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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2006-04-04

臆病の岬を越えよ!


 さて、大航海時代は実質的にいつ始まったのか。このことに触れたい。

 1434年、一人のポルトガル人がアフリカ西海岸を南下していた。彼はエンリケ王子の元で学んだ、いわば“門下生”である。

 王子はアフリカ西海外を懸命に探索していた。そこはまだ“未知の世界”だった。しかし、夢は中々実現しない。なぜか。船乗りたちが、ある地点以上に進もうとしないのである。

 その場所はボジャドール岬。この岬から向こうは、「暗黒の海」と信じられていた。怪物たちが棲み、海は煮えたぎり、滝となって落下していると、中世以来、伝えられていた。

「岬を越えて南進せよ!」。いくら王子が言っても無駄だった。船乗りたちは15年間、王子の命(めい)に背き続けた。ある者は、王子をだまし続けて他の進路をとった。

 面従腹背――それでも王子は耐えた。15年目にとうとう彼は言う。

「おまえたちみんなが、ありもしないことに妄をいだいているのが、まったく不議でならない。もしかりに、世界でいわれているような噂が、すこしでも根拠のあるものならば、わたしもおまえたちをこれほどまでに責めはしない。

 しかしおまえたちの話を聞いていると、ごくわずかの航海者たちの見に過ぎないではないか。しかもその連中というのは、たかだかフランドル地方だとか、そのほかかれらがいつも航海する目的地の港に通じる航路からはずれてしまえば、羅針盤も航海用の海図も使い方がわからない連中ばかりなのだ」(集英社『図説 探検の世界史 1』ダンカン・カースレイル)

 風評にだまされるな! 何も知らない者たちの噂にだまされるな!――王子の叱咤に、ついに一人の門下が肚(はら)を決めた。

「行こう! 岬を越えよう!」

 そして彼は超えた。王子の確信通り、“向こうの海”は何でもなかった。

像していたのと、実際は正反対だった!」


第20回本部幹部会 1989-08-17 長野研修道場


 応仁の乱が1467〜1477年。日本が戦国時代に突入した頃に、エンリケ航海王子は世界を目指した。


 そういや、カンサスというバンドのアルバム・ジャケット(『暗黒への曳航/point of know return』)が「暗黒の海」だった。また、7世紀頃のインドでは、大きな亀の上で、象が世界を支えていると考えられていた(「地図のれきし」)。果てしない海の向こうは、恐怖の対象でしかなかった。


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 15年という時間をかけて、エンリケ航海王子は人々の迷妄を打ち破る。科学的態度と道理を尽くして。


 現実の航海にあってすら、これほどの困があった。まして、釈尊大聖人が妙法を覚知し、説こうとした時、どれほど巨大な壁が立ちはだかったことだろう。まさしく、像の域を超えたものであったに違いない。


 エンリケの一が、皆のに革命を起こした。一艘(いっそう)の船が壁を破って、未知への世界に躍り出た。それによって、全ての船が世界を目指した。


 我々にも根拠のない先入観が存在した。“坊主”というだけで尊敬していた時期が確かにあった。葬儀法要は坊主の仕事とい込んでいた。我々は僧俗和合という指導を忠実に守ってきたが、学会の発展に乗じて坊主は金の亡者と化していた。


 まあね、大きなハードルは日顕問題によってクリアしたが、小さなものは、まだまだ、あるよ(笑)。御書をしっかりと研鑚してないと、組織悪に翻弄されるから、お気をつけ遊ばせ。


 法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり(1169頁)


 そうであれば、道理に合わないことは、きっちりと拒絶できてこそ、“自立の信仰”といえよう。道理に外れたことを「信で受け止める」のは、皆がしむ結果になるので、悪であると認識されよ。

2005-07-09

弱者を守れ


 勇者は、問題があってもそれを乗り越え、飛び越えることができる。だが、弱者は飛び越せない。

 しかし、先輩がついて助言、応援すれば、弱者も力を得て、飛び越えることができる。すなわち、激励を与えれば、弱者も勇者と同じ働きができるようになる。


【『指導メモ』 1966-06-01発行】


 弱者とは、自分の力を信じることのできない人。勇者とは、一切を信で切り開いていける人。今までできなかったことが、できるようになれば、人は変わる。自信は臆病を打ち破る。


 夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬればたうれず、本より生いて候木なれども根の弱きはたうれぬ、甲斐無き者なれどもたすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちにはたうれぬ(1468頁)


 組織が人の集まりである以上、問題は常にある。問いかけられているのは、「誰が、どう解決するか?」だ。また、一人ひとりの人生においても、瑣末な事柄から宿命に至るまで、問題は山積していよう。それらが示しているのは、「さて、あなたは、どう生きるのか?」ということ。


 組織が一人のための諸天善神として機能するのが、正しいあり方だ。構成するメンバーに対して、何らかの犠牲を強いるような組織があれば、本末転倒だ。


 互いに使命あるを信じて、自分以上の後輩を何人育てたかで、指導者の真価は決まる。

2004-05-25

勇気ある行動


 臆病者の溜めは、希望を奪う。しかし、一人の勇気ある行動は、万人を勇者へと変える。


【『新・人間革命』第15巻 「開花」 聖教新聞 2004-05-14付】


 メールマガジンの発行順序を誤ってしまった。ナンバリングが前後してしまうがご勘弁願いたい。


 世界ジャンボリーに参加していた6000のボーイスカウトが大石寺に避した。この時、イギリス隊の少年達が、自分たちのテントが水浸しになりながらも、他の国のメンバーを先に避させ、最後の最後まで奮闘した姿を讃えた一節。


『前進』を読んでた世代の方であれば、よく知っている有なエピソード。ジェントルマンの宗主国で育った少年にはジョンブル魂が脈打っていた。


 溜めは、科学的に見ても毒があるという。人間の溜めを水溶液に溶かしてマウスに注射をすると死んでしまうそうだ。に溜められているのは、やるせなさ・失望・倦怠・あきらめ等であろう。何とはなしに、酸度が物凄く高そうな気がする。溜めは、煙草の副流煙のように周囲の人々を害する。


 勇気は行動とセットになっている。バラ売りされることは決してない。の中だけの勇気は、勇気とは呼ばない。それはただの観論だ。


 一人の勇気ある行動は、人をして崇高な気持ちにさせる。人間に対する信頼を高める。自分の可能に気づかせてくれる。自分のわがままをあぶり出し、進むべき正しい方向を指し示してくれる。


 勇気を発揮する機会は、三度の飯より少ないだろう。なぜなら、勇気は、いざという時にしか示せないからだ。大変な時、迷った時、負けそうになった時こそ、勇気が試される。


 我々は地涌の菩薩だ。菩薩から勇気を取ってしまえば、クリープのないコーヒーどころか、コーヒーのないクリープみたいなものだ。ポケットのないドラえもんと言ってもよし。


 ガンジーは言った。「革命はカタツムリのスピードで進む」と。そうであれば、革命の実像は小さな勇気の積み重ねに依らねばならない。そして、勇気は出せば出すほど強固な質となる。


 小さな問題で動揺し、目的を見失っている人々の目を醒ますような勇気を発揮する大確信のリーダーでありたい。

2004-02-18

真の勇者


 真の勇者は、臆病なくらい細かいことに気を配っていく。いわば、“臆病の勇者”である。

 よく全体に真剣さがなくなったとか、何となく空気がゆるんできたといながら何の歯止めもかけられず手をこまねいていることがある。きわめて危険な兆候というほかない。

 その時こそ空気を一変させる指導者の一が大事である。いざという時、指導者にはつけ入る敵や障害を跳ね返すピンと張った表面張力のごとき緊張と前進への気迫が大事であると私は常々っている。


【『私の人間学』(上) 1988-08-24発行】


 油断をしないのが第一と頭では分かっていても、中々できない。常日頃の活動の中で鍛えて行く以外にない。


 驕(おご)ることなく、如何なる時もは緊張を維持していきたい。それが、「打てば響く」組織、人につながる。


【宮本】 http://www.doblog.com/weblog/myblog/30152

2004-01-03

勇気・決意・祈り


 勇気はいつの場合でも決を生み、その決の極まるところに、必死の祈りが生まれる。


【『随筆 人間革命』 1977-05-03発行】


 広布第二章にあって、この指針を人生の指標とした青年部は多い。祈りなき決は口先だけのものだ。勇気が祈りに直結した時、満々たる生命力はじっとしていることを許さない。祈り浅き臆病者であってはならない。