一心不乱 一生懸命

世界的に恐ろしい軍隊があるとしたら、恐ろしいほど訓練された軍隊である。素晴らしい軍隊があるとしたら、素晴らしいほど訓練された軍隊である。それ以外にはない。実践には例外がない。奇跡ということは例外の例外であって、それは、一時あった場合には千年の穴があく。我々はそれを知っている。
訓練が必要である。でたらめな訓練ではない。計画的であり、科学的であり、理論的であり、実践的な計画の訓練である。(文鮮明先生の御言葉 1973年7月8日)

「一心不乱 一生懸命」のタイトルで語られた御言葉の一節です。
およそ40年前に東京で語られた御言葉です。
もちろん、「奇跡」と呼ばれるものは存在するでしょう。
しかし、奇跡を前提とした人間の責任分担はありません。
文鮮明先生は「訓練」を重んじます。
そして、「計画的であり、科学的であり、理論的であり、実践的な計画の訓練が必要」だと強調されます。
私たちが確実に結果を得ようとすれば、しっかりとした計画が必要です。
ゆえに、訓練もまた確かな計画に基づくものでなければならないということです。
引用の御言葉は統一教会の歴史の中ではよく知られている御言葉ですが、文鮮明先生聖和された今こそ、この御言葉を握りしめて歩むときだと感じています。
神の戦士たちとって、確実に勝利する力、内外の実力を持たなければならない時代を迎えています。
神の戦士とは、真の愛の実力者であり、御言葉の鎧、原理を武装した勇士たちです。

新約聖書「エフェソの信徒への手紙」の一節です。

最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。…(新共同訳)

もう一度御言葉をしっかり学び、原理的生活、原理的戦いのできる自分にならなければならないと思います。
誰でもなく、自らが自らを訓練する者となり、時に備えて計画的に準備しなければならないのです。
文鮮明先生への依存心から抜け出し、責任を果たす真の子女になりたいと願います。



神霊と真理、真の愛と原理の御言葉で戦ってこられた文鮮明先生