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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2007-07-07

誕生日


 昨日、44歳となる。戸田先生が獄中で悟達された年齢(小説『人間革命』で45歳となっているのは、数えのため)。池田先生正本堂を建立し、トインビー博士との対談を開始された。「まだ若い」とうのは、甘えだ。既に訓練を受ける時期ではない。社会の中で、どう自分自身を展開させてゆくかが問われる世代。30代とは次元の異なる結果を出さねば、味がない。

2007-06-29

成長が止まれば、死んだも同然だ


 人間の肉体は二十歳(はたち)前後で成長が止まる。脳細胞も減る一方だ(笑)。人間の動物としての寿命は三十数年という説もある。ということは、人間としての勝負は「精神の成長」にあることは疑う余地がない。広宣流布とは「精神闘争」の異である。


 20代はまだ純粋だ。30代は馬力がある。問題は、40代以降である。こう、何て言ったらいいんだろうね、にスモッグがかかっってくるんだよね(笑)。人生も半ばに差し掛かると、段々過去の経験に照らして物事を考えるようになる。「あ、それなら出来る」「そいつあ、やったことがないから無理だな」――。


 つまり、保守的になるのが40代と言える。「40代」ってところをクリックしてごらんよ。先生が実に厳しい指導をされてるから。


 40代の諸氏よ、日々の生活の中でドキドキする何かがあるか? ワクワクする出来事があるか? それがなければ、死んだも同然だ。「生ける屍(しかばね)」と言われても、弁解のしようがない。その人を私は「老人」とづけよう。


 決まりきった一日、ありきたりな24時間を、断固拒否しよう! 今日、死んでも悔いのない生命の完全燃焼を共々に!

2006-10-10

真面目の語義


 私は明年で入信40年を迎える。その間、実に多くの人生を見てきた。その体験の上から、一つの結論として確言できることがある。それは、人柄のよい“真面目(まじめ)”な人格の人こそが、結局、最後に人生の勝利者となり、幸福者になっているという事実である。平凡といえば、これ以上、平凡な原理もない。しかし、ここに最も重要にして銘記すべき一つの基準がある。

 どこの世界にあっても、真面目で真剣でなければ長続きしない。これが道理である。いわんや信仰の世界においては、の奥底に誠実な真面目さと、謙虚な実直さがなければ、生涯の信仰を全うできるものではない。

 また、「信」といっても様々な信の姿がある。“火の信”もあれば、“水の信”もある。格好のみの偽りの信もある。見た目の華やかさや、一時の活躍の姿だけではわからない。

 ゆえに極論すれば、信を抜きにしても、一個の人格として真面目な人であるかどうか――。そこにから信頼し、安して後事を託せる人物か否かの分岐点がある。根が真面目であり、その上に強盛な信が備わっていることが大切なのである。


真面目」の語義ならびに語源をみてみると――真面目味に主として、1.真剣な顔つきであること。真のこもった顔つき。2.真剣な態度。3.本気であること。真摯さ。4.戯(たわむ)れでないこと。誠実であること。虚飾がないこと。率直、実直、真実であること、などがある。

 また、その語源には諸説あるが、主なものに、1.マサシキ目(正しき目)の義、2.真子とシ目(真の目)の義、3.真筋目(真の筋目)の義、などが挙げられている。

 更に漢語の真面目(シンメンボク、シンメンモク)には、1.ありのままの姿。本然のままで偽り飾りのないこと。真相、実相、2.まじめ、実直、の義がある――。

 ここからいえることの一つは、やはり“目”がを表すということだ。落ち着きがあり、澄んだ“正しき目”でなければならない。

 また、偽りや虚飾は不真面目に通じる。口に美辞を並べながら、陰で要領をつかい、諸問題を引き起こし、人々をしめたりする人間は、この類いである。不真面目な人は、長い目でみれば、必ずといってよいほど挫折し、堕ちている。真面目な人は、一見、華々しくはみえない場合があるが、時とともに、にじみ出る人格の光彩がある。そこに人々は信頼を寄せてくるのである。

 更に、“真剣”でなければならないということだ。一流の人物は、例外なく陰で人の何倍、何十倍もの真剣な精進を重ねている。また、我が学会も、諸君のご両親等をはじめとする諸先輩方が、真剣の二字で築き上げたものである。

