

   雄々しき挑戦ありがとう

  二十年先を目指し

   獅子の如く

   太陽の如く

    共に生きぬこう


【『友へ贈る』 1978-05発行】


「20年先を目指しなさい」とは、昭和40年代の青年部に対する基本的な指針であった。信といっても、人物といっても20年見なければわからない。20年持続すれば本物である。赤ん坊だって、20年経てば立派な大人へと成長する。


 今、メディアで持てはやされている有人が、果たして20年後も同じ主張をしているかどうかはわからない。時に、全く正反対の立場となっていることも珍しくはない。時の本質――それは淘汰である。


 私は二十歳(はたち)を過ぎた頃、この指針を何となくノートに記した。当時はとてもじゃないが、光を見つめる余裕などなかった。ひたすら次の家を目指して家庭指導に明け暮れた。毎日が戦闘モードになっていて、戦うことに努力を要する段階は卒していた。


 先生の「ありがとう」という言葉が胸に染みるようになってきたのは、リーダーとしての孤独を知るようになってからのこと。ま、孤独といったって、寂しさなんぞとは無縁の質のものだ。大体、私には「寂しい」という情がないのだ。私は“広布のオズマ”だ(笑)。


 組織うように動かない時、リーダーは岐路に立たされる。「今までできなかったんだから、できなくったって仕方がないよな」という妥協の道と、「少々の反発があっても戦い抜く」という挑戦の道に分かれる。「少々の反発」と書いたが、実際には結構大変なんだよ(笑)。少々どころじゃない。だが、このハードルにつまずいているようだと、まともなリーダーにはなれない。


 結局、尻込みしたくなるような場面を、いくつ乗り越えたかで人の成長は決まる。へっぴり腰は何人いたところで役に立たない。斬り込んでゆく時、踏み込みが浅いと返り討ちに遭う可能が高い(笑)。


 20年先を目指して決するのは生やさしいことではない。3日分の決なら誰にでもできるけどね(笑)。20年間努力すれば、それが自分の(ごう)となる。20年後の本因を積んでいるとえば、どんな労にも耐えられよう。

2007-09-27

新記録で「青春の金メダリスト」と輝け


「教育」にかけるいが、今ほど熱く、高鳴ったことはない。今こそ「教育」のために走り、「教育」に全魂を注いでおきたい――これが私の偽らざる境である。

 その味から、今日も少々長くなるかも知れないが、ここで記のスピーチをし、諸君への真の贈り物とさせていただきたい。

 今日は、海外5ヶ国からも来賓の方々が出席されている。お忙しい中、参集された皆さま方に、まずから謝申し上げる。


 諸君は、まさに「青春」の真っ只中にいる。私も、常に「の青春」を生ききっているつもりである。

 真実の「青春」とは何か。絶えず「の青春」を輝かせてゆく要件とは何か。

 それは「挑戦の魂(チャレンジ・スピリット)」である。「挑戦」なきところに青春はない。それは既に老いた「生」であり、飽くなき「挑戦」の気概にこそ「青春」は脈動する。

 樹木でも、若竹のようにぐんぐん伸びゆく姿には、「若さ」の輝きがある。天を目指し、風雨に洗われて逞しさを増す若木には、爽やかな「挑戦」のがみなぎっているかのようだ。

 ある味で人生の価値とは、“記録への挑戦”から生まれる。先人が築いたあの記録を、どう破るか。自分のこれまでの最高記録を、どう更新し、書き改めるか。その“挑む”姿勢から、勝利と満足の人生が開かれてゆく。ゆえに、一人ひとりが何らかの“我が新記録”をつくり、積み重ねていかねばならない。記録は次々と打ち破られ、塗り替えられてこそ味があるからだ。


 かつて陸上競技に「1マイル(約1.6km)4分」という“壁”があった。どんな一流選手が挑み、走っても破れない。これが「人類の限界」とさえ考えられていた。

 しかし、1940年代に記録は向上。ついに、イギリスの選手・バニスターが、この“鉄壁”を突破する――。不議なことに、一人が“壁”を破ると相次いで3分台で走るランナーが現れた。

