学校で何を教えるべきか

私が建てた学校には、どこでも三つの標語が掲げられています。一つ目が「昼十二時のように影のない人生を生きなさい(正午定着)」です。影のない人生とは、すなわち良心に引っ掛かることがない人生です。地上での人生を終えて霊界に入っていけば、生涯、自分が生きてきた人生が、録画テープが回るように展開します。天国に行くか地獄に行くかは自分の人生によって決定するのです。ですから、一点の影もないきれいな人生を生きなければなりません。
二つ目は、「汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流して生きなさい」です。人間が流す血と汗と涙は偽りではありません。すべて真実です。しかし、自分のために流す血と汗と涙は無意味です。血と汗と涙は人のために流さなければなりません。
最後の三つ目は、「One Family Under God !(神の下の人類一家族)」です。神様は唯一のお方であり、人類は兄弟姉妹です。言語と人種と文化の違いはあっても、すべて同じなのが人間です。(『平和を愛する世界人として〜文鮮明自叙伝』pp.340-341)

学校、教育機関といえば、文鮮明先生が下さる教育理念および教育目標に関する揮毫は共通しています。
「愛天、愛人、愛国」です。
「天を愛し、人を愛し、国を愛すること」を教えるのが教育の中心テーマであり、基本だということです。

引用の御言葉を要約してみると、
①正午定着、自他を偽ることなく良心に従う生活をせよ。
霊界における自分の位置と状態は自らが決定する。
②他者のために生きなさい。
③神様は人間の父母であり、人類は互いに共通の親のもとの兄弟姉妹である。
と言えるでしょうか。

ゆえに、学校教育においては、
①人間の心の在り方と霊界の実在と様相を教えなければならない。
②利他的な人生観と他者のために生きる哲学と実践を行う教育がなされなければならない。
③人類は一つの家族であるゆえに、超人種、超国家、超民族、超宗教(宗派)と共生共栄共義主義の世界観を教えなければならない。
という三つの内容を行わなければならないということになります。

真実に生きなさい、人のために苦労しなさい、共に生きなさいということです。

一般社会において、このような内容を教えている学校がどこにあるのでしょうか。

根本的な教育の課題は、神の実在を教えることです。
神とはいかなる存在であり、神の創造目的(被造世界の存在理由)が何かを教えなければ、上記の三点を本当の意味で教育することは難しいでしょう。

旧約聖書の伝道の書の一節(第12章1節)が思い出されます。

あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」というようにならない前に、



人類に神様を教えてくださった文鮮明先生