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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2008-05-05

未来部の思い出


 今日は「後継者の日」。アルコールで記憶が破壊される前に、私の未来部時代のい出を綴っておこう。


 私は小学校1年生から勤行を開始。座談会・部員会も殆ど欠席することなく参加してきた。初めて学会歌の指揮を執ったのは小学2年の少年部員会でのこと。近藤さんというオバサンが、母の前で随分と私を褒めてくれたことを覚えている。座談会では「お父さんとお母さんが、いつも喧嘩をしている」などと言って盛り上げていた。両親が派遣幹部であったため、いつも弟二人を伴って会合へ行った。


 札幌へ引っ越し、小学3年から5年まで、少年部員会は支部単位で行われ、男女の担当幹部が中になっていた。6年生の頃になると、地区単位で婦人部が担当した。秋山さんのオバサンだ。5年生の時に少年部で「走れメロス」の劇をやった。私はメロスの親友であるセリヌンティウスの役。セリヌンティウスが言いにくいと判断したのか、なぜか配役の前は「ハンス」になっていた(笑)。確か、クラスメートを7人ほど連れ出した記憶がある。もちろん信してない友達だよ。前にも書いたが5年生の時、私は友達二人に勤行を教えていた。二人は1週間ほど自宅でも行っていたよ(笑)。小学生は純粋だね。6年生の時、一度だけ連絡をさせられたことがある。私と違う学校に通っていた今井という奴と二人で、支部内を自転車で走った。


 少年部は結構面白かったが、中等部・高等部はダメだったね。担当者の偽善的な態度が許せなかった。「あんたは、そこまでして“いい人”を演じたいのか?」と本気でったよ。私はそこそこ教学も勉強していたので、質問されれば何でも答えることができた。その度に「凄いねえ」を連発されるのが、腹立たしくて仕方がなかった。担当者の前は一人も覚えていない。当時から、大人に対してヘラヘラと愛笑いをするつもりは、これっぽっちもなかった。


 この実につまらない中等部・高等部時代があったおかげで、私は未来部担当者として飛躍することができた。私にとっては受け持った中等部・高等部を盛り上げることが復讐となっていたのだ(笑)。「絶対に、自分と同じいをさせてなるものか!」と鼻を荒げた。最初の頃は酷いもんだった。「出ろって言われたら、出ればいいんだよ!」と凄んでみせたりした。


 中学・高校とよき担当者に巡り会わなかったことは、福運がなかったとしか言いようがない。何でも話せるお兄さんが一人でもいれば、私の人生も変わっていたことだろう。

2007-09-11

中等部を侮るな


 ある中等部員会でのこと。男子部の担当者がこう語った。「一般紙であれば誤植があるが、聖教新聞には殆ど間違いがない」と。その場にいた私は中学1年だったが、既に聖教新聞の誤植を二度ほど見つけていた(笑)。13歳の私は、この男子部幹部から“盲信”ということを学んだ。

2007-02-02

『希望対話 21世紀を生きる君たちへ』/いじめ 5


前川女子中等部長●前回、池田先生から「見て見ぬふりも、いじめ」という話をしていただきました。

 それを読んだ人から、たくさんのが寄せられました。

「クラスで、いつも、みんなと離れたところにいる人に、『うちのチームに入らない』とをかけてあげることができました」と知らせてくれた人もいます。


白土中等部長●ある男子は、「お弁当を食べる時、一人でうずくまるようにして、下を向いて食べている人がいました。ぼくは『いっしょに食べよう』と話しかけました」と教えてくれました。


小さな励ましを


池田先生●うれしいね! みんなが、そうやって「」を出してくれたことが、うれしい。

小さなことでいいんです。

 何も言えなければ、黙って、横に座っているだけでもいい。そうやって、にならない友だちの「」に、じっとを澄ませている。それだけでいい。

「にこっ」と、小さな微笑みを贈るだけだっていい。

 小さなことが大事なんです。

 その「小さなこと」を実行しないで、議論ばかりしていても、何も変わらない。


堀井・元中等部長●本当に、その通りだといます!


私だけ、なぜ?


前川●それで、きょうは、中学1年生の女子から寄せられた悩みです。

「私は、小学6年生の時、いじめを注して、それから自分がいじめられるようになってしまいました。クツを隠されたり、悪口を言われ、学校の帰りにもついてきて、『死ね』とか言われました。

 中学に上がる時、私をいじめていた人たちとは別々の中学になったので、とてもうれしかったんです。だけど、中学になっても、また、おそれていた『いじめ』が始まったんです。クラスの人からも『無視』されて、学校はイヤでイヤでたまりません」ということなんです。


村・前女子中等部長●彼女は「自分はどこへ行っても、いじめられるんじゃないか」という不安が抜けないんです。

「やっぱり、何か私に悪いところがあるんじゃないか」と……。


堀井●自分でそうってしまうと、人と接するのがこわくなります。それで、人を遠ざけてしまうんです。その気持ちは、よくわかります。


白土●それで、ますます「暗い」とか言われて、悪循環になるケースも少なくありません。


やさしい人、人のいい人が標的に


池田先生●私は、今まで、いろいろ聞いてきてうんだが、いい人ほど、いじめられている場合が多いんじゃないだろうか。

 のやさしい人。すなおな人。いじわるに、いじわるで、切り返したりできない人。

 正義のある人。の強い人。傷つきやすい人。人のに敏な人。

 本当は相手が悪いのに、「自分が悪いんでは」とってしまう、まじめな人。人のいい人。

「自分も“いじめの仲間”に加わったら、いじめられない」のに、そうしない人。要領の悪い人。人を、け落としたりできない人。おっとりしている人。大人しい人。

 家庭のこととか、自分のこととか、悩みがあっても、自分でかかえこんでしまって、自分を責めて……。

 そういう人が、いじめられているケースが、とても多いんじゃないだろうか。

 だから、「弱いものいじめ」ではない。「いい人いじめ」です。


白土●そういます。そして、そういう人は、今、「暗い!」とか「グズ!」「かっこうつけてる!」とか言われて、簡単に否定されてしまいがちなんです。


村●そこに問題がありますね。


池田先生●そうだとしたら、私は言いたい。「いじめられているあなたのほうが正しいんだよ!」と。

 だから絶対に、「自分がどこか悪いんじゃないか」とかわなくていい。自分を責めてはいけない。

 自分で自分をいじめてはいけない!

 ほかの悪い人間から、いじめられて、その上、自分まで自分をいじめたら、自分があまりにもかわいそうだよ。


生きる力を奪う


池田先生いじめられるとね、人間は気力がなくなってしまう。

孤独になると、人間は、生きる力がなくなってしまう。

 自分の気持ちをわかってくれる人がいないと、体から、だんだんエネルギーが抜けていってしまう。当然です。人間は、そういうふうにできているんです。

 そんなあなたを見て、人は、「無気力だ」とか「暗い」とか、勝手なことを言うかもしれない。だけど、誰が好き好んで、無気力になりますか。誰が自分から、暗い格になりますか。

 そうなってしまったとしたら、誰かが、そうさせたんです。あなたが悪いんじゃないんだよ!

 だから、「自分が、いけないんだ」とか、「自分いじめ」はやめなさい。自分をもっと大事にするんだよ。

 言いたいことを言っていいんだよ! がまんなんかしなくていいんだよ! 人に合わせなくていいんだよ! あなたの人生なんだから!

 人のに鈍になってしまった、こんな残酷な世の中では、人間らしい気持ちをもった人ほど、いじめられる。それは、いじめるほうが間違っている。

のやさしい人が、いじめられる」世界のほうが、さかさまになっているんです。さかさまになった世界では、いじめられているあなたのほうが、正しいんです。


前川●質問の彼女の場合も、最初は「いじめを注した」ことから始まったんです。


周りが悪い!


池田先生●そういう子が、いじめられる。とんでもないことだ。絶対に正しい行動ではないですか。

 その正しい人を、どうして、まわりがほうっておくのか!

 クラスメートも、大人も、なぜ、その人を全力で応援しないのか! 卑怯です。どんな理屈をつけようとも、卑怯だ。絶対に間違っている。


村●そういう、気のやさしい子は、いじめられても、中々親にも言いません。「配かけるから」とか、「大騒ぎしてほしくない」とか。


白土●せっかく伝えても、大人の対応が悪いと、「大人に知られないように、いじめる」だけになって、状況が悪化する場合もありますから。


学校に行けない


前川●いじめのために学校に行けなくなってしまった人もいます。


堀井●私も、いじめられている時は、学校に行ったふりをして、一日中、家の裏の溝に隠れていたこともありました。そういう「逃げ場」が必要だったんです。

 後から聞いた話ですが、母は、溝の中にじっと身をかがめている私を見つけて、だけど、何にも言えなかったそうです。母もしかったといます。


前川●堀井さんの場合は、休みながらも、何とか学校に通 い続けたわけですが、力尽きて、学校に行けなくなってしまった人もいます。

 その場合、「こんなになって、親に申しわけない」とう人が多いんですね。


池田先生●かわいそうに――。子どもというのは、どんな子でも、「親の期待にこたえたい」とっているからね。口で何を言っていても、の底では、親にほめられたい、親の喜ぶ顔が見たいと、いじらしいくらい切実にっているものです。

そして、それができない時、自分を責めてしまう。

 いじめられ、その上、「自分にも原因がある」とって――いや、そうわされて――しむ。

 さらにまた、「親に申しわけない」とって、またしむ。かわいそうだ。

 その上に、まわりから「強くなれ」「強くなれ」と言われたら、まわりは励ましているつもりでも、まるで「お前が弱いから、悪いんだ」と責められているような気になってしまうのも無理はない。それでは、の行き場がない。

 人を追い込んでおいて、強くなれと言うのは、間違いです。

 から「血」を流している人に対して、傷の手当てもしないで、頑張れと言うのは間違いです。

 その人をしめている「原因」を、いっしょに取りのぞいてあげなければいけない。


「言い返せない」弱さが悪い?


