統一教会の「教理」はない

統一教会には「教理」はありません。「原理」があります。数多くの宗派には「教理」がありますが、統一教会には「原理」という言葉があります。「原理」というのは、宗教を信じる人も、宗教を信じない人も、千年前も万年前もこの道を経なければならない、その原則的な道をいうのです。
ですから、統一教会で今、教えている真理というのは、神様と人間世界における曲折のすべての事情、恨(ハン)が残ったものを解き得る原則的な内容を教えているのです。教理ではありません。教理は、天使長圏復帰解放時代までです。それでは家庭を築くことができないのです。家庭を取り戻すことができません。(文鮮明先生の御言葉 1997年8月9日)

「原理」は、要するに時代や環境によって変わるものではない、ということです。
組織の事情だとか、教会の事情だとか、そういうことに影響されるものではないということです。
信じようが信じまいが、原理は原理であって、厳然として万人に適応されるものであるということ、こういう前提を持てるかどうかは、統一教会の教会員のアイデンティティーにとっても大変重要なことだと思います。
さて、「教理は、天使長圏復帰解放時代までです。それでは家庭を築くことができないのです。家庭を取り戻すことができません」と文鮮明先生は語っています。
家庭理想、家庭完成の道はまずもって人間に与えられた責任分担でした。
宗教の教理は、神と来世、霊界の存在を信じさせ、そこから人の生き方を説いています。
これが、天使長圏復帰解放ということでしょう。
天使長という存在は、神に仕える霊的な存在ですから、神と霊界を前提としなければ現れることができません。
霊界の実在も、天使長の存在も、人間を前提としています。
家庭(繁殖)は、人間の責任分担に属する「原理」なのです。
家庭(繁殖)=愛と性に関する責任の問題は、信じる信じない、知っている知らないの次元ではなく、人間完成原理の核心であって、家庭教育の中心的内容であり、学校教育、社会教育の柱となるものです。
これがうまくいかない場合は、家庭は崩壊し、社会は混乱し、国家は滅亡してしまうということになります。
「原理」は統一教会次元の問題ではなく、家庭、社会、国家、世界の問題だということです。




訓読会で御言葉を語られる文鮮明先生