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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2008-08-10

孫文「害を除くのは急がねばならぬ」


 中国革命の父・孫文(そんぶん)は、国を衰亡させる愚行を呵責(かしゃく)し、「害を除くのはとくに急がなければならぬ(伊藤秀一訳「理建設」、『孫文選集 第2巻』所収、社会社)と訴えた。

 戸田先生も、まったく同じいであった。

 悪は早く見抜け! 悪は早く追い出せ!──と。

 絶対に「後回し」にしてはならない。

 広宣流布を妨げる動きは、断じて排するのだ。隙を見せてはならない。

 悪が威張り、増長すればするほど、学会が行き詰まってしまうからだ。

 ウズベキスタンの大詩人ナワイーは巧みに綴っている。

「毎日毎日、私利私欲の網ばかり編んでいる人は、最後には、自分が、その網にかかってしまうだろう」と。

 また、インドの非暴力の闘士ガンジーは「堅固さと勇敢さは、敵対者にも深い印象を与えないではいないものです」(田中敏雄訳注『南アフリカでのサッティヤーグラハの歴史 2 非暴力不服従運動の展開』平凡社)と述べている。

 諸君は生き生きと、民衆の中で光る大指導者になっていただきたい。強い信をもって、堂々たる姿で、悠然と生き抜くのだ。


【青年部代表研修会 2008-08-01 学会本部】


 厳しき指導を拝すたびに、私は焦燥の虜(とりこ)となる。果たして悪を見抜ける幹部がどれだけいることか。善でも悪でもない中途半端なサラリーマンみたいな連中が殆どだ。破折精神など組織のどこを探しても見つからない。注や指摘すらなくなってしまった。結局のところ、幹部に対する求力の低迷が組織の弱体化につながっている。


 恐ろしいのは、こうした指導が単なる“精神論”として受け止められ、「現実は違うんだよなあ」とあきらめてしまう姿勢だ。既に小悪人は掃いて捨てるほど存在する。一旦任命してしまうと、一定期間は変えるわけにいかないという幹部の都合がまかり通っている。降格人事・役職解任となると、任命者の責任問題ともなりかねない。


 適当な正義を叫んでいる奴等は山ほどいるが、しむ会員のを傾ける者は少ない。悪を見抜いたところで、ケリをつけることができる人はもっと少ない。悪い幹部を糾弾したのはいいけれど、とばっちりを受けて尻尾を巻いてしまう者が大半だろう。


 組織の抱える問題が象徴しているのは、「序列によって炙(あぶ)り出された人のの恐ろしさ」である。大体のケースが、無責任な幹部の不作為によって放置されている。悪と戦っていない幹部の言葉は、吹けば飛ぶように軽い。あまりの軽さで空の彼方に消えてしまう。


 純粋なまでの正義は、絶対に悪を許さない。なぜなら、悪を容認すれば、自分自身が悪に染まってしまうことを知悉(ちしつ)しているからだ。

2006-05-23

師亡き後に反逆する者を断固、粉砕せよ


 今、会長先生が亡くなって、宗門の中にも、または創価学会の中にも、いわんや外敵においては会長先生が亡くなったことを喜び、または安堵の胸を撫でおろし、または反逆のを起こし、蠢動(しゅんどう)するような者があったならば、これ広宣流布を乱してゆく天の所為として、断固、粉砕してゆくことが、学会幹部のあり方であるとうものであります。


【※当時、参謀室長/「七つの鐘」創価学会第18回春季総会 1958-05-03 両国日本大学講堂】


 原文は「安堵の胸をおろし」となっている。


 戸田先生が逝去されてから1ヶ後の総会である。先生はここで「七つの鐘」の大構を示され、悲嘆に暮れていた全学会員に希望の火を点じた。


 先生は、20代の日記で何度となく「三十にして立つ」と書かれていたが、師の逝去によって、否応(いやおう)なく立たざるを得なくなった。


 柱を失った学会に、が襲いかかるのは必然だった。「学会は空中分解するだろう」との評論家の言葉は、見当違いなものではなかったことだろう。事の世界ですら、「創は易く守成は(かた)し」といわれるのだ。傑出したリーダーであればあるほど、後継者には困な道が残されている。求力が失われれば、組織は必ず崩壊する運命にある。


 だが、学会には池田先生がいた。この一点によって、現在も隆々と発展し続ける創価学会があることを忘れてはなるまい。


 既に戸田先生の時代とは比較にならないほど学会は大きくなった。当然、何らかの野を抱いている幹部もいることだろう。虎視眈々とチャンスを狙い、地歩を固めている人物もいるかも知れない。信の眼(まなこ)が曇っている人は、必ずこういう連中に騙(だま)される羽目となる。


 2030年――創立100周年を学会がどのような姿で迎えるか。これが大きな分岐点となるだろう。今の10代、20代が、学会の中核となる時代だ。この世代に光を当て、先手を打っておくことが、未来の先取りとなる。

