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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2012-07-20

皇室中心の貴族仏教(最澄と空海


 このような皇室中心の貴族仏教(最澄と空海)が、庶民の不幸の生活をふみ台として、400年という長いあいだにわたり、偽りの繁栄を謳歌したのは、まことに驚くべきことである。


【『鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮』戸頃重基〈ところ・しげもと〉(中公新書、1967年)】


 創価学会では「平和な時代」としているが、視点を民に置けば全く別の見方ができる。多様な視点・発想を奪い取ることが宗教における最大のマイナス要素だ。中央集権という共通項によって教団と社会主義国はまったく同じ行動原理となる。

鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮

2012-07-18

真言密教は最澄の法統を密教で換骨奪胎


 東大寺別当をかね、大僧正に補せられた空海は、最澄以上に官僚的な貴族僧で、彼が一宗として確立した真言密教の勢いは、高野山や東寺だけでは満足できず、日本天台の法城比叡山にまで深く食いこみ、『法華経』に帰依した最澄の法統を密教換骨奪胎し、のちの日蓮を激怒させた。


【『鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮』戸頃重基〈ところ・しげもと〉(中公新書、1967年)】


 視点の高さが概念を変える。ただし法統は思想に非ず。もちろん真理とも関係がない。

鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮

2011-10-18

密教は仏教のみに生まれたものではない


 後に述べるように、密教は仏教のみに生まれたものではなく、ヒンドゥー教ジャイナ教においても生まれた運動であるが、仏教の密教(仏教密教)に限っていうならば、大乗仏教において密教は生まれた。このことは密教の特質と深く結びついている。

 紀元前後に誕生した大乗仏教は、600年頃にはすでにその勢力を徐々に失いつつあった。というよりも、第四期に入る頃には、ヒンドゥー教の勢力が仏教のそれをしのぐようになっていた。


【『最澄と空海 日本仏教思想の誕生』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社選書メチエ、1998年)】


 ヒンドゥー教の盛り返しに対抗する形で密教は生まれた。追々書くつもりであるが、私は仏教を逆に辿るべきだと考えている。大乗仏教運動や密教的要素は、悟りそのものではなくコミュニティ性に起因していると感じるためだ。歴史を従果向因的に見つめた方がブッダに迫ることができると思う。

最澄と空海―日本仏教思想の誕生 (講談社選書メチエ)

2011-08-12

信仰という言葉について


「信仰」という言葉はプロテスタントのロジックである。つまり信仰≒教条という図式だ。私自身、過去に何度となく「宗教とは如説修行であり、修行なきキリスト教では救われない」と書いてきた。ところがこれは誤りであった。


 マルティン・ルターが批判したのはローマ教会のサクラメント(儀式)であった。つまりプロテスタントにおいては、修行がないというよりも修行を完全否定しているのだ。これが信仰の原義であると考えていいと思う。砂漠という不毛の大地から生まれた教えが、天を仰ぐ行為へと導く。


 そう考えると密教が仏教のサクラメント化であることに気づく。最澄・空海を祖とする日本仏教がおしなべて儀式性を帯びているのはこのためだ。


 直観が更に重大なことを告げる。多分「絶対」という概念もキリスト教に由来している。絶対とは神と聖書のことだ。これは日本語で「絶対に正しい」という絶対とはわけが違う。絶対に動かし得ないものとしての「絶対」である。


 信仰と信心は異なることを理解しよう。


 信じる人々が増えると何らかのルールが必要となってくる。これが教義であり戒律だ。現代社会においては法律として機能している。社会化・共同化という現象が、教えを矮小化し、人々の自由(=権利)を束縛する。洋の東西で一致しているのが実に不思議だ。

2011-04-20

空海が最澄に貸し出さなかった理趣経


 身体性を通して修行するということは、オウムの麻原彰晃にとって密教を学ぶことと同義だったわけです。たとえば昔、空海が最澄に貸し出さなかった理趣経がそれです。スピリチュアリズムとして伝わってきたものは言わば顕教、つまり書かれたお経です。実は、古くから伝わる密教とは、身体性を用いて脳内にドーパミンを大量に出すことができる秘術なのです。


【『スピリチュアリズム』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(にんげん出版、2007年)】

スピリチュアリズム

2011-04-16

最澄「法華と真言とのあいだに優劣はなく、両者は一体不二の関係にある」


 旧仏教に対して容赦しなかった最澄は、自分と同じ新仏教の担い手、日本真言宗の祖空海に対しては妥協的であった。彼は、もと自分の弟子であり、のち空海門下四哲のひとりとなった泰範(たいはん)にあたえた書簡(弘仁7年5月1日付)のなかで、法華と真言とのあいだに優劣はなく、両者は一体不二の関係にあると述べている。


【『鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮』戸頃重基〈ところ・しげもと〉(中公新書、1967年)】

鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