“4分の壁は破れない”との“通”“常識”。これを壊した途端、堰(せき)を切ったように人間の能力は伸びていった。

 現在では、「1マイル4分」は当たり前になっている。言い換えれば、大脳が「無理だ」と命令している限り、「力」はでない。

 これが先入観の恐ろしさである。

 スポーツの世界でも、技や体力の向上がもちろん重要である。が、「最後は精神力の勝負だ」といわれる。その一つの理由がここにある。

 未聞の道を開く「一人」の先駆者。その大切さをこのエピソードは雄弁に物語る。


 新記録を生む条件は総じて二つに分けられるであろう。

 1.本人の「・技・体」の充実。

 2.用具、施設、気候など、環境のよさ。

 この内、2については、棒高跳びの「棒」、ランナーの「靴」などの改良によって記録が伸びた例がある。

 だが、問題のポイントは当然のことながら、1にある。では、「新記録を生む人間」の条件とは何か。


 ウィナー(勝者)達は、一人の例外もなく“練習の虫”であった。

 むろん、先天的な才能、体質も大事である。しかし、陸上であれば0.01秒縮める、野球であれば守備可能範囲を一歩広げる、そのための人知れぬ労と猛練習なくして、栄光を手にした者は、絶対にいない。


「人間機関車」と呼ばれた、チェコスロバキアの選手・ザトペック。

 諸君は彼の活躍の様子を知らないかもしれないが、教職員の皆さまなら必ずや聞いたことがあるとう。知る知らないで、年代が判明してしまうかもしれない(笑い)。

 彼は別「世界記録破り」と呼ばれた。1949年から1955年にかけて、5000mから3万mまで、公認される世界記録を全て書き換えた。1万m、2万m、1時間走行距離、10マイル、15マイル、2万5000m、3万m、6マイルの各競技である。

 また、ヘルシンキ・オリンピック1952年)では、何と5000m、1万m、マラソンと、3種目で優勝。

 この時、彼は言った。

「必ず勝とうとって、その通り勝った。とてもうれしい」と。彼には勝つ確信があった。なぜか? 常に彼は言っていた。「世界中で、僕より練習している人間はいない。だから勝つ」と。

 また、「他人と同じことをやっていては、他人を抜くことはできない」が彼の信条であった。

 世界一の猛練習――彼は練習の時に、既に“勝っていた”。


 彼の“自らをいじめ抜く”ような練習は有であった。

 ザトペックは10代の頃から、靴の製造工場に勤めていた。その通勤の行き帰りにも、彼は練習を重ねた。

 をもたせるために、ポプラ並木に沿って進みながら、1日目は4本目までを止めた。翌日も同じ。3日目からは5本目までを止める。これを、どんどん延ばしていった。

 最後のポプラまで来た時、彼は気を失って倒れた(『ザトペック』FR・コジック著、南井慶二訳、日新聞社)。

 ――練習は、特別に時間や場所をとって行うものばかりではない。いつでも、どこでもできる練習、鍛えというものがあるものだ。勉学もまた、同じではなかろうか。

 ともあれ、ザトペックは仲間から、「彼は走りすぎる」「もういいかげんにしろよ!」と言われるほど、走って走り抜いた(『人間機関車 E・ザトペックの実像』スデニェク・トーマ著、大竹國弘訳、ベースボール・マガジン社)。


 他にも、一流選手の壮絶な鍛錬の話は多い。

 一世を風靡(ふうび)したあるプロ野球選手。大学時代、彼は練習終了後、更に一人で毎日2時間の練習をした。その姿を見て、“彼は必ずや超一流のプレーヤーになるに違いない”とった――と、かつて彼の友人が話していた。その予言は、まさに的中した。

 私も、「人生の選手」「人生のランナー」を目指して、生命の錬磨、魂の錬磨に徹してきた。法者として、また一個の人間として、誰にも負けない数々の“記録”もつくり、歴史に印してきたと自負している。ゆえに、記録に挑む“一流”のは、私なりに熟知しているつもりである。


 記録への挑戦――その人生のドラマを栄冠で飾りゆくために、いかなる鍛錬が大切か。

 何より、「基本の繰り返し」ではなかろうか。

 野球のバッターや剣道の選手なら「素振り」。ランナーなら「走り込み」。この、たゆみない繰り返しが勝利の基盤を固め、栄光のゴールへのエネルギーとなる。

 8に行われた関西吹奏楽コンクールで、関西創価小学校の「アンジェリック・ブラスバンド」が金賞を受賞した。願の関西代表に選ばれ、11の全国大会への出場が決まった。見事なる“記録”であり、輝く栄冠である。

