不連続的差異論入門:その22

人間の悪について:なぜ悪があるのか:ポスト・ユダヤキリスト教と世界ルネサンスへ向けて

これまでの自我論から見ると、自我という悪は、差異共存志向の冷暗化によって生じるということであった。では、何故、近代西欧米において、これが、著しく増加したのだろうか。差異共存の冷暗化、あるいは、メディア界の冷暗化が、強化されたということになるのだが、その原因は何か。
 ここで、観点を変えて考えよう。では、何故、自我悪は、自身を正しいと思うのであろうか。何故、自我悪は、自身を義や善として振る舞うのだろうか。偽善・独善主義である。そのメカニズムは何だろうか。そう、差異共存志向性の冷暗化で述べたことをここで想起すればいい。つまり、誰にでも本来、差異共存志向性という善、本善、原善はあるのである。これは、仏性と言ってもいい。性善説である。しかし、これが、捩れて悪へと転化するのである。すなわち、善が悪と転化するのである。だから、性悪説とも言える。(性善説性悪説は等価である。)
 とまれ、この冷暗化において、個体は、被害意識をもつのである。生得的喜びを否定された個体は、被害者意識をもち、反感をもつのである。反感とは、自己の存在が否定されたことへの反動であるから、そして、反感は自己の存在を取り戻そうとする衝動を内在させる。この反感・反動的自己存在復権衝動は、復讐でもあるが、独善・独断的衝動であると言えよう。つまり、反感独善衝動を反動性としてもっているのである。そして、これが、連続・同一性化という現象化と結びついているのである。連続・同一性は、必然的に生起する現象化であり、個体を形成するものである。しかし、そこに反感独善衝動・反動暴力が加わると、自我、自我悪魔となるのである。
 さて、以上のように考えて、当初の問題に戻ると、何故、自我悪は自分を正しいと思うのかということであるが、もはや自明的になったが、反感独善衝動が当然、自己を義と錯誤させるのである。反感独善衝動、即ち、自己善錯誤である。つまり、反感独善衝動が、盲目的反理性的衝動であり、個体はいわば、自己善、独善性に憑かれていると言える。
 では、先の問題、なぜ、近代西欧米に、自我悪が増加したのかという疑問を考えると、西欧とは、北の地域であり、自然の諸生産力が乏しいのである。だから、人間の精神も、必然的に、暗くなるのである。また、キリスト教という冷暗化の肯定の宗教が、入っているので、なおさら、西欧の精神は暗いのである。この精神の冷暗化がベースにあると考えなくてはならない。そして、近代であるが、これは、西欧の場合は、宗教改革と見なくてはいけないと考えている。アルプス以南、イタリアにおいてルネサンスが勃興した。そして、この人間・学芸復興運動は、西欧にまで伝わった。このイタリア・ルネサンスとは、差異の発動である。キリスト教に抑止されていた差異が、商業等を介して、点火したのである。そう、個=差異の自由運動がイタリア・ルネサンスである。これが、暗い西欧に達して、西欧は、それへの反動として、宗教改革を起こしたのである。この差異への反動が、近代西欧米を発生させたのである。差異、個、特異性への反動こそ、西欧近代主義であり、ここに自我悪が増加した原因を求められるのである。差異への反動、これが、自我悪の意味である。そして、これが、近代科学主義、植民地主義帝国主義、社会/共産主義、世界大戦、グローバリゼーションに帰結し、今や、郵政民営化路線と帰結しているのである。そう、反動である近代主義のどん詰まりが、郵政民営化問題なのである。これを乗り越えなくはならない。これは、必然である。今や、自我悪魔たちが跋扈している。これを乗り越えて、イタリア・ルネサンスを継承しないといけない。差異の運動である。これは、当然、世界・地球・国際ルネサンスとなる。そして、グローカルルネサンスである。差異の復活である。日本の復活、日本の独立運動、ニッポン・ルネサンスである。

