善悪の判断

『御旨の道』。開くたびに啓発される御言葉集です。
時間がないとき、家事や仕事の合間の訓読タイムに最適な御言葉集です。
1〜2行の御言葉から力や悟りが与えられ、反省と悔い改め、復活に導かれます。
『御旨の道』(Ⅰみ旨について・一 み旨)から。

何が善であり悪であるかに対しては、神様も教えてくださらない。時には、神様が、「それは正(せい)である」と教えてくださったとしても、ある時は「それは否である」と教えていくださることがある。ゆえに、それは自分で見分けをつけなければならない。


終末の時は、善と悪の交叉の時なので、善悪が見分けにくくなる時なのかもしれません。
造られし者が神様(創造主)のご判断の領域をどうのこうのと言う立場ではありません。
この御言葉から啓発される内容は、判断の責任は自分自身(人間)にあるということです。
「カインはアベルに従わなければならない」というとき、従わせるアベルにも、従うカインにも、それぞれ責任があるということです。
私たちはすぐに弁明し、他のせいにしがちです。
他のために生き、責任を果たすという天宙の道理とは全く逆の話ですが、現実は、そのような場面が多いのです。
もちろん、物事を的確に判断することは簡単ではないでしょう。
善悪の判断となればなおさらで、究極の原因、宇宙の根本にまでさかのぼらなければ、到底その答えを見出すことは不可能と言わざるを得ません。
だからこそ、造られし者、人間が判断する立場に立つときに重要なことは、「責任ある判断をしている自分なのか」ということなのだと思うのです。

悪を分別することのできる指針として与えてくださったのが、良心である。(『御旨の道』Ⅰみ旨について・一 み旨)

神様は私たち一人一人に「良心」を与えてくださいました。
私たちは、この良心とともにあってこそ、「責任ある判断」に至ることができるのではないかと思います。
良心とともに生きる生活をいかに行うか、これが信仰生活の本質なのかもしれません。
そうしなければ、いつしか、私たちは責任転嫁の権化となり、嘘偽りの上塗りの人生を行かなければならなくなるでしょう。
それが組織丸ごとの体質になってしまっているようなら、残念ながら、未来に希望はありません。




御言葉を語られる文鮮明先生