自然から学ぶ

先生は「統一原理」の80%以上を自然から学びました。ですから、自然から学ぼうというのです。(文鮮明先生の御言葉 1996年5月1日)

目に見えない原因的存在をいかに知ることができるのか。
『原理講論』では、「(結果的存在である)被造世界を観察することによって、知ることができる」とし、ロマ書1章20節の聖句を引用しています。
文鮮明先生は統一原理を自然から学べと言います。
確かに統一原理は、一宗教団体の教え(教理)ではない、というのですから、いつの時代でも、誰にでも、どこにでも通じる普遍的な「原理」であるはずです。
統一原理を普遍的真理と信じる者として、もっと「自然」と向き合わなければならないと反省させられます。
文字や言葉だけで学び、頭(知能)だけの理解では、真に統一原理を分かることには至らないのかもしれません。
自然を通して、心霊と知能の両面の刺激を通し、「原理」は理解されていくものなのでしょう。
アダムとエバは、自然以外存在しない世界に誕生したと思われます。
天使たちから言葉による(以心伝心?)教育を受けながらも、自然(現象)を通じて最終的な理解と判断を自らの責任において行うべきであったのが人間始祖の姿であったのではないかと思います。
「原理」は客観的なものであるけれども、アダムとエバはそれを自らのものとするためには、主観と客観を一致させていく行為を自然と通して行うべきであったのかもしれません。
第二の創造主、万物の主管主となるためには、原理の主人にもならなければならなかったでしょう。
信仰生活においても、原理の宝庫、原理そのものである自然と宇宙に向き合っていく生活を心掛けなければならないと思います。



自然の中で信徒たちに御言葉を語られる文鮮明先生
エス様の山上の垂訓を思わせる