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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2005-08-02

「人間の証」を示せ 「人生の証」を発揮せよ


 その文化を守るためにユイグ氏が、第二次大戦中、命がけで戦ったことは勇な話である。

 ルーブル美術館の至宝を、ナチスの手から守り抜いた氏の気迫と信は、今尚、語り草となっている。

 当時、ユイグ氏は30代。まさに嵐の中の青春の闘であった。

 諸君も、1期生はすでに30代後半。多くの人が30歳前後である。いよいよ、この尊き一生をどう生きるか。その生きざまが問われる年齢となった。

 当たり前の人生を、ただ無に生きるだけなら労はいらない。深き哲学もいらない。

 しかし、人間として生まれた、その「人間の証」をどう示しきっていくのか。自分でなければ生きられない、自分らしい「人生の証」をどう最大に発揮しきっていくのか。

 生涯をかけて、その追求の実践を貫く人こそ偉大である。我が生命を極限まで燃やしきっていく、そうした生きざまの中に真の生きた哲学もある。


【創友会・鳳友会合同総会 1988-05-05 創価大学中央体育館】


 若き日を安閑と過ごして大を成した人物はいない。労また労と格闘する中で、人格は鍛えられ、人間は深まる。


 創価高校昭和43年(1968年)、創価大学は昭和46年(1971年)の開学。1期生は、昭和27年(1952年)生まれとなる。戸田先生の第二代会長就任を待って、今世に躍り出た世代である。


 牧口先生戸田先生の年齢差は29歳。戸田先生池田先生は28歳。つまり、池田先生の後継者たり得る世代といえよう。


 創大設立を前にして、次のような指導もされている。(『前進』1969-5号)


学歴剥奪(はくだつ)、学力尊重が中道だ」


「これからも、エリートはいらない。闘士が必要なのだ」


 えば、学会を築いた草創の先輩方は、学歴も地位もなかった。文字の読み書きにすら労された方々も多かった。貧乏と病気に、のた打ち回るようなしみを抱えながら、信の炎を赤々と燃え上がらせ、広宣流布を推進してきたのだ。代々の会長を支えてきたのは、無にして偉大なる民衆だった。『忘れ得ぬ同志』では、入会したばかりの大学教授が、靴磨きをしている班長さんの仕事場に日参し、御書の教えを請うエピソードが紹介されている。(岩井津一さん)


 創価大学と信は関係ない。師匠のあまりにも大きな期待にかこつけて、創大が学閥(がくばつ)になるようなことがあれば、先生に弓を引いたも同然だ。大切にされ過ぎて、世間知らずのひ弱なエリートになってはいけない。民衆が汗みどろになって築いた学会に、特権階級は必要ないのだ。


 私が青年部で地区幹部をしてた頃、隣の部の部幹部がこんな話をした。創大出身者である。「君達は退転すれば、創価学会とは全く関係なくなる。でも僕等には一生、“創価大学”の文字がついて回るんだ――」。ぶん殴ってやってもよかったんだが、ラーメン屋だったんでやめておいた。「ケッ、こっちは背骨に“創価”の刺青(いれずみ)をしてるんだよ! てめえの履歴書なんぞに、興味はねえやい。信で勝負しやがれ!」とで罵っておいた。


 創大が“権威”になれば負けだ。「民衆のフォートレス(要塞)」としての使命があるならば、誰よりも人生の辛酸を知る人であってもらいたい。


 30代という年齢は、高校・大学を卒してから10年後である。その味で、若き日の誓いが問われる年代といえよう。信は、20年見ないとわからない。人生の有為転変に耐え、社会の興亡盛衰を乗り越えた人だけが本物だ。


「学会にが押し寄せる度、真っ先に立ち上がって、広布の戦野を切り開いたのは、いつの時代においても創大出身者であった」。こう言われるような姿を示して欲しい。


 創大生よ、“創価の中の創価”たる誇りに燃えて、今こそ立ち上がれ!