うた

近頃、書きものがとても多いのです。書きものが多くなると、
どうも「一週間」の認識が「二日」くらいの感覚になります。
勿論、人によって異なるのだとは思いますが、個人的に、書きものは
作業成果が見えにくく、目に見えて、ああ、仕事をした、
という状態まで辿りつくのに、どうしても一週間程度かかります。


と言う訳で(?)、気付けば、前回更新から随分経っていました。
感覚としては、まだ一週間くらいなのに……おかしいですね(笑)。


周囲の景色がいつの間にか濃い緑色になり、いつの間にか
夏至も近づいていますが、皆さんはいかがお過ごしですか?



ところで、先日、この裏ブログの記事に星マークを頂きました。
ありがとうございます。こと、食に関して近頃感じる違和感に、
力強く賛同してくださったことが、とても心強く、嬉しいです。
やはり、同様に感じている方は、いるのですよね……。
どうか「まっとうな食の価値観」が、地味に、でも、じわじわと
広がっていきますように、と、ごく地味に願い続けるこの頃です(笑)。




……さて、今回はですね、歌について思うところを書きなぐろうと
考えています。実は、先日、英国女優の一人、Judi Dench の、
若かりし頃の歌声を聴く機会があったのですね。



Judi Denchと言えば、一般には、ジェームス・ボンドの上司役か、
映画「Shakespeare in love」のエリザベス1世女王役で知られて
いますが、そんな、商業的に「当たった」役どころを除いたとしても
実績に事欠くことはまったくない、英国屈指の名女優の一人です。
昨年、高松宮殿下記念世界文化賞舞台芸術部門を受賞しましたので
日本でもご存じの方は多いと思います。


ともかく、シェイクスピア作品をはじめ、数々の伝説的舞台作品を残し、
Denchと共演する俳優たちは、「お金を貰って、マスター・クラスを
受けているようなもの」と実しやかに言っているとか、いないとか。



そんな伝説的かつ現役の女優Denchですが、「歌」も有名で、
「歌手としてはけっして上手くは無いけれど、確実に上手い」という
奇妙な評を、長い間、耳にしていました。で、先日、実際に聴いてみて、
なるほどと納得。本当に「歌手としてはけっして上手くは無いけれど、
確実に上手」かったのですね(笑)。


聴いたのは、ミュージカルの中の1曲で、歌っているような
語っているような……何と言いますか、キャラクターが、心情を
普通に呟くには忍びなく、メロディにのせて吐露した、という感じ。
それでも、きちんと歌なのですけれど。


面白かったのは、同じ曲を、別の、近年の若い女優が歌っているのも
聴いたのですが、こちらは、歌は上手いのに、なぜかその「歌の上手さ」が、
逆に、こちらの聞く気を削いでしまったように感じられたことです。



で、思い出したのが、英国役者のバイブルにも等しい、とある
「声の訓練書」の一節でした。筆者は、「役者にとって、歌を学ぶことは
有益」とした上で、このように続けています:



  However, the actor must never think of his voice as
  an instrument, as this implies something exterior to
  himself with which he can do things, and then it will
  be false. Naturally, it needs to sound interesting, but
  interesting and remarkable in so far as what you are saying
  is interesting and remarkable and not as an end in itself.


  (ざっくりとした意訳: が、役者は自らの声を「楽器」として
   捉えてはなりません。そういう認識は、声を、自分が使うことのできる
  「道具」と見なすことに繋がるし、そうなると、声は偽物になってしまうのです。
   勿論、人の興味を引くような声ではあるべきですが、「興味深く素晴らしい」
   のは「台詞が持つ意味」であって、「音そのもの」ではないのです。)



さらに、このくだりは、歌手の為と、役者の為の声の訓練は
混同されるべきでない、と続きます。ざっくりと説明しますと、


「歌の場合、伝えることは『作曲者が作った音』の中に込められて
いるため、表現の中核は『音の響き』であるのに対し、役者の場合は、
『言葉』が重要で、その『言葉』をどんな音にして表現するか、
その可能性は、役者それぞれの個性と同じだけ複雑で多様なのだ。
声を使う基礎の仕組みは同じでも、その使われ方が異なるのだから、
当然、訓練もそれぞれの目的に応じたものであるのがよい」