 初めに差異ありき、差異は神とともにありき、差異は神であった。

ポスト新約聖書 『ポスト・ヨハネ福音書

p.s.  妄想という現象も、反感独善衝動から生まれるのではないか。本人が妄想として思い込んだものに対して、何を言っても無駄である。思うに、妄想とは、実に一般的にあると思う。小泉氏の郵政民営化とは、妄想以外の何ものでもないだろう。自我主義の人は、妄想人である。社会に害悪となる。妄想人に政治を行わせないように、選択しないといけない。

p.p.s. 以上の自我悪論から、ユダヤキリスト教を究極的に解体できそうだ。キリスト教批判は、ニーチェの『アンチ・キリスト』が有名であるが、不連続的差異論によるユダヤキリスト教批判的解体論は、ニーチェD.H.ロレンスルサンチマン論の系譜にあるが、また、スピノザ哲学の系譜にもあるが、結局、ヤハウェという超越一神とは、反感独善衝動による宗教的表象であるということになるだろう。つまり、イデア界の力の反動でもある反感独善衝動が、連続・同一性という現象化へと志向と結合した自我衝動の表象がヤハウェ、超越一神であるということになろう。だから、ヤハウェ、超越一神、ユダヤキリスト教とは、ニーチェがいみじくも洞察したように、ルサンチマンの神、宗教であり、究極的な悪魔の宗教である。邪教である。そう、かつて、私は、超悪魔的宗教と呼んだが。確かに、超悪魔的と呼ばれてしかるべきである。なぜならば、悪魔性の形而上学的結晶化であるからである。旧約聖書は確かにそうと言えるが、新約はほんとうにそうなのか。キリストは愛を説くが、自我悪において愛を説くとはどういうことなのだろうか。独善的な自我に愛を説くとは、その独善的自我が他者に積極的に干渉するということになるだろう。独善的自我における隣人愛とは、独善・自己正当化的に、他者へ干渉し、独善的自我を押し付ける暴力である。これが、キリスト教のミッション・宣教・伝道性に帰結したと言えよう。(また、十字軍という略奪に帰結したと言えよう。そして、現代、「イラク戦争」に帰結し、また、郵政民営化に帰結しているのである。超悪魔の帝国である。)ということで、キリスト教は、旧約宗教の究極的な帰結・完成である。世界平和のためには、絶対的に、ユダヤキリスト教を批判・解体しなくてはならなくてはならない。不連続的差異論は、新しい多神教、不連続的差異的多神教を示唆している。もっとも、これは、理知的な宗教であり、叡智そのものである。そう、今や、正しく、逆ハルマゲドンの時である。似非天使=悪魔を退治しないといけない。

3p.s. なお、何度も述べているが、イスラーム教は、ユダヤキリスト教とは異質な「一神教」である。それを、一神教と呼ぶのは、最高度にミスリーディングである。それは、存在一義教と呼ばれるべきである。それは、差異の宗教である。イスラーム教の実質は多神教である。多元主義である。アッラーとは、イデア界である。不連続的差異の共立空間である。

4p.s.  D.H.ロレンスの至高の傑作『死んだ男(逃げた雄鳥)』では、死んだイエスが復活して、隣人愛の教えが誤りだったと述べる。そう、ロレンスは、キリスト教を乗り越えた最高度に偉大な作家・思想家である。ロレンスのポスト・キリスト教とは、差異共存的な、新しい宇宙的多神教である。それは、不連続的差異論が示唆する新多神教の先駆である。





小泉政権を敗北させないといけない理由:逆ハルマゲドン

資料です。

郵政改革がほんとうに必要と考えているならば、衆院解散ではなくて、衆院にもどして、再審議・議決をすべきである。これが本筋であり、憲政の法理・条理・正道である。国民投票したいという気持ちは、わかるが、それで、法理を否定するならば、独裁主義である。私も、森田実氏に倣って、今度の選挙で、小泉痔眠倒を絶対に敗北させないといけないと絶叫しよう。小泉日本御陀仏政権を打ち破らないといけない。もし、政権が勝利すれば、思うに、日本経済は没落して、結果、ますます国債を発行し、課税が強化されるだろう。完全にアメリカの奴隷国家となるだろう。このような隷属化を誰が望んでいるのか。これは、近代的自我・合理主義による「狂気」に拠ると言えよう。私説では、近代的自我・合理主義とは、差異共存意識が欠落しているので、没倫理・無責任・利己主義・悪魔主義なのであり、自己中心主義で、他者がどうなろうと一切かまわないのだ。自分の欲望さえ満足できれば、それでいいのである。まさしく、癌的近代主義思想である。これは、パラノイアと言い換えられる。自己絶対だから、聴く耳をもたないのである。狂人の観念である。ジキル/ハイドである。天使の装いをした邪悪な悪魔である。
 現代の世界的潮流は、多元・多極主義である。それに対して、アメリカ一極主義は、古いのである。それは、ハイパー近代主義であり、近代の終末事象である。すると、郵政民営化か否かとは、「ハルマゲドン」である。そう、逆「ハルマゲドン」である。カウンター(抗)・ウォール街/永田町逆「ハルマゲドン」である。郵政民営化賛成の似非天使(逆賊)と、郵政民営化阻止の偽悪魔(国民派)との逆「ハルマゲドン」である。亡国狂信派と護国理性派との逆「ハルマゲドン」である。黙示録的終末論的世界史・人類史的闘争が今闘われていると言えよう。

