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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-08-17

インチキな報告は許さない


 戸田先生は、よく言われた。

「報告が戦いだ。その代わり、インチキな報告をしたら許さない」

 正確な情報。迅速な情報。急所をつかむ情報。これが勝負を分ける。

 私が先生に「情報自体が間違っていることもありますが」と申し上げると、

「そうだな。しかし“におい”を嗅ぐことができる。それで真実がわかることもある」と言われていた。

 私は、友のため、広布のために、あらゆる情報を集めた。

 大事な情報は先生にすぐ報告した。

 先生はよく「いい情報だ」「いい見だな」と褒めてくださった。

 これまで私は、同志が安して前進し、勝利していけるよう、日々、人知れず、ありとあらゆる手を打ってきた。

 皆、広宣流布の「将の将」であるならば、全身全霊を捧げて、何か価値ある手を、建設的な手を打つことだ。

 立場ではない。責任さえあれば、智はいくらでもわくものだ。

 平和の大道を開き、正義を広げるために、痛快なる勝利の歴史を綴りたい。学会魂を燃やして!


東京・関東・東海道合同研修会 2006-08-17 長野研修道場


 それにしても、聖教記者のレベルの低さには目を覆いたくなる。自分で入力すると実できるのだが、主語と述語が離れ過ぎていて文章の行方(ゆくえ)がわかりにくくなっている。この指導だと、「私は〜集めた」「私は〜手を打ってきた」が典型。読点が多過ぎるのも、読みにくい理由の一つだ。


ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」は昔から徹底されてきた。自分で判断を下す前に、まず報告が優先だ。連絡・報告というのは癖みたいなもので、私の場合、条件反射となっており、努力する必要すらじない。


 戸田先生は、「報告をしない者は敵だ」とも仰せになっている。二十歳(はたち)の頃から肝に銘じている指導の一つ。


 人体に例えると、信指導が血管であり、連絡・報告は神経である。近頃では、梗塞(こうそく)状態の組織や、自律神経失調症気味の地域が多い。せめて、「死と隣り合わせ」の状態であることに気づくべきだろう。


 私が男子部本部長をしていた頃のスローガンは、「結んで、開いて、手を打って」だった。上手いでしょ?(笑)

2006-04-03

「航海」と「漂流」の違い


 エンリケ王子が開いた大洋への航海の道。ところで「航海」と「漂流」の違いはどこにあるか。

 一つには、明確な「航路」があることである。行方(ゆくえ)もわからず、海に漂うだけでは航海とはいえない。私どもにも明確な人生の「航路」があり、羅針盤がある。

 もう一つは、「出発点に帰ってくる」ことである。

 恐らくアメリカ大陸にもインドにも、偶然流されて漂着した船乗りは大勢いたことであろう。しかし彼らは、それを故郷に知らせることができなかった。“行きっ放し”では漂流と変わらない。

 原点である祖国と世界を往復し、どちらをも豊かにしてこそ「航海」である。

 信を根本に、時代・社会の大海原へと進みゆく皆さま方の「航海」も、方程式は同じかもしれない。

 信学会という“祖国”と、社会という現実世界との往復作を忘れては、いつしか人生と社会の「漂流者」となってしまう。そのようなことがあってはならない。

 特に社会的地位や立場が重要になればなるほど、このことを絶対に忘れてはならないと、私は強く申し上げておきたい。


第20回本部幹部会 1989-08-17 長野研修道場


 商売は集金をもって終わり、戦いは報告をもって完結する。


 糸の切れた凧(たこ)であっても、風向き次第で高く上がることもある。そこに勘違いが生まれる。「こんなに頑張っているのに」「こんなに戦っているのに」という「のに信」になると危ない。


 御本尊の前から出発し、御本尊のもとに帰ってくる。これが信即生活。学会から出発し、学会に帰ってくるのが法即社会だ。同じ往復作をしていても、座標軸が逆転すると本末転倒となる。仕事に追われてしまうと、会社が出発点になる。本地がサラリーマンで、外用(げゆう)の辺が地涌の菩薩となってしまうので要注


 今、自分が「航海」をしているのか、それとも「漂流」になっているのか、そこが問題だ。


 もう一歩、突っ込んでいえば、「指導を受ける」ところから出発し、「勝敗の報告」をしてこそ本当の戦いである。

2005-08-03

大事な時に正体不明の人は“五老僧の眷族”


