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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2005-12-01

万人を包容する境涯を築け


 正法正義に、さまざまな暴言・悪口(あっく)があるのは御書、経文に照らして必然である。それに対しては、厳然と反論し、論駁(ろんばく)していく強さがなくてはならない。しかし、強さだけですべての人を、から納得させることはできない。むしろ、相手の主張も柔(やわ)らかに受け止め、理解を示してこそ、対話は更に深まり、実り多いものとなっていく。


 重書中の重書である「立正安国論」も対話・問答形式でしたためられた御書である。そこでも、顔色を変えて憤慨し、席を立とうとする「客」に対し、大聖人のお立場を表す「主人」は「咲(え)み止(とど)めて」(24頁)――微笑をたたえ、帰ろうとする客をとどめて――話を続けたとされている。

 このように、無知や無理解の言葉が投げかけられ、理不尽な態度があったとしても、一切を莞爾として受け止め、悠々と自在の対話を続け、納得させていかれる。ここに、「境涯の芸術」「対話の妙」ともいうべきものが拝されてならない。


 いかなる立場であれ、一切の情を、広く、大きく包みながら、どのようにを開き、納得と共を広げていくか。それは全て、私どもの境涯にかかっていると言ってもよい。相手の喜怒哀楽に悠々と棹(さお)さしながら、自在にの奥深くに漕(こ)ぎ入ってゆく融通無碍(ゆうづうむげ)の境涯を開いていく以外にない。ここに、対話の人間学の精髄がある。


【第19回本部幹部会 1989-07-14 世田谷区・東京池田記講堂】


 新時代を予見した指導の一つ。


 日顕は、5ヶ後の1227日に先生の総講頭を罷免(ひめん)。翌年1128日に学会を破門し、学会員に対して「御本尊の新規下附・再下附・分世帯下附停止」を決定した。僧・日顕は、大聖人が「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ」(1124頁)とまで仰せになった御本尊を、“信徒支配の道具”として利用した。御本尊を“駆け引きに利用”したのだ。阿部日顕にひとカケラの信もないことが明らかではないか。


 それ以降、青年部は四者の先頭に立って「校友運動」を展開した。学会のよき理解者には「校友証」を発行して、どんどん会合に参加してもらった。日顕の狙いは見事に外れて、垣根の低くなった学会に、様々な人々が参加し、共を示した。


 この時、青年部は初めて“自分で考える”ようになった(笑)。今後の展開をにらんで、話し合う機会が増えた。幹部は若いメンバーの知恵を借りようと、懸命になった。国連が提唱したボイスエイド(発展途上国にラジオを送る運動)を初めとするボランティアに挑み、環境問題に取り組み、自由闊達な対話運動に邁進(まいしん)した。


 しばらくすると、「本当にこれで広宣流布ができるのか?」という疑問につきまとわれた。何か手応えに欠けた。ここで再び議論が沸騰した。「学会は宗教団体だ。いつまでも、ボランティアで勝負するのはおかしい」、「途中でやめてしまえば、ボランティアは自己満足で終わってしまう。既に数多くの友人が、男子部以上に責任をもって行っている」など、喧々囂々(けんけんごうごう)のやり取りが、あちこちで行われた。結構、大変だったのよ(笑)。


 折伏は、「学会に入会させる」ことが目的ではない。それでは、共産党のオルグ活動と変わりがないよ(笑)。友を幸せにするのが目的だ。相手の誤った人生観・生命観を打ち破り、自分自身を最大に光り輝かせてゆく方途が、妙法にあることを指し示すことが折伏であり、「対話」そのものが折伏だ。「法を説いた」喜びをじなければ、成果主義に毒されているといっていいだろう。


 包容力がなければ、相手は強制されているような印象を受けてしまう。そうであっては、万人が成できることを示した法華経に背くことになりかねない。窮屈で偏屈な姿勢は、相手を“鋳型(いがた)にはめ込もうとする”命の表れだとう。


 人間の身体は、寒くなると硬直し、縮(ちぢ)こまる。暖かくなると、リラックスし、活動的になって外へと向かう。冷たい雨は疎外を招き、太陽の光は優しく包み込む。一切法皆是法。