堀井●「いじめられるほうに原因がある」ということで、よく言われるのは、いじめられて「言い返せない」弱さがあるから、そこに「つけ込まれて」、どんどんエスカレートしていく。いじめられやすい人には、そういう共通 点があるという見です。


白土●だから「強くならなくちゃいけない」と。


前川●それはそうかもしれませんが……。


池田先生●その人はね、弱いんじゃないよ。強いんだよ。


白土●はっ?


池田先生●「強くならなくちゃいけない」んじゃないよ。もう、すでに強いんだよ。

 考えてもみてごらん。人を「攻撃」してばかりの世の中で、自分がやられても「攻撃」しないなんて、なんと美しいか!

 人をいじめは「野獣」のです。それに比べて、じっとがまんしている君のほうが、何千倍、人間らしいか! 強くなくてはできないよ。

 それを「気が弱い」とか「いくじがない」とか、そんなことを言われる義理はない。自信を持っていいんだよ。

 ひどい仕打ちに、よくがまんしてきたよ。偉いよ。私は、ほめてあげたい。

 もちろん、反撃することがいけないと言っているのではない。反撃は大事だ。悪いことをしている人間に「悪いことはやめろ!」と教えてあげる必要がある。反撃は、当然の権利です。

 しかし、だからと言って、「反撃しないほうが悪い」という理屈にはならない。全然、そうはならない。まったく別 問題です。

 大体、よってたかって、人をいじめておいて、「反撃しないほうが悪い」とは何ですか、いったい! そんなのは野獣の論理であり、最低中の最低の勝手な言い分でしょう。


村●本当にそういます。その当たり前のことがわからない人が多いんです。


池田先生●たとえば、ここに泥棒がいるとする。どこをねらう?


白土●それは……お金持ちのところです。


池田先生●そうだ。お金持ちがねらわれる。じゃあ、「泥棒に入られたのは、あなたが、お金持ちだからだ。あなたが悪い」と言えますか?


白土●そんなこと、言う人はいません。


池田先生●それと同じです。人をいじめておいて、「あの人が、こうだから、ああだから、だから、いじめた。いじめられるほうが悪い」。そんな理屈は成り立たない。

 中には、「あの子が、わがままだから、いじめた」、そういう人もいるかもしれない。「約束を守らないから、いじめた」「なまいきだから」「ちょっと変わっているから、いじめた」「ほかのみんなも、やっている」

 全部、いいわけです。どんな理由も、「いじめていい」理由になんかならない。

 泥棒だって、盗みやすいところから盗む。

 しかし、「あの家は、戸じまりが悪かったから盗まれた。盗まれるほうが悪い」「あの人は、人がいいから、だまされた。だまされるほうが悪い」。そんな理屈は、泥棒が喜ぶだけです! 「泥棒の味方」の論理です。


村●悪いのは100パーセント、泥棒のほうです。いじめたほうです。


白土●いじめは、泥棒と同じですね。人道上の「犯罪」です。


いじめは自尊泥棒、笑顔泥棒


池田先生●そう、いじめは泥棒です!

 人から、生きる力を奪う。楽しく学校で学ぶ権利を奪う。友だちと仲よく生きていく権利を奪う。自尊を、ずたずたにする。

 誇りを奪い、笑顔を奪い、安らぎを奪い、何もかも盗んでいく! 絶対に許してはならない。


堀井●それを「いじめられるほうにも責任がある」と言って責めるのは、「やさしい気持ちなんか通 用しない。そんなは捨てなさい」と、教育しているようなものです。


前川●いい子に、悪い子になれといっているようなものですね。


堀井●いじめられている人に、本当にどこか悪いところがあるのなら、やさしく教えてあげればいいわけです。そうすれば、指摘されたほうも納得できます。

 反省するところがあったら、改めればいいし、あやまるべきところがあれば、勇気を出して、あやまればいいとうんです。

 しかし、いじめというのは、そういうさわやかな友情関係じゃないんです。

 相手を「悪者」にして、自分のストレス解消をしているだけです。


池田先生●本当に、「正義」ということがわからない日本になってしまった。「正義の味方」が笑われる日本になってしまった。正義なんて「甘っちょろい」とか「裏があるんだ」とか。

 そうやって、結局、どうなったか。「強いものの味方」だけが大手を振って歩く日本になってしまった。その毒の現れが「いじめ」です。だから、いじめは日本の大悲劇だと言うのです。


白土●いじめは、外国にもありますが、日本のいじめは「とくに陰湿」と言われています。


池田先生●質問の彼女も、どんなにつらかったか。

 小学校でも、いじめられた。中学校でも、いじめられた。

 絶対、あなたのせいじゃないよ。あなたのような、やさしい人をいじめる人が悪いのです。悪い人は、いい人が、きらいなんです。

だから、そんな悪に負けてはいけないよ!


「こんなになって親に申し訳ない」


池田先生●そして、いじめられている人は、「親に申しわけない」とかわなくていいんだよ。

「親を困らせたくない」。その気持ちは尊い。ひどい目にあって、なおかつ親をいやっているんだから、すごい人だといます。立派です。

 だけど、ピンチの時には「親に迷惑をかけていい」んです。

 人間は「人に迷惑をかけないで生きていく」ことはできないんです。できるとっている人は、自分がそうい込んでいるだけです。自分が大勢の人に支えてもらってきたことを忘れているんです。

 お年寄りや、お中に赤ちゃんがいる女が、重い荷物で困っていたら、あなたは助けてあげるでしょう?

 荷物を持ってあげることを「迷惑をかけられた」なんてわないでしょう?

「ありがとう」と言われたら、うれしいでしょう?

 人は、助けたり、助けられたりして生きていく。それが正しいんです。そうすれば、助けた人も、助けられた人も、うれしい。

 だから、荷物が重すぎる時は、いっしょに持ってもらいなさい。「人を助ける喜び」を、まわりに与えてあげなさい! 一人で、荷物の前に座り込んでいなくていいんだ。

 そして、将来、重い荷物を持っている人がいたら、張り切って、助けてあげればいい。 いじめられたあなたは、「あなたが親を困らせている」んじゃない。困らせているとしたら、いじめた人間です。

 あなたは被害者です。何も悪くないんだから、大いばりで助けてもらいなさい。


を! 黙っていると、わからない


池田先生●ただ、大人の中には、話しても、中々わかってくれない人もいるかもしれない。

 もしかしたら、あなたの「」よりも「世間体」を大事にする人がいるかもしれない。「形」にこだわったり、一方的に「話を決めつける」人もいるかもしれない。

「静かに“”を聞く」ことを忘れてしまった大人は多い。「子どもから学ぶ」ことを知らない大人も多いから。

 だから、自分の気持ちを「忍耐強く」話して、聞いてもらいなさい。「はっきり、何度も」言わないと、親子だって、考えていることがわからないんです。

 ロシアでは「泣かない赤ん坊は、ミルクがもらえない」というそうだ。

 だから、あなたも「」を出すこと。何でもいいから、「」を出すこと。

 お題目のが根本だけれども、歌を歌うのでもいい、好きな文章や詩を大で読むのでもいい、空に向かって「バカヤロー!」でもいい。

 まず何でもいいから「」を出す練習をしよう。そうすると、元気が出るから。はじめは小さなで、だんだん大きなにして。

 そして、お父さん、お母さんや、ほかの信じられる誰かに向かって、自分のありのままの気持ちを、ぶつけてみたらどうだろう。一度でわかってもらえなかったら、何度でも。解決するまで。手紙でもいいよ。

 それでだめでも、味方は、いっぱいいるから!

 創価学会のお兄さん、お姉さん、おじさん、おばさんも、みんな味方だよ! 安して、甘えていいんだよ。

 あなたには、1000万人の味方がいることを、忘れないでください。

 そして、人生は長いんだから、どうしても、どうしても、しょうがない場合は、少しくらい遠回りしたっていいんだ。自分の人生だ。自分のペースでいいんです。

「みんなと同じ」人生より、山あり谷ありのほうが、ドラマチックでいいくらいだよ!


君は素晴らしい


池田先生●一番大事なことは、どんな場合でも「自分なんか、だめだ」とわないこと。 自分をいじめないこと!

 自分で自分を励ますんだよ。落ち込んでしまった自分のを、自分で「よいしょ」と持ち上げるんだよ。

 だって、君は素晴らしい人なんだから、そんな素晴らしい自分をいじめちゃいけない。人が何と、けなそうが、関係ない。

 もしか、君が自分で自分を、だめだとっても、私はそうはわない。

あなたが自分で自分を見捨ててしまっても、私は見捨てない。

いじめられているから、だめ」なんじゃない。反対です。

 今、いじめられている君のほうが、将来は偉くなる。幸福になる。いじめた人間は、だめになっていく。

 私の世界の友だちも、みんな、「いじめられてきた人」ばっかりです。「いじめてきた人」なんか、ただの一人もいません!