 弘安7年(1284年)10、大聖人の3回忌の折にも、五老僧は誰一人として墓参にも来なかった。あまりにも不知の姿である。

 理屈はいくらでもつくれる。しかし、現実の姿が雄弁に真実を物語っている。いかなり理由を挙げるにせよ、墓参にも来ぬ姿を弁解することはできない。

 このように離反者は、何より一人の「人間として」まともでない。現代の“五老僧の眷属”ともいうべき退転者たちも、まず、人間として顰蹙(ひんしゅく)を買う行動があまりにも多かった。

 また、五老僧と同様に、大事な時に来ないで、陰で正体不明のことをしている人間は、必ず後でおかしくなっている。


【第4回全国青年部幹部会 1988-05-28 創価文化会館


 大聖人が四度の大に遭われた時、五老僧は何をしていたのか不明だ。そして、大聖人亡き後、間もなく変節したのは歴史の事実である。


 昭和33年(1958年)、ある男子部員が電車事故で亡くなった。この方の通夜が128日、しめやかに行われた。この日の先生の日記には以下のように書かれている。


 O君の通夜に、先生より哀惜の言葉くださる由……弟子をう師の姿に涙す。それを夕刻頂戴し、大森のO君の通夜に参列。


 幾人もの同志集う。同志や有りし。私が中になり、ねんごろに読経・唱題す。子供なく、夫人の姿、はじめて見る。


 最も、O君と関係のある、F君、遂に通夜に来たらず。無慈悲な男よ。彼の行動に、憤りをじ、彼のために悩む。人のは、大事のときに、明確になりゆく教訓を知る。


【『若き日の日記』(下)】


「F」とは、後年、都議会議員まで務めながら退転し、あろうことか池田先生の殺害を暴力団に依頼した卑劣漢・藤原行正である。部隊長の役職がありながら、後輩の通夜にすら駆けつけることのないデタラメな幹部だった。


 戸田先生は24日に、「小野君の死を悼む」と題した一文を認(したた)められている。内容から察すると、多分、隊長クラスの役職があったとわれる。


 先生が抱かれた杞憂は後に的中する。ここで、「なぜ、そんな人物を登用したのか?」という疑問が湧く人は、本当の味での人材育成を知らない人だ。問題があったとしても、相手の未来を信じ、後輩が成長するチャンスを常に与えるのが、学会の人材育成法なのだ。退転者・反逆者を、どれほど多くの幹部が守ってきたか計り知れない。その期待に甘え、裏切った連中を、我々が許すことは断じてない。


 連絡・報告に乱れのある人物は危ない。集まるべき場所へ、平然と遅れてくるメンバーも同様。生活が“広宣流布”になってない証拠だ。

2005-07-12

正確と迅速が、報告の生命線


 私どもの広布の戦いにあっても、様々な情報を緻密(ちみつ)に分析し、的確に把握していかねばならない。「報告」は、「正確」と「迅速」が大事である。とともに報告の正誤の「確認」が大事となる。もし、誤った「報告」を鵜呑みにすれば、以後の対応に大きな過ちを犯すことになるからだ。幹部の皆さま方は、特にこの点をよくよく銘記していただきたい。


【12本部幹部会 1987-12-04 創価文化会館


 青年部時代、私は“報告の鬼”と仇された。数字が一つでも間違えていれば、ぐうの音も出ないほど注をしてきた。特に、部や、本部を誤った情報が素通りした事実を問題視した。人間は誰しも過ちを犯すものだ。それを許さないほど、私は狭量じゃない。その前提に立って、なぜ、別の誰かが確認をしなかったのかを問いかけた。


 平等なルールで、正確な報告がなければ、顕彰することに味がなくなる。また、無機質な数字に表れている何かを読み取らなければ、単なる評価で終わってしまう。


 例えば、折伏戦にあって、一人で5世帯の弘教を達成する場合もあれば、5人が1世帯ずつを実らせるケースある。個人としてみれば前者が顕彰されるべきだし、組織としてみれば後者に勢いが窺える。


 私がうるさく確認したのは、座談会の報告において、前のに出たメンバーの内、誰が出てなかったのか。そして、先は出てなかったが、今出たメンバーは誰なのか。そのメンバーのところへ足を運んだのは誰なのかということだった。数字の向こうに顔が浮かべば、確かな掌握といえよう。それを、中者が知っているのかどうかを常に確認してきた。数字だけのやり取りをしているようなのは、ことごとく血祭りにしてきたものだ。


