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2008-12-31

山崎正友の死に思う


 日蓮大聖人の殺害に失敗(竜の口の法難)した平左衛門尉頼綱が、その刃を弟子に振るったのが熱原の法難である。何の罪もない20人の農民信徒が拷問され、首謀者の烙印を押された神四郎、弥五郎、弥六郎は首をはねられた。平左衛門尉の私邸に、烈士の血潮が飛び散った。それから14年後に謀反を起こした廉(かど)で、頼綱父子は同じ場所で殺害されている。


 総講頭罷免(1990年1227日)から18年後に山崎正友が死んだ。先生が会長勇退の直後に向かった神奈川の地で。これが歴史の刻印である。


 熱原の法難を機縁にして、大聖人は御本尊を顕された。そして池田先生は、第二次宗門問題をきっかけにして創価学会を世界宗教へと飛躍させた。


 かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし(919頁)


 絶対的な権力をもって大聖人を迫害し続けた鎌倉幕府も滅亡した。「立正安国論」を政策に取り入れなかったがために。

2008-12-30

急告 あの山崎正友が急死!


敗訴続きの「裁判地獄」から遂に「無間地獄」へ


裏切り、謀略、犯罪を繰り返し悲惨な末路


【『フェイク』第990号 2008-12-30


 山崎正友が1229日午後4時半過ぎに急死した。この日午後、神奈川県厚木市愛の自宅で倒れ、東海大学病院に緊急搬送されて救命救急センターで治療を受けたが、その甲斐もなくを引き取った。享年72歳。遺体は変死者として扱われ、警察で検屍されたということである。


 通夜・告別式などの日程は未定だが、年末年始の火葬場の都合などを考えると、直ぐに荼毘に付すことも出来ないようだ。法上でも、社会的にも空前絶後の極悪人にふさわしく、死後も象徴的な厳しいの醜態を晒すことになる。


 山崎は、これまで何度も死にかけたことはあるが、第一次宗門事件で陰謀の

片棒を担いだ原島嵩が7月6日に全身から悪臭を放って死亡した後を追うように半年を経ずして無間地獄に堕ちたのである。


 山崎はC型肝炎から肝硬変を患い、糖尿病を併発して腎不全になり、人工透

析を続けていた。晩年は裁判地獄に陥って負け続け、今25日にも北林芳典氏(報社社長)に訴えられていた件で、東京高裁において敗訴したばかりだ。


 最近では痩せ細って首筋の肉も落ち、体力は衰えて、裁判所にも女房の運転する車で通っていたが、遂に悪運が尽きたのである。


 山崎の犯罪、悪事を挙げると巨額の詐欺罪、商法違反、手形法違反罪、富士宮市議の殺人依頼、創価学園の撹乱等々、枚挙に暇がないが、何と言っても代表的な犯行は実刑判決を受けた恐喝と恐喝未遂事件である。


 昭和60年326日、東京地裁刑事第三部の吉丸真裁判長は、山崎に対して「被告人懲役3年に処する。未決勾留日数中120日を右刑に参入する。訴訟費用は全部被告人の負担とする」との厳しい判決を言い渡した。この第一審判決から6年後の平成3年1、最高裁の上告棄却の判決をもって山崎の刑が確定。225日に東京拘置所に収監されたのであった。


出所後も悪逆の数々


 山崎は平成5年427日、刑期満了まで半年を残して栃木県の黒羽刑務所を仮出所。山崎の悪逆非道ぶりは出所後も変わらず、自らの重罪を反省することはなく、正信会に面倒を見てもらいながら学会を逆恨みして陰険な謀略を繰り返した。また、身延派日蓮宗にも接近して「板御本尊に関して、もっと日蓮正宗を攻撃せよ」と煽っていた。


 その後は正信会を裏切り、山崎自身が真っ先に相承を否定した日顕に摺り寄り、その日顕宗の中でも「クズの集まり」といわれている妙観講に入講。講頭の大草一男を利用して学会攻撃の策謀を続け、また、原島との「妙」紙上での連載対談では嘘八百を並べて、学会を誹謗中傷していた。