 担当された田口秀男教諭が、聖教新聞の連載「我が青春の曲」で、その勝利の原因について語っている(91日付)。

「みんなでを一つにして始めた基礎練習の成果だった。とにかく始式も終式の日も休みなく繰り返した単調な基礎練習。それでも児童達は、嫌な顔一つせず、私についてきてくれた。そんな児童達の晴れやかな受賞の姿に、まさに『基礎は力、持続は力なり』のを深くしている」

 平凡な言葉かもしれない。しかし私には、一言一句が“金の光”を放って見える。


 勉学にも王道はない。基礎を地道に学び、基本を自らのものとしていく以外にない。教科書もろくに読まないのに、ある日、突然“悟り”を開き(笑い)、どんな問題でもスイスイと――そんなことはあり得ない(爆笑)。

 何事であれ、基礎のある人は強い。時の流れに朽ちることがない。時とともに向上し、不滅の輝きを放っていける。

 諸君は若い。決して目先のことばかりにとらわれてはならない。多少、成績が落ちたとか(笑い)、家庭環境がどうとか、一喜一憂する必要もない。まず、人生の基礎を、学問の基本をガッチリと固めていけばよいのである。


「基本」とともに大切なのは、あれこれと「迷わないこと」である。

 我が国も戦前は「陸上日本」の呼びが高かった。多くの人々の期待も集めていた。が、今やその面影は薄れ、一部でしか世界に伍する活躍がみられない。

 戦後の方が設備においても、指導者層においても恵まれている。練習量が格別に減ったわけでもない。

 では、戦前の勢いと比較して、なぜ戦後の方が世界に負けないだけの力を発揮できないのか。

 その理由を、ある人はこう指摘する。

 ――今は、指導者(コーチ)が手取り足取り教え過ぎる。しかも、たくさんの練習法が開発されているため、次々に新しいものを導入する。そこで、選手に迷いが生じる。

 昔は、よきコーチもなく、がむしゃらに一つの練習法で自分を鍛えた。誰も頼れないから、自分なりに“伸びる方法”を見つけるしかなかった。そして、一度決めた練習法をとことんやり通し、そう簡単に変更したりはしなかった。

 コーチの本来の役割は、選手の自主をどう引き出し、いかに自信をもって練習に打ち込めるようにするか。ここにを砕くことではないか――と。

 この説が実際に当たっているかどうかは別にして、万般に通じる真理の一面を語っているとう。

 勉学の道も同じではあるまいか。工夫は当然であるが、あれやこれやと策や方法のみにとらわれ、目移りしていては着実な向上はない。熟慮の上でいったん決したことは、しっかりと腰をすえて取り組むことである。ザトペックも、いつも「何だあの練習法は」と批判されながらも、自分の方法を貫き通した。


 また一方、人生においても小さな自己を乗り越え、常に自身の「新記録」を達成しゆく生き方ができるかどうか――これは、よき指導者につくかどうかが重要であるともいえよう。


 では、選手の自主を引き出し、力量を伸ばすためには、コーチとして具体的にどのような点を得て、選手に接してゆけばよいのか。

 その一つは、コーチは選手を上手にほめてあげなくてはならない、ということである。

 競技に敗れたり、伸び悩んでいる選手を叱ってばかりいたのでは、ますます萎縮してしまう。自信を失い、本来の力すら発揮することはできない。叱られて伸びる選手もいるが、多くは的確にほめられて伸びるものである。もちろん、それは選手自身が真剣に練習している場合に限ることは言うまでもない。

 法では次のように説かれている。

 ――ほめられれば、我が身がどうなろうと構わずに頑張り、そしられる時にはまた、我が身が破滅することも知らず、振る舞ってしまう。これが凡夫の常である――と。

 一人の人を温かく包み、ほめ称えてゆく。そこから、その人の新たな発と成長が始まる。そして、その蘇生の姿は、周囲に新鮮な活力と潤いを広げるに違いない。


 さて、コーチによる選手への接し方として、もう一つ大切な点について考えてみたい。

 それは、選手の成長を阻んでいる「一凶」、すなわち根本的な「欠点」を直させることである。たくさんの欠点があるようでも、それらは一つか二つの“元凶”に根があることが多い。

寝坊ばかりしている”(笑い)、“算数が手だ”――これも、生活や勉学の上での「一凶」となる場合がある。小さな欠点であっても、大きなつまずきの原因にならないとは限らない。しのぎ合いの中では、それが致命傷になることさえあり得る。

 そんなことになっては、あまりに可哀だ。何とか「一凶」を取り除いてあげたい――こうした気持ちからの適切なアドバイスによって、見違えるように力を発揮し、“壁”を突破する選手も多い。