と言ったところでしょうか。一言で単純に言うと、
「嘘くさくなるから歌う声の使い方で台詞を話すな」という感じかしら。



で、なるほどと思いました。Denchは、役者としての
声の使い方をして、「言葉を絶妙に音に乗せて表現」していたけれど、
若い女優の方は、経験不足か、もしくはそうしようと決めたのか、
理由はどうであれ、単純に「歌」を歌ってしまっていたのですね、故に、
歌部分だけ、「役者の」でなく「歌う」声の使い方に変わった、と。
台詞ではなく歌を歌っているのだから、勿論それでも良いのですが……。


ただ、個人的には、二人のその微妙な「違い」に、興味を覚えました。



「ミュージカル」を上演する上で、歌に重きを置くか、芝居に
重きをおくかは、演出家や演者の判断によって、様々なのでしょうが、
やはり英国の名優たちにとって、舞台上で発する言葉というものは、
歌だろうが何だろうが、「台詞」なのだなとしみじみ思ったのですね。
そして、その伝統はやはりシェイクスピアから来ているのだろうな、と。



英語は、「音」を重視する言語だと考えていますが、
多分その大本である、シェイクピアの台詞は、
言葉の性質そのものが既に音楽的で、現在の「歌」と
「芝居台詞」の中間あたりある存在のように思います。


決して歌ではないのですが、壊してはならない旋律のようなものが、
台詞そのものの中にあり、それを無視して話すと、音程から外れて
歌を歌うのと同じように聞こえてしまいます。歌とは異なる、
言語リズムの芸術とでも言うのでしょうか。



そんな音楽的な台詞を、声を自在に操って表現することに長けている、
シェイクスピア役者と呼ばれる名優たちは、だから、「歌」も、
役者の声の使い方のまま、台詞を話すように歌えてしまうのではないかしら。


故に、英国における上級の「ミュージカル」には、どこか「歌」と
「言語リズム」の狭間を行ったり来たりするような、深い味わいがあり、
初めに歌ありき、の米国的ミュージカルとは少々一線を画しているように
感じます。……勿論、個人的な感想に過ぎませんけれど(苦笑)。



……ええと、何だか訳が分からなくなってきましたが、一言でいいますと
英国の舞台は、取りあえず奥が深い、ということですね(笑)。



それと、今、気付きましたが、個人的に、言語を問わず、言語リズムの良いものに
魅かれる傾向があるようです。だから、多分落語も好きなのです(笑)。
あれは、間違いなく、日本語の言語リズムの芸術ですものね。



それで、ですね、支離滅裂のまま、気にせずに話を進めますが、
個人的に、日本で「シェイクスピアの言語リズムの芸術」に似た
雰囲気を持つものは、(多分、元々の言語構造の違いから)芝居ではなく
「歌」と思っています。それも、歌謡曲と呼ばれる類のものですね。


明治のご維新(笑)以降、西洋音楽が入ってきてから生み出された、
まっとうな「歌謡曲」は、言葉と意味とメロディと音とが、
丁寧に計算されて作られている、はず。


その「音楽にのせて絶妙に表現された日本の言葉」が、何となく
シェイクスピアの台詞のようで好きなのですが、最近は、そういう
「歌謡曲」の流れを組むまっとうな歌が少なく、残念でなりません。
……勿論、個人的な感想に過ぎませんけれど(苦笑)。



そう言えば、歌を称して、音楽(オンガク↗)というのを耳にしますが、
日本では、本当の歌は「うた」と呼ぶ方がしっくりくる気がします。
本物のうたが減ったから、それに伴って、「音楽(オンガク↗)」という
言葉が台頭してきた、なんてことはないかしら……(ないですね)。



ええと、結局訳が分からないままですが、結論を言いますと、
日本の、本当に良い「うた」を、もっと聞きたい、です。……多分(笑)。




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