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2004-12-28

昨日までの功績に酔う者は退歩


 昨日までの

 功績に酔う者は

 退歩と知れ

 指導者は常に

 未来に生きよ


【『日々の指針』 1974-12-16発行】


 これも有な指導。創価帝王学であり、ここに本因妙(ほんにんみょう)の魂がある。


 本因妙とは、天台大師が法華玄義巻七で説いた本門の十妙の第一。になる根本の因が、議しい境界であるが故に「妙」という。法華経寿量品第十六においては、「我れ本(もと)、菩薩の道(どう)を行じて成ぜし所の寿命、今猶(なお)未だ尽きず」の文が本因妙を示す。


 そう言われてもチンプンカンプンだという方も多いことだろう(笑)。法華経本門に至り、地涌の菩薩の登場によって、釈尊は始成正覚の立場を打ち破り、久遠元初を現す。五百塵点劫という気の遠くなるような過去を示すことによって、生命の永遠を説き示した。


【以下、我見を交えながらいつくままに書く故、間違いがあればご指摘願いたい(笑)】


 というように、釈迦法のベクトルは常に過去に向かっている。釈尊は三十二相八十種好という立派な姿を現じて、「どうやって、こんな立派なになったかを教えて進ぜよう」というスタイルになっている。これが本果妙。だから像はおしなべて金ピカ(笑)。


 一方、日蓮法は、生命の界を因果倶時で涌現せしめる下種法である。界の生命力をもって九界を自由自在に遊戯(ゆうげ)する。


 つまり本果妙が、という山頂を目指して進む姿であれば、本因妙の場合、山頂からヘリコプターで下方に広がる世界に躍り出るような方向の違いがある。これを従因至果と従果向因という。日蓮法は後者。


 だから、「自分がもっと成長してから、折伏に取り組みます」というのは本果妙となってしまう。また、活動報告などで、たまに見受けられるが、「自分はこれだけ凄い結果を出した」という内容にとどまり、御本尊や先生、はたまた同志に対する謝が欠けていれば、これまた本果妙の姿勢と言わざるを得ない。昔から、「大きな会合で活動報告した後が一番危ない」と言われるのもそのためで、いつしか、“凄い御本尊”から“凄い自分”へと変質し、過去の功績に酔い痴れた瞬間から、慢という落とし穴にはまってしまうのだ。


 教弥(いよい)よ実なれば位弥よ下れり(339頁)


 この御文は、教えが真実であればあるほど、位の低い者(二乗・悪人・女人・畜生)をも救っていけるとのであるが、敷衍(ふえん)すれば、信が深まるほど人間が謙虚になってゆくとも受け止められる。「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」といったところ。


 大きな結果を出した時ほど、人は油断しがちだ。一ついている内に、の虜(とりこ)となってしまっている。役職が上がらなくなった途端、信に精彩を欠き、翳(かげ)りが見え出す人もいる。法は無上道である。成と広布に死ぬまでゴールはない。


 今、聖教紙上に連載されている『新・人間革命』では、正本堂建立の歴史が記されている。700年来にわたって日蓮門下が待ち望んだ本門の戒壇が、現実のものとなったのだ。この時、先生は44歳。男としては最も壮健な年齢だが、「30歳まで持たないだろう」と言われたお身体のことや、会長という激務に挺身して12年を経ていることを踏まえれば、この時点で第一線から退かれたとしても全くおかしくなかった。これは今だから言えることだ。ましてや、2年前の昭和45年(1970年)には言論問題があり、体調を崩されているのだから。


 だが、現実はどうだったか? その答えは、正本堂が落成してから、わずか20日後の112日に開催された第35回本部総会での講演にある。「21世紀開く精神の復興運動を」と題した講演で、先生は実に23世紀までの大いなる展望を語られたのだ。私はこの講演をレコードで初めて聴いた時、度肝を抜かれた。その内容もさることながら、正本堂が完成した直後という“時”に畏怖(いふ)のを覚えた。微塵の油断も安もない先生の姿にの底から動し、あまりにも厳粛な師弟の道をった。


 この講演を知って以来、“連続勝利”、“常勝”という言葉を軽々しく使えなくなった。