要するに学会は、真面目だったからここまで大発展を遂げた。このことを絶対に忘れてはならない。真面目さの中に凝結した自己の人格と一が、我が人生を飾っていくのである。


“悩み”のない人はいない。人生は悩みと葛藤の連続であるといってよい。しかし、悩みと労があるからこそ、成長も前進もあるのである。たとえ、いかなる煩悶(はんもん)があったとしても、「煩悩即菩提」の原理で、しみを成長と幸せへの糧としゆくところに、人間としての成長がある。その味から、労と葛藤こそ飛翔への原動力である。

 広宣流布の一切を後継しゆくのは、若き諸君たちである。今後、それぞれの立場にあって、全責任を担い活躍していかなければならない。それは、生死の大海に漂うしみの衆生を、妙法の大船に乗せ、三世にわたり真実の幸福の道へ導くための労作である。そのリーダーとしての立場が諸君である。

 その重大な責任は、青春時代の“労”と“鍛え”なくして、決して果たすことはできない。ゆえに、若き日の絶えざる精進を忘れてはいけない。


 やがて、皆さん方は、青年部から壮年部へと移行していくのは当然の姿である。人によって様々であるが、青年部時代の華やかな舞台から、壮年部の地味な活動の場へと進む場合もある。そのために若干のさびしさをずることがあるかもしれない。しかし、その時にこそ、信を深め、自身を磨いていけるか――ここに大きな分かれ道がある。

 人生は、マラソンレースのようなものだ。調子のいい時もあれば、悪い時もある。自分が評価される時もあれば、されない時もある。ともあれ、いかなる立場にあっても、「本有常住」の一を強く持って、自身の責任に全力で取り組んでいただきたい。その誠実と真剣の行動の中に、一切が開けていくことを知ってほしい。


 諸君は、若き日に広布を誓い合い、多くの同志とともに金の歴史を刻んでいる妙法の青年リーダーである。諸君にだけは絶対に退転してほしくない。信の挫折である退転は、いかなる理由があったとしても、自分自身を、そして、自身の青春の誓いを裏切ることになってしまうからだ。それでは、あまりにも惨めである。

 私も、師・戸田先生との若き日の“誓い”に、人生の全てを賭けてきた。あらゆるに耐え、信の道を進んできた。価値ある人生は、青春時代の“誓い”を、生涯貫くところに実現されることを確信していたからである。今は全く悔いがない。

 信仰の真髄は“生涯不退”にある。どうか諸君は、幸不幸の人生の荒波を経たとしても、どこまでも青春の誓いも固く、生涯、求道と不退の大道を歩み抜いていただきたい。


【青年部代表者会議 1986-12-17 創価学会新館】


 昭和61年の指導である。当時、太田青年部長・浅見男子部長という体制だった。会長勇退から反転攻勢に転じた歴史は、このお二方を抜きにして語れない。昭和56、57年(19811982年)と2年連続で「青年の年」と銘打ち、全国各地で文化祭が繰り広げられた。聖教新聞に先生の指導も掲載されるようになった。


 青年部長・男子部長の叫びが、全男子部を奮い立たせた。男子部が、あらゆる闘争の先頭に立った。先生の手づくりの青年部が誕生した。


 昭和54年(1979年)以降、会長勇退という事実が時間の経過とともに風化して、自然に盛り上がったわけではないことを、現在の青年部に知ってもらいたい。


 全国の青年が師の指揮を求めて懸命に戦った。しかし、再び障が襲い掛かった。昭和57年(1982年)1015、20、27日と、先生が検察側の証人として出廷することになった。東京地裁に向かう車の後を、右翼の街宣車が追いかけ、誹謗中傷の限りを尽くし、裁判所の前では待ち構えていた数十社のマスコミがフラッシュを浴びせた。


 札幌でも部長以上の幹部による唱題会が連日行われていた。しかし、師匠を晒(さら)し者にしてしまった。


「諸君にだけは絶対に退転してほしくない」――先生はどんないで、この言葉を発せられたことか。


 男なら力を示せ。力がなければ、師を宣揚することはできない。

2005-07-23

中年期に堕落するな


 コロンブスの人生も中途までは、ある味で順調であった。その後、次第に下り坂となった。

 青年部の諸君の中には、今は境にある人もいるにちがいない。しかし、一年また一年、栄光の坂を上り、晩年にこそ最大に光輝燦(さん)たる福徳に包まれた一生であっていただきたい。そのための信仰なのである。

