相対と対象は違う

存在するものは三対象基準をもたなければなりません。相対と対象はどのように違いますか。相対と対象は違います。相対はただ向き合うことです。何であっても、存在の位置をもてば、必ず相対基準を造成しなければなりません。ですから、相対はただ向き合うことを意味します。しかし、対象というものは、何かを授け受けすることによって共同目的の価値的過程を経ることを意味するのです。(文鮮明先生の御言葉 1961年4月15日)

相対はただ向き合うこと、対象は何らかを授け受けすることによって共同目的の価値的過程を経ること―。
皆さんは「相対」と「対象」という言葉を区別して使っていますか?
韓国では、相対は「サンデ」、対象は「テサン」といいますが、妻のことを「テサン」、夫のことを主体(チュチェ)と呼びますね。
日本では、配偶者のことを「相対者」と呼び、最近では韓国の影響もあるのでしょう、「主体者(夫のこと)」「相対者(妻のこと)」と言っているのを多く聞くようになりました。
日本では、「対象者」といえば、伝道対象者のことをいうようです。
「ゲスト」という言い方よりはいいような気がします。
妻のことを日本語で「対象」とか「対象者」とは言わないようですね。
さて、夫婦関係は相対関係ですが、授受作用を起こすことによって主体と対象の関係になります。
共同目的のもと、授受作用がうまく働けば、そこには価値を生み出す過程が生まれてきます。
夫婦もまた、同様でしょうね。
夫婦の価値、理想相対の価値を生み出すためには、主体・対象の授受作用によって四位基台を造成できなければなりません。
価値を生み出そうとするとき、相対関係を主体・対象の関係に切り替えなければなりません。
主体が主体として立ち、目的をもって対象に向かってよく授ける、ここから授受作用が始まるようです。



文鮮明先生ご夫妻