 また、いくつかの欠点の中で、“伸び”を止める「一凶」となっている欠点を見抜くのも、コーチの持つべき“眼(まなこ)”だといえよう。

 これは、どのような団体や組織にも言えることである。「ほめて長所を伸ばすこと」と「克服すべき欠点を自覚させること」の両方がバランスよく噛み合ってこそ、一人ひとりの能力を最大限に引き出すことができるのである。


 次に、記録の向上・更新を妨げる理的要因について述べてみたい。

 その第一は、「慢」である。

 慢といっても、自分でそうっている人間はいない。ましてや、厳しい勝負の世界にいれば、慢は続けられるはずもない。

 ここでいう慢とは、「もう、これでいいのではないか」という闘争の衰えのことである。自分の現状に甘んじ、進歩を忘れた停滞の姿である。大切なことは、実はそれ自体が既に「敗北」の姿であるということだ。

 これまで、世界記録を樹立した選手の内、約3分の2は、二度と記録を更新していないという。

 これは能力の問題というよりも、「もう、ここまでやったのだから」と、無識の内に「挑戦の魂(チャンレジ・スピリット)」を失うからであろう。

 いったん、限界を突破した人間は、あとは「自分との闘争」といえる。


 北欧・フィンランドのヌルミ選手は、オリンピックの金メダル9個を獲得。また、21の世界新記録を樹立し、“超人”と呼ばれた選手であった。

 彼はやがて、競争相手がいなくなってしまった。

 そこで、いつもストップウォッチを持って、トラックを回った。自分のペースをつくるためでもあったが、もはや自分自身の記録との戦いしか、彼にはなかったのである。

 すなわち彼は、絶対に「もう、これでいい」という慢には陥らなかった。

 そして、彼もまた“練習の鬼”であった。

 彼は言う。「上達する努力とは、一にも二にも練習です。もう自分は練習なんかしなくっても負けやしないとったとき、その人は下り坂にかかっているということをわすれないでください」と――(『記録をうちたてた人々鈴木良徳著、さ・え・ら書房)。

 自分の「慢の」に打ち勝った強い人のみが、人生の凱歌の「記録」を残すことができるのである。

 私もこれまで、「もう、これでよい」などとったことは一度たりともない。あらゆる艱(かんなん)の嵐に一歩も退(ひ)くことなく、諸君のため、社会のために前進を重ね、厳たる勝利の歴史を残してきたつもりである。

 一人の平凡な人間が、どれだけの仕事ができるか、どれだけの力を出せるか。その人間としての「証」を後世に示しておきたい。偉大なる「人生のランナー」として走り、また走り続けたい――。その信のまなに、これからも今までの10倍、20倍と働き続けてゆく決である。

 若き諸君も、どこまでも謙虚に自身を磨き、あくなく“自己への挑戦”を重ねていっていただきたい。そこにこそ、かけがえのない“青春の新記録”が刻まれてゆく。


 一流の選手ほど、こう言う。「上には必ず上がいるものだ」と。そして、「自分より真剣な奴がいる」と言った人もいる。“これほど、やっているのだから”と自分でっても、世界は広い。像もつかないほど努力している人間が必ずいる。

 ゆえに、自分より上の人を常に見つめながら、「それ以上に練習しよう」「その何倍も勉強しよう」――この努力に次ぐ努力が、勝負の世界の鉄則である。

 人間として、社会人として、力をつけていかなければ、結局、誰からも信用されない、わびしい人生となってしまう。

 他人が何と言おうが、自分は自分の内にある“王者の力”を信ずる。そして、その力をどこまでも発揮してゆく――これが人間としての本当の勝利への道である。

 剣の達人・宮本武蔵は「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と、『五輪書(ごりんのしょ)』に書いている。これは、いわば武蔵なりの“人生の書”であり、“勝負の哲学”ともいえるとう。

 鍛錬によって、人は自らを縛る自身の欠点から解放される。自分自身を鍛錬し、培った力こそが、自身の勝利を支える土台となる。要するに、「鍛錬が人を『自由』にする」のである。

