Aminosäureがsichになるまでの間に考えたこと

本などをきっかけに考えたこと。

禁恋セラピー


読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー [セラピーシリーズ] (ムックセレクト)

読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー [セラピーシリーズ] (ムックセレクト)


禁煙セラピーのパロディをやろうと思っていたのに、真剣に考えさせられてしまった。


(タバコを吸う理由として)

「退屈しのぎ」。これも本当は嘘です。退屈とは単に気持ちのあり方の問題なのですから。

アレン・カー『読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー』p31


発疹の薬もどきの話がすごく納得した。
その薬は発疹を発生させる。しかし塗った直後だけ自身が作った発疹を消す。
麻薬だなー。これ麻薬だ。


会うことは寂しさ辛さを発生させる。しかし会っている時だけ自身が作った寂しさ辛さを消す。
そしてだんだん耐性が付き、会う直前直後も辛くなり、さらには会っていても辛くなる。それでも会うことが会いたいという気持ちを引き起こす。


小学生のころに友達がしていて、それで存在を認識して私もなんとなく始めてしまった。周りもみんなしているし、それがあれば幸せだという社会からのアピールはすごいものがある。
辛いけれど恋は降りてきてしまう。明日の朝タバコ嫌いになっていますようにと毎朝願うように、恋が降りてきませんようにといつも願っていた。
対応させるなら、
 恋をしてしまう人:喫煙者
 会いたい:吸いたい
 会う:吸う
というかんじか。
片想いにおいて、と考えたほうがいいな。


偶然一緒に読んでたこの本も頭の中でごっちゃになるほど関連があって草。

ラッセルの言い方らしいけれど、生活に視野が固定されて生じる不幸は生活の外のものに対する熱意で解決されるみたいなこと。


たぶんそれができるようには訓練が必要だ。声の出し方をちゃんと習得する段階で曲を歌ってはならないし、まだ自転車の練習中なのに地図を広げて目的地に向かうのは馬鹿げている。
基礎的な練習に専念すればきっと安全なものへの熱意を持てる。そして恋から逃れられるだろう。


読んで書いてということも害が少ないのではないか。一人でできることは害が少ないことが多いだろう。