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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2008-02-19

学会は民衆運動の模範


 池田先生は25、26の両日、第31回「SGIの日」記提言を発表してくださった。新聞各紙も日、産経共同通信等が報じたのをはじめ、大きな反響を呼んでいる。

 先生は1983年以来、これまで24回の提言を発表。83年に提言された「米ソ首脳会談」は85年に実現。95年の「国際刑事裁判所」は2002年に設置で合。00年の貧困撲滅のための「グローバル・マーシャルプラン」は02年に「世界連帯基金」の設置で合されるなど、数々が現実となっている。

 要するに、ちっぽけな島国根の日本とはスケールが違う。歴史観、世界観が違う。

 本当なら政治家の仕事ではないか! どれだけ謝してもしきれない大ではないか!

 それを、やっかみ、焼きもちばかりで、あろうことか嫌がらせや弾圧まで仕掛けてくる。

 なんたる大非礼! なんたる不知か!


嫉妬の産物


 池田先生公明党を創立されたのも日本の低次元の常識を遙かに超越した「世界基準」の先見だった。こんなエピソードがある。

 米スタンフォード大学のネル・ノディング誉教授は、日本を代表する著な学者から“学会とは交流しないほうがいい”と訳知り顔で忠告された。理由を聞くと“学会は貧乏人と病人で出発した団体だから”だと言う。

 ノディング氏は「そうした庶民を救済するのが、まさに民衆運動の使命ではないでしょうか」と尋ねる。すると学者は、こうも言う。

“しかし今は政治的な力を持って、問題になっているのです”。ノディング氏は呆れた。

「庶民を糾合した団体が、社会的に大きな影響力を与えて、何が悪いのですか」と問い返した。学者は絶句してしまったという。

 要するに傲慢! 嫉妬! これが“日本”である。みっともない醜態ではないか!

 日本の愚劣な一部の政治家らが言う“政教一致”云々も、もとは共産系の宗教学者が最初に言い出した「嫉妬の産物」であり、日本だけの「島国根の産物」である。

 専修大学法学部藤本一美教授は、諸外国での政治と宗教の関係を論じて結論している。

 米英でも「支持団体との関係を指摘して相手の政党を批判・攻撃する場面を目にすることはない」。むしろ「相手の政党の支持団体に対しては理解を求め、いかにしてその団体を取り込むかを考える」。当然の道理である。

 ドイツやイタリアに至っては「宗教政党が長く国政の一端を担い重要な役割を演じてきた」。しかし「支持団体である宗教団体との関係をことさら問題視し、これを批判したというを聞いたことがない」と断言している。

 要するに日本の一部の政治屋が世界から見て、いかに未熟で愚劣で低級かということである。

 藤本教授も厳しく糾弾している。

公明党とその支持団体との関係をことさら問題にするのは、憲法のいう政治参加の原則を理解していない誤った認識」であり、「政党政治のルール違反であり、厳につつしむべきである」と。

“政教一致”云々と言う輩は、己のバカさ加減、無知無能を晒(さら)すだけなのである!

 御書に嫉妬の輩の本質を「弥よ瞋恚を懐いて是非を糺明せず唯大妄語を構えて国主国人等を誑惑し日蓮を損ぜんと欲す」(1068頁)と。

 嫉妬のデマを受けることこそ「正義の証」である。嫉妬のデマを粉砕してこそ「正義の拡大」がある。

「破邪」ありて「顕正」あり、なのである。「断じて正義を守る」と弟子の一念を定め、圧倒的な大言論戦を起こそうではないか!


【秋谷会長の指導から/聖教新聞 2006-02-03】

2007-12-30

オスバルド・プグリエーセ氏「『平和』を願うだけでは足りない」


プグリエーセ氏●民衆が大事です。平和が大事です。「平和」なくして「文化」もあり得ません。かつて私は広島の原爆資料館にも行きました。“ヒロシマ”を断じて繰り返してはなりません。人類を滅ぼす機械に“歯止め”をかけねば……。

 どこの国でも人々は平和を願っています。しかし、願いだけでは足りません。現実の「対立」を解消しなければならない。

 その味でSGI会長は、偉大な“平和の守り手”です。世界の人々を「友好」で結んでおられる。ゆえに私は尊敬するのです。


SGI会長●平和と友情の――それは人間の真髄です。また、芸術と文化の真髄です。ゆえに“大音楽家”は“大平和主義者”でもある。その証明を今、目の前に見るいです。そして戦争と核兵器は、人間幸福の破壊者です。悪の存在です。文化の対極にあるものです。だからこそ私は、「文化」の興隆と交流によって、磐石な「平和」をつくり上げようとしているのです。


