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(sora tobu kikai webpage)
東浩紀・北田暁大の共著『東京から考える』を読み、図書新聞に書評を書いたり、東さんとは先日、神保町で対談トークをさせてもらったりしたのだが、まだ自分のなかではいろいろと釈然としないところがある。
近代的な「都市」(あるいは「都市的近代」)はもはや「工学化」と「動物化」によって解体・再編を余儀なくされており、そこでは「近代的」な街はある種の「テーマパーク」としてしか残り得ないのではないか、という問題提起は新鮮だったが、じゃあ現実的に目の前で展開されている「再開発」や「高層化」のプロセスは、本当に未来に向けての構想力になっているのかといえば、やはりそれは、なにか「古いイメージ」の最後のあがきであるように思える。
たまたま下北沢の古本屋で、1989年に創刊された『都市』という雑誌の創刊号と第2号をみつけて、パラパラ眺めていたら、なかなか面白い。バブル経済の絶頂期(しかも崩壊の直前)、つまりは「ポストモダニズム」が最高潮にあった時期に、いまも一線で活躍している批評家や建築家や学者が何を考えていたのか。ちょうど「高度国防体制」のもとにあった「戦時下の知識人」の言動を後の世から検証するような、意地悪な楽しみがある。
創刊2号目の特集「性的都市」では、まるで浅田彰のような風情の大塚英志が上野千鶴子と対談していて、その内容を『「おたく」の精神史』と突き合わせながら読むと興味深いのだが、それはまた別の機会にゆずるとして、同じ号で蓮実重彦と磯崎新が「2007年――都市と建築」という対談をしており、こちらもなかなか面白い。
いま読み始めたところなので、まとまった感想はあとで書くとして、1カ所だけ、まず引用したい。それは都市の「高層化」についての発言で、昔懐かしい「ツリー」と「リゾーム」(!)の対比をふまえつつ、二人は「超高層」という発想を批判している。もちそんそれは、当時出来たばかりの新宿の新都庁のコンペで、磯崎新の「低層」案が採択されず、いま私たちが見ているとおりの丹下健三による「超高層」都庁の建築案が決定した(完成は90年)ことへの批判でもあるのだが、それはさておき、ここで悪しき「ツリー」構造としての超高層ビルのボトルネックとしてやりだまに上げられているのが「エレべーター」であるのが面白い。
蓮実(略)エレベーターっていう装置は、徹底的に十九世紀のものなんですね。それがどんなに早くなったにしても、エレベーターが人を運ぶという考え方は、特に上下にね、左右に散っていただけの人々を上下で運搬するというのは、どうしても未来の、二〇〇七年に耐える考えじゃないと思うんですね(笑)。今おっしゃったように、ある種のシンボル性だったらばそれはしかたがないと思うんですけれども、記号的に言っても、それからまた見た目からいっても、いまどの程度超高層ビルが機能しているかわからないですけれども、直観的に言ってもだめじゃないかって気がするんです。
この対談をいま読むと、吉本隆明が当時展開していた『ハイ・イメージ論』で、西武の「つかしん」などを例に挙げて都市の「重層化」や「高度化」を独特の論理で擁護していたことや、それとは逆に「ロウ」な視線で都市について語ろうとした藤森照信や赤瀬川原平らの「路上観察学会」の意味も分かるのだが、そのどちらもが今では退屈極まりないものになっているのに対し、「エレベーター」のもつ脆弱さに批判の目を向けた蓮実重彦の目のつけどころは、やはりたいしたものだと思う。
六本木ヒルズがオープンしてすぐに問題になった「回転ドア」の事故や、シンドラー社のエレベーターの事故をあらためて思い起こすべきだろう。「ドア」や「エレベーター」という、まさに古典工学的な面での脆弱さを根拠に、「超高層」という発想を批判することができるんじゃないか。
もうひとつの教訓。やはり雑誌は「十年は寝かせて」から読むべきである。
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ちなみにこの雑誌では、若き日の(!)山形浩生がリベスキンドやチュミやコールハース(当時は「クールハース」と表記)の翻訳をしていたり、岡崎京子がコラムを書いていたりもする。創刊号で岡崎京子は、「死体派観光宣言」というあまりにも「80年代的」なタイトルのコラムで、「東京の私鉄沿線には無数の村がある」と書き、自分の生まれ育った下北沢についてこんなふうに書いている。
オギクボ村やセイジョウガクエン村のよどんだ清潔さ。息苦しくて、ちっそうくしそう。シモキタ村は若衆が多いこともあって、ムラビトであったわたしはイナカモノでもあってどこにも行こうとしなかった。(略)
何も知らなかった。
例えば、山手線が“本当に"グルグル回っている、だとか、東京タワーが“本当に”あるんだとか、小川軒のシュークリームが“本当に”おいしい、だとか。
東京が“本当に”どこにあるのか、わたしは知らない。(まだ。そして、いつ?)
「東京(都市)が“本当は”どこにあるのか」という観点から、岡崎京子の『リヴァーズ・エッジ』と『ヘルター・スケルター』を、あらためて読み直してみよう。
吉祥寺の書店「百年」で何度かイベントをやらせてもらったり、「百年」店長の樽本さんと何度か話をするうちに、シニカルな見方しかしにくくなっていた「書店」という場所=装置の可能性を、少しずつ感じるようになった。(なによりそれは、自分の本がちゃんと売れる、という具体性に裏打ちされている。)
それは同時に、やや大げさにいえば「もうあまり意味がないかもしれない」と思っていた、町だとか都会だとか雑誌(やもしかしたら「言葉」)といったものの可能性を、もうちょっとだけ積極的に信じてみよう、と思いたくなるような体験でもあって、そのような場所がほかにもないだろうか、と探していた。
意外にも、自分の生活のすぐ足元に、そんな場所があった。下北沢の駅の南口をずっと下っていって、Club251の少し先を右に曲がった横丁で、去年ぐらいからずっと若い人がトンテンカンと普請していた小さな店があった。たまたま、ミスアティコの木村君と昨日の夜に打ち合わせをしていて、その店の話題になった。古着屋かなにかだと思っていたのだが、そうではなく、古本屋&カフェなのだという。
見田宗介、というより「真木悠介」にちなんで「気流舎」と名づけられたその店は、外から見ると狭そうだが、入ってみると中は案外ゆったりとしていて、店主と二人きりでも気詰まりな感じのしない、不思議な空間だった(チャイを注文してみたら、本格的でかなり美味しかった)。本の種類は「偏っている」といってもいいし、「明確なポリシーがある」と言ってもいいけれど、開店早々はこんなもんだと思う。
開店にいたるまでのフォトドキュメントがfotologueで公開されていたり、真木悠介にかんする公開のwikiがあったりと、具体的な「場所」と「本」とインターネットを使って、人と人をつなげていこうというのは、オーソドックスだけど手間がかかる。そういう方法論をいまあえてやっている試みに興味をもったので、私もちょくちょく利用するつもり。下北沢にきたら一度のぞいてみることをお勧めする。
営業は14時ごろ〜23時ごろ。水曜は休みとのこと。