 指導者としての成長においても、誰しも中途までは、それなりに頑張り、伸びてゆく。しかし、中年になった後、更に自らを磨いて、民衆のための“本物”のリーダーとして完成されていく人と、反対に成長が止まり、何か澱(よど)んだ存在として、人々の信用を落としていく人がいる。後者の人は、自らはもちろん、また、その一家一族まで不幸へと引きずっていく場合がある。

 ともあれ、コロンブスの愚弟が植民地の惨状の大きな原因となったように、一人の悪しき指導者の存在は、民衆の甚大な被害をもたらす。

諸君は自らも一流の指導者として成長しつつ、更に、慈愛の熱き「よき指導者」と「よき指導者」の団結で、立派な模範の中部を築いてほしい。


【中部記幹部会 1988-03-28 中部池田記講堂】


指導者は支配者になるな」の続き。


 利が人生の目的になると、ある程度の地位や役職を得ると、満足してしまうものだ。ま、高価な衣装で着飾っているようなものだろう(笑)。


 また、壮年・婦人になると、青年部時代の先輩後輩の位置が逆転する場合もある。後輩に抜かれた瞬間、腐って終わるだけの人も多い。


 人間の成長を蝕むのは、やはり慢である。小さな慢が芽生えた瞬間、その人は“出来上がって”しまうのだ。新しい挑戦をしなくなれば、全ての判断は過去の経験に基づいて行われることになる。かような人物は、どんなにリーダーとしての力量があっても、自分自身の殻を破ることができない。


 私が上京した時のことである。仕事が落ち着くまで、組織活動を休もうと考えていた。はっきり言って、札幌で活動をやり過ぎた(笑)。私は3ヶほど経ったら、地元組織と連絡を取るつもりだった。何にも増して、「自分の信は、東京でも通用するはずだ」という強い自負があった。


 とろこが、聖教新聞を読めないのが困った。「困り果て抜き切った」といってよい(笑)。ある日、ボロアパートの共同玄関に据えられていた郵便受けに聖教新聞を発見した。私は、隣人が購読していた新聞を、毎、自分の部屋に持ち込んで、隅から隅まで目を通した。読み終えると、静かに階段を下りてゆき、サッと元に戻し、何食わぬ顔で日々を過ごしていた。私の配は、「もし、外部読者だったら、学会の信用はがた落ちになる」という一点だった。1ヶ半ほど経過した時、ノイローゼになりそうだった。そして遂に、聖教販売店に駆け込み、組織への連絡もお願いした。


 小学校1年から活動を始めた私だが、図的に休んだのは、後にも先にもこの1ヶ半だけだ。人生の汚点といってよし。


 自分で新聞を購読するようになった時、私はあることに気づいて愕然とした。自分の甘さをい知った。小さな悟達といえるほどの衝撃だった。信は、「東京で通用するとかしない」といった次元のものではない。あくまでも、自己の宿命転換、人間革命が目的のはずだ。私が札幌でやってきたことは、「組織の中で自分をどう見せるか」という程度のスタンドプレーに過ぎなかった。さしたる労もせずに、出来上がった組織の上で踊っていただけだった。


 そこから、私の反転攻勢の人生が開始された。上京した時、ただ一つだけ持参したのが、第13回伸一会総会の指導(「40代の危うさ 」)だった。


 今、現実に40代となり、先生が指導されていることが、少しずつ実できるようになってきた。地域が変わって、頼れる幹部が一人もいないことも頭痛の種。それでも、最前線を走りに走り、おじさん、おばさん達の笑顔を励みにしながら、若き日の誓いのままに奮闘する日々が続く――。

2004-10-23

40代が人生の重大な岐路


 さて、多くの人生の軌跡を見てきた私の一つの結論は、「40代が人生の重要な岐路(分かれ道)である」ということである。

 戸田先生も、何度もおっしゃっていた。「ともかく純粋な青年時代はよい。30代の終わりから、40代半ばからが危ない。皆、だんだん自分の生命の奥深い傾向に流されるから、気をつけろよ」と。

 その後、“気をつけろ”といわれた通りの事件が起こっている(大笑い)。本当に鋭い、偉大な人生の師匠であった――。

 この年代に入ると、多くの人が、次第に現状に満足し、安住するようになる。停滞し下降線をたどる人もいる。自分を律することができなくなり、酒や異や金銭、虚栄に身ももどっぷりつかってしまう場合も多い。