【アルゼンチンタンゴの巨匠、オスバルド・プグリエーセ氏と会談 1989-12-10 聖教新聞社】


 オスバルド・プグリエーセ氏は、タンゴ発祥の地・ブエノスアイレスの生まれ。アルゼンチンは独裁者に翻弄された国家である。平和への強靭ないが、氏の革新的なタンゴを生むに至ったのだろう。


 何となく平和な日本に住んでいる我々とは違い、海外の識者は「世界の現実」を知っている。甘ったれた弟子が師匠を慕う情とは異なり、切迫した緊張を持って先生を見つめている。


 音楽は国を超えて人と人とを結びつける。米ソの冷戦構造下にあってすら、ソ連はロックンロールの侵入を阻止することができなかった。


 智に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。


【『草枕』夏目漱石】


 私は、『草枕』の冒頭の一節が大っ嫌いである。詩が生まれなければ、ホームレスになりそうな気がする。また、画(え)ができたとしても、決して売り物になることはないだろう。日本の文芸界を、しみったれた私小説がリードしてきた理由もこの辺にあるのではなかろうか。


 東海の小島の磯の白砂に

 われ泣きぬれて

 蟹とたはむる


【『一握の砂』石川啄木】


 私が蟹(かに)だったら、ハサミで啄木の身体を切り刻んでやるところだ。死ぬまで蟹と戯(たわむ)れるがいい。


 弱々しい日本のセンチメンタリズムとは異なり、タンゴやブラックミュージックのリズムは力強い。家族や仲間が殺されても殺されても、失われることのなかった「叫び」が込められている。

2006-09-16

「永遠たれ“平和の要塞”」


我が愛する沖縄の友に贈る


 私は 沖縄を詩(うた)う

 私は 沖縄を愛する

 私は 沖縄に涙する

 そして 私は 沖縄

 民衆の幸の凱歌の潮騒(しおさい)を聞く


 かつて琉球王栄え

 古(いにしえ)より薫り高き

 固有の文化の花咲く沖縄

 人には

 おおらかなる海洋人(かいようびと)の気風があふれ

 気宇は広大にして 勇気猛(たけ)く

 荒波を越えて

 中国 東南アジアの国々に渡り

 大交易時代の要衝となる


 平和を愛する強く

 義に厚く 情また深く

 破せる異国の友を

 救いもてなすこと数を知らず


 ああ されど

 歴史の濁流は うるま島を襲い

 圧制のくびきは始まる

 過酷なる年貢に喘ぎ

 嵐 日照りあらば

 毒もてるソテツさえ食いて

 飢えをしのぐか


 星ながれ 時は移れば

 あの大戦の惨禍あり

 本土防衛の「捨て石」となり

 緑の山河は血に染まり

 この世に現じた阿鼻の叫喚(きょうかん)


 戦火に逃げ惑う無辜(むこ)の民に

「鉄の暴風」は容赦なく吹き荒れ

 砲弾は丘を崩し 大地を砕き

 火炎は壕(ごう)にこもれる兵士を 母を

 学徒を 乙女を 幼子を焼く

 はたまた 集団自決の命(めい)さえ下り

 ついに 二十万の尊き命を奪う


 敗戦の後(のち) また悲しく

 米国の統治の下(もと) 基地の島となり

 各所にミサイルの黒き影あり

 あのベトナムへも

 ここより爆撃機は飛び立っていった


 ああ 沖縄

 忍従と慟哭(どうこく)の島よ

 誰よりも 誰よりも

 しんだあなたたちこそ

 誰よりも 誰よりも

 幸せになる権利がある

 そうなのだ

 ここに安穏なくして

 真実の世界の平和はない

 ここに幸の花咲かずして

 人の世の幸福はない


 悲惨なる過去の歴史に

 ピリオドを打て!

 国土の宿命をば転じ

 必ずや 必ずや

 この天地に この島々に

 常楽の民衆の都を創らねばならない


1988-02-17 沖縄研修道場

2005-01-27

国連の新拠点をアジアに


 アジア太平洋地域における信頼醸成と平和構築のための提案を行っておきたい。

 一点目は、国連の新たな地域拠点として「国連アジア太平洋本部」を設置するプランです。

 現在、国連には、ニューヨークの国連本部の他に、ジュネーブとウィーンに事務局が、ナイロビに事務所が置かれています。これらの3都市には、事務局や事務所に加えて、国連諸機関の本部があり、ジュネーブでは主に人権や軍縮、ウィーンは犯罪防止や国際貿易、ナイロビでは環境や居住問題といったように、各分野での国連活動の中拠点としての役割も担ってきました。

