眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

友よ、さらばと言おう(2014・仏)

MEA CULPA
監督はフレッド・カヴァイエ。
大阪ステーションシティシネマで。
原題は「贖罪」という意味らしい。知らない方がいいと思います。観終わってから調べた方がいい。ま、知っていたら知っていたで、また別の感慨もあるけれど…。

すべて彼女のために」「この愛のために撃て」と来て、間にジャン・デュジャルダンの「プレイヤー」を挟んで今回の作品となるが、最初の頃には濃厚に立ち込めていたフィルムノワール的な空気は、作品を重ねるごとに薄れ、今回はさらに薄まっている。特に、すべてに疲れ果てたかのように、絶望から逃れることが出来ずに日々を徒に過ごすヴァンサンと、一人息子(演:マックス・ベセット・ドゥ・マルグレーヴ)の、戸惑いと信頼の間のゆらぎが印象的。息子は、これ以上ないくらいに、父を見つめる。映画の前半では、伏し目がちではあり、父の反応を窺うような視線である。後半では犯罪組織の標的になり、父が必死の追跡の末に助け出す。それ以降の息子が父を見る目は、輝きに満ち、信頼しきっている。しかし父はその目をまともにみることが出来ない。父は、過去の自らの行いを悔い続け、そのために息子のまっすぐな視線に耐えられない。前の2作にしても、家族との関係が物語の重要な要素であり、それは今回もそれから外れることはない。しかし、物語の軸を家族に置ききらず、相棒との関係(原案はオリヴィエ・マルシャル)にこそ重きを求めてしまっている分、少々ぶれている感じがした。ところが、二人の男の友情は、確かに映画の基底に置かれているにもかかわらず、ルルーシュの感情はランドンに向いているけれど、ランドンの感情は、ほぼ息子にしか向いていない。それでいて、息子からのそれは受け止められないという屈折がある。感情の向かう先のズレが、映画全体のバランスを危ういものにしている。結果として、少々煮え切らない映画になっているという印象を受けてしまう。いい映画を作ろうという、欲が出てしまったのではないかとも想像する。

体裁としてはフィルムノワールのような雰囲気を纏っていても、その実、家族のために戦う男たちの映画であり、カヴァイエが次作を、家族こそがすべてと言い切るハリウッドで撮る、というのは必然であるようにも思う。同じフランス映画で言えば「96時間」などと本質的な部分では違いがなく、ピエール・モレルの映画とカヴァイエには、それほどの差はないのかもしれない。

とはいえ、今回も、息子を巡る追跡の場面、クラブでの銃撃戦、特にクライマックスのTGV内で繰り広げられるアクションは凄まじい迫力(その面白さは、あまり褒めているように思えないかもしれないけれども「カナディアン・エクスプレス」か!という感じ)。適当なアクション映画なら面倒なのですっとばしてしまうような細かいシーンをきちんと拾って、丁寧に撮っている。追いついたジル・ルルーシュが車を止め、橋を廻って下まで降りてくるところ、省略してもかまわないようなところもちゃんと撮っている。痒いところに手が届く風な見せ方が素晴らしい。

原題はそのまま映画のテーマに繋がって来るが、ラストでこのタイトルが大写しになると、そういうことであったか…と、なんとも言えない気持ちになる。そしてそこから振り返り、あのときのあのセリフは、あの表情は、そういう意味だったのか…という、決して言葉に出来ない感情がその奥に隠されていたことを知る。悲しい、苦悩の物語…。

もしかすると、この先は肩肘張らぬ、軽快なアクション映画の監督になっていくかもしれず、そうなればなったで期待も高まるというものである。


この予告編はよく出来てますな。ミスディレクション的なとこも含めて。ただうっかりするとネタばれギリギリのところもあるけれど。
それと、やっぱり、映画(に限らないが)は、期待するとダメだね。勝手に愉しみにして、勝手に不満に思うのは、大変不毛なことだと思うんですよ。何事ももっとフラットな気持ちで臨みたいものです。これからは、好きなもの、褒めたいものについてだけ、書くことにしよう。なので今回の「ゴジラ」の感想は書きません。