 また、みずみずしさを失い、何かうまくいかないと他人のせいにして、不満をくすぶらせる。人をうらやむ。足を引っ張る――。やたらに愚痴る、腐る、恨む、威張る(爆笑)。

 本当に下り坂を転げ落ちてしまう人があまりにも多い。

 そうした中にあって、この年代になっても、謙虚に、また淡々と、自分らしく成長を続けてゆく人こそ本物である。

 誰が見ていようといまいと、自ら決めた人生の道を、いよいよ勢いを増しながら、荘厳なる「完成」へと生き抜いていく。信と人格の上でも、社会人としても、あらゆる面で、一歩も退(ひ)くことなく、向上の坂をたくましく上り続けていく。そこに価値ある「壮年」の生き方がある。

 ともあれ、あのあまりにも有な「月月・日日につより給へ」(1190頁)の御指導を四条金吾が頂戴したのは、数え年50歳の時である。この事実を、壮年部の皆さまは自身の励みともしていただきたい。


【第1回神奈川県支部長会 1988-06-12 神奈川文化会館


 全く40代は大変だよ(笑)。40代が学会の命運を握っていると自覚しよう。


 私は今から3年前に青年部を卒した。今回の人事で卒された方も多いとうので、先輩として気づいた点を書いておきたい。


 まず何かにつけて、「青年部と違うんだから」と言われるようになる。特に、正論を吐いた場合、この言葉が返ってくる確率が高い(笑)。要は、「青年部は純粋だから、先輩だというだけで言うことを聞くかも知れないが、壮年・婦人はそうはいかない」ってことを、ボキャブラリーの貧弱な壮婦が語るとこういう言葉になるのだ。


 これは、よくよく考えるとおかしな話だ。私は当初、「信よりも世法が大事」と言われてるような気がしてならなかった。だから、断固、拒否したものだ(笑)。


 また、ある幹部からはこのように言われた。「ああだ、こうだと言う前に、市民権を得るのが先だ」と。壮年・婦人に市民権があることを初めて知った(笑)。受け容れてもらう努力をしろってことなんだろうけど、あんまりスッキリしない。


 私は大変、声が大きく威勢がいいので、今でも注されることがしばしばある。周囲からどういった印象を持たれているかということに関しては、細の注が必要なようだ。


 それとだ。壮年になると、こっちが悪くなくても頭を下げる局面が、いきなり増える。まあ、それで済むなら、そうすることもやぶさかではない。


 更に、壮年・婦人というのは、10年以上も同じ役職に就いているケースがザラである。だから、若いというだけで生気だと言われることも多い。


 こういった諸々のことにウンザリして、組織から距離を置く人物も多い。その反動で、急に仕事を頑張りだす人は更に多い(笑)。


 これではいけない。まず、遅い題目のペースに慣れることだ(笑)。学会っ子は比較的、お年寄りの話を聞くのが好きだから、何とかなる。だが、青年部時代に、最前線の地区に入ることもなく、大きな会合で指導することに慣れているメンバーは危ない。


「男子部上がりは役に立たない」と言った幹部に、私は斬り返した。「その人は、男子部時代から既に駄目だったのです」と。「学会活動の眼目は、一人の人の面倒をみることに尽きるはずです。そうであれば、男子部だろうと壮年部だろうと変わりがあるはずがありません」と言い放っておいた。その後は、大変だったけどね(笑)。


 結局、決に燃えてやってゆく他ない。また、それでいいとう。摩擦や波風を恐れることなかれ。一つ一つをそうやって学んでゆけばいいだけの話だ。


「壮年部と男子部は違う」と言う幹部を、私は絶対に信用しない。んなのあ一緒だ。壮年用の信なんか、あってたまるか。


 妙なしがらみに負けるか勝つかは、青年部時代から、四者の全責任を担って戦っていたどうかによる。青年部の時から壮婦の面倒をみていりゃ、どうってことはないのだ。

2004-10-20

三位房


 三位房(さんみぼう)は、そうした環境に酔い痴れ、軽薄にも、いつしか自分の中身まで立派になったように錯覚していった。その姿を、大聖人は深く慨嘆しておられる。

 こうした人間の弱さ、愚かさは、現代もまた同じである。政界をはじめ、社会的に華やかで尊敬を受ける世界に入ると、「民衆のため」という初を“はじめは忘れないようでいて”、あとでは次第に利に流され、聞に流されていく――。若い時期はともかく40代、50代となると、自分を自分でコントロールできなくなってくる人がいる。