 鍛錬なき青春時代は、一見、楽なようで、うらやましく見えるかもしれない。しかし、やがては、現実という激しい“風雨”に耐えきれず、敗北の実態をさらけ出してしまう。

 私も60年の人生経験から、このことははっきりと断言できる。

 より高く、より遠く、より速く、より美しく、より大きな世界へと飛びゆくための使命の翼は、暴風雨の中で鍛えられてこそ、自在に大空へと羽ばたけるのである。


 記録を阻む理的な要因には、もう一つ「強制されてやっている」とう圧迫がある。

 何事も「いやいや」やるのでは力が出ない。「好き」でなければ上達しない。

 オリンピックの水泳は今や、「10代のスポーツ」と呼ばれる。10代の、しかも半ばぐらいの若い選手が優勝することが多い。

 陸上競技ではそのようなことはない。

 また、人間の筋力は20代がピークとされている。なのに、なぜ「水泳は10代」なのか――。

 ある人は言う。

 ――一流の選手は毎日、何と9時間も水の中にいる。睡眠を除いて、起きている時間では、水の中の方が長い。陸に住む人間にとって、陸上選手以上に“非人間的”トレーニングである。

 10代も終わり頃になると、こうした生活に疑問を抱くようになる。嫌気(いやけ)が差してしまう。そして、異との交際が始まるなどして、“陸に上がってくる”(笑い)。そこで、水泳選手の年齢は若くなる一方なのだ――と。

 この説が正しいかどうかは別にして、「好き」であるという一、「夢中」になってやる勢い――これが能力を引き出す要因であることは間違いない。


 勉学でも、クラブでも、「好き」になってゆこうとする自分の決と姿勢が大切であろう。

「好き」ということは、まず自分なりに「納得」することである。それを前提に「自主的に」労し、修練を重ねることである。そこに、やがて本当の地力(じりき)がついてゆく。本番でも実力を出しきる「精神力」も培われてゆく。

 そのような人は、「労」している時にも「不幸」をじない。全てを向上のバネとして、みずみずしい生命力で、自分の「の世界」を、そして人生そのものを大きく開いてゆくことができる。

 ゆえに諸君は、手な科目や嫌いな分野にも勇んで取り組み、どうせやるならば、何とか「好きになっていこう」と努力していただきたい。

 中には、お母さん方から「勉強しなさい」と、いつも“強制”されて(笑い)、少々いやになる場合もあるかもしれない。

 母親の「勉強しなさい」は、テレビのコマーシャルのように(笑い)、のべつまくなしで(大笑い)、うるさいとうかもしれないが、決してなくなりはしない(爆笑)。

 要するに、それに「嫌々」従おうとするのではなく、自分から一歩踏み込んで、「勉強を好きになろう」と決めていけばよいのである。それが“強い”である。

 ともあれ、諸君は10代までの、生命の輝きに満ちた年代である。この時期に、徹底して勉学に励み、また、大いに身体を鍛えて、新しい世紀を担うための基礎を、深く強く、築いていただきたい。


 また、「慢」「強制」とともに、「不安」も大敵である。

 最後の土壇場の緊張の中で選手を支えるものは何か。

 それは、「あれだけ練習したのだ。やるべきことは全てやり切った」との自信だという。

 諸君も経験しているように、学校の試験の時も同じことがいえよう。「やれる勉強は全てやった。さあ、何でもこい」と、自信をもった人は強い。動揺もない。しかし、試験勉強も中途半端だと不安が残る。

 イギリス人はよく言う。ともかく「ベストを尽くす」ことだと。

 自分がしい時には、相手もしい。勝負を決するのは、この「私は、やり切った」との自信なのである。

 人と比べたり、何かあったりして、直ぐに崩れてしまうのは、真の自信ではない。渾身の努力もなく抱いた自信――それは一種の「幻」に過ぎない。


 さて、アメリカの黒人選手に、「褐色の弾丸」といわれたオーエンスがいる。

 それは、1935年525日の競技のことであった。彼はたった1時間15分の間に、三つの世界新記録と一つの世界タイ記録を出した。「彼がベルリン・オリンピックでとった四つの金メダル以上の価値がある」と言われた。ところが、この奇蹟ともいうべき日、オーエンスの体調はベスト・コンディションだったわけではない。実は最悪の体調だったのである。

 彼は背中を痛め、競技場にも自動車でやっと着いた。ユニホームへの着替えも、人に手伝ってもらうほどであった。

 当然、コーチをはじめ、周りの人達は棄権させようとした。

 しかし、オーエンスは、“せっかくここまで来たのだから出場する”と、痛みをこらえてスタートラインに立った。“私には使命がある。多くの競技に勝ち抜いてきた。練習もやり抜いた。今、身体の調子は全く悪い。しかし、走ろう。魂だけでも走り抜いてみよう”とのいであったかもしれない。