 更には、ブラックジャーナリストの内藤国男(故人)らと共謀して学会攻撃文書をバラ撒き、妙観講員には学会批判のビラを配布させ、信平狂言訴訟を仕組むなど、悪辣な行為を続けていた。


 金と色に狂った山崎は、過去に食い物にした女にも訴えられ、裁判では騙し取った金と慰謝料を払うよう命じられるなど追い詰められ、病身と生活で悲惨な厳の姿を晒(さら)していた。

2007-12-25

“魂の自由”を拡げよ


 ともあれ、広布に邁進しゆく我々は真の子である。ゆえに、大聖人の御振る舞いを深く生命に刻み、子としての使命と誇りに、豁然(かつぜん)と目覚めていかねばならない。

 世の中は矛盾に満ちている。しかし、御本尊の功力は宇宙大であり、三世永遠である。この御本尊を受持した我々に何を恐れるものがあろうか。いかなる権威権勢にも、いかなる邪悪な勢力にも、断じて臆してはならない。臆病であっては、すべてにおいて損をしてしまう。

 何ものにも奪われない“魂の自由”――ここに、今や世界の良識の眼は注がれている。“民衆の時代”への新たな動向も、“魂の自由”を広げゆく胎動に他ならない。いわんや信仰は、最も深く、最も強い“魂の自由”である。“魂の自由を守れ!”。この叫びこそ、私どもの信仰実践の精髄であると、強く申し上げておきたい。


【第9回全国婦人部幹部会 1989-11-29 創価文化会館


魂の自由ってえのあ、界のことだな」――当時はその程度にしか考えられなかった。


 1985年(昭和61年)にゴルバチョフ氏がソ連共産党書記長に就任。ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ情報公開)を断行した。これが、東欧の民主化革命の導火線となり、ベルリンの壁をも崩壊させた(1989年119日)。この指導がなされたのは、チェコスロバキアでビロード革命が起こっている真っ只中のこと。


 次々と、世界各地で「民主化」が産(うぶごえ)を上げていた。大いなる時代の変化をじながらも、日本はまだバブルに酔いしれていた。僧・日顕の謀略が発覚するのは一年後のことである。


 真の自由は、束縛を解いた人にしか味わえない。束縛が常態と化すと、人は環境に従う。例えば、劣悪な労働環境で働く少年少女は世界中にいるが、親は食い扶持(ぶち)が減るだけでも助かっているのが現状だ。


「衣の権威」という束縛に我々が気づいたのは、1990年(平成2年)1227日以降のことである。この日、先生が法華講総講頭を罷免(ひめん)された。それまで、広宣流布の先頭に立ったこともなく、学会の後ろから付いてきた坊主が、突然斬りつけてきたのだ。皆が唖然とした。金魚の糞が、金魚を襲おうとしたのだ。吃驚(びっくり)するわな。

 当時はまだ、血脈相承という秘密の儀式を重んじていたこともあり、学会は直ちに反撃するような真似はしなかった。秋谷会長(当時)が幾度となく、法主に対して話し合いを求めた。ところが日顕は、これを拒絶。「お目通りかなわぬ身」などと時代錯誤も甚だしい言い草だった。


 創価学会が反転攻勢の狼煙(のろし)を上げたのは、「破門通告書」(1991年1128日)以降だと記憶する。ファックス通信「地涌からの通信」が、日顕を呼び捨て表記にしたのが、これに先立つ1011日のことだった。

 我々は宗史を学ぶことによって、魂が鎖で縛られていたことに気づいた。そして、ここから本化(ほんげ)の池田門下生が陸続と登場したのだ。学会は、「会長勇退」(1979年)という“迹”をはらい、いよいよ本地を顕(あらわ)す時代となった。


 あれから既に17年が経過しようとしている。宗門問題を知らない世代も増えている。また、宗門問題の義を知らず、組織悪の奴隷となっているメンバーも多い。


 本日、「創価スピリット」を発行してから4周年となった。この指導を綴ったことが偶然とはえない。不議な使命をじる。

2007-10-29

「物事に間違っていなければ頭を下げてはいけない」


 牧口先生は、よく言われた。

「物事に間違っていなければ頭を下げてはいけない。悪に対して負けてはいけない」と。

 たとえ相手がどんなに社会的地位が高く、力のある人であっても、自分が間違っていなければ、絶対にへつらったり、馬鹿にされたりしてはならない――この毅然たる強さを学会精神の骨髄とせよ、との牧口先生の遺志であると受け止めたい。