 私は、アジア太平洋本部の新設を通じて、同地域における「人間の安全保障」に関する活動を充実させながら、国連の目指す「脅威が生じにくい世界の構築」のモデル地域建設への挑戦を開始すべきであると訴えたい。

 また、その設置場所としては、現在、「アジア太平洋経済社会委員会」の本部があるタイのバンコクか、日本の沖縄や韓国の済州島など、「戦争と暴力の20世紀」において筆舌に尽くせぬ悲劇を味わったがゆえに時代の転換を強く希求してきた“平和の島”を、候補地として検討してはどうでしょうか。

 私は以前の提言(94年)で、アジアにこうした地域拠点を設ける必要を訴えたことがありました。今回新たに、太平洋地域もカバーした案を提唱したのは、太平洋地域にはカナダやオーストラリアをはじめ国連の活動に積極的な国々があり、そこに国連の活動を必要としている国々の多いアジア地域を結びつけることによる相乗効果を考えてのものです。

 加えて、この二つの地域を結ぶ場所にある日本には、国連のシンクタンク機能を担う国連大学の本部があり、近年は「平和とガバナンス」と「環境と持続可能な開発」の二つのテーマに集約した研究と研修活動が行われています。

 新設する国連アジア太平洋本部が、この国連大学をはじめとする域内の諸機関を有機的に連動させる中核となり、とくに「人間の安全保障」に関する活動に力を注ぐ中で、皆が平和と幸福を享受する「グローバル・ガバナンス(地球社会の運営)」を、国連中に確立する先鞭となっていってはどうか。

 また、経済社会理事会が、ニューヨークとジュネーブで交互に開催してきた主要会期を、「国連アジア太平洋本部」で行うことも検討していくべきでしょう。


【第30回「SGIの日」記提言/聖教新聞 2005-01-27付】

2004-01-27

国連の強化が平和への直道


 私はかつて(2000年10月)、同委員会(有識者による国連改革に関する諮問委員会)の委員長に就任したタイのアナン元首相と、21世紀の国連をめぐって語り合ったこどがあります。

 アナン元首相は、「各国が、どれくらい国連を効率の良いものにしていきたいと願っているのか、それがそのまま国連の現実に反映している」と、国家の集合体であるがゆえの限界を指摘されながらも、次のように国連の義を強調しておられました。

「しかし、少なくとも国連の存在自体は歓迎すべきものです。『希望』はあります。『もし国連がなかったら』と考えると、『国連があることで世界が、より良くなっている』ということは言えるといます」と。

私も、まったく同であります。

 確かに、国連無力論や不要輪は一部で根強く叫ばれており、今の国連には、時代の変化にそぐわない面が少なからずあるかもしれません。しかし私どもは、それに代わる存在が現実にない以上、グローバルな草の根の民衆の力を結集し、国連を強化していくことが一番の道であると考え、行動を続けてきました。

 大切なのは、イラク間題での教訓を十分に頭に置いた上で、“今後、同様のしい判断が迫られる事態が生じた場合に、どう対処すべきか”についてのルールと体制作りについて、前向きに検討していくことではないでしょうか。

 そしてその連帯の基軸は、あくまで国連であるべきだと考えます。

 世界191ヶ国が加盟する最も普遍的な機関でのる国連こそが、国際強力の礎となり、その活動に正統を与えることがきる存在に他ならないからです。



【第29回SGI提言/聖教新聞 2004-01-27付】

2003-04-03

地に足のついた平和運動


【「創価学会ML」の投稿を転載】


 さて、今回のイラク問題のようなことが起これば、誰しも反戦を願います。一個の人間として、まして「生命の尊厳」を主張する学会員として当然でしょう。そして、「私に何ができるのか?」と自問し、学会として「何かすべきではないか?」とも考えます。


 私も十数年前までは、学会として直接的な平和運動や行動を取るべきだとっていました。ボランティアにしてもしかりです。しかし、ある勉強会をきっかけにして考え方が変わりました。


 当時、私の所属圏で圏男子部として「青年による主張」をやろうということになり、「平和活動」を取り上げました。圏で平和研究会を結成し、約3ヶにわたり勉強会を行いました。その勉強会の講師として、当時、聖教新聞記者であった平野友三郎氏にお願いしました。


 平野氏は、「身近な地域からの視点・発・行動が大切です」として発行間もない1冊の本を紹介してくれました。それが、チャドウィック・F・アルジャー著の『地域からの国際化』(日本評論社)です。これを基本テキストにして、先生の著作や平和関連の書籍を学び、喧喧諤諤(けんけんがくがく)の議論を交わし、数本の論文にまとめ、主張大会を開催しました。論文は、謝を込めて、先生にお送りしました。


