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(sora tobu kikai webpage)
昨晩のNHKの「クローズアップ現代」*1は面白かった。私の出番はほんの7分ほどだったけれど、あらかじめ収録されていたビデオが秀逸で、生放送なのに、スタジオでもつい見入ってしまった。書店のPOSデータ管理依存と、読者のランキング依存とはウラオモテの現象だろうが、ここまでとは思わなかった(多少は演出上、強調されているのかもしれないが)。とくにベストセラー本ばかりを買う主婦の話は衝撃的で、たしかにそのような考え方は一理あるかもなぁ、とは思ったものの、やはり釈然としない気分が残る。
番組中でも話したと思うが、本を読解するという意味でのリテラシーの前に、いまは「本を買うためのリテラシー」の涵養が必要なのだと思った。読者が「どの本を買うか(読むか)」という判断をできるようにするためには、そもそもいまどんな本が出ているのか(出ている本はどんな本なのか)についての情報が必要である。本はそれ自体が情報のかたまりなのだから、書店に行って、現物をパラパラと立ち読みして自分で判断すればいい……と口で言うのは簡単だが、そうやって本を選ぶというのは、自分がよく知っている分野以外の場合、きわめてハードルが高い。立ち読みしただけでは本の良し悪しを判断できない人が多いからこそ、「ランキング依存」(有名人による帯依存や、ポップ依存もその亜種)という現象が発生するんじゃないだろうか。
書店の「棚」はたんなる陳列用什器ではなく、「読者に対して本をナビゲーションするための仕組み」でもあったはずなのだが、これだけ刊行点数が増えてしまうと「平台」「面出し」「棚差し」の三パターンしかないのはいかにも弱い。そもそも、店頭在庫がある程度充実していないと、面や棚は本を選ぶときの情報として、ほとんど機能しない*2。
そのために書評がある、と言えれば楽なのだが、日々刊行される本のうち、書評に取り上げられるのはごく一部のジャンルの、さらにそのなかでもごく一部の本である。しかも、往々にして同じ本ばかりが複数の雑誌や新聞で取り上げられる傾向が強い。買う側のことを考えると、書評の内容の当否を検討せずに「書評されていたから良い本だろう」と判断するのでは、ランキング依存となんら変わらない。また書評を読んだところで、その妥当性は、あらかじめその本を読んでいなければ判断できない。書評を読むだけでその本を良し悪しをおおよそ判断できる人は、すでにその著者や分野のことをよくわかっている人であって、ようするにほとんどの人にとって、本を買う際に書評は参考にならないのである。
そもそも、書評のような価値観をともなう情報以前に、本についても単純に著者名、タイトル、発売日、ページ数、価格といった書誌データが、普通の人にはアクセスしにくい情報になっている。ここで言っているのは、既刊情報ではなくて、日々大量に出荷され、店頭で販売される本についての情報である。
新刊本の書誌情報や、刊行後の売れ行きや人気ランキングが読者に公開されるのは、他のジャンルを考えればわかるとおり、とても意味があることだし、なぜそれをやらないのか、よくわからない。書店員向けにはすでに『日販週報』『トーハン週報』といった情報誌*3があるのだから、これを一般読者向けの媒体にアレンジしなおせばいい。書店も取次もあまりそれを積極的にやらないのは、「この本が欲しい」と読者から指定された場合、その本の在庫が店にないとき、言い訳がしにくいからではないのかな。
それにしても、新刊が毎日220タイトル、年間80000タイトルも出ている以上、「本の情報誌」というビジネスは十分に成り立つのではないか。書評や本の情報をもとめて新聞を読む人はだんだん減っているわけだから、人文書や文芸書などの広告もそこで打てばいい。もちろん紙だけである必要はなく、書誌データをそのままRSSで配信するのでもいい。
初版2000部とか3000部といった刷り部数の少ない本や、ランキング上位ではないが、そこそこ売れている本も、それらを逆手にとって「この店でしか買えません」「レアブックス」、あるいは「ランキング100位前後の本」「200位前後の本」などといった、新しいキャッチフレーズを考えてみたらどうだろう。
いずれにしても、いまは本についての情報を手に入れる方法を知っている人と、知らない人の間の情報格差が大きすぎる。読むリテラシーの前に、本と出会い、上手に買うためのリテラシーを育成する必要があるんじゃないか。本を買うのも読むのも、基本的な生活技術の一種だろう。供給者側がその情報を上手に提供できないのなら、『暮しの手帖』のような消費者側に立った「生活雑誌」として、試みたほうがいいのかもしれない。
