怨讐を愛さなければならない理由

愛をもたずしてはサタンを屈服させることができないのです。ですから、天国に入っていくことのできる家庭になるためには、神様も堕落した天使長を愛したという位置に立たなければならず、神様の息子、娘の家庭もサタンを愛したという条件を立てなければなりません。そして、皆さんが出ていって戦い、サタン世界を愛でもって屈伏させたという条件の上に立たなければならないのです。「私は、怨讐を全部打ちのめすのではなく、怨讐を屈伏させて長子権を回復するようになった」と言わなければならないのです。
神様が怨讐を打ちのめすのではなくて、怨讐を愛したという条件と、怨讐たるサタンをアダムの代身の位置に立った人として愛したという条件を立てなければなりません。迫害を受けながら涙と血の汗を流し、すべてを耐え抜き忍んで、自然屈伏させて神様の愛を抱いて戻ってきて、初めて祝福を受けることができるのです。
そこでサタンが放してくれるのです。「ああ、あなたは今から天国に入っていける子女になることができます」という公認を受けなければなりません。誰がサインしなければならないのかといえば、サタンがしなければなりません。サタンがしてからのちに皆さんがし、皆さんがサインしたものを真の父母様がサインしなければなりません。真の父母様のサインを通してこそ、神様の前を通過するのです。それが天国です。(文鮮明先生の御言葉 1986年2月22日)

復帰の道にはサタンがいます。
サタンが屈伏せずには神様のもとに帰ることができず、天国に入ることはできません。
サタンは愛の怨讐(敵)です。そのサタンを愛さなければならないというのです。
祝福を受ける道も、サタンを愛して自然屈伏しなければ行くことができません。
神様とアダムとエバと天使長(天使界)…。
堕落以前の世界には、サタンはいませんでした。
すなわち、怨讐(敵)という概念はなかったということになります。
堕落によって怨讐(敵)が生じ、戦いが始まってしまいました。
ゆえに、偽りの愛によって引き起こされた堕落を元返して行く道は、真の愛によって怨讐(敵)を克服していかなければならないということです。
怨讐(敵)と戦ってはならないということです。
怨讐(敵)をも愛さなければなりません。
創造理想世界(天国)に怨讐(敵)は存在しないからです。
エス様は十字架につけられた時、こう言われました。

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23・34 新共同訳)

それゆえ、肉体はサタンに奪われてしまいましたが、霊的な復活の道、霊的な救いの道は開かれたのです。
真の愛、怨讐(敵)を愛する愛の勝利の基準が立った瞬間でした。
私たちはどれくらい怨讐(敵)を愛する生活をしているのでしょうか。
いくら「サタン、サタン」と騒いでも、怨讐(敵)を愛でもって自然屈伏させられなければ、神様にも、天国にも、永遠に関係のない私たちになってしまいます。




文鮮明先生と金日成主席