眠りながら歩きたい ver.3

映画、ドラマ、小説、漫画などの感想や、心に移りゆくよしなしごとについて書きます。

フライト・ゲーム(2014)

NON-STOP
監督はジャウマ・コレット=セラ
連邦航空保安官であるリーアム・ニーソン。乗り込んだ旅客機内で、何者かからの「1.5億ドル用意しないと機内の人間を20分ごとに1人づつ殺す」という彼へのメール。誰も信用ならない状態でリーアムは犯人を特定出来るのか。
旅客機の乗客・搭乗員をささっと描き、ジュリアン・ムーアがリーアムの隣に座ることになる経緯あたりまでの、冒頭15分ほど。てきぱきとした手際でテンポよくみせていくところで、この映画を信用した。面白いのは、誰が犯人なのかが、最後までよく判らないこと。乗客全員が容疑者となるので、怪しい人間が多いのがよい。台詞がある人間は、出番の多い少ないに関係なく皆怪しい。勘のよい観客は察知出来るだろうが、鈍い人間(わたしのような)には、ほとんどクライマックスの直前、犯人が正体を明かす瞬間まで判らない。というか、別にフェアなミステリ映画でもないので、判るわけがないのもしょうがない部分もあるけれど。ギリギリまでひっぱるお話の作り方、そしてジャウマ・コレット=セラの、誠実な娯楽映画作法が素晴らしい。
犯行の動機に関しては「まさか9.11を引きずったものになっているとは想像もしていないので少なからずショック。「ユナイテッド93」を思い出させるシーンがあり、航空サスペンスである以上はそれも当たり前ではあると思ったが、内容そのものに絡んでくるとは思わなかった。犯人は「ブラック・サンデー」のブルース・ダーンのようでもある。が、あれよりも捻じれ、ひねくれた犯人は、より繊細で、より危険に人間に思われた。どんどんと病み度が上がる世界の中で、実際の事件を娯楽映画に平然と取り込むアメリカ映画の凄さをまざまざと思う。これもある種の、喪の仕事なのだろうか。「ゴジラ」にしてもそうだった。それが許されることの懐の深さに、日本映画の叶わないスケールの大きさがある。それにしても、この時期に公開されるとは…。偶然だろうけど。たまたま9月11日にみた人の中には、特別な感慨を抱いた人も少しはいたんじゃないだろうか
謎が投げっぱなしになっているところがあちこちにあり、そこにとらわれると考え込んでしまい停滞、せっかくの展開に乗れなくなるので注意。なんと!えらいことになった!とその瞬間ごとのショックを愉しむのがよい見方。犯人としては「どうせ飛行機落とすつもりだから、色んな不手際があっても問題なし」と思っているだろうが、脚本家も思っているんじゃないか。話しを面白くするために、お客を引っ張れればいいんだと。謎は、いわゆるマクガフィンみたいなものであって、それには大して意味はないんだと。でも感想の多くはそれを脚本の不備として指摘するものが多い。作り手の意図と観客の指向がずれてるのだろうか。
リーアム・ニーソンは、今回も暗い過去を背負った男として登場し、ここ最近の無双っぷりを見せつける手ごわさ健在。一方的な捜査のやり方が乱暴すぎるのだが、その表情の中に後悔や戸惑いをみせるあたりに、さすがに俳優としての腕のありようが光る。特に、乗客に対して、俺はハイジャック犯じゃない、と訴えるところがよい。自分の過去について、まさか150人の人間を相手に語ることになるとは思いもよらぬだろうし、そんな告白をされた方も驚くだろう。あの場面は、乗客がリーアムの側につく転換点でもあるけれど、狭い機内の中で、心理的な圧迫感がスカッと晴れる瞬間でもある。うまいなあと思いました。こういうサスペンス映画がもっと公開されて、ヒットしてほしい。洋画の不振が大変なことになっているが、本当にどうしてこうなってしまったのだろう…。
音楽はジョン・オットマンなのだが、「パシフィック・リム」と似てないかな?


久々に聴くと、いやいやいや「パシフィック・リム」のテーマ曲は本当に燃えるな。