 戦うことを忘れた組織は、数字がデタラメになることを銘記したい。


 更に、成果やエピソードを報告する場合、報告者の利が目的となる場合も目立つ。さも、“自分は頑張ってます!”なあんて調子で、これみよがしに、社内営をするような人物だ。こうした場合、誰が直接、関わっているのかを必ず確認しなければならない。そして、陰で奮闘している幹部を、絶対に見逃さないことだ。


 最近、特に婦人部で目立つのは、壮年に対する情を、支部婦人部長が本部長に言いつけて、本部長が分区婦人部長に言いつけて、分区婦人部長が分区長に言いつけて、それでもって、分区長から本人が注されるというもの。信指導なき伝言ゲームが、壮年幹部の力をどんどん削(そ)いでゆく。こうなると、“噂話の密告”に過ぎなくなる。


 幹部として掛けたいのは、報告を受けたら直ちに動くこと。これが一つ。そして、報告を寄せて下さる人にから謝することだ。「自分は幹部なのだから、報告するのは当たり前だ」となれば、あまりにも受け身であり、言われないと動かないようなリーダーに堕してしまうだろう。


 最前線を走り抜いている幹部は、現場覚があるので配ない。動かないのに限って、風聞を鵜呑みにするから厄介だ。以前、官僚主義に毒された副会長を怒鳴りつけたことがある(笑)。

2005-07-04

保身の幹部が異体同心の団結を崩す


 日蓮聖人が、一人の門下に対して、どれほど細やかに気づかい、どれほど迅速に励ましの手を打たれていたか。

 門下に贈られた御手紙に、大聖人はこう記しておられる。

「あなたが、この病気にかかったいきさつを、ある人が報告しました。私は(病気の平癒を)日夜、夕に、法華経に申し上げ、夕に晴天に訴えておりました。病が治ったことを、今日、聞きました。これ以上、喜ばしいことはありません。詳しいことは、お会いした時に語り合いましょう」(1298頁/通解)

「報告」を聞いたら、即「対応」する。御本が御自ら、その模範を示して下さっているのである。

 今、皆が求めていることは何か。急所はどこか。最前線の課題は何か。リーダーはそれを知らねばならない。ギャップがあってはならない。

 だからこそリーダーは、一つ一つの報告や見に真摯にを傾けることだ。誠実に、電光石火で応えることである。

 同志に「希望」と「勇気」を贈る。これが、リーダーの責務であることを忘れてはならない。

 どうすれば、同志が一人も残らず安して戦えるか。所願満足の人生を歩んでいけるか。

 これを、常に索し、決然と行動することだ。

 一番、大変なところへ飛び込んで、自ら活路を切り開く。それでこそ、真のリーダーといえよう。

 自分だけ、いい子になって、労を避けて、要領よく泳ぐ。こんな保身の幹部、官僚主義の幹部が出れば、「異体同の団結」を崩してしまう。

 断じて、そうであってはならない。ここ(東京牧口記会館)は、信の道場であるゆえに、将来のために、あえて厳しく言い残しておきたい。


【第2総東京代表協議会 2005-05-21 東京牧口記会館


「打てば響く」――このスピードが学会を発展させた。それは、技術でもなければ、駆け引きでもなかった。友をう真と誠実の結晶であった。


 人間の集まりである以上、どこの組織にも問題はある。一つの報告から、その背景をどこまで深く知ることができるか。ここに幹部の力量が現れる。


 例えば、地区婦人部長に問題があったとしよう。婦人部の幹部が地区に入る際は、地区婦人部長を水先案内人として回る。白ゆり長やブロック員のが、幹部のに入る機会は全くない。また、仮に情や見を述べたとしても、注できる幹部がいなかったり、相談した人を問題視して終わってしまう場合すらある。


 先生が指導されていることは当たり前の話であって、「あえて厳しく言い残して」おくような内容ではない。ということは、それだけ厳しい現実があるということだろう。


 今日付の聖教新聞2005年74日付)で、中小企のコンサルティングをしている武田哲男氏がこう述べている。


 ――「顧客第一主義」とは、経営者の誰もが口にすることですが、実際にはそうなっていないということですね。


武田氏●その通りです。顧客の率直な見が企に到達するのは、日本では約1〜3%(弊社調べ)というデータがあります。営や製造の現場に伝わっても、トップに伝わらないため、組織全体の取り組みにならない。顧客の情の99〜97%は、途中で消滅しているのが現実です。