「疑問1今、なぜ「郵政解散」なのか

国民投票」で郵政民営化に再挑戦するためです

 小泉純一郎総理(総裁)が就任前から、一貫して必要性を主張してきた郵政民営化法案は国会で民主党などの反対により否決されました。このまま何もしなければ郵政民営化が政治課題にあがることはなくなり、ここまで進めてきた改革は頓挫(とんざ)することになります。
 郵政民営化法案は本当に日本の将来にとって必要ないのでしょうか。
 小泉総理は「国会で郵政民営化は必要ないという結論を出されてしまいましたが、もう一度国民に聞いてみたい」と述べ、「国民投票」で郵政民営化に再挑戦するための解散と位置付けています。
 郵政民営化は是か非かそれは小泉改革をこれからも進めるかどうかの判断を求めるという意味です。そして、そのことは21世紀の日本が進むべき道を国民自らが選択するということに他なりません。
 今回の選挙は歴史的に大きな意味を持っています。わが党は「改革を止めるな。」をキャッチフレーズにこの選挙戦を戦う考えです。そして、郵政民営化をはじめとする小泉改革の推進を求める多くの国民の声を結集していく決意です。」
郵政解散について
http://www.jimin.jp/contents/news/170820a.html





知的デザイン論と創世記

資料です。

intelligent design(知的デザイン、知的計画)仮説による、スミソニアン研究所の雑誌による、紛糾である。興味深いのは、一応、聖書の天地創造説と知的デザイン仮説は対立しているが、両者とも、「神」を原点にする点で共通である。ただ、「神」が、ヤハウェなのか、知的デザインなのかということである。不連続的差異論では、不連続的差異が共立するイデア界が万物、森羅万象の根源であると仮説している。そして、これは、超越論・内在論的差異論であることであり、超越主義、絶対超越のユダヤキリスト教的な「神」とは異質である。 
 私は、イデア界の力学、知的法則があり、自然は巨視的には必然性が支配していると考えているが、不思議なのは、スピノザが説くように、必然=自由となるのである。(後で、偶然とは何かを考えたい。)つまり、現象界の連続・同一性とは、メディア界の出来事、事件、生起したことの残像であり、これに執着(政官財メディアの癒着、利己主義等)すること(残像固着・執着)は、偶然であり、メディア界の必然性を逸脱しているのではないだろうか。そう、必然=自由=個=差異である。これが、あらゆる事柄の原点である。


US editor ignites evolution row at Smithsonian over editor institute mithsonian engulfed by row over evolution at centre of row over evolution
By David Usborne in New York
Published: 20 August 2005


Scientists at the prestigious Smithsonian Institution in Washington DC have become embroiled in a controversy over the origins of life, a debate which has also aroused the recent interest of President George Bush.

At the heart of the storm is Richard Sternberg, picked by the Smithsonian to edit one of its scientific journals, the Proceedings of the Biological Society of Washington. Normally, the journal arouses little non-specialist interest. But Dr Sternberg stepped straight into a controversy gripping America by publishing an article supporting the theory of intelligent design, the idea that an outside agent - God - must have at least lent a hand in creating our universe.

He has reignited a row that began when President Bush managed to appall the US scientific community during a meeting with reporters in Texas. Asked whether the notion of intelligent design should be taught in American schools alongside the theory of evolution he answered that, yes, it should. The appearance of the article, by an outside contributor named Stephen Meyer last August, has triggered an academic and political food-fight of astonishing proportions. Mr Sternberg's colleagues believe that the publication of the piece has all but brought a secular scientific institution into disrepute. "We do stand by evolution; we are a scientific organisation," said Linda St Thomas, a spokeswoman for the Smithsonian, which runs 16 of America's most important museums.

But a federal body, run by a hand-picked appointee of President Bush, has now accused the Smithsonian of waging a vindictive smear campaign against one of their own peers.

The allegation has been made by the Office of Special Counsel set up precisely to investigate cases of federal government employees who feel they have been unfairly treated or dismissed.