偉人は「全員」がいじめられた!


池田先生●南アフリカの前の大統領、マンデラさんは、人種差別 でいじめられ、何と27 年間も牢獄に閉じこめられていた。

 20世紀で最大の歴史家・トインビー博士は、みんなくらいの年齢の時、学校に行くのがいやでいやで「新学期が始まるは、死刑囚が死刑を執行される日のようだった」という。

 中国の周来総理も、「四人組」という悪のグループに、いじめられ、いじめられ通 した。しかし今は、「人民の父」として最高に尊敬されています。


村●そう言われたら、本当に、たくさんおられますね。


池田先生●全員がそうだよ! 一人のこらず、そうだよ!

 アメリカの黒人差別と戦ってきた女ローザ・パークスさんは、黒人に対する侮辱に対して、がまんして、がまんしてきたが、ある日、とうとう、「ノー!」と言って立ち上がった。

 そこから火がついて、「人種差別のないアメリカ」を目指して、戦いが広がっていったんです。


堀井●アメリカでは、教科書にも載っていて、知らない人はいません。


池田先生●偉い人は、みんな、いじめられてきた。

 人をいじめて、偉くなった人はいません。格好だけ偉そうに見せても、それは、にせものです。は砂漠です。全然、偉くない。幸せでもない。

 いじめられ、いじめられ、それでも「私は負けない!」と生き抜いた人が、最後は勝つ。勝たねばならない。勝たなければ、正義の火が消えてしまう。

 君が、あなたが、勝つことは、自分のためだけじゃない。正義のためです。たくさんの、ほかの人に勇気を贈るためでもあるんです。

 君だけの戦いじゃない。

 君だけのしみじゃない。


前川●みんなの戦いですね!


創価学会は「いじめられた人」の友


池田先生●インドの詩人・タゴールは言いました。「人類の歴史は、『侮辱された人間が勝利する日』を、しんぼう強く待っている」と。

 創価学会も、「その日」を目指して戦っているんです。その「夢」を抱いて進んでいるんです。みなさんのお父さん、お母さんが、一生懸命、学会活動しているのも、そのためです。

 創価学会は「いじめられている人」の味方です。いつも「いじめられている人」のそばにいるんです。

「一番いじめられた人」が「一番幸せになる」ために戦っているんです。

 70年間、これまでもそうだったし、これからも永遠にそうです。

 だから君も、「その日」のために、いつか立ち上がってもらいたい。

いじめ」なんかなくなる日のために!

 大きな「夢」をもって!

 ある人は、「いじめられている子のがわかる先生になろう」でもいい。人権を守る弁護士になろうでもいい。カウンセラーや、子どものためのお医者さんでもいい。

 いや、職は何でもいい。学歴も何でもいい。

 ただ、「しんでいる人がいれば、どこにでも駆けつける」。そんな温かい人になってください。

 それは、いじめられた君だから、あなただから、できることなのだから!

 今は、生きていることがしくてしくて、しかたないかもしれない。でも、生き抜くんだよ。

 生きて生き抜いていけば、きっと「ああ、生きていてよかった!」とう日が来るから!

 必ず来るから!

 私が約束します。


一同●ありがとうございます!


私は立ち上がる


池田先生いじめについては、まだまだ語り残したことが、たくさんあるとうが、最後に、中学生のみなさんに一つの詩を贈りたい。ローザ・パークスさんの大好きな詩です。 私も、いじめられ続けてきたから、この気持ちがわかるんです。

 黒人の女(マヤ・アンジェロウ)の詩です(水崎野里子訳)。


  どうぞお書きなさい私のことを 歴史の中に

  あなたの地悪なねじくれた嘘で固めて

  どうぞ私を踏みつけなさい 泥の中で

  でもそれでも

  塵のように

  私は立ち上がる

  ……  ……

  私が絶望しているのを見たかった?

  頭を垂れて 視線を落としているのを?

  肩を落としているのを

  涙の粒が落ちるように

  の叫びに弱り果てて

  ……  ……

  どうぞ私を撃ちなさい

  あなたの言葉で

  私を切り裂きなさい

  あなたのまなざしで

  私を殺しなさい

  あなたの憎しみで

  それでも空気のように

  私は立ち上がる

  ……  ……

  恐怖と恐れの夜を置き去りにして

  私は立ち上がる

  素晴らしく澄んだ夜明けの中へと

  私は立ち上がる

  私の先祖がくれた贈り物を持って

  私はその夢そして奴隷の希望

  私は立ち上がる

  私は立ち上がる

  私は立ち上がる


読者のから


いじめをしている子は『の弱い人』だとうと、気が楽になりますよ。新しい友人を作るのもいいかも……」(中1)


いじめってイヤなことです。だけど、いじめられる人をひっくり返したら、才能があるからいじめられるんです。ハリソン・フォード(アメリカの映画スター)もいじめられっ子だったのです。だから一人でおちこまないで、自分に自信を持って!」(中1)


「クラスの女子が1年生の途中から不登校になり、その原因は、私にいじめられたからだと、まわりの人たちに言い始めました。

私は、いじめなんてしていないのですが、うわさが広がって、今度は私がいじめられるようになりました。PTAで役員をしていたお母さんも会議の場で悪口を言われるようになりました。

 学校をやめようかと親子で何度も話し合いましたが、お母さんが『ここで逃げてしまったら、悪かったと認めてしまうことになる』と言って、一緒に乗り越えることを決しました。

 お母さんは学校の先生に何度も話をしに行き、学校の先生も不登校の子の親に話してくれ、最終的には不登校の子から『今まで、ごめんね』とあやまってきてくれ、仲なおりすることができました」(中2)


「私は昔、イジメをされたことがあります。でも今では、その子とは、とても仲がいいです。それは私が勇気を出して『やめて』と言ったからです。だから、今、いじめられている人がいたら、できれば勇気を出して、『やめて!』と言って抵抗してください。あと、親や親友に相談すると、気持ちが晴れ、スッキリします。少なくとも私は、こうすると、いじめられなくなりました。ガンバッテください」(中2)


「中学時代、いじめられ、机に花を置かれたりした。自分自身を押し殺し、ひたすら耐える日が続いた。だんだん自分自身が壊れていくのがわかった。

 担任に相談したが、『お前が悪い』と、クラスメート同様、私をいじめた。

 私は逃げ場を失い、不良グループの仲間入りをした。酒、タバコ、シンナー、バイク……ありとあらゆることをした。こうすることでしか自分をアピールできなかった。

 そしてついに一人ぼっちになった。もう引き返すこともできず、自殺を考えたが、こんな状況の中で、ただ一人、自分のことを信頼してくれる友人がいることに気づき、自殺いとどまった。

 その友人は、まわりのことなど気にもせず、温かい言葉をかけてくれた。まわりの目などおかまいなしに自分を仲間に入れてくれた。その友人のおかげで、凍りついたも少しずつ解け始め、不良生活にもピリオドを打ち、ほかの人とも交流できるようになった」(中等部担当者、男、28歳)


「私は“無視”というのイジメにあいました。1年生の時でした。引っ越して来たのと、人見知りする格もあり、やっとできた友達にされた無視は本当につらく悲しかったです。毎、キモチ悪くなって、胃も痛くなり、家でも学校でも、が休まる時はありませんでした。

 私は泣きながら、すべてを母に話しました。それから中等部のお姉さんにも相談しました。そうしたら、同盟題目をあげるという約束をしてくれました。私は元気と勇気が出たし、少しずつ友だちの目も変わってきました」(中2)


「子どもたちは、たくさんの不満と欲求と期待をかかえて、学校に『来てくださる』。私は、そういう気持ちで、子どもたちの気持ちにこたえてこそ、学校は成り立つとうし、学校は楽しくなるといます」(私立高校教師、男、32歳)


「私も転校してから、いろいろなコトをされました。一時は、不登校になって、一日中ダラダラしていた時もありました。でも私には、将来の夢があって、それをつぶされてたまるかっとって、学校に行くようになりました。一つ目標があると、人間ってがんばれますよ!」(中3)


【※文中、「池田誉会長」を「池田先生」とした】

2007-01-03

『希望対話 21世紀を生きる君たちへ』/いじめ 4


前川女子中等部長●中学生から、こんな見がありました。

「今、少年犯罪が、たくさんニュースで放送されていて、『勇気あるよねぇ』と友だちは言っていたけど、そんなものは勇気でもなんでもないとう。自分の周りにイジメをしている人がいたら、『やめろ』という一言を……。それが立派な勇気だとう」


いじめ」なくすカギは周囲に


池田先生●利口だね! その通りです!

いじめをなくす」ためのカギを握っているのは、実は「周りで見ている人たち」です。 いじめている人に対して、「やめろ」と言えるかどうか。

 いじめられている人に対して、「私たちは、あなたの味方なんだ」と伝えてあげられるかどうか。

 それとも、「私には関係ない」と、「見て見ぬふり」をするのか。それで決まってしまう。

 だから、みんな「勇気」を出してほしい。

 二度とない中学生時代です。いじめの黒雲なんか、みんなの勇気の風で吹き払って、楽しい青空を仰いで生きてもらいたいんです。


前川●「いじめが全然ない世界」……素晴らしいですね!