 顧客の不満足は、の痛い話ですが、もっと積極的に「顧客不満足の把握」を課題にすることが、績アップの大きなカギになるんです。

 顧客の「困っていること」「不満」を知り、そこから「顧客がの底で何を望んでいるのか」を徹底的に模索し、「提案型サービス」を展開していくことが、「顧客第一主義」と言えるでしょう。

 あらゆる手段を使って、顧客との一対一の関係づくりに努力し、何気ない一言も聞き逃さず、その不満を吸収していく。そうした姿勢が経営者には必要です。

 私が提案している「顧客不満足度調査」は、顧客を特定し、その顧客の不満足の要素を、アンケートなどを通してキャッチし、それを基に、顧客に具体的な提案を行っていくための調査です。

 顧客から要望されて初めて対応する、受け身の「後追い型サービス」では、顧客の潜在的な満足(隠れた満足)を発見することはできません。

「どこが顧客に不便を与えているのか」「嫌われていることは何なのか」など、徹底的に、「顧客の不満足」を掘り下げていった時に、今まで見えてこなかった顧客の理をつかむことができ、顧客の支持を永続的に得られる、「提案型サービス」が生まれてくるのです。


 日本経済が踊り場にとどまっているこの時期に、トヨタ自動車は2005年3期の連結決算において、3期連続で過去最高益を更新した。徹底的に無駄を排す「トヨタ生産方式」が成功した証である。今、収益を上げている企は、おしなべて真剣なコストダウンに取り組んでいる。リストラもその一環である。コストを削減すれば、それがそのまま収益に直結するのだ。トヨタの工場においては、移動する歩数までカウントされる。


 努力しても変わらない組織は、仕組みを変えるしかない。


 我々は今、勝利に酔い痴れることなく、武田氏の言葉を「会員第一」に置き換えて、真剣に受け止める必要がある。幹部が踏ん反り返って、戦列の後ろで号令をかけている組織が一番危ない。聞くを持たぬ幹部は相手にするな。

2005-06-06

情報は力


 いつの世も「情報は力」である。ワーテルローの戦いでナポレオンを打ち破った功労者は、プロシア軍に正しい道を教えた一牧童であった。桶狭間(おけはざま)の合戦で今川義元を破った織田信長は、勲功の第一に、義元の移動の情報をもたらし、急襲を勧めた一武将を選んだ。

 マラトンの戦いと同じく、勝利は決して有な将軍らの力だけで決まるものではない。

 日蓮聖人の「松葉ヶ谷の法難」の折も、草庵を襲った鎌倉の者達の動きを、いち早く大聖人にお知らせしたのは、門下の一婦人であったとの説がある。

 こうした真剣な「一人」の働きこそ重要な力なのである。また、こうした目立たぬ立場の人の情報であっても、真剣に聞き、大切にすることが指導者の不変の要件である。

 まして、現代は情報化時代である。「情報戦」が社会の一実相である。この傾向は、ますます強くなっていくにちがいない。

 正確な情報を迅速に手に入れ、入に検討し、的確な手を打っていく。その積み重ねに勝利が生まれる。

 学会がここまで発展したのも、そうした緻密(ちみつ)な「連絡・報告」とスピーディーな「決断・実行」があったからである。この原理は企を始め、あらゆる組織に通ずる。

 逆に、最も恐ろしいのは、不正確・不明瞭な情報である。また、曖昧な処理である。

 近年の一連の事件でも、断片的な情報は早くから届いていた。しかし、私が一切の運営を幹部に委任していた時期でもあり、本部としてそれらの情報を総合し、果断な処置をとることが遅れた。その遅れた分だけ問題が広がり、大きくなってしまった面がある。このことを後世への戒めとして申し上げておきたい。