Most of the smears against Dr Sternberg, 42, came in the form of a flurry of e-mails. Some alleged that he was a closet priest or that he was an agent for radical conservative groups that peddle intelligent design or even creationism, which accepts almost literally the explanations in the Book of Genesis and views fossils not as scientific evidence but the residue from Noah's Flood.

"They were saying I accepted money under the table, that I was a crypto-priest, that I was a sleeper-cell operative for the creationists," Mr Sternberg told The Washington Post newspaper. "I was basically run out of there."

The Office of Special Counsel agrees. In a new but still unpublished report, the office said that "retaliation came in many forms ... misinformation was disseminated through the Smithsonian Institution and to outside sources. The allegations against you were later determined to be false".

James McVay, the principal lawyer and Bush appointee involved in studying the Sternberg case, stated in a letter to Dr Sternberg: "The rumour mill became so infected one of your colleagues had to circulate [your résumé] simply to dispel the rumour that you were not a scientist."

Mr McVay does not have the power to punish the Smithsonian. But he can try to embarrass it and some people believe he may have some political motivation in doing so.

Darwinism may be the basis of understanding for our existence in most of the developed world, but America still argues about it. In fact the debate seems only to get more and more passionate.

A recent Gallup poll showed that 45 per cent of Americans subscribe to the Book of Genesis theory of our origins. Only about one-third are ready to accept the evolutionary propositions of Darwin. Among the e-mails Mr Sternberg received after publishing the Meyer article was this one from an anonymous Smithsonian scientist: "We are evolutionary biologists and I am sorry to see us made into the laughing stock of the world, even if this kind of rubbish sells well in backwoods USA."

Dr Sternberg meanwhile insists that he himself is agnostic about intelligent design but defends his decision to publish the article that discussed it.

"I am not convinced by intelligent design but they have brought a lot of difficult questions to the fore," he said. "Science moves forward only on controversy."

Scientists at the prestigious Smithsonian Institution in Washington DC have become embroiled in a controversy over the origins of life, a debate which has also aroused the recent interest of President George Bush.

At the heart of the storm is Richard Sternberg, picked by the Smithsonian to edit one of its scientific journals, the Proceedings of the Biological Society of Washington. Normally, the journal arouses little non-specialist interest. But Dr Sternberg stepped straight into a controversy gripping America by publishing an article supporting the theory of intelligent design, the idea that an outside agent - God - must have at least lent a hand in creating our universe.

He has reignited a row that began when President Bush managed to appall the US scientific community during a meeting with reporters in Texas. Asked whether the notion of intelligent design should be taught in American schools alongside the theory of evolution he answered that, yes, it should. The appearance of the article, by an outside contributor named Stephen Meyer last August, has triggered an academic and political food-fight of astonishing proportions. Mr Sternberg's colleagues believe that the publication of the piece has all but brought a secular scientific institution into disrepute. "We do stand by evolution; we are a scientific organisation," said Linda St Thomas, a spokeswoman for the Smithsonian, which runs 16 of America's most important museums.

But a federal body, run by a hand-picked appointee of President Bush, has now accused the Smithsonian of waging a vindictive smear campaign against one of their own peers.

The allegation has been made by the Office of Special Counsel set up precisely to investigate cases of federal government employees who feel they have been unfairly treated or dismissed.

Most of the smears against Dr Sternberg, 42, came in the form of a flurry of e-mails. Some alleged that he was a closet priest or that he was an agent for radical conservative groups that peddle intelligent design or even creationism, which accepts almost literally the explanations in the Book of Genesis and views fossils not as scientific evidence but the residue from Noah's Flood.

"They were saying I accepted money under the table, that I was a crypto-priest, that I was a sleeper-cell operative for the creationists," Mr Sternberg told The Washington Post newspaper. "I was basically run out of there."

The Office of Special Counsel agrees. In a new but still unpublished report, the office said that "retaliation came in many forms ... misinformation was disseminated through the Smithsonian Institution and to outside sources. The allegations against you were later determined to be false".

James McVay, the principal lawyer and Bush appointee involved in studying the Sternberg case, stated in a letter to Dr Sternberg: "The rumour mill became so infected one of your colleagues had to circulate [your résumé] simply to dispel the rumour that you were not a scientist."

