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斧節【onobusi】 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2012-07-20

皇室中心の貴族仏教(最澄と空海)


 このような皇室中心の貴族仏教(最澄と空海)が、庶民の不幸の生活をふみ台として、400年という長いあいだにわたり、偽りの繁栄を謳歌したのは、まことに驚くべきことである。


【『鎌倉佛教 親鸞と道元日蓮』戸頃重基〈ところ・しげもと〉(中公新書、1967年)】


 創価学会では「平和な時代」としているが、視点を民に置けば全く別の見方ができる。多様な視点・発想を奪い取ることが宗教における最大のマイナス要素だ。中央集権という共通項によって教団と社会主義国はまったく同じ行動原理となる。

鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮

2012-07-18

真言密教は最澄の法統を密教で換骨奪胎


 東大寺別当をかね、大僧正に補せられた空海は、最澄以上に官僚的な貴族僧で、彼が一宗として確立した真言密教の勢いは、高野山や東寺だけでは満足できず、日本天台の法城比叡山にまで深く食いこみ、『法華経』に帰依した最澄の法統を密教換骨奪胎し、のちの日蓮を激怒させた。


【『鎌倉佛教 親鸞と道元日蓮』戸頃重基〈ところ・しげもと〉(中公新書、1967年)】


 視点の高さが概念を変える。ただし法統は思想に非ず。もちろん真理とも関係がない。

鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮

2012-02-18

三国四師とは


 権実相対が比叡山ルールであれば、三国四師とはゲームのルールが変わったことを意味すると考えられる。日蓮の独創性は、比叡山ルールを設定しながら、鎮護国家の仏教を鎮護民衆へと脱構築したところにあると思う。

2011-12-30

人生中盤における出会い


 我が卯年も終わろうとしている。あ、今日はオフクロの誕生日だ。妻が何かしてくれていることだろう。私は何もしない。ただ、ひっそりと感謝を捧げるのみである。


 出会いとは変化を意味する。10代から20代の多感な季節に、どれだけの人と出会うかで人生は決まる。23歳で上京した直後、独りボロアパートで影響を受けた人やお世話になった人をノートに書き出したことがあった。その時点で既に200人を超えていた。


 30代も半ばをすぎると、段々目が肥えてきて「これ」という人物に巡り会うことは極端に少なくなる。本物を知れば知るほど偽りや虚飾が見えてくるものだ。有名でも無実の人は多い。


 だから人生に対して妙な期待をすることもなくなる。期せずしてぶつかるという点で、出会いは交通事故と似ている。


 3年前にクリシュナムルティと遭遇した時の衝撃は、軽々と交通事故を超えるものであった。始めのうちは動転した。ここで地震に例えてしまうとデリカシーを欠くことになる。ウーン、そうだなー、キー操作停止……再開。それまで熱くなったり冷たくなったりしていたものが沸点に達してしまった感がある。


 とはいえ、ひょっとすると私の勘違いということもあり得る。そこでクリシュナムルティ著『子供たちとの対話 考えてごらん』を読むよう内外の知人・友人30人ほどにメールを出した。


 ところが、である。返事は一通もこなかった。頭に来たのでこちらから「オイ、読んだのか?」と問い質すと、「難しくてよくわからなかった」という答えが殆どであった。


 思い余って知人の仏教学者に頼もうかと思案した。「でも、忙しいだろうな」と躊躇した。そんな時に「翻訳家のノート」を見つけた。瞬時に「この人だ!」と確信した。私は思い立つのも早いし、行動するのも早い。メールアドレスがわからなかったので、慎重にコメントを記した。


 ブログの主(あるじ)は翻訳家の小幡照雄〈おばた・てるお〉さんだった。1〜2週間後、小幡さんはメールを下さった。それが以下の記事である。

 私の知識では追いつけなかった。プリントアウトして仕事中にも繰り返し読んだ。10回くらい読んで少しわかるようになった。「本というものは、読める人にしか読めないものだな」と教えられた。


 小幡さんは立て続けに「『生の全体性』ノート」を綴って下さった。20回に及ぶテキストが、日蓮道元クリシュナムルティを結ぶ高層建築に見えた。70代後半になっても尚学び続ける小幡さんの生きざまを知り、私の背筋は垂直に伸びた。


「自分の視点」を持つ人は、確固たる世界観を築いてゆくことができる。私は小幡さんからそんなメッセージを受け取った。小幡さんとは面識はないが、私にとっては恩人である。心より御礼を申し上げます。


 次に中野毅〈なかの・つよし〉氏の名前を挙げておきたい。ブログ名を「創価王道」から「斧節」に変えたのは中野論文を読んだことが契機となった。左翼系の連中は絶賛したが、論文自体はどうってことのない代物だ。