九州広布35周年開幕記幹部会 1987-10-20 九州池田講堂】


 報告・連絡・相談が組織の生命線である。これを略して、「ほうれんそう」とは申すなり。


 これほど踏み込んだ内容の指導は珍しい。断じて、同じ轍(てつ)を踏ませたくないというご境であろうと像する。


 組織というのは、大きくなればなるほど保守的にならざるを得ない。保守的になってゆくと、組織のために犠牲を強いる場面が出てくる。これが組織悪である。我が陣営は、断じてそのようなことがあってはなるまい。組織の保守化を防ぐには、青年の見を大切にすることだ。だが、我が地域の青年部は壊滅状態である。


組織/和合僧」にも書いた通り、保守的な組織は官僚を求める。官僚は、都合のいい情報を鵜呑みにし、面倒なことはとにかく避ける。自分の手を汚さずして、問題を現場任せにする。厄介なことに対しては、平然と見て見ぬ振りを決め込む。


 そして、婦人部の口に戸は立てられない。噂や風聞の類いで、大変な目に遭っている人を、私は何人も知っている。草創期にあっては、世間から村八分にされてきた学会員が、現在では組織内において村八分を行っていることもあるのだ。幹部の手に負えないという理由だけで、放置されっ放しになっている人も少なからず存在する。


 私が直接、関わった問題は全て完全決着をつけてある。「学会にあってはならないことだ」と判断すれば、私はどんな幹部にも負けることがない。相手が副会長であろうとも、糾弾すべきは糾弾し、言うべきことは言い切っている。


 人体において、正確な連係が取れなくなったらどうなるか? 足に傷を負って、脳が痛みをじるまでに3時間もかかってしまったら、死ぬかもしれないのだ。ここから更に考えれば、生命の危機は痛みによって知覚されていることが明らかである。つまり、組織に置き換えれば、人々の悩を知ることが最優先ということになろう。されば、快だけ伝わるのが成果主義か(笑)。


 人間の身体は、一部だけで存在することは不可能だ。全ての臓器や器官、はたまた、血管や神経が有機的なシンフォニーを奏でている。実は、人間も全く同様で、一人だけで存在している人はいない。誰かと関わり合うことによって、初めて生きる味が与えられるのだ。そうであればこそ、孤独が人間を苛(さいな)み、精神を崩壊させる。現代人が抱えるストレスや精神の闇は、おしなべて孤独から発せられたものだ。


 以下に紹介するのは、『生きぬく力 逆境と試練を乗り越えた勝利者たち』ジュリアス・シーガル著/小此木啓吾訳(フォー・ユー)からの抜粋である。セミナーなどの講師を頼まれた際、私がよく引用する一文である。よくよく熟読玩味して頂きたい。連絡を取り合う=コミュニケーションは、生命に関わっていることが理解できよう。


 海軍副将ジェイムズ・B・ストックデールほどしみを味わった捕虜はあまりいない。彼は、ベトナムの戦争捕虜として、2714日を耐えぬき、英雄的に生還した。

 ある時、北ベトナム兵がストックデールの手を背中に回して手錠を掛け、彼の足に重い鉄の鎖をつけた。そして、彼を暗い独房から引きずり出し、中庭に座らせて晒(さら)し者にした。それは、協力を拒んだ者がどのような目に会うかということを、他の捕虜に見せつけるためだった。

 その出来事を記載した海軍の公式記録によれば、ストックデールはその姿勢を3日間続けなくてはならなかったという。彼は、長い間太陽の光を浴びたことがなかったために、すぐ疲労をじ始めた。しかし、見張り兵は彼を眠らせなかった。そして何度も殴られた。

 ある日のこと、殴られた後にストックデールは、タオルを鳴らす音を聞いた。それは、刑務所の暗号で、"GBUJS"という文字を伝えるものだった。そのメッセージを彼は決して忘れることができない。「ジム・ストックデールに神の祝福あれ。God bless you Jim Stockdale」

 アメリカにおいて近年捕らわれの身になった捕虜や人質すべてに当てはまることだが、即席かつ巧みに作り上げられたコミュニケーションが、彼らの大きな助けとなっている。ベトナムでは、叩打音(こうだおん)が暗号として用いられた。音の数やつながりがアルファベットの文字を表わしていて、それが、捕虜たちのコミュニケーションのおもな手段になったのである。ジム・ストックデールを助けたのもこの暗号だった。

 まず、捕虜にとって、文字をつなぎ合わせて味のあるメッセージを作れるように文字の暗号を覚えることが先決だった。しかし、すぐに彼らはそれに慣れ、そのシステムが彼らの第二の天のようになった。孤独な捕虜たちは、壁や天井や床を叩いた。距離が近い場合には指を使った。距離が遠い場合には、拳や肘やブリキのコップを用いた。