闇と光の境目


池田先生●たった一人でいい。たった一人でも、味方になってくれたら、どんなにうれしいか。

 いじめられている時、人は「世界中が、みんな自分の敵だ」とじてしまう。

 誰も信じられない。人間が信じられない。人生が信じられない。

 真っ暗な闇の中に、ひとりで座り込んでいるようなものです。

 そんな時に、一人でいい、「自分は、あなたの味方だ!」と伝えてくれる人がいれば、闇の中に「光」が差すんです。

「真っ暗な闇」なのか、うっすらでも「明かりが点っているのか」。これは大きな違いです。いや、正反対というくらい違う。

 その「一人」がいるかどうかが、光と闇の「分かれ目」なんです。


堀井・元中等部長●そういます。その通りです。

 私も、いじめられて、いじめられて、中学の3年間、それでも、なんとか耐えることができました。それは実は、一人の友だちがいたからなんです。

 2年生になって、クラス替えがありました。あとでわかったんですが、私の知らないうちに、うちの母が、そっと学校に頼んでくれたんです。それで少し、ましになりました。

 新しいクラスになって、最初に隣に座ったのがA君でした。A君は、、登校すると、「おはよう!」とをかけてくれたんです。それが、すごい驚きで、本当に、うれしかったんです……。

 それが一日だけじゃないんです。次の日も、また次の日も、をかけてくれる。A君だけでした、そんな人は。

 みんな、私がいじめられているのを知っていて、かかわりあいになるのを避けていましたから。


池田先生●そこだね、問題は! それにしても、A君という人は偉い人だね。


一番かっこいい


堀井●はい。彼とは、パソコンの趣味も一緒で、ゲームの話もしました。「これ、おもしろいから、読んでみろよ!」って、マンガを貸してくれたのも、よく覚えています。その時、中学生活で初めて「生きているんだ!」って実できたんです。

 池田先生が言われた通りです。私も、ひとすじ、「光」があったから、生きられたんです。

 特別なことじゃなくていいんです。体育の時や林間学校などでグループをつくる時に、「お前は、どうするの?」とをかけてくれたり、そういう、ちょっとしたづかいが、本当に、うれしいんです。

 ですから、私が中等部長だった時も、中等部のみんなに、いつも「A君のような人になってください。しんでいる人にをかけてあげられる人になってください。その人こそ『一番かっこいい人』なんです」と訴えていました。


池田先生●A君とは、今も友だちですか?


堀井●はい、大親友です。


村・前女子中等部長●私も高校時代ですが、「仲間はずれ」にされた時、いつも守ってくれる人がいました。その人とは、今も親しくしています。そういう人には自然と友だちが集まってきます。


「諸悪の根源」


池田先生●そういう人が増えたぶんだけ、学校は変わるね。

 これは、本当に大事なことなんです。

 大きく言うと、今の社会のほとんどの問題も、「私には関係ない」と言う人が多いことが「諸悪の根源」といっていい。

 悪に対して「自分には関係ない」と言う。自分の身にふりかかってこないかぎり、見て見ぬ ふりをする。それが実は、「悪を応援する」ことになる。


堀井●牧口先生(初代会長)は、「善いことをしないのは、結果として、悪いことをするのと同じ」と言われました。


池田先生●その通りです。

「線路に石が置いてある。そのままにしておいたら、汽車が事故を起こすかもしれない。それなのに、石をどけようとしないのは、結果 としては、線路に石を置いたのと同じことになる」

 そういう信でした。だから牧口先生は、いつも先頭に立って、悪と戦った。だから、いつもいじめられていた。当時の教育界からも、宗門からも、国家権力からも。

「悪からいじめられ通した人生」でした。それは、牧口先生の栄光です。われわれの誇りです。


村●「善いことをしないのは、悪いことをするのと同じ」というのは、ふつうの考えとは、だいぶ違いますね。ふつうは、「何もしない」のは、「善ではないけれども、悪でもない」と考えます。


池田先生●たとえば、池で溺れている人がいる。自分が突き落としたわけではない。だからといって、何もしないで見ているとしたら、どうだろう? 突き落とした悪とは、同じでないとしても、別の味で、これも「悪」ではないだろうか。


堀井●いじめを「見て見ぬふり」をしているのは、本当に「溺れている人を見殺しにする」のと似ています。


池田先生●厳しく言えば、それは「いじめている人間の協力者」なんです。「共犯者」になってしまうんです。


前川●(傍観している人は)自分では気づいていないかもしれません!


「あなたが代わりにいじめられて」


池田先生●「自分がいじめられているんじゃないから、いい」。そうっているとしたら、それは「自分がいじめられるのはいやだから、あなたがいじめられてね」と願っているのと同じです。


村●卑怯――ですね。


池田先生●「私には関係ない」というのは「楽」かもしれない。しかし、この「私には関係ない」が、一番、人間を堕落させていく。

「私には関係ない」と、つぶやくたびに、自分の「人間らしさ」が削られ、どんどん消えていってしまう。そこに気がついてもらいたいんです。

 消極的に「何もしない」ことは、積極的に「自分をだめにしている」んです。

 それを自覚しないと、年ごとに、だんだん、つまらない人間になっていく。悪を平気で許す無気力な人間になってしまう。


学年とともに「何もしない」が増加


前川●4ヶ国での「いじめ調査」があります。〈1997年調査、本年発表。国際いじめ問題研究会〉

 それで印象的だったのは、「いじめを見聞きした時にどうするか」という問いに対して、イギリスでは、中学生になると「いじめをやめるように働きかける生徒」が増加しています。

 ところが、日本では、「注したり、先生に助けを求める」という答えが、小学生から中学生へと学年が上がるにつれて少なくなっているんです。


池田先生●なるほど、大事な調査だね。

 ただ私は、「だから日本の中学生は、だめだ」とはいません。

数字」が示している「本当の味」を知ることは、どんな場合も、実にしいものなんです。

 日本の中学生には、「その身になってみなければわからない」しみがあるんだと、私はう。


前川●ありがとうございます。


堀井●たしかに、せっかく勇気を出して、学校の先生に言っても、何にも本気ではしてくれなかった――たとえば、こんな経験を一度でもしたら、中学生はもう、誰も信用できなくなってしまいます。


前川●実は、「いじめを見ても止められなかった」という悩みも寄せられているんです。中学2年生の女子からなんですが……。


池田先生●そう! でも、それで悩むなんて、それだけで立派だとうよ。


前川●こういうです。

「私のクラスのある女子が、数人の男の子に『バカ』『グズ』『くさい』とか言われ、その子の配った給食は食べないと言われたり、カバンをけられたりしています」


池田先生●ひどいね……聞いただけで胸がつぶれるいがする。自分たちが何をしているのか、本当に彼らはわからないんだね!


前川●「ほかの女子も“あの子はやられて当たり前”のようなじで、注は、まったくしません。私はとても、いやでいやで、見ていられなくて、注したいのですが、男の子たちがこわくて、何も言えません。どうしたら助けてあげられるでしょうか」


「止めると、自分がやられる」


村●これは大勢の人の気持ちだとうんです。

いじめをなんとかしたい」。でもそうすると「今度は、自分が、いじめられる」。その 恐怖から、立ちすくんでしまうんだといます。


前川●ひどくなると、「一緒にいじめないと、自分がやられるから」と、いじめに加わる場合があります。


堀井●今、「あの子はやられて当たり前」という一節がありましたが、そううことで、周囲が、いじめを正当化しているんですね。

 いじめる側は、なんだかんだと「いじめる理由」をつくってきます。もちろん、「人をいじめていい理由」なんか、絶対にありません! あるわけがありません。

 全部、自分たちの「醜い」を正当化するための「言いわけ」です。


村●「○○はグズだから、いじめられて当たり前だ」「自分でまいた種だから、しかたがない」「私には関係ない」

 周りがこうなってしまうと、もうクラスの中で、誰もいじめを止められなくなってしまいますね。


何とかしたい!その「」を貫け


池田先生●そんな中で、質問の彼女は「私には関係ない」とはっていない。「何とかしたい」とっている。それだけで、ずっとずっと偉いよ。

「何とかしたい」とう、そのを大事にしてもらいたい。

 なぜか。そのを持ち続けていれば、いつかきっと「何とかできる」からです。

 万一、中学生時代にできなければ、高校で、大学で、社会で、きっと「何かできる」自分になれる。

 反対に、「自分には何もできないんだ」と、あきらめたら、そのとたんに、本当に何もできなくなってしまう。これは大事なことなんです。

 それを前提にして、私は、そのクラスの「現実」をよく知りもしないで、簡単に「勇気を出して、いじめを止めなさい」と言うのは、言うほうが無責任だとう。

 その結果、どんな事態になるか、わからないのだから。

 今、ずっと「いじめ」について一緒に考え、語っているけれども、これは、あくまでも「原則」です。

「現実」は千差万別で、全部、違う。だから、一律には言えない。そんな簡単なものではない。

「どんな場合でも、勇気を出して、いじめを止めなさい」と言うことは、やさしいよ。

 しかし、その結果、大切な中等部のみんなが傷ついたりする可能があるとしたら、それは言えません。私は、みんなが大事なんです。誰も危ない目にはあわせたくない。


まず「祈り」を!


