蕩減

先生には蕩減しか分かりません。生涯懸けて蕩減を主に考えてきたのですから、蕩減の峠を越えないと復帰はできません。だから統一教会の理念の最高の基準には、ただ安らかな生き方では到達することが絶対できません。ですから、蕩減というものを尊重せざるを得ません。蕩減を通さないと絶対に行けない目標だから、蕩減を重要視せざるを得ないのです。(文鮮明先生の御言葉 1993年12月19日)

「蕩減」。韓国語の一般的な辞書には、「負債などをすべて帳消しにすること;棒引き」とあります。
当然、文鮮明先生が一般的な意味の範囲、次元のみでその言葉を使っておられるとは思えません。
「原理講論」には、「蕩減」について、以下のような説明がなされています。

どのようなものであっても、その本来の位置と状態を失ったとき、それらを本体の位置と状態にまで復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを「蕩減」というのである。(後編 緒論)

文鮮明先生の生き方と御言葉を理解しようとすれば、「蕩減」が分からなければなりません。
これは文鮮明先生というかたを理解するうえで、最も重要なキーワードではないかと思います。
統一食口(統一教会の教会員)がしばしば何となく「蕩減だね〜」と使っている次元のものではなく、復帰摂理の成否を決定する重大な内容です。
「もう蕩減の時代は終わった」と言えば、これからは何でも自由にして良いかのごとく肩の荷が下りたような錯覚をしてしまうのも、勘違い、間違いだと思います。
統一原理でいう「蕩減」は、人間始祖が堕落してしまったために出てきた概念です。
それゆえ、「メシア」と「蕩減」は切って切り離せない関係をもっています。
ですから、メシアである文鮮明先生を理解するためには「蕩減」についてよく知らなければならないということになります。
文鮮明先生の御言葉、歩まれた復帰摂理の路程…、文鮮明先生のご生涯を真に理解するために「蕩減」について私たちはもっと真剣に、詳しく学んでいかなければならないのだと思います。




蕩減復帰の道を歩まれた文鮮明先生