 そうならないためには、いかなる立場になろうとも、信の指導だけは、どこまでも謙虚に受け切っていく行動が大切である。信の先輩と組織から「」まで離れてしまっては、すでに危険地帯に入っていることを自覚しなければならない。


【第5回本部幹部会 1988-05-22 創価文化会館


 信指導を求めなくなると退転する。迷い、悩めばこそ指導を求める。全て自分の判断でやっていけるのであれば、先輩も組織も不要となってしまう。


 指導を受けるのは依存ではない。自分がギリギリのところまで頑張り、後輩への責任から、どうすれば最善の手を尽くせるかと「毎時作是」した人が、先輩に体当たりでぶつかる求道の現れである。


 自分自身のことであっても、広布への責任があれば、い悩むことは多い。我々は使命ある身であるが故に、簡単に「楽な方」や「得する方」を選択するわけにはいかないのだ。


 今は激励の時代だ。「激励80%、指導・注は20%」と先生も指導されている。だが、先生の後に連なろうとする後継者がそんなことで、先生と同じ道を歩むことはできない。時代がどのように変わろうとも、信だけは厳しい姿勢で臨みたい。厳格な指導を求めるを失ってしまえば、“激励に甘んじる”無責任な青年ばかりとなってしまうだろう。


 明日、発行するマガジンも、「40代が人生の重大な岐路」との指導である。40代がしっかりと育てば学会は磐石になる。


 スポーツの世界であれ、芸術の世界であれ、訓練というのは厳しさを伴う。本物になるためには、“熱し、叩く”作が不可欠だ。


 きたはぬかねはさかんなる火に入るればとくとけ候、冰をゆ(湯)に入るがごとし、剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり、まへにかう申すはきたうなるべし(1169頁)


 訓練を受けてない人は、宿命の嵐に翻弄される。鍛え抜かれたリーダーでなければ、後輩の宿命を引き受けることも困だ。


 人間関係が稀薄な時代となり、深く関わり合うことが忌み嫌われるような昨今、小うるさい先輩が少なくなったことは、今の青年部にとって不幸この上ない。だからこそ、誰よりも厳しく自己を律し、誰よりも厳しく先生の指導を真剣勝負で読み抜いてゆく実践が必要だ。

2004-08-06

40代の危うさ


 石川達三の小説に『四十八歳の抵抗』というのがあるが、これは、40代の危うい一面を示した作品ともいえる。皆さま方のなかにはすでに40代に入った人も大勢いる。また40代に入ろうとしている人もいる。その味からも40代の特質について、今日は一言しておきたい。

 40代になると、まず肉体的に衰えが見えはじめ、生命力も落ちてくる。また、子供も大きくなり、進学等の問題も出てくる。経済的にも大変な年代となる。また、職場などでも、自分の人生の先が見えはじめてくるといった状態になる。家庭にあっても、妻も強くなってくる(笑い)。さらに、子供の自己主張も強くなり、そうそう父親の言うことは聞かなくなる。

 つまり、すべての面で、次第に行き詰まりが生じ、未来への希望が失われるようにみえる年代が40代といえよう。それにつれて、理、信に向かって一途(いちず)に突き進もうとしていた青年時代とは異なり、信も知らずしらずに濁りはじめ、現実をうまく泳いでいこうというずるさに傾斜していきがちである。こうした一番危ない年代が40代であるといっても過言ではない。

 青年時代に活躍をしながら、途中で反逆し、退転していった人たちの多くも、40代、あるいは、それ以上の年代である。

 概(がい)して20代というのは清らかである。30代になっても、まだ純粋さがある場合が少なくない。しかし、40代になると、ひとつの岐路にさしかかり、濁りを生じてくることが多いようだ。

 かつて戸田先生は「40代を第三代会長にすることはないだろう」といわれたことがある。また「40代では、これからの“広布長征”の指揮をとるには、あまりにも先が短すぎる。青年に任せるしかない」ともいわれていた。それは、40代の傾向を見極められ、熟慮された上でのことであったと実している。

 この40代という厳しい年代を生きる上で大切なことは自らの誓いを裏切らず、自己の立場、環境を嘆かず、前へ前へと進んでいく自分白身を、いかに築くかにあるといっても過言ではない。