池田先生●だから、最低限、言えるのは、「絶対に自分は、いじめない」こと。

 そして御本尊に、いじめられている子のことを「真剣に祈ってあげる」こと。

 その上で、できれば、何らかの方法で、その子に「自分の配している気持ちを伝える」こと。

 正直に「自分は今は、いじめを止める勇気がないけど、悪いのは絶対に、いじめている側だから! あなたは、ちっとも悪くない! 私は毎日、祈っているから!」と手紙を書くだけでもいいとう。


村●それだって、勇気がいります。立派なことですね。

 事実、そんなふうに手紙を書いた女子もいるんです。すると少しずつ、その子がを開いてくれて、味方もだんだん増えていって、いじめがなくなっていったんです。


堀井●手紙やメモには、自分の前を書きたくなかったら、それでもいいといます。


池田先生●それと、誰か仲間をさがすことです。

いじめをやめさせたい」とっている人は、きっと、ほかにもいるとう。いなければ、つくればいい。「同志」をつくるんです。

「自分ひとり」と、「もう一人同志がいる」とでは、大違いです。


前川●ある女子は、グループの中で、いい関係の時に、「いじめってイヤだね」「もし、私たちの間で、これから、いじめをされたり、いじめを見たりしたら、正直に話し合おうね」と、みんなで約束したそうです。

 それがあったから、ひとりが仲間はずれにされそうになった時にも、助けることができたそうです。


堀井●それと、先生に話す時は、「自分が言ったということは秘密にしておいてください」と、はっきりを押したほうがいいと、私はいます。

 いじめっ子に対しては、その先生から、「ほかの先生から聞いた」「ほかの先生が見ていた」と言ってもらえばいいんですから。


信頼できる人に協力してもらう


池田先生●ご両親とか、先輩とか、誰でもいいから、「この人は信頼できる」という人に相談して協力してもらってもいい。方法は、いろいろあるとう。

 まずは「自分にできる範囲」でいいんです。

 今の自分にできることは「小さなこと」かもしれない。

 その小ささを恥じて、手を引っ込めてしまう人が多いんです。しかし、そんな必要はない。

「今、自分にできること」をやった人が、偉いんです。


「何か」始める


池田先生●フランスのミッテラン前大統領の奥さんは、熱な人権活動家です。

 創価大学でお会いした時、こんな話をされていた。

「たとえば、目の前に、50人の人が溺れているとします。でも私には当面、ひとりにしか救いの手を差しのべられない。でも、まず、ひとりを助ければ、次の人を助けることもできます。やがて、それを全体に及ぼしていくことができるんです」


堀井●そういます。「いじめ」というと、何か話を広げてしまって、「こんな社会だから」とか「ちょっとくらい努力したって、焼け石に水だ」とか、何もしない言いわけばかりする傾向があります。

 しかし、「焼け石」だって、みんなが「水」をかければ、冷えていきます。


池田先生●そのためには、誰かが「水」をかけ始めることだ。

 誰かが「何か」始めることだ。


前川●私たち担当者も「自分たちにできることは何なのか」を真剣に考えたいといます。


反発されたら


池田先生●それで、みんながいじめられている人に、「手を差しのべた」とする。

 しかし、だからといって、謝されるとはかぎらない。反対に、「よけいなことはしないで!」と反発されるかもしれない。

 いじめられてきた人は、が傷ついているから、人間を、中々信じられない。そういう場合が多い。人を「警戒」しているかもしれない。

 だから、もし、そういう反発にあっても、怒ってはいけない。わかってあげなければいけない。

 第一、さっきも言ったように、いじめと戦うことは、「自分自身のを救う」ためでもある。自分が「悪の共犯者」にならないためでもある。

 だから「友を助ける」ことは、実は「自分のため」でもあるんです。「自分のを助けている」んです。

 だから、きせがましくうことは間違いだし、「自分のためでもあるんだ」とえば、反発されても腹は立たないはずです。

 腹が立つのは、「助けてあげているんだ」という、の「おごり」があるからです。


子どもが何も話してくれない」


村●よくわかりました。

 もう一点だけ、親ごさんから「子どもの様子が何かおかしいのですが、いくら聞いても、話してくれないんです」という相談があったのですが……。


池田先生●それは配でしょうね。

 ただ、しくて、しくて、言いたくても言葉にならない。どう話していいか、わからない――そういう気持ちも、わかってあげてほしいといます。

 それに、子どもにだって、プライドがあります。自分がいじめられている状況は話したくないという気持ちもあるでしょう。

 いじめによって、その子のプライドは、ますます繊細になり、ピリピリしています。

 そこにもっていって、「いじめられているんじゃないの?」「話して、話して」と“追及”されることは、痛です。

 だから、ともかく、「自分は、何があっても、あなたが何をしても、あなたの味方だ」というメッセージを、繰り返し、繰り返し、に染み入らせることではないでしょうか。 そうやって、「そばにいてあげる」だけでいい場合がある。その「愛情」さえ伝われば、それが「支え」になるんです。

 もちろん、中には、「自分の子なんだから、遠慮していてはならない」とう方もいらっしゃるといます。それはそれで正しいです。

 子どもが逃げても、追いかけて、抱きしめて、追いすがってでも、「私は絶対にあなたの力になる」ことを、とことん伝えていく。とことんつきあって、話を聞き出していく。

 どちらを選ぶかは、まさに家庭しだいです。ふだんのコミュニケーションの密度にも左右されます。いつもは対話らしい対話もないのに、問題が起こって、いきなり「何でも話して」と言っても、そう簡単ではないでしょう。


村●ある中等部員は、いじめにあっていることを親に話した時、「一生懸命に話そうとするんですが、自分で何を言っているのか、わからなくなっちゃうんです。口からいろんな言葉が出るけれども、つじつまがあわなくなるんです」と言っていました。

 それほど、子どもたちのは激しく揺れているんです。


池田先生●だからこそ、何時間でも、何日でも、根気よく、「聞き役」に徹していただきたいんです。子どもたちは、話すことで、自分の頭を整理して、自分で解決方法を見つけていくこともあるんです。

 だから、まずは、「アドバイスする」ことよりも、「をからっぽにして、ただただ聞く」くらいの気持ちでいいのではないかと私はいます。

 また、たったひと言、ぽつりと言った言葉でも、大事にしてください。

 その「ひと言」に「せいいっぱいのい」がこめられているんです。

 ともかく、どんな場合でも、親ごさんこそ、子どもたちにとって、最大の味方です。最大の「安」を与えてあげてほしいといます。


前川●担当者も、何かできることがあれば、何でも応援したいとっています。遠慮なく、地元の青年部に連携をとってみてください。

もちろん相談を受けた担当者は「プライバシー個人的なこと)は厳守」でお願いします。


池田先生●大事なことだね。「口が軽い」幹部は、最低の幹部です。


堀井●ある担当者は、「何か悩んでいそうだ」とじると、その子を車に乗せて走るんだそうです。目的地もなく、特別 な話をするのでもなく、“ただ走る”だけなんです。もちろん、安全には十分注してです。

 そして最後に一緒に「ラーメンを食べる」んです。


池田先生●いろんな知恵があるんだね。 頼もしいね!


「受け入れてくれる人がいたから」


池田先生●中学生のこんな詩がありました。

「悲しくて つらい時もあった

 何もかも捨てて 逃げたい時もあったんだ

 だけど がんばったよ

 私を受け入れてくれる人が一人でもいたから

 認めてくれる人が一人でもいたから……

 うれしかったから……

 まだ の中は不安と恐怖と孤独で いっぱいだけど

 信じてくれる人のために

 認めてくれた人のために

 ……それと自分のために

 だから“負けないよ 絶対に”」

 ある人みんなが、全国で、全世界で、駆けずり回って、いじめられている人に伝えてほしいのです。

「君は、ひとりぼっちじゃないんだ!」と。


学生から


おそれないで止めてください!

「私のクラスに、いじめられてばかりの男子がいます。みんなが、いや味などを言ったりしているうちに、私も『何かヤダな、あいつ……』とっていました。でもある日、私の友だちが『これっておかしいよね? 何にもしてないのに、いじめられるなんて!』と言ったのです。私は、その言葉にドキっとしました。そしてそれから、そういうことも少しずつなくなってきたのです。今ではクラスは平和で、私は友だちに謝しています」(中1)


「孤独です。親しかった友人も少しずつ離れていくのがわかりました。『あの人(私)にかかわると自分もイジメられる』。私に接することで、イジメのターゲットが自分にもきてしまう。『イジメ』というのは、そういうもんです。私もそれがわかっていたので、自分からも、友だちから離れるようになりました。ますます孤独になる。こわかったです。学校に行きたくありませんでした」(中2)


「小4の時、いじめがありました。『暴力』ではなく、『集団イジメ』……。一人の女子に対して、みんな無視してました。私は、いじめられるのが、こわかったので、あまり、その子としゃべりませんでした。今、考えてみれば、最低なことをしました。でも今は平気で、よくその子としゃべったり、遊んだりしています。『いじめ』って、見て見ぬ ふりしても『いじめ』だとうから」(中1)


「中2のころ、いじめにあいました。相手は、中1のころ、仲の良かった子たちでした。すっごく悲しくて、悲しくて、泣いていた時、手をさしのべてくれた友だちがいました! その子たち2人は『違うクラス』&『バスで帰る』にもかかわらず、『○○(私のこと)を一人にはできないよ!』の理由で、私と一緒に帰ることになったのです」(中3)