 かつては、日本国中が軍国主義という「悪」に負け、国家神道に頭を下げていた。国家権力の言いなりにならなければ、大変な目に遭(あ)うという時代であった。

 しかし、牧口先生戸田先生の師弟は、何と言われようとも絶対に屈しなかった。神札を受けることにも応じなかった。信教の自由を踏みにじる暴挙に対して敢然と抵抗し、謗法厳誡を貫かれた。これが「学会精神」である。

 また、「持妙法華問答抄」に、「上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、下根に望めても・慢ならざれ上根も・もるる事あり」(466頁)――上根の人に対しても(自分を)卑下してはならない。下根を見捨てないのがの本懐である。下根の人に対しても驕慢になってはならない。上根の人でも得道の道から漏れることがある――と仰せである。

 牧口先生はこの御文を拝されて、「門の人や高位・高官だからといって、へつらうのも法を下げる。いばって、信用をなくすのも法を下げることになる」と言われた。

 上根とは、法を信解し果を成(じょう)じてゆくための素地、機根が整っている人である。下根とは、そうした生命の素地が弱く、中々法を信解できない人のことを指している。

 この御文では、たとえ自分が下根だとっても、卑下してはならない。が見捨てることはないからである。逆に上根であっても、驕慢なになってしまっては、成がかなわないこともある、と戒められている。

 この義を拝された上で牧口先生は、肩書や社会的地位など、表面的な世法の次元にとらわれて、へつらったり、反対に威張ったりしては、法を下げることになる、と厳しく言われたのである。

 ゆえに、学会の中においても、幹部だから、社会的地位があるから、有人だからといって、その人に対して変に従順になったり、何も見が言えなくなるようではいけない。特別扱いの人を絶対につくってはならない。

「法」のために行動し、広布のために働く人が最も偉いのである。その人にこそ三世十方菩薩、諸天善神の賛嘆がある。この、学会の永遠の変わらざる精神を断じて忘れないでいただきたい。


【第11回関西総会 1989-10-12 関西文化会館


 殆どの会員は、幹部にものを言えない。遠慮しているとも考えられるが、最大の理由は「理論的な根拠が弱い」ことに尽きる。つまり、教学的な裏づけがなく、“自分の言葉”できちんと反論することが手なのだ。幹部が威張っているのか会員がおとなしいのかという問題は、鶏と卵のようなもので、どちらが先とも言いい。


 宗門問題については、関西で大事な指導がなされている。この指導もそう。権威に強い地域の代表といえば、大阪と東京下町だろう。しかしながら東京下町の場合、本気で上に文句を言うと飛ばされてしまう(笑)。その点、大阪を中とする関西の場合、学会本部が人事に介入する可能も低い。


 魚は頭から腐る。腐った部分を切り取らなければ、全身が腐敗するのは時間の問題だ。どんな立場であろうとも、この指導を実践できなくなった途端、「広布を阻む存在」となっていることを戒め合いたい。


 原島嵩は、理事長の子ということで特別扱いされた。山崎正友は、学会初の弁護士となって特別扱いされた。今だって、特別扱いされているのはたくさんいるだろう。おっと、具体的なことを書きそうになってしまった(笑)。危ない、危ない。


 幹部の子が幹部に、職員の子が職員になりやすいのは、多分、「組織の論理」を弁えているためだろう。「一々説明しなくても、わかってるだろ?」ってな世界だろう。ま、便利なんだよ。


 このままいけば、組織は自浄能力を失い、学会も内部告発によってしか不正を糾弾できなくなるだろう。最も不幸な結末である。

2007-09-30

“不純物との戦い”に挑め


 今日、申し上げたいことは、純一なる信仰の世界を守り抜くために“不純物との戦い”に、ともどもに挑んでいかねばならないということである。清純であればあるほど、わずかの“不純”でも、大きな“乱れ”の因となり、やがては広布を破壊しゆく重大な要素となってゆく。ゆえに、信の世界の“濁り”に対しては、徹底して戦い、排除していかねばならない。