 この時の経験が私の考え方を変えました。大衆運動を起こすことは簡単です。例えば、創価学会が、青年部100万を結集して国会周辺で反戦アピールをすることは、やろうとえば、来週の日曜日でも可能でしょう。これを四者に広げれば、簡単に数百万になるでしょう。そして、これを実行した場合、社会や政治へ及ぼす影響は計り知れません。どんな影響があるか、考えてみてください(こういう点では、学会は大きくなり過ぎたともいえるでしょう)。


 しかし、こうした行動が永続的な、恒久的な平和行動になりうるでしょうか? 私は、過去の様々な平和運動をみれば、一過なものに過ぎないといます。究極的には、一人ひとりのに「永遠に崩れない平和の砦」を築き、その連帯・ネットワークを広げ、強化する以外に確実な平和実現はないといます。


 私は、平和運動や反戦行動、集会やデモを否定しているわけではありません。 一過なものから永続のあるものにしなければいけないことを強調したいのです。組織的な動員よりも、自発的、能動的な行動でなければ味をなさないともいます。やはり、私たちには、「一対一の法対話」がその基盤でなければならないと考えます。


 ただ、今回のイラク問題を考えると、今までとは大きく異なります。 アメリカが国連を無視するかもしれないということです。国連の無力化につながりかねない、否、拍車がかかるといった方がいいかもしれませんね。


 たとえ一過で終わっても、アピール行動が必要かどうかは判断にしみます。私は、そうした行動があろうとなかろうと、身近な一人と対話していきたい。なぜ戦争が悪なのか、生命の尊厳とは、そして、エゴと差別。今まさに、私たちがを大にして身近な一人(家族・友人・知人)と対話するときだといます。


 政治的にも、日本は微妙な立場にあることは間違いありません。 小泉訪から拉致問題に至り、北の脅威がマスコミで連日報道されてます。北の脅威が叫ばれ大きな社会問題になればなるほど、アメリカへの依存は強化されます。自衛力の強化も急がれることでしょう。これらが何をもたらすかは、像に(かた)くありません。ブッシュにイラク攻撃をやめさせようとえば、日米同盟の解消の覚悟は必要でしょう。


 小野さんの言葉は、貴重ですね。


 貧しい国の犠牲の上に先進国の経済が成り立っているとすれば、自分のあずかり知らないところで殺人に加担しているといってもよいかも知れません。


“殺される側”からみれば、私も“殺す側”なのかもしれない。この識は、常に持ち続けていきます。


 興味をお持ちになったら、『地域からの国際化 国家関係論を超えて』チャドウィック・F・アルジャー(日本評論社)を読んでみてください。インターネット書店からも購入できますし、図書館にもあるといます。


【恋】

2003-04-01

平和であることが一番の権利


アグネス・チャン/日本ユニセフ(国連児童基金)協会大使】


 SGI会長の提言には、“平和は誰もが持つべき権利”という点で、とても共します。特に子どもは、自分で国を選んで生まれてくることはできません。戦禍(せんか)のまっただ中に生まれてくる子もいる。彼らにとって一番の基本的な権利というのは「平和」だといます。


 以前、創価学会の「子どもの人権展」を拝見しましたが、こうした地道な活動が大切ですね。子どもの人権と言っても分かりづらいですから展示や対話で広くアピールしてしかありません。生きていく上で基本的な権利が奪われている子どもたちがたくさんいることを皆で認識し、守っていく方法を考えるのが大人の役目。こういう点でもSGIが積極的に、持続して活動しているのは素晴らしいことです。


 私もユニセフの大使として、像を絶する環境の子どもたちを見てきました。彼らはも体もズタズタでした。エイズに染して捨てられてしまう子もいる。一生、親の顔を見られない子。強制労働で働いても働いても食べさせてもらえない子。少年兵士は戦争の道具として使われて、わけもわからないまま生まれてから殺されるまで、一日も平和な時はない。私が現地で出会った子どもたちは、それでも一生懸命に生きていた。こうした子どもたちの声になって、その叫びを、みんなに聞いてもらいたい。SGIの皆さんと力を合わせて頑張っていきたいです。


 女の役割についてもSGI会長は提言で触れられていますが、昔から、男は攻め、女は守り、と言われてきました。でも、女は守っているばかりではありませんでした。戦争中でも、どうやって子どもたちに食べさせてあげるか、夫の無事を祈りながら頭を巡らせていた。これからの女は、自分を信じ、相手を信じ、愛の力を信じ、あきらめず、前向きに生きて欲しいといます。


【『グラフSGI』 2003-04月号】