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追記。「クローズアップ現代」で驚いたのは、オリコンが遂に本のチャートに参入したことだ。すでにオリコンのサイトでも週刊ランキングが30位まで公開されている*4が、番組でいまの社長はランキングのジャンルをさらに細分化していくと語っていた。これを聴いて思ったのだが、『暮しの手帖』風の本の雑誌もいいが(そもそも『本の雑誌』はそういう雑誌だった)、それよりアメリカの『ローリング・ストーン』みたいに、本の著者を一種の文化的ヒーローとして扱うような、本の雑誌があってもいいかもしれない。『ダヴィンチ』は、取り上げる本があまりに小説に偏りすぎているけれど、その方向を目指しているのかも。
できればオリコンには、20程度と言わず、チャートを掲載するジャンルをさらに細分化し、人文書や思想書、翻訳小説、辞書や実用書などまで細分化したランキングを、100位程度まで載せていってほしい。さらに、時事的な話題からつねに「新しいジャンル」を開発し、そのランキングを載せていくといい。いまだったら、「洞爺湖サミット」関連本ランキングとか、「中国問題」関連本ランキングとか、それこそ「ロストジェネレーション」関連本ランキングとか、ランキング自体がジャーナリスティックな意味をもつように、その都度工夫してやればいい。これらはすでに優れた書店では自発的に行われていることで、それを紙媒体でもきちんとやればいいのだ。
ランキングやチャートに依存するというと、なんだか悪いことのようだが、ながく雑誌編集者として仕事をしてきた経験からも、私は読者の無意識的な動きには、肯定的にみるべき要素もあるといいたい。音楽でも映画でも、あるいは小説でもマンガでも思想書でもいいのだが、受け手の側で、ある理由があって起きているダイナミックな現象(ブーム)の持つ意味を過小評価せず、それらに「シーン」としての名前を与え、その姿をきちんと見せていくことも、ジャーナリズムの役割だと思う(たんにブームを煽るだけでなく、「シーン」を冷静に相対化するためにも)。ようするに、いま日本の出版界には、受け手(それを「読者」と呼ぶにせよ、「消費者」として考えるにせよ)の立場からのジャーナリズムが欠けているのだ。
小説やマンガだけでなく、ビジネス書や思想書や実用書などまで含め、本と読者の関係は、すでに一種の「ポップカルチャー」になっている。読者から消費者へ、という変化はよく指摘されるのに、そこにどんな新しい「文化」が芽生えているのかが、まったく指摘されていないのは、やはりジャーナリズムの怠慢だろう。
それぞれのジャンル小説には『SFマガジン』も『ミステリマガジン』といった伝統ある雑誌も、『活字倶楽部』のような比較的新しい雑誌もあるが、ジャンル小説以外でも同様に起きている「読書文化のポップカルチャー化」に見合ったジャーナリズムも、それにふさわしい文体も、そのような文章を載せるメディアもないことが、過剰な「ランキング依存」という、やや異様な状況をもたらしているのだと思う。
その意味では、まずもって必要なのは『本の雑誌』や『ダヴィンチ』といった雑誌の、全面的なリニューアルかもしれない。新雑誌の出番はそのあとだ*5。
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追記の追記:そういえば、新刊書の情報を網羅している業界向け雑誌として『出版ニュース』http://www.snews.net/があったことを思い出し、最新号(6月上旬号)をひさしぶりに買う。うまい具合に、2008年度版の『出版指標年報』(2007年のデータを収録)のダイジェストが載っていた。それによると2007年書籍、雑誌とも対前年比で3パーセント以上落ち込み、出版市場全体としては2兆0853億円。ただし新刊の刊行タイトル数は99年以来、8年ぶりに前年を下回り、7万7417点に留まったとのこと。このほか、07年度下期の主要雑誌のABC雑誌部数比較表も載っている。
『出版ニュース』のサイトでは、1999年から2001年の間の記事が公開されている。もう少し新しい年のデータまで公開されるといいのだけどなあ。
*1:http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2008/0806-1.html#wed
*2:「ランキング専用棚」というのは、昔はあまり見かけなかった気がする。おそらく、本の売れなさ加減に追いつめられた書店の現場が生み出した、究極の販促方法だろう。でも、明らかにこれには弊害もある。ランキング上位の本目当てでやってきた客は、そこで本を探すのを止めてしまい、本来その本が置かれていた棚にさえ行かない。その結果、その棚に並んでいる類書との出会いを逸してしまう。
*3:『ダヴィンチ』という雑誌もあるが、あれはムダな読み物が多すぎる。むしろ客観データの羅列だけにしたほうが訳に立つ。
*4:http://www.oricon.co.jp/rank/ob/w/
*5:今週土曜日に出る朝日新聞の朝刊「異見・新言」コーナーに、雑誌の未来についてのコラムが載ることになった。雑誌については、こちらも参照されたし。