 最先端の科学の世界においても、完璧なる“純度”を達成する研究・技術から画期的な進歩がもたらされた歴史がある。

 20世紀最大の発明ともいわれる「半導体」。コンピューター、電卓、時計、テレビ、ラジオ等々、身の回りのあらゆる電子機器に応用されている重要な技術であり、私どもの今日の生活は半導体抜きには考えられない。では、半導体とは何か。

 物質には、電気をよく伝える「導体」と、電気を極めて伝えにくい「絶縁体」がある。「半導体」は、その中間程度の質をもつ物質を指す。こうした特から、電気の流れをコントロールするのに優れ、電子機器の高度化に不可欠なものとなっていった。

 その半導体が、トランジスタとして実用化されたのが、約40年前。そのための絶対条件となったのが、素材の超高純度化であった。小型で丈夫なトランジスタ製造のためには、素材のゲルマニウムやシリコンから混じっている異物を徹底して取り除き、「99.9999999%」といった限りなく100%に近い純度が必要とされた。この要求により、「9」の数字が10も11も並ぶ「テン・ナイン」「イレブン・ナイン」という超高純度を達成する技術が開発され、それが契機となって半導体の処理技術が急速に進歩し、今日の隆々たる電子産の基(もとい)となった。

 素材から繰り返し繰り返し不純物を取り除く労作の果てに、半導体の抜群のパワーが発揮されたのである。


 また、金属が超高純度ゆえに、その本来の能力・パワーを遺憾なく発揮する場合がある。例えば、私どもに馴染みの深い鉄も、混じっている不純物を除き、純度を高めていくと、際立って耐食が強くなる。つまり、サビにくくなってくる。

 世界には、1000年、1500年という歳を経ても、サビて朽ちることなく、美しい輝きを放ち続ける古代の鉄剣や鉄柱が残されている。この“長寿”の大きな要因として、極めて高い純度の鉄が使用されていることが指摘されている。

 古代人の精錬技術の高さは、しばしば、我々現代人を驚嘆させずにおかない。


 御書の有な御文に「うるし(漆)千ばいに蟹の足一つ」(1056頁)――1000ばいものたくさんの漆も、わずか蟹の足一つ混じっただけで質が変わってしまう――と仰せである。

 個人においても、和合僧組織にあっても、「信」という一点では、いささかの“濁り”も許されない。わずかでも不純なものがまぎれ込めば、信仰の世界全体が侵され、変質し、やがて堕落してしまうからだ。

 不純なる悪と戦い、信の純度を限りなく高めてゆく、そこに福徳が限りなく増幅され、更に広布の勢力がますます拡大してゆく。


 文永元年(1264年)、大聖人南条時光の父・南条兵衛七郎に送られたお手紙に、次のような一節がある。

「いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵(かたき)をだにも・せめざれば得道ありがたし」(1494頁)

 ――いかなる大善をつくり、法華経を千万部読み、書写し、一三千の勧の道を得た人であっても、法華経の敵を責めなければ得道(成)はできない――と。 これは、末法今時における天台法の修行を破折された御文であるが、私どもの信のあり方をも示されている。

 日々道修行に励み、多くの善根を積んでいるという人がいる。また、教学の研鑚に励み、法のことはよく知っているという人もいるかも知れない。しかし、いくら善根を積み、法を深く究めているといっても、正法正義を破壊しようとする敵と戦わなければ、全て無味なものとなる。成は絶対にできない、との厳しい仰せなのである。

 それはあたかも、「につかふる人の十年・二十年の奉公あれども・君の敵をしりながら奏もせず私にもあだまずば奉公皆うせて還つてとがに行はれんが如し」(1494頁)――廷に仕える人が、10年、20年と奉公しても、主君の敵を知りながら奏上(報告)もせず、個人としてもその敵を憎み、責めなければ、長年の奉公の功績も皆、消えてしまい、かえって罪に問われるようなものである――と。

 ゆえに私は、信の世界、妙法の世界を破壊しようとする敵と戦っている。そのために数々の迫害もあった。非、中傷も受けている。しかし、それが御聖訓通りの正しき信の道と知っているがゆえに、私は行動している。