 注目すべきは踏み込んだ記述にある。その意味では宮田幸一氏からも私は影響を受けた。受けざるを得なかった。


 彼らは創価大学の教授という職にありながら、自ら「リスクを取って」いるのだ。頭を殴られた思いがした。「民間人で学識者でもない俺は一体何をしてきたのか」と。


 組織という組織は構成員にとって安全地帯となる。ところがヒエラルキーによって安全係数は異なる。では創価学会を見てみよう。副白ゆり長よりも副会長は安全な位置にいる。当然ではあるが民間人よりも本部職員は安全だ。経済的にも(笑)。そして安全に保護されている意識が強い者ほど組織に依存するのだ。


 だから臆病者はリスクを取れない。そんな連中は舗装された道路しか歩むことができないのだ。


 山中講一郎氏にしてもそうだ。彼は民間人でありながら、教学面での未踏の荒野を一人歩んでいる。


 今後、創価学会が変わり得るとすれば、その先鞭をつけたのは中野・宮田両氏であると私が断言しておこう。


 最後にもう一人。神学研究者の氏家法雄〈うじけ・のりお〉さんとtwitterで意見交換ができたことは実に有益であった。彼の豊富な知識と柔軟な知性に照らされて、私の思索は一段と深まった。わずか140字のコミュニケーションが、これほどスリリングな展開になるのだから凄い。


 私にとってはいずれも不思議な出会いである。どのような立場であれ、安全な位置から安全な言葉を述べる人物は胡散臭い。鼻をつまんでも腐臭がプンプンするよ。


 私が好むのは、単独でリスクを取ることのできる勇者・冒険者に限られる。なぜなら私がそうであるからだ。

2011-06-01

ルドルフ・シュタイナーとクリシュナムルティ


 ドイツにおけるベサント夫人の同僚の神智学徒としてよく知られていたルドルフ・シュタイナーはT・S(※神智学協会)は「東洋化」されつつあると感じ、少年クリシュナムルティを何らかの霊的重要性を持った存在として認めることを拒んだ。彼は離脱し、彼自身の協会「人智学協会」を結成した。教育、芸術、本の出版を中心としたこの協会は今日まで栄えている。


【『回想のクリシュナムルティ 第1部 最初の一歩……』イーブリン・ブロー/大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2009年)】


 シュタイナーは教育者である前に神秘思想家であった。日本でただ一人、神智学協会に参加したのは今武平〈こん・ぶへい〉で、今東光日出海兄弟の父親である。このため学生時代から日出海と親しかった小林秀雄クリシュナムルティのことは知っており、講演で紹介したことがある。


 クリシュナムルティ1986年に亡くなっている。創価学会クリシュナムルティの擦れ違いは、何となく日蓮道元の擦れ違いを思わせる。


回想のクリシュナムルティ〈第1部〉最初の一歩…

2011-04-16

最澄「法華と真言とのあいだに優劣はなく、両者は一体不二の関係にある」


 旧仏教に対して容赦しなかった最澄は、自分と同じ新仏教の担い手、日本真言宗の祖空海に対しては妥協的であった。彼は、もと自分の弟子であり、のち空海門下四哲のひとりとなった泰範(たいはん)にあたえた書簡(弘仁7年5月1日付)のなかで、法華と真言とのあいだに優劣はなく、両者は一体不二の関係にあると述べている。


【『鎌倉佛教 親鸞と道元日蓮』戸頃重基〈ところ・しげもと〉(中公新書、1967年)】

鎌倉佛教 親鸞と道元と日蓮

2011-02-23

諸法実相と本覚思想


 平安時代になると、「諸法実相」の考え方が発展して「本覚(ほんがく)思想」が生れた。これは人間はむろんのこと、山川草木(さんせんそうもく)を含むすべてのものが成仏するという考え方であるが、インドの仏教からすればかなりの変質といわざるを得ない。ネパールやチベットの仏教も「山川草木が成仏する」とはいわない。しかし中国仏教にはこのような考え方の芽がある。そのかぎりでは、中国仏教と日本仏教は近いといえよう。というよりもも日本仏教は、そのような中国仏教の思想を、日本の文化的風土の合わせて導入したといった方が正確であろう。

 平安後期から末期にかけて勢力を得た「本覚思想」に対して、二つの方向からの批判が生れた。一方は法然(1133-1212)や親鸞(1173-1262)の浄土教であり、もう一方は道元(1200-53)を中心とする禅仏教であった。鎌倉仏教の主役であったこの二種の仏教伝統は、本覚思想が安易な現実肯定におち、悟りを求める実践の重要性を軽視していると批判した。


【『最澄と空海 日本仏教思想の誕生』立川武蔵〈たちかわ・むさし〉(講談社選書メチエ、1998年)】


 本覚思想とアニミズムは分けて考えるべきだ。編集者も見逃しているようで、危うい文章となっている。尚、本覚思想とアニミズムに共通する「安易さ」は、現代におけるスピリチュアリズムと同じ臭いがする。

最澄と空海―日本仏教思想の誕生 (講談社選書メチエ)