 文句や愚痴をいっている人には激がない。歓喜もない。自らの生命をますます暗くし、閉ざしてしまう。そして自分も複雑にし、人々をも複雑にしていくだけである。

 伸一会の皆さまは、けっしてそうであってはならない。志のために、堂々たる賢者の人生を生きぬいていただきたい。

 南条時光に与えられた「上野殿御返事」の追伸に「人にあながちにかたらせ給うべからず、若き殿が候へば申すべし」(御書1507頁)と仰せられている一節がある。

 この御文について日亨上人は「中年老年の者は謗法の毒が髄まで廻(ま)わっている。一寸(ちょっと)、法華の新義を嗅(か)ぎ附(つ)けても顰蹙(ひんしゅく)する。悪口する。迫害する。但(ただ)では通さぬ。青年は毒気が薄いから法の理非が解(わ)かる。老人は相手になさるな。少年の殿の腕では、却(かえ)って危険である。冠者原(かんじゃばら/若者の)には話して御覧なさいと親切な御注である」と述べられている。

これは折伏の相手についての御教示であるが、中年・老年と若者との生命状態の違いを示されている。

 年をとってくると、どうしても濁り、我見でものごとを自分の都合のよいようにみてしまいがちである。それに対して、青年のは清らかであり、みずみずしい生命をもっている。信の話もぐいぐいと吸い取っていく。ここに、年を経ていくにつれて陥りやすい生命の根本的な傾向があることを知らねばならない。

 皆さま方は、今やその年齢に入っている。信にあっても、組織上の立場にあっても、また人生の途上にあっても、曲がり角にきているといえよう。それを、どう確固として乗り切っていけるか、また、いくか。乗り切ることのできた人こそ、広布と信にあって、後世の歴史に永遠にを残す人となっていけるのである。

 その信の栄光は、自分白身のみでなく、子孫末代にまで福運、功徳となって輝いていくのである。ここに法の因果があり、勝負がある。それを知らず、目先の利害にとらわれて要領よく生きたり、少々の生活などのためにうまく立ち回って信の世界から離れてしまえば、自分自身はもちろんのこと、子孫末代ま毒しいいをさせることになってしまう。

 皆さま方の年代、立場は、たいへんに重要な存在でありながら、ある味でもっとも利害にさとく、慢になり、ずるく卑しいが出てくる傾向があるといってよい。それに負けて、信の道を踏み外すようなことがあっては絶対にならない。

 60、70歳への人生はあっという間である。その時に、子供に迷惑をかけ、頼むべき友人もなく、退転者の悲しきを残して寂しく人生を送るような姿となっては、これほどみじめであわれなことはない。そのような敗北者になってほしくないがゆえに、今日は一つの戒めとして申し上げたのである。


【第13回伸一会総会 1986-07-31 創価文化会館


 この指導は、私が上京する際、唯一つ携えてきた指導。当時、23歳だったが、その厳しき内容から、我が人生の頂門の一針とすべくして拝してきた指導である。


 先生は冒頭、「私は、この会合には出たくなかった」と言われたと聞く。伸一会は最高幹部の人材グループだった。だが、この中から裏切り者が出た。伸一会の会合の内容が、俗悪週刊誌に漏れていたのだ。先生の厳しい言葉は、団結の弱さを衝いたものであり、脇の甘さをたしなめたものだったに違いない。


 年齢と共に濁りゆく生命を破折し、人生でどのような行き詰まりがあろうとも、若き日の誓いに生き抜けと教えられている。


 確かに現実として、青年部を卒した途端、雲がかかったように覇気を無くしてしまうメンバーもいる。こういう面々は“役職命(いのち)”なんでしょうな。高い立場でないと戦えないのであれば、自分自身に生きるのではなくして、役職に生きていると言われてもやむなし。かような者は、訓練不足を恥ずべきである。


 大体が、青年部の時にしっかりと家庭指導をやり抜き、地区にきちんとと入っていれば、そんなことになるはずがないのだ。所詮、青年部時代からデタラメな活動をしていただけの話だろう。


 牧口先生戸田先生は、牢獄の中でも戦い切った。その歴史の刻印を知っていれば、役職なんぞ関係ないはずだ。幹部だから偉いのか? そうではない。戦っている人が偉いのだ。役職は方便である。信が強ければ、どのような役職であろうとも、自分自身を発揮しながら、最高の使命を果たしゆくことができる。


 長野にて、恒例の夏季研修。厳しい指導の連続であると聞く。しっかりと、聖教新聞に掲載された指導の行間を読み切って参りたい。