 たとえ、信の年数も長く、幹部になったとしても、法の敵を見ながら、知りながら、戦いもせず、せめようともしなければ、本当に法を知ったことにはならないし、真実の信の実践とはならないことを教えられた御書である。

 それでは、「成」などいもよらない。大聖人が仰せの正しき信の道に連なってこそ「成」はあることを、よくよく銘記しなければならない。

 いずこの世界にあっても、悪人を放置しておけば、内側から破壊されてしまう。これほど怖いことはない。また、そうした悪がはびこるのを黙って許しておくことも、重大な罪である。いわんや法の世界は、より峻厳である。

 御書に「師子の中の虫師子をくらう、教をば外道はやぶりがたし内道の内に事いできたりて道を失うべしの遺言なり」(1271頁)――師子の身中の虫が師子を蝕む、という通り、教を外道は破りがたい。教の内部に事が起こってきて、道は失われてしまうだろう。これはの遺言である――と仰せである。

 清らかな、麗しいこの正法の世界に、悪が巣食うようなことは、断じて許してはならない。そうでないと「師子の中の虫・師子をくらう」とのとごとく、内部から妙法の世界が蝕まれ、永遠なる広宣流布の道がふさがれてしまうからである。

「有」の人がいる。「栄誉」の人がいる。「功績」の人がいる。人は往々にして、これらの「飾り」に幻惑されやすい。

 しかし、それらは信とは何の関係もないことである。これまで学会にも、「有」や「栄誉」「功績」の「仮面」をかぶって、学会を利用しようとしたり、増上慢となり退転していった者が出た。これからも、そのような利の人物が出るかも知れない。しかし私どもは、絶対にこうした「悪」の蠢動(しゅんどう)を許してはならない。

 正法の「敵」を鋭く見抜いてゆくことだ。仮面の策略に翻弄されてはならない。そして、信の世界で「悪」の働きができないように、責め出してゆかねばならない。


【第8回親善文化祭 1989-10-01 創価大学中央体育館】

2007-08-29

「破邪顕正」といっても「破邪」が先


 戸田先生知らずに対しては、それはそれは厳しかった。こう指導しておられた。

「ひたすら現在の世相を見るに、人の道たる知・報の者が、ごく稀(まれ)である。ここに、社会の乱れが生ずるのである」

を報ぜぬということは人間の特権を放棄し、禽獣(きんじゅう)に同ずることである」

 そして先生は、学会の大を踏みにじり、和合僧に弓を引く人間とは、徹底して戦えと厳命されたのである。

 これまでも、学会のおかげで社会的な地位を得ながら、傲慢になり、ついには反逆していった人間がいた。

 ゲーテは述べている。

「愚昧な、狭量の連中こそ、だれよりも威張りたがる」(生野幸吉訳「西東詩集」、『ゲーテ全集2』所収、潮出版社)

 愚かな人間に限って、すぐに威張り散らし、人を見くだすものだ。こうした人間を絶対に許してはならない。

 イタリア・ルネサンスの大詩人アリオストは叙事詩で綴った。

「ああ、哀れなるかな、邪悪な輩に長きに渡り、唆(そそのか)されて、しみに引きずり込まれる者たちよ」(脇功訳『狂えるオルランド』(上)、古屋大学出版会)

 悪は放置すれば増長する。皆、だまされてしまう。悪人と戦わなければ、学会が破戒されてしまうのだ。

破邪顕正」といっても、あくまで「破邪」が先である。まず悪と戦い、悪を打ち破るのだ。

 それでこそ、「顕正」がある。悪を倒してこそ、初めて正義を明らかにし、宣揚することができるのである。

「破邪」が根本であり、その次が「顕正」だ。この方程式を、深く胸に刻んでいただきたい。

 戸田先生は、こうも言われていた。

「忘反逆の提婆達多は、一切の悪人を集めても、釈尊の法には敵(かな)わないという証拠を残して、を受けて死んだ」

 日蓮大聖人の正統である創価学会に仇をなした提婆のごとき輩が、哀れな末路をたどっていることは、皆さまがご存じの通りだ。


埼玉池田研修道場でのスピーチ 2007-05-08】


 善悪は立場で決まるものではない。どうも、「学会幹部は善で、敵は悪」と単純に考えている人が多い。かような党派性は、私の最も嫌うところである。一つ一つの行為を吟味せずして、レッテルを貼るようになれば、自分の頭でものを考えなくなる。