2005-09-25

提婆達多の謀略


 この五箇条の要求それ自体をみる限り、デーヴダッタは、極めて純粋な修行者を装っているといえる。彼は、謀略がことごとく失敗に帰したので、最後の手段として教団に、最も純粋な出家者、厳格の修行のあるべき姿を提示することによって、内部の分裂をはかろうとしわけでしょう。

 ある味では、非常に手の込んだ策略である。当然、釈迦がこうした極端な戒律主義を採(と)るはずがなく、この五法の行は、即座に却下されたわけだが、これをあらかじめ計算に入れていたデーヴダッタは、この機会に、弟子の中で自己の主張に従う者を募った。

 要求それ自体は、極めて真面目出家者の態度を装っているので、釈迦の弟子の中でも、新しい者はそれに惹かれ、遂に新参弟子500人がデーヴダッタとともに、ガヤーシーサ(象頭山)に去ってしまった。釈迦教団にとって、初めての分裂が起こったわけです。


【『私の釈尊観』(文藝春秋)1973-01-15発行】


 モーツァルトを聴くと唾液の量が増えるそうだ(「に効く音楽」埼玉医科大学短期大学・和合〈わごう〉治久教授/聖教新聞 2005-09-18付)。眼を閉じてじっと聴くだけで、通常の1.2〜2.2倍にもなるというのだから凄い。唾液にはインシュリンや免疫物質が含まれるので、大層、健康によいとのこと。その上、ナチュラルキラー細胞が活化し、血圧や拍数も正常値に近づく――と、いいことずくめ。


 現代人の多くが、太陽のリズムを無視した昼夜逆転の生活を送り、働き過ぎが慢化している。過剰なストレスによって、交神経(緊張状態)と副交神経(リラックス状態)のサイクルが狂い出す。やがて、交神経が過敏に働き、アドレナリン濃度や血糖値が高くなる。音楽には、副交神経に直接働きかける力があるんだってさ。お試しあれ。


私の釈尊観』(現在は第三文明レグルス文庫)は、野崎勲さん(当時、男子部教育室長)が聞き手になって編まれたもの。その後、『私の仏教観』、『続 私の仏教観』が発行され、三部作となっている。夏休み中に読み直そうとってたが、急に忙しくなったため(笑)、2冊目に差しかかったところでストップしたまま。青年教学1級のメンバーは、この3冊と『法華経の智慧』『御書の世界』を通読してはどうか。の系譜をしっかりと学ぶことが大事だ。


 提婆達多釈尊に提案した五箇条の要求とは「五法の行(五事ともいう)」のことで、1.比丘は人里離れた所に住む。2.托鉢のみで生活し、供養招待を受けてはならない。3.糞掃衣(ふんぞうえ)のみを着て、施衣を用いない。4.樹下のみに坐し、屋内に入らない。5.魚肉、鳥獣類を食さない、という内容。このことからわかるのは、釈尊の教えが元々、極端な禁欲主義や戒律主義を採用してなかったという事実である。


 純粋そうに見える提案の底に込められたのは、邪悪な欲望であり、教団乗っ取りを謀(はか)った奸計(かんけい)だった。まんまと騙(だま)された500人は瞳が曇っていたのか、はたまた信が弱かったのか。いずれにせよ、師弟直結の信を貫けなかったところに、の隙(すき)が生じたのだろう。


 公明党を批判する内部アンチとそっくりだよ(笑)。


 その後、すかさず立ち上がった舎利弗と目連によって、500人の弟子は釈尊の元へ帰ることができた。悔しがった提婆達多は、その場で熱血を吐いたと伝えられる。


 20世紀の提婆達多ともいうべき阿部日顕は、C作戦をもって学会の分断を工作。「20万人が本山につけばよい」と述べ、札付きのジャーナリストと謀議の末、先生の総講頭罷免(ひめん)に至った。


 モーツァルトをたくさん聴いて、たまりにたまった唾を吐きかけてやろうではないか!

1953-11-22

僧とは学会幹部


 東洋哲学の根源を説くならば数限りないが、今日出た言葉の中から話す。

 午前中のは方法論、実際であるが、今は原理について話そう。

 ここで一言弁明しておきたいことは、私が先刻、赤ん坊を抱いたことであるが、未来の青年部を紹介したのである。

 さて、いま柏原君の話の中に「破和合僧」とあったが、僧とは社会を指導し、人を救う資格をもつのが僧である。中では互いに憎しみ、猫がネズミを窺うようなのは、形は法衣をまとっても僧ではなく、いまの学会の組長、班長が一生懸命で一切の人々のために働いている姿こそ、真の僧といえるのである。この結合を破る者には必ずがある。

 嘘だとったら、やってみ給え。和合僧とは、法上の哲理をもってすれば、学会のことである。

「異体同」という言葉をよく聞くが、このことは間違ってはいけない。夫婦のがいつも同じでいられるかどうか。親子が同じなのか。まして、他人のが同じか。みんなは同というが読めないから、信を誤るのである。


【第9回総会 午後 1953-11-22 東京・中央大学講堂】