責任分担

堕落していなかったならば、責任分担は易しいのです。ただそのまま育てば思春期が来るようになっているので易しいのです。それは自然に来るようになっています。自然に来るので難しいことはないというのです。間違った愛によって責任分担が難しくなったのです。それでは責任分担の中心とは何ですか。神様が95パーセントの責任を果たし、人間が5パーセントの責任を果たして、人間が神様の創造の偉業を相続することだというのです。それでは相続するための中心は何ですか。真の愛です。(『罪と蕩減復帰』光言社 p.30)

統一原理を学び、統一教会の信仰を持つようになれば、ほとんどの場合、「責任分担」という原理が大変重要な内容であることを意識するようになります。
上述の御言葉では、「堕落していなかったならば、責任分担は易しいのです」とありますが、堕落したために責任分担がとんでもなく難しいものとなってしまったのです。
なぜ、難しくなったのか?
「間違った愛によって責任分担が難しくなった」と文鮮明先生は解説しておられます。
間違った愛…これが堕落の本質的な問題点だといえそうです。
責任分担の目的が「人間が神様の創造の偉業を相続すること」にあり、その相続の中心的内容が「真の愛」であったということです。
堕落人間にとって(また、堕落した世界においては)、「責任分担」を全うすることは本当に難しいと感じます。
愛の問題は実に厄介な問題です。
人間始祖アダムとエバの堕落以来、気が遠くなるほど愛の過ちを繰り返してきた人類。
文明の進んだ今日に至っても、愛の問題は人種・国籍の別なく困難な課題として横たわっています。
その困難さの最大の要因は何でしょうか。
それは、愛が何か分からない、愛が何か分からなくなってしまった、ということではないでしょうか。
「愛」という言葉はありますし、大抵の人間は、愛は大切なものであると考えているでしょう。
しかし、「真の愛」が何か?と問われば、その答えは千差万別です。
真の愛は、どこから来るのでしょうか。
真の愛は、神様を起源としています。
ですから、神様について分からなければ、真の愛についても分からないということになります。
「人間が神様の創造の偉業を相続」というテーマは「真の愛」に帰結します。
人類は、「神業(神技)」のごとく、文明を発展させてきました。
近・現代科学においては、次々と神の領域といわれるような発明や発見がなされています。
しかし、人間の責任分担、すなわち、真の愛の発見がなされていません。
人間の責任分担、真の愛、そしてその起源である神様を明らかにする存在が現れなければなりません。
そのかたこそ、人類の救世主、メシアに違いないのです。



ニューズウィーク誌の表紙を飾った文鮮明先生