 先日、あるメンバーから電話があり、「うるさい先輩方がいなくなった途端、傲慢になったリーダーがいる。自分が権力を持った途端に豹変した」と語っていた。私に言わせれば、そうした生命の傾向を見抜けなかった先輩の責任だよ。


 傲慢な質は隠すことができない。必ず、厳しい訓練を避ける。役職が目的と化しているために、自分を鍛えようとする姿勢がないのだ。突っ込んだ話をして、どんどん追い込んでゆくと、黙り込むのが常だ。


“会員に奉仕するための役職”である。そこを履き違えているのが山ほどいるよ。


 法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり(1169頁)


「道理は権力に勝つ」と大聖人は御指南されている。これだけデタラメな幹部が増えたのは、会員が道理を見失っている証拠だとう。徹底した御書拝読、スピーチ研鑚で、後輩に“道理”を叩き込め。学会は“信の団体”である。信で勝負せよ。

2007-08-23

汝の原野に挑め! 時代を開け!


人間共和の理郷・岩手


「わたしたちは一層新しい、一層力に満ちた世界へ、変化した世界のうえに進出するのだ」

 これは、岩手出身の詩人・富田砕花(とみた・さいか)氏が訳された、ホイットマンの詩である。

「岸辺を下り、隘路(あいろ)を越え、山々の険峻をのぼって、

 未知の路をわたしたちは行きながら征服し、占領し、敢行し、危険を冒す、

 開拓者たちよ! おお、開拓者たちよ!」

 私も青春時代、この詩を、高鳴る鼓動をもって、幾度も詠誦したものであった。

 立春を過ぎてもなお、今は、北国の同志にとって、最も厳しく、辛い寒雪の季節だ。

 しかし、大変な時にこそ、「さあ来い!」と、満々たる闘魂を燃やして戦い勝ってきたのが学会魂である。

 これが、わが栄光の岩手の同志の気だ。


岩手岩手らしく、“希望と開拓”をモットーにして進もう!」

 昭和47年の714日――私は、記撮影会のために、盛岡の県営体育館に集った3600人の友に、万いで、こう呼びかけた。

 風雪に耐え抜いた岩手の天地から、21世紀の広宣流布の新しき流れを巻き起こすのだ。私は、この日、愛する大岩手の新出発が本当に嬉しかった。

「希望」は、いずこより来るか。

 それは「必ず勝つ」「必ずこうしてみせる」という強きーから起こる。自分のいこそが未来を創る。「未来の果」は、「現在の因」に納まっているからだ。

 そして「開拓」とは、自分自身への挑戦だ。

 人は、誰でも未踏の原野をもっている。それも、どこか遠い彼方ではなく、ごく身近にあるものだ。

 手だからと、つい避けてきた課題。先入観から「どうせだめだ」と諦(あきら)めてきたり、「いつかやろう」といながら、いつも後回しにして手つかずだった問題……。

 最も手強い壁は、実はの中にある。ゆえに、勇気をもって自分と向き合い、「自己拡大の戦い」「人間革命の戦い」を起こすことだ!

「汝自身の原野」に雄々しく挑め! その人こそ、最も勇敢なる開拓者である。


 わが岩手の同志は、「団結」の二字で、勝利の道を開いてきた。

 岩手には、大いなる「宇宙への窓」がある。

 国立天文台「水沢観測センター」では、電波望遠鏡を使って銀河系の三次元地図を作る「VERA(ベラ)計画」が進んでいる。

 望遠鏡のアンテナの直径(口径)は20メートルと決して大きくはない。だが、これを、小笠原の父島、鹿児島、沖縄の石垣島に同じく設置されたアンテナと組み合わせると、実に直径2000キロのアンテナに匹敵する結果が得られるという。