「すぐにメッセージが、独房の一つのブロックから別のブロックへ、そしてさらには、建物から建物へ、交通のように流れていきました」と、エペレット・アルバレッツは回する。

 最終的に、戦争捕虜たちは、叩打音を使った日常の交信をさらに発展させて、より洗練されたものを作り上げた。とくに効果的だったのは、箒で刑務所構内を掃きながら、集団全体に「話しかける」方法だった。

 ある捕虜が別の独房のそばを通りかかったときには、サンダルを引きずって暗号を流すことができた。毛布を振ったり、げっぷをしたり、鼻をかんだりして音を出し、仲間にメッセージを送る人もいた。また、特別な才能を持っている捕虜も何人かいて、自分の志でおならを出して暗号を送っていた。捕虜の一人は、毎日一、二時間、昼寝をしているふりをし、いびきを立てて、皆がどのような生活を送っているか、また、彼の独房の中でどのようなことが起こっているか、ということを報告していた。

 また、身体に引っかき傷を作ってコミュニケーションするという、刑務所の中ではよく見られる方法さえ取られるようになった。反アメリカ宣言をするように強要された一人の捕虜は、誰もいない中庭を通って広場に行く途中、彼の様子を気づかって、多くのアメリカ人の目が自分に釘づけになるということがわかっていた。そこで彼は、まず「c」という文字、次に「o」という文字、そして「p」という文字の引っかき傷を作り、最後にその引っかき傷が“頑張っている c-o-p-i-n-g”という言葉になるようにしたのだ。

 5年半におよぶ捕虜生活の大半を独房で過ごした、海軍少佐ジョン・S・マッケイン3世は、次のように結論づけている。

「戦争捕虜として生き延びるために最も重要なことは、誰かとコミュニケーションを持つことでした。ただ単に手を振ったりウィンクをしたりすることでも、壁を叩いたり誰かに親指を上げさせたりすることでもよかったのです。それによってすべての状況が一変しました」

 ベトナムにおける最初の戦争捕虜の一人、ロバート・シュメイカー少佐は、仲間とコンタクトを取ることさえできれば、どのような事態でも耐えられると確信していた。彼は、独房の中で、乾いたインクの染みを見つけ、そこに何滴か水をたらして、それを再生しようとした。そして、マッチ棒をペンとして使い、トイレットペーパーの切れ端にメッセージを残した。そのメモは、受け取った人の前を尋ねるだけの単純なものだった。彼はメモを、セメントや煉瓦(れんが)が崩れ落ち、最高の隠し場所になっていたトイレの片隅に置いた。

 そして、別の捕虜が収容所に到着したということまでがシュメイカーにわかるようになった。彼は、自分が作ったメモを消しゴムくらいの大きさに折り曲げ、次にトイレに行ったときに、崩れ落ちたセメントのかけらの下に隠した。トイレットペーパーの切れ端に「持って行ってくれ」という言葉を走り書きし、便器のそばに置いておいた。そして、待ち続けたのである。

 これについてジョン・G・ハベルは、『P・0・W・(戦争捕虜):アメリカ捕虜の戦争体験決定史』という本の中で書いている。「シュメイカーは次にトイレに行ったときに、自分のメモがなくなっているのに気づいた。メモを隠した場所に、別のメモを見つけた。そこには、トイレットペーパーの切れ端にマッチの燃えかすで『米国空軍大尉ストルツ』と書いてあった。あれほど興奮したことはなかった、とシュメイカーは言っている」

 しい体験を続けながらも、ベトナムのアメリカ人捕虜は、お互いに連絡を取り合おうとする努力を決して怠らなかった。それは、一見不可能に見えるような状況下でも行なわれた。自分の排泄物を伝達手段として使うことさえあったという。最近、ストラットン大佐が回して私に話してくれた

「われわれは紙で船を作り、その中にメッセージを入れ、排泄物の上に浮かせました。われわれは、小さなバケツに用を足していました。そして、一人が、独房のあるブロック全体のそれを集めて、トイレに捨てることになっていました。しかし、その前にまず、大事なメモをしっかりと抜き取っていたのです。看守が、わざわざ私たちの排泄物を取り上げたりはしないだろうと、みんなが知っていたのです」