「私は、いじめを見たことが何回もあります。でも私は、いじめにあった経験があったので、『私がいじめられるのではないか』と不安で、止めることができませんでした。一番ずるくて、弱いのは、まわりで黙っている人たちだといます。自分がかわいいがために、友だちを見捨てているのですから。だから、これまで私は、すごく後悔してきました。これからは後悔しないように、勇気を出して止めようといます。みなさんも、いじめを見たら、おそれずに止めに入ってください。いじめは、絶対にあってはいけないものです!」(中2)

2006-12-30

入会したての中学生


 御書講義の最中だった。突然、後ろから大きなが響いた。「あのう、用事があるので帰ってもいいですか?」――。


 振り返るとSさんだった。当時、私は中学1年、Sさんは3年だった。生徒会長をしていたように記憶している。大柄でバンカラな人だった。中体連の野球の試合の時なんぞは、自ら応援団を買って出て、を嗄らしてエールを送ってくれた。ホルモン屋の長男で、入会したばかりと母から聞いていた。


 当時の御書講義は総B長(部長)が行い、小しい質問に対しては、教授の副総B長(副部長)が答えるという形が主流だった。


 総B長がSさんにをかけた。

「あ、構わないよ。S君、今日、勉強した部分でわからないことはあった?」

「まだ、学会に入ったばかりで、とてもしかったです……。ただ、この間、読んだ密教の本にも同じようなことが書いてありましたよ」(場内、静まり返る)


 私は度肝を抜かれた。2歳違いとはいえ、同じ中学生とはえないほど堂々と渡り合っていたからだ。しかも、Sさんの方が威勢がいいのだ(笑)。その後、副総B長が、なんだかんだと言ってたが、私からみても全く説得力がなかった。


 の中を大いなる疑問が貫いた。「俺も、2年経ったら、あんな風になれるのかな?」――結局、なれなかったよ(笑)。学会2世は駄目なんだ。大人に気をつかうから(笑)。「こう答えた方が喜ぶんだろうな」といながら、私は高校の半ばぐらいまで、学会の大人達を喜ばせてやったものだ。


 部員会は殆ど欠かさず参加したが、あまりの馬鹿馬鹿しさに反吐(へど)が出そうだったよ。「幼稚園の学芸会か?」なあんてで罵っていた。本気で向き合ってきた担当者は一人もいなかった。


 その後、男子部となり、10年間にわたって未来部を担当した。私は、Sさんのような未来部と出くわしたくてしようがなかった。だが、その願いはかなわなかった。

2006-12-21

毎日新聞「みんなの広場」より


いじめる側が100%、1000%悪い」


【奈良県 男子高校生 17歳】


 私は中学生の時にいじめられました。ほとんど毎日、同級生から殴られ、けられ、悪口も言われ、目から涙が出ない日はなく、学校に行くのは嫌になっていました。

 それでも私は学校を休みませんでした。母からもらった本の中に、「いじめいじめる側が100%悪い。1000%悪い」「人をいじめて幸せになった人はいない」と書かれていました。その言葉に大変勇気づけられ、「いじめごときに負けてたまるか!」という気持ちがわいてきたからです。

 私はいじめられている人たちには、「あなたは強い人間だから、自分をいじめないで、まして自殺なんてしないで、いじめられている人も、いじめている人も幸せにできる人になってください」とメッセージを送ります。いじめている人には、「大切なあなたの生命を人をいじめるという醜いことに使わないで、あなたも他のみんなも幸せになるために使ってください」とメッセージを送ります。


【「みんなの広場」/毎日新聞 2006-11-21付】


 関西の同志より、この投書を教えて頂いた。「いじめに勝って、偉い!」。

2006-12-19

『希望対話 21世紀を生きる君たちへ』/いじめ 3


白土中等部長●今回で「いじめ」は3回目になります。

 非常に関が高くて、中学生からも、大人からも、たくさんのが寄せられています。「今まで、何となく、『いじめられるほうにも悪いところがある』とってきましたが、『いじめた側が100パーセント悪い』と池田先生に言ってもらって、モヤモヤしていた気持ちが、すっきりしました」というが、とても多いです。


池田先生●それは、よかった!

 何度も言うけれども、その一点が「いじめをなくす」ための急所です。

 どんな理由があっても、人をしめる「いじめ」をしてはならない。させてもならない。

 そういう子がいたら、周りが、ただちに「絶対にいけないことだ」と教えなければならない。

 親も、学校の先生も、クラスメートも、周囲の大人も、いじめっ子に「教えて」あげてもらいたい。その子は、「自分が何をしているか、わかっていない」のだから。


白土●言っても、わからない場合は……。


「わかるまで」「労を惜しまず」


池田先生●「わかるまで」教えなければならない。おざなりの注では、いじめが陰湿化するだけの可能がある。本人がから「悪かった」とわなければ。

 そのために、どんな労をしようとも、その子に親がつきっきりになってでも、教えなければならないとう。労を惜しまずに。言葉を惜しまずに。時間を惜しまずに。

 今、日本では、この基本的なことができていないのではないだろうか。


いじめも「強くなるために必要」?


堀井・元中等部長●そういます。こんな話があります。

 体に軽い障害のある子が、いじめられていた。しかし、先生は真剣には注しない。その理由を聞いたら「あの子は社会に出てからも、いじめられる。だから、今から、強くなっておかなければいけない」と言ったというのです。


村・前女子中等部長●ひどい!


堀井●極端な例かもしれません。しかし、程度の差こそあれ、こんなバカげた、さかさまの考え方が決して珍しくないのです。

「気が弱いから、いじめられるんだ」とか。まるで気が優しいことが悪いことみたいに――。

 いじめられている子に「強くなれ」と言うだけで、いじめている側に対して「いじめは、絶対に許さない。体を張ってでも、やめさせる」と向かっていく気迫が、大人にない場合が多いんです。


池田先生●学校とは「教育の場」です。「いじめは絶対にいけない」と徹底的に教えこんでいくのでなかったら、どこに「教育」があるのか。何のための「教育」なのか。そう言われてもしかたがない。

 もちろん、口で言うほど簡単なことではないでしょう。また、真剣勝負で取り組んでいる先生も多いといます。

 そして、根本は、「いじめっ子の親」が本気にならなければいけないと、私はいます。

 人を平気でいじめるような子が、将来、幸福になるわけがない。が、花の咲かない「砂漠」になってしまっている。必ず後悔する。


村●本当にそういます。「おもしろ半分で友だちをいじめたことを、ずっと後悔している。しくてたまらない」という人も、私は知っています。


池田先生子ども幸福を願うのならば、一切をなげうってでも、正しい道に引き戻さなければならない。

 子どもを愛し通すことも、「戦い」なんです。

 また周囲も、そういう親の努力を、温かく応援してあげてほしい。突きはなさないで。


そんなつもりは


白土●そこで、きょうは、「いじめる側」になってしまった人から質問が寄せられています。中学3年生の男子なんですが……。

「自分では、その場を盛り上げるために、ある友だちを、ちょっと『からかった』だけのつもりだったのですが、あとで、担任の先生から呼ばれて、『いじめ』だと言われました。話を盛り上げるためには、ちょっとした『ふざけ』や『からかい』も必要だといます。そういうことまで含めて、『いじめ』だと言われるのは、おかしいんじゃないでしょうか」ということなんですが。


村●たしかに、「ふざけ」と「いじめ」は、どこが違うのか。「線引き」はしいですね。

 人によっては、相手に「親しみ」をこめてやっている場合もあります。それを頭から「いじめだ」と言われると、ショックなんです。


白土●ですから、ちょっとした「ふざけ」や「からかい」まで、いじめと言い始めたら、「じゃあ一体、どうしろと言うんだ!」「友だちづき合いもできないよ!」という彼らの叫びも、よくわかるんです。


池田先生●なるほど。自分では「友情の表現」のつもりなのに、先生から「お前、いじめただろ!」なんて言われたら、腹が立つ――そういうことだね。


白土●「あの野郎! 先生に言いつけやがって!」という気持ちもあるでしょう。


村●「そんなにいやだったのなら、ひとこと、直接、言ってくれればいいのに」とうかもしれません。


白土●たしかに、それも一理あります。「告発合戦」みたいになっては、お互いに不幸ですから。


池田先生●そうだね。ただ、「直接、言えなかった」相手の気持ちもわからなければいけない。つまり、それだけの信頼関係、人間関係がなかったからではないだろうか。

 同じ言葉でも、がっちりした信頼関係があれば、「親しみ」を表現する言葉にもなり、そうでなければ、相手を深く傷つける言葉になる。そういう場合がある。

 もちろん、どんな場合でも、絶対に言ってはいけない言葉があり、してはいけないことがあります。


白土●複雑……ですね。


池田先生●いや、基準は単純です。

「相手がいやがることはしない」ということです。


堀井●そうですね。それに尽きますね。


「知らないうちに傷つけている」


池田先生●だから、問題は「相手がいやがっているのに、それがわからなかった」鈍さにある。

 だから、質問のケースは、「今回、自分の鈍さを教えてもらったんだ」「いい勉強になった」とって、率直にあやまったらどうだろう。

 もしも、こういうことがなかったら、「知らないうちに人を傷つけている」人間のまま、大人になってしまったかもしれない。


村●その味では、指摘してくれた相手に謝すべきなんですね。


池田先生●私は、みんなに「かぎりなく温かい人」になってもらいたい。

 傷ついた人のも、君に会うと、ほっとして、自然に微笑みがわく。そんな人になってもらいたい。

 凍りついたさえ、君に会うと、安して、ぐっと、ほぐれていく。そんな人になってもらいたい。

 どこまで大きいのかわからない、どこまで優しく、どこまで強いのか、わからないような、「かぎりなく広き人」になってもらいたい。

 だけれども、今の日本の社会は、まったく反対の、ぎすぎすした、「人の不幸を喜ぶ」ような社会になってしまった。

 その中で生きている君たちは、かわいそうと言えば、本当にかわいそうだ。しかし、それでも、あえて私は言っておきたい。

「どんなに大人がいいかげんでも、君たちだけは、そのまねをするな! 汚い大人のまねをして、人をいじめたりするな! 