 その威力は、なんとの上に置いた「1円玉」が見分けられるほどで、これまでの100倍以上の精度で観測できるようになる。

 団結の力も、まさに、このようなものではないだろうか。それは、単なる「足し算」ではない。何倍何十倍にも威光勢力を増す「掛け算」なのである。

 蓮祖は「異体同なれば万事を成し」(1463頁)と仰せだ。

 決然と立ち上がった勇者の強き結合のなかにこそ、不可能を可能にする、驚嘆すべき未曾有の歴史も輝きわたる。

 自らも悩みと格闘しながら、友の悩みをわがとして必死に題目を送り、励まそうと、吹雪のなかに飛び出して行く――これが、岩手の勇者の熱き気であった。この精神こそが、固い固い同志の絆を育んでいったのだ。

 仲の良い、和気あいあいとした団結の姿は、それ自体、人間共和の縮図である。

 この団結のなかにこそ、「境涯革命」がある。利己主義や自分本の我見では、皆とを合わせることができないからだ。ゆえに、団結できるということは、自身のエゴに打ち勝った人間勝利の証なのである。


 昨年、皆様の祈りに包まれてオープンした、“みちのく記墓地公園”から望む水沢市一帯には、民衆の「団結」の歴史が眠っている。

 時は延暦8年(789年)のこと。豊饒なる東北に支配権を伸ばさんと、都の将軍・紀古佐美の率いる約5万3000人の大軍が集結した。

 この時、民衆の抵抗戦を指揮したのが、胆沢地方の族長アテルイであった。昨年は、彼の「没後1200年」にあたっていた。

 北上川に沿って攻め来る、選り抜きの戦闘部隊を迎え撃ったアテルイ軍は、わずか2000人。しかし、神出鬼没の猛攻で、敵の精鋭を蹴散らし、圧勝したのである。

 史書にを残す「巣伏の戦い」である。その古戦場は、私たちの水沢文化会館にも、ほど近いようだ。

 当然、地の利を活かした優れた作戦もあろうが、根本の勝因は、郷土を愛する勇者たちの「鉄の団結」ではなかったか。

 御書に引かれた、周の武王が800人の団結をもって70万騎の殷軍を破った故事を目の当たりにするような、赫々たる大勝である。都の傲れる貴族たちを、あっと驚かせたにちがいない。


 今や「6分県」に発展した岩手は、いわば「六頭の師子王」が一丸となり、師子奮迅の大力で驀進する。

 頑張れ! 全国の友が皆様の前進を瞠目して見つめ、圧倒的な勝利を祈っている。

 妙法の闘将たる我らの武器――それが正義の言論だ。

日蓮が一門は師子の吼るなり」(1190頁)である。

 悪は断じて責めねばならぬ。悪と知りながら目をつぶることは臆病であり、無慈悲以外の何ものでもない。

「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」(236頁)とは創価の父・牧口先生が常に語られた一節である。

 正義は叫び抜かねばならない。を大にして、も惜しまず、内にも、外にも、堂々と語るのだ。いな、師子吼するのだ!

 御本尊の大功徳を、広布の使命に生きる喜びを、わが同志の敢闘を、そして学会の正義と真実を!

法華経功徳はほむれば弥功徳まさる」(1242頁)と、大聖人は教えてくださっている。

 自分が叫んだ分だけ、幸福の拡大、友情の拡大、栄光の拡大があり、わが身に無量の大功徳が噴き上がるのだ。


 昭和35年、第三代会長に就任し、世界広布の戦いを開始した私と共に、わが岩手の同志たちは、一つに敢然と立ち上がってくれた

 それが「岩手支部」の晴れの出発であった。

 戦う勇気がある限り、不二の磁力で結合した師弟の魂は、常に一体である。広布を誓った共戦の師子の絆は、誰人も切ることはできない。

「諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ」(「生徒諸君に寄せる」)と、岩手が生んだ宮沢賢治は歌った。

 今、我らの陣列には、「新しき世紀」を創る、偉大なる熱と力が漲(みなぎ)っている。

 今日も、また明日も、同志と勝鬨(かちどき)をあげながら、共々に築こうではないか!

 強き民衆の岩手を!

 世界第一の理郷を!


【「随筆 新・人間革命」308/聖教新聞 2003-02-20】