 だが、「ヨーイ」のを聞いた途端、背中の痛みはウソのように消え去った。本当に人間の生命は不議なものである。あとは夢中で走った。そして、4種目の競技に出場。三つの世界新と、一つの世界タイ記録をつくった。最後のレースが終わるや、激痛が再び彼を襲い、彼は歩くことさえできなかったという(このエピソードは、前掲『記録をうちたてた人々』による)。

 これは、極端な例かもしれないが、ベスト・コンディションとは何かを考えさせるエピソードである。


 他の例でも、「いつもより不調」とわれる時に、かえっていい記録が出ている場合も少なくない。

 私の経験でも、そういう場合はよくある。私は、決して体調のいい日ばかりではなかった。むしろ、悪い日の方が多かった。だが、その中で“やり抜こう、勝ってみせる”との強いいで戦い抜いた時、歴史に残る仕事をやり遂げることができたし、人生の「価値の道」を切り拓くことができたとっている。一の力は不可議である。マイナスをもプラスに転ずるパワーがある。

 体調の不調の時の勝利の理由を挙げて「無欲の勝利」という人もいる。それはともかくとして、どんな悪条件でも、“やり抜こう”との執と根が、いもよらぬ力で、日頃蓄えた地力を爆発させることがあるものだ。決してあきらめないこと、それが新記録への飛躍台である。


 新記録といっても、中には「自分には何も得なものがない」という人がいるかもしれない。しかし、長い人生である。一生の勝負である。最後に何かで勝てばよい。人生というマラソン・レースで勝利者となればよいのである。

 スポーツの記録においても、「長距離ほど記録は伸びる」という“法則”がある。

 1896年から1984年までの約90年間にオリンピックの記録は、どの程度伸びたか。

 100m走では約20%の向上、1500m走では約30%の向上、マラソン(42.195km)では約40%の向上となっている(『疲労と体力の科学』矢部京之助、講談社)。

 諸君は仮に、「人生の短距離走」で勝てなければ、「中距離走」で勝てばよい。それでも勝利に届かなければ、「長距離走」で勝てばよいのである。

「最後には勝つ」――この決で、逞しく、また逞しく生き抜いてほしい。


 ともあれ、諸君は何らかの「青春の記録」をつくっていただきたい。何でもよい。自分らしい何かを打ち立てることだ。

 寝坊の新記録とか(大笑い)、お母さんに叱られた記録(笑い)、落第の記録保持者(爆笑)などというのは困るが……。

 輝く「人生の新記録」は、自分のためばかりでなく、多くの人の喜び、誇りともなってゆくものである。

 エチオピアの“裸足の王者”といわれたアベベ。彼はオリンピックのローマ大会(1960年)と東京大会(1964年)の2回、マラソンで連続優勝している。かつて誰人もなし得なかった偉である。

 東京大会でも、日本を挙げての拍手喝采を浴びたが、初優勝のローマ大会は、まさに劇的であった。

 エチオピアは、かつてイタリアの独裁者ムッソリーニに征服された(1936-1941)。皇帝はイギリスへ涙の亡命。オリンピックは、その24年後である。

 アベベは、この皇帝の親衛隊の一兵士であった。かつて皇帝を追い出したイタリア。その首都ローマでのオリンピック。アベベには、“この地で皇帝の無いを晴らしてみせる”との深い決があったに違いない。

 アベベはローマで見事に優勝した。勝った。しかも、「オリンピックの華」マラソン競技である。世界中が沸いた。

 アベベは言った。「私は皇帝のために走った」、「我が祖国が初めて手にした、このメダルは皇帝に献上したい」と。

 人々はその情に涙した。「エチオピアはその一兵士によって、ローマに雪辱した」と、ある新聞は書いた。

 アベベ「一人」の勝利は、エチオピアの「全ての人々」の勝利であった。

「一人」が立てばよい。「一人」が勝利すれば、それは「全員」の勝利へと通じてゆく。私は、諸君に「その一人」となっていただきたい。

 自分なりの「青春の金メダリスト」「青春のチャンピオン」「トップランナー」、真の「勝利者」の栄冠をつかんでいただきたい。諸君がその“挑戦また挑戦”の道を歩みゆくことを私は信じ、祈っている。

 最後に、どうか、お父さん、お母さんに、くれぐれも宜しくお伝えください、と申し上げ、本日のスピーチとしたい。


【創価中学・高校、東京創価小学校合同 第2回学園祭 1989-09-30 東京・創価学園講堂】