 どんなに大人社会が腐っていても、若き君たちだけは、その毒に染まるな! 敢然と『ノー!』と言いたまえ! そして、君たち自身の力で、団結で、君たちの望む未来をつくりたまえ!」と。


大人社会を反映


堀井●本当に、今の日本に住んでいると、「いじめが悪いことなんだ」ということさえ、あいまいになってくるといます。

 今回の質問の場合も、背景は、テレビとかの影響が大きいのではないでしょうか。

 テレビでは、人をバカにしたり、欠点をあげつらって、それで笑いをとって――そういう人が人気者であったり、「かっこいい」とわれているところがあります。


白土●わざと人をしめて、その様子をまわりで笑って見ている。そんな番組もありますね。それこそ、「その場が盛り上がれば、何をしてもいい」というような……。


池田先生●そういうものを小さい時から見ていれば、「それでいいんだ」とってしまうだろうね。


村●簡単に人を殺す番組や、マンガも多いです。


池田先生●昔、江戸川乱歩という推理小説家は、子ども向けの小説には、殺人事件は扱わなかったという。そういう配慮は、社会からなくなってしまったね。


白土●「売れればいいんだ」と開き直っているじです。


堀井●それと、ぜひとも私が言っておきたいのは、低級週刊誌と、その広告です。

 毎週毎週、人の悪口とか、いいかげんなうわさ話とかを書き散らして、「ジャーナリズム」だなんて、とんでもない。単に「いじめる相手」を探しているだけです!

 本来、そんな卑怯な、くだらないものは、見向きもしなければいいわけです。どの国だって、その類のものはありますから。

 ところが、日本では、いやでも見ないわけにはいかなくなっているんです。


村●広告ですね。


「日本では、いじめを奨励」?


堀井●そうです。たとえば電車に乗るだけでも、いやでも、そういう毒々しいものが目に入ってくる。子どもたちも見ます。

 いわば、社会が、いじめを「公認」しているわけです。

 知り合いの北欧の人が「考えられない。クレージーだ」と、びっくりしていました。「日本では、いじめを奨励しているのですか?」と。


村●北欧は人権の先進国ですから。驚くでしょうね。


堀井●つまり、「いじめられている側」は、さらしものになって、悪者みたいに言われ、「いじめている側」は堂々と認められている。

 白昼堂々と泥棒したら、誰でも犯罪だとわかります。しかし、「いじめ」という人権侵害の悪事が、まさに白昼堂々と行われているのが日本なんです。

 その「毒」が、みんなに広がって、ものすごい数の子どもたちをしめているんです。


白土●そういう現実を放置しながら、いくら口で「いじめを憂う」とか言っても、偽善ですね。


村●そういます。そして、子どもというのは、そういう「偽善」を、ちゃんと見抜いているんです。

 そして、大人がいじめを容認している分だけ、「これくらいなら、叱られないだろう」「これくらいなら大丈夫だろう」と計算しながら、やっている面 があるんです。


堀井●ともかく、日本の社会全体が「いじめる側に甘い」といます。いえ、いじめられた私の実から言うと、誰もかれもが「いじめる側の味方」だとしかえませんでした。


いじめる理由


池田先生●私はね、質問してくれた彼については、きっと、「悪かった」と気がつけばやめるとう。そう信じたい。

 しかし、明らかに「いじめ」だとわかっていることを、やっている場合も多い。それは悪質です。

 それにしても、どうして、そんなに人をいじめてしまうのだろうか?


白土●なぜ、いじめが起きるのか。前に、中等部の代表に「アンケート」をとってみました。こんな見が寄せられました。

「毎日の生活が充実していないから」「いじめる側の人間が弱いから」「やきもち」「ストレス」「お互いのことを分かち合っていないから」「ひとりひとり見がちがうのに、みんな同じでないといけないという考えがあるから」「ひとりひとりの良いところをわかろうとしないから」「勉強できる人とできない人を先生が差別 するから」「いじめを止める人がいないから」などです。


池田先生●みんな利口だね。よく見てるね!

 もちろん、「」の問題は、一人一人の身になってみないと、わからないわけだが。


「成績で差別される」ことに反発


村●やはり、大きな背景として、ひとつの枠に入れられることへの反発があるのかもしれません。特に、「成績だけで人間を判断する」という狭い価値観が、影を落としているといます。

「勉強ができない」だけで、何か「ワンランク下の人間」みたいに見る。差別 された人にとって、差別は「全存在を否定される」ことです。

 そういう狭い人間観が、成績が悪い子も、そして、いい子も、両方をおかしくしているのではといます。


「何のため」の哲学がない


池田先生●たしかに、年中、「お前は、だめだ、だめだ」という目で見られ続けたら、誰だって生きるのがいやになるでしょう。

 反対に、「勉強さえしてくれれば、ほかのことは放任」でも、おかしくなります。

 そもそも、「何のために」学ぶのかわからないまま勉強しても、知識だけではは満たされない。

「何のため」がはっきりしていれば、しいことでも人間は耐えられるし、学んだことが全部、を育ててくれる。

 その「何のため」という哲学を大人自身がもっていない。

 一番大事なことを教えないで、細かいことばかり、「あれはダメ」「これもダメ」と管理している。


白土●よく「自分の居場所がない」という表現をします。いろんな味が含まれているといますが、自分の存在をありのまま、まるごと受け入れてくれる場所がないという「さびしさ」があるんだといます。

 そこから、なにかにつけて「いらつき」「むかつく」不安定な状態になるんではないでしょうか。


堀井●外見や成績だけで、人を「決めつけ」ないでほしい――そんな気持ちはわかります。


村●自分という人間を、もっと認めてほしいという叫びかもしれません。


池田先生●そうかもしれない。

じゃあ、どうして、自分が認められなかったら、「むかつく」んだろうか?


一同●……。


池田先生●それは、その人が「人間」だからです。


白土●「人間」だから「むかつく」……?


「人間」だからが飢える


池田先生●「人間」だからこそ、が飢えるんです。お中がいっぱいでも、それだけでは満足できないんです。「人間である証拠」なんです。

 さっき「何のため」という話をしたが、たとえば「将来、楽な暮らしをするために、今、頑張るんだ」と言われても、それだけでは、が満たされないのが人間です。

 だから、むなしさをじている君は、まさに「人間」なんです。


池田先生●「もっと素晴らしい人生があるはずだ」「義ある人生があるはずだ」と、の底で知っているから、いらつくんです。

 だから、むかついたって、かまわない。

 怒ったって、かまわない。

 泣いたって、かまわない。

 わめいたって、かまわない。

 しかし、絶対にいけないことがある。

 それは、その自分のしさを「ごまかす」ことです。自分のさびしさや、むなしさから、目をそらして、ほかの何かで「ごまかす」ことです。

 ゲームで、ごまかす。

 遊びで、ごまかす。

 いじめで、ごまかす。

 ごまかしているかぎり、何も変わらない。いや、ますます、いらつく。悪循環です。

『星の王子さま』(サン=テグジュペリ作)に、「飲みすけ」の話が出てくるでしょう。

 王子さまが「どうして酒を飲んでいるの?」と聞くと、「忘れるため」だと言う。「何を忘れたいの?」と聞くと、「恥ずかしいのを忘れたい」と言う。

「何が恥ずかしいの?」と聞くと……。


村●「飲んでるのが恥ずかしい」と(笑い)。


池田先生●そうそう。笑い話みたいだが、こういう人は多いんだよ。本当に多い。


白土●麻薬みたいなものですね。


堀井●「いじめ」も、麻薬みたいなものです。続けているうちに、だんだん覚がマヒして、人のしみがわからなくなってくる。「いじめることが、楽しくなってくる」ようです。


村●恐ろしいことです。


池田先生●しかし、自分ではわからない。悪臭の場所にずっといると、だんだん臭いをじなくなってしまうようなものだ。


いじめないと自分がやられる」


白土●いじめる理由として、「いじめないと、自分がやられる」という現実もあるんですが……。


池田先生●本当に、悲しい現実だ。「いじめないと、自分がやられる」。それでも、悪には「ノー!」と言って、いじめられたほうが偉いんです。社会が転倒しているんだから「いじめられている人のほうが偉大」なんです。