 連絡を取り合うことが、どうしてそのように重要なのだろうか? お互いにメッセージをやり取りすることによって捕虜たちは、強まる孤独や絶望を打ち破り、耐えぬく力を発揮できたのだ。

「それは、自分を癒す行為でした」とエペレット・アルバレッツは言う。「私たちは、煉瓦の壁を越えてやり取りされる沈黙の会話を通して、お互いが本当に理解し合えるようになるのです。最後には、それぞれの人たちの子ども時代、背景、体験、妻、子ども、希望、野望などについて、すべてわかるようになりました」

 また、ストックデールは次のように言っている。「それは、私たちの生活や夢を一つにつなげ合う方法だったのです」

 キャサリン・クープもこれに同する。彼女は、テヘランで同じく人質になっていたアン・スウィフトと一緒に、毎目隠しをされてトイレに連れて行かれていた。その中で一人になると、二人は、仲間の人質に関する情報が何かないかとごみ箱をあさり、手紙やメモの切れ端を捜した。また、近くに捕らわれている人々が食事を終えた後に何枚の皿が洗われるか、数えようとした。ごみ容器に捨てられた鶏の骨の数も数えた。

 とうとうクープとスウィフトは、看守を説得して、同じ建物の中に捕らわれている他の6人の人質の料理を担当する許可を得た。二人は、自分たちが料理を作っている他の人質たちと実際に会うことは一度もなかったが、労して再生したメモのおかげで、「連絡を取り合っている」という覚を持つことができたのだ。

 そのメモには、「コック長への賛辞」だけでなく、今後の料理に対する注文も書かれていた。

「ピーナッツバターが手に入ったら、ピーナッツバター・クッキーを作っていただけるといいといます」あるメモにはそう書いてあった。「もう少しレタスが欲しいのですが」別のメモにはそう書いてあった。そうした秘密のメッセージには、「奥の部屋に住む少年たち」というサインがしてあった。

 クープは、解放されて生還した後、次のように言っている。「隣の独房に自分の存在を気にかけてくれる人が誰かいると考えただけで、生きていく力がわいてきました」

 何かもイランで捕らわれの身になりながら、その間アメリカ人の人質は、お互いに話ができないときでさえ連絡を取り、慰め合うことによって、絶望じないですんでいた。

 彼らの中には、解放された後に初めて顔を合わせた人たちもいる。しかし、テヘランでお互いを引き離していた部屋の壁を通して秘かにコミュニケートし合っていたために、以前から知り合いだったかのような情を抱いたという。

 彼らは、それぞれ隔離されていたにもかかわらず、お互いを助け合うネットワークを作り上げることによって、その試練を切りぬけたのである。これは、人生で直面する危機的状況を生きぬこうとする私たち全員に必要なものである。


生きぬく力―逆境と試練を乗り越えた勝利者たち

2004-08-22

数字


 数字が違うではないか。数字は正確に報告しなければならない。正確でないと、私の判断が狂ってくる。間違った報告をすればを受ける。今後、厳重に注するように。


【『前進』1966-04号】


 後輩に徹底して伝えてきた指導の一つ。


 下駄を履かした数字で誰が喜べるだろうか? 組織によっては下駄どころか、竹馬に乗っかっているような数を平然と出すところも時折、見受ける。


 中幹部だけが喜んでいるような数字を成果主義と申す。この数字利に直結している。


 正確な数字であって、初めて組織が前進しているか後退しているのかがわかる。戦争や健康診断で、デタラメな数字が許されるだろうか? 人の命に関わってくる局面において、ほんのわずかな判断ミスが致命的な結果を招くことは当然である。


 ただ、こうしたことが形式となり、それに固執してしまえば、同志はしさを覚える。数字に対する高い識を持たせ、現場においては柔軟な判断をしていけばよいとう。要は責任者が、組織の実態を掌握し切っているかどうかである。


 先生は以前、「水増しは学会の伝統だ」と話されたこともある。第二次宗門問題直後の頃のこと。先生のは、「何はともあれ、最前線で戦う同志が喜びを持って戦うことが最重要なのだ。数字も大切だが、それよりも人間が大切なのだ」というものであったと像する。


 一は万が母といへり(498頁)


 まずは、一世帯の折伏、一部の新聞啓蒙にこだわりたい。その源泉は、一人との対話に尽きる。