 ひとりで「ノー!」と言いきれなければ、団結するんです。同じように、「いやいや、いじめに加わっている」人はいるはずです。負けてはいけない。ひとりで悩まず、誰かに相談する勇気も大事です。

 ともかく、「いじめ」の中に逃避してはいけない。人をいじめて、自分のいらいらを、ごまかし、まぎらわせても、何も変わらない。自分をだめにしていくだけだ。


「怒り」は「電気」/破壊にも光にも


池田先生●「大人の社会は、でたらめだ!」。そうう人は、怒りなさい。怒って当然の社会です。しかし、その怒りをぶつける相手は、クラスメートじゃない。

「大人は自分のことばっかり考えている!」。そううならいなさい。しかし、そういう自分も、どれだけ人のことをいやっているのか。

「自分は、そんな悪い人間じゃない!」。その通りだ。君は本来、素晴らしい「人間」なんだ。「人間」だから、怒りがわくんだ。

 怒りのエネルギーは、電気のようなものだ。間違って使えば、すべてを破壊する。賢く使えば、光を点せる。

 怒りを、自分の「夢」に向かって突進するエネルギーに変えるんです。

 はじめは、うまくいかないだろうが、あきらめないで、自分の「いじめ」と戦うんです。

 どうしたら怒りの原因が解決するのか、考えるんです。日記に書くんです。人と語り合うんです。


自分で決まる


池田先生●本当は、君のの中には、いっぱいの「優しさ」がしまわれている。

 なのに、何かで、パイプが詰まって、素直に表に出せなくなってしまっている。私は、そうう。

 誰かに向かって、口だけでもいいから、「ありがとう」「ありがとう」と言ってごらん。そうに出せば、がふっくらするから。

 大人が悪い。社会が悪い。あの子が悪い。そんな「ぐち」を言っても、ちっとも君は輝かない。自分です。自分がどう生きるかです。

 つまんない世の中だったら、自分が、みんなが、おもしろく作り直せばいい。

「人生なんか、つまらない」とうのは、もしかしたら、君自身が「つまらない人間」になっているからかもしれない。

「毎日がむなしい」とじるのは、もしかしたら、君自身が「からっぽの」になっているからかもしれない。

 に「夢」を燃やしている「おもしろい人間」にとっては、人生はおもしろい。つまらないことばかり考えている人間には、人生も「つまらないことばかり」になる。


池田先生●さびしければ、その「さびしさ」を、いじめなんかで、ごまかしてはいけない。さびしければ、本当の友だちをつくりなさい。「さびしさ」は「人間の証拠」なんだから、いじめで、その「いい」を壊してはいけない。


堀井●……私をいじめた子は十数人いましたが、共通 して言えるのは、彼らには、どうしようもない「さびしさ」があったことでした。

 ある時は、狂ったように暴力をふるう。でも反面、急に涙を流し、私の手を握って、「おれたちは友だちだよな」と確認したりするんです。

 いじめる側にも、何かが足りなかったのかなといます。


池田先生●「希望」がなかったんだろうね。

 を燃えたたせる「希望」がないから、人をいじめたりするんだとう。


母の「涙の一言」


堀井●お話をうかがっていて、私の母のことで、い出したことがあるんですが……。


池田先生●ああ、お母さん、大変だったね、偉かったね。


堀井●ありがとうございます。

 中学1年の1学期に、いじめが始まり、2学期はかなり学校を休みました。だから、成績も「がた落ち」でした。

 それで、2学期の成績表をもらって帰宅した時、母に一言、「最低だ!」と言って、投げるようにして成績表を渡したんですね。

 その時でした。

 すでに、この時、親とはまったく話をしない状態だったんですが、母が私を呼びとめ、両手をとって、言ったんです。

「お母さんはね、あなたが何も悪いことをしていないのに、いじめられているのは、つらいよ。でもね、あなたが、いじめる側でなくてよかった。人を傷つける側でなくてよかったとっているよ……」

 母の目からは滝のように涙が流れていました。母は、さらに、こう言ったんです。

「人を傷つけたことは、全部、自分に戻ってくる。いじめた相手の子も、いつか後悔する時が必ず来るよ。だから、その子の分まで祈ってあげられる自分になろうよ」

母は必死でした。こんな母は見たことがありませんでした。

 でも、この時、「生きる屍」のようになっていた私は、母の叫びさえ、体をすっと通 り抜けていくようなじでした。

 こんなに母が真剣になってくれているのに……。でも、周りの一切を、私の体が拒絶するのです。それほど、いじめが、私の体をマヒさせていたんです。


池田先生●残酷だね。いじめは絶対に許せないね。


堀井●地獄の3年間がすぎて、中学卒後は、いじめはなくなりました。

 高校では、パソコン関係の部活で部長もまかされ、高等部の会合にも出られるようになり、「人が変わったようだ」と言われました。

 中学時代の勉強の遅れがひどかったので、必死で勉強もし、京都大学に進学しました。その時も、高等部の友人や担当者の方には、ずいぶんと激励してもらいました。


池田先生●すごい努力だったね。「なんだって、取り返せないことはない」ことを証明してくれたね。


堀井●学生部になって、この法の素晴らしさを誰かに伝えたいと決して、ある友の幸せを御本尊様に真剣に祈っていた時のことです。

いじめをしている子の分まで祈ってあげようよ」という、数年前の母のあの言葉が蘇ってきたんです。私は、熱いものが込み上げてきて、涙を止めることができませんでした。 母が、あの時、私に教えようとしていたのは、「人をいやる」だったのではないかとったんです。

 私は、あのころ、いじめにあって、親も、先生も、友だちも、何もかもが信じられなくなっていました。その渇ききったに、母は「人を愛する」を教えようとしたんだ、と。


池田先生●その通りだ。その通りだよ。

 大人の中に、そのがなくなっているから、「いじめ社会」になっている。

 その現実に、若い人たちは負けてはいけない。むしろ、君たちが変えてもらいたい。いや、君たちにしか変えられない。「今の社会はおかしい!」と気がついた君にしか、変えられない。

 君たちが、いじめなんかのない「新しい時代」をつくってもらいたい。


君だけの使命が必ずある!


池田先生●日本だけじゃない。世界中に、悲惨な現実がある。

 私の師匠は、「この地球から『悲惨』の二字をなくしたい」と叫んだ。そのために私も生きてきた。

 君たちも、世界のどこかで、君が来てくれるのを、ひたすら待っている人がいる。必ずいる。

 君でなければできない使命が、必ずある。

 そうでなければ、今ここに君が生まれてきてはいないはずだから。宇宙には、何一つ「むだなもの」はないのだから!

 しかし、「使命がある」ことと「使命を自覚する」こととは違う。自覚しないままに、自分をだめにする人が多いんです。

 だから、私は言いたい。

 君たちは、人に笑顔を贈るために生まれてきたんだ。

 君たちに、いじめなんか似合わない!


学生から


いじめる」のは「自分をいじめる」のと同じ

いじめる」行為に関して、中学生から寄せられたを紹介します。


いじめられている人はもちろんのことだけど、いじめている人もがさびしいんじゃないかナとう。いじめは、絶対に反対!」(中2)


「お恥ずかしいことに私もいじめをしたことがあります。でもその後、私がいじめられました。私にとって、『られる』より『した』ほうが、ずっと残っています。できれば、もうい出したくありませんが、1秒でも早く、いじめている人にやめてほしい、と言いたい。お願いします! あとでキズつくのは自分だから。もう、いじめ、しないでください!」(中3)


「上をむいて、つばをはくと、自分にかえってクル――という言葉のとおり、いじめれば、自分に“バウンド”して、自分にかえってきます。私は、そういう人に一言いいたいデス。『いじめるのは、自分をいじめるのと同じなんだよ』って」(中1)


いじめって、むずかしい。どこからが『いじめ』で、どこまでが『いじめ』なのか。でも私なりの考えは、その人が、いやないをしていたら、もうそれはいじめなんだとう。自分もやられたら、どんな気持ちか、その気持ちを持つことが大切なんじゃないかな」(中3)


「『いけない!』とはうケド……。私も『小さないじめ』をしているのかもしれない。友達を無視したりとか……。自分でも直そうとしている……。みんなも同じなんじゃないかな? 無視も、立派ないじめの一つだから、私は、ちゃんと直したいとう」(中1)


「私は、小1、小2と、いじめられてました。なのに、小4では、私がいじめていました。グループの中のリーダーみたいな子が、こわかったからデス。いじめのつらさを一番よくわかっているはずなのに、その、たった一人の子が、こわくて、ぬ け出せなかった……。とても、つらく、自分の勇気のなさを実しました。今でも、その子に会うと、目を合わせられません。“ゴメンね”の一言が言えない自分を、今でも、くやんでいます。だから、今度、勇気を出して言ってみようといます。『ゴメンネ……』と」(中3)


「私は小6の時、グループの子たちに、○○ってムカツクよね、と言われました。私は、その子について、べつにムカツクとはってませんでした。でも『そうかな?』と言ったら、自分が友だちから、いやな目で見られるんじゃないかとって、その子のかげぐちを言ってしまいました。中学1年になって、本当にはずかしいことをしてしまったとい、反省しています」(中1)


「人を傷つけるコト……。人を愛するコト……。あなたは、どっちを選びますか? わたしは愛することを選びます……。だって人を傷つけるコトは自分を傷つけるコトだもん。そうでしょ?」(中3)