・・・

the independent
http://news.independent.co.uk/world/americas/article307079.ece





差異共存可能態(デュナミス)と差異共存活動態(エネルゲイア):差異共存の反感・反動化と攻撃・暴力


不連続的差異論の見地から、人間の利己主義、自己中心主義、攻撃・暴力性を見てみよう。
 イデア界において、差異は共立・共存しているが、それは、潜在性、可能性、デュナミスにおいてである。そして、これが、メディア界で、活動態、実現態、エネルゲイアとなる。このメディア界の差異共存活動態、差異共存エネルゲイアとは、内的な太陽と言っていいものだろう。プラトンの善の太陽は、おそらく、これを介して、イデア界の差異共存可能態(デュナミス)を指しているのだろう。
 さて、問題は、幼児・小児期、あるいは、幼少年期に、トラウマとなるような、「暗い」体験をしたとしよう。すると、差異共存活動態は、「暗黒化」するのである。あるいは、「冷凍化」するのである。簡単に、冷暗化と呼ぼう。この体験は、差異共存活動態のもつ、他者との共存的喜び・歓喜性を消失させるのである。また、それだけでなく、他者への反感性をもたらすと思われる。この理由は、差異共存活動態における積極的感情(私は感情とは、感覚に含めていいように感じているが、とりあえずは、感情という言葉を用いる)・喜び/生命の感情を否定されて、反感的感情が生じていると考えられるからである。この幼少期における差異共存活動態の冷暗化=反感化は、スピノザの説く悲しみの感情と共通すると言えよう。そして、ここから、否定的・反動的な感情は、派生・発出すると言えよう。憎しみ、敵意、嘲り、侮蔑、嫌悪、傲慢、悪意等のルサンチマン(怨恨)等々、そして、攻撃・暴力的な行為となる。
 ここで、整理すると、普通、人間は、上記のような冷暗化のトラウマはもたないから、差異共存感情と保持して、他者との共存を維持するのである。しかし、実際は、差異共存感情と反感を併存させていて、なんとかバランスを取っているだろう。そして、差異共存感情ないし差異共存意識が、良識の根源・基盤である。
 さて、問題は、差異共存活動態が冷暗化している場合である。これは、今日、現代、顕著になってきていると思われる。なぜならば、資本主義の進展によって、利己主義的になり、他者への共感性が衰退ないし喪失していると考えられるからである。すると、子供は一番、この犠牲となる。差異共存活動態の冷暗化が、子供たちに直截に生起するのであり、それによって、暴力化ないし自己破壊(自殺)傾向すると言える。そう、社会のホッブズ化と言っていいだろう。
 とまれ、このような冷暗・反感・暴力化に対して、教育が大変重要な意味をもつ。つまり、単に知識を憶えさせるだけではなくて、各自の差異共存活動態を否定・反動態から、肯定・能動態へと変容させる知恵を授け、得心させる必要があると言えよう。私は、この差異共存活動態の肯定・能動化の方法を説く叡知として、スピノザの『エチカ』をあげたい。これは、宗教を越えた素晴らしい方法論的知恵の書である。
 さて、近代教育とは、実は、差異共存活動態を冷暗化させていると思う。近代的自我・合理主義とは、正に、メディア界の冷暗化の利己的知識である。そして、近代的高等教育を受けた者が、エリートとなり、政治家や役人等となる。かれらは、確かに、知性があるが、利己的な、自我中心的な知性であるから、指導者としてはふさわしくないのである。国民のことを真に考えるべき基盤となる差異共存活動態が冷暗化して、いわば、国民を侮蔑や無視しているからである。結局、今日の理不尽な問題は、この近代教育問題に内在的要因が求められるだろう。だから、ポスト近代、脱近代、ポストモダン、メタモダン、エクストラモダン、エクスモダン、脱モダン、トランスモダン、越近代とは、政治・経済の構造改革だけでなく、人間の構造改革でもあるのである。すなわち、連続・同一性の構造から、不連続的差異の共存共生の構造へとパラダイム変換しなくてはならないということである。因みに、郵政民営化の問題も同様である。不健全な財政を生む政官財メディアの癒着という連続・同一性の構造を解体・脱構築して、多数の差異である個、企業が、自律的に共存できる、収支バランスの健全な構造・システムの新構築へと転換することが本質である。





経済とは、メディア界に属しているのではないか

不連続的差異論から見ると、現象界を形成する直接的な根源はメディア界である。だから、産み出す自然の原基とは、メディア界と考えられる。つまり、自然の「生産」・創造の母胎は、メディア界である。

d1〜d2〜・・・〜dn (メディア界)
 
 ↓

d1ーd2ー・・・ーdn (現象界)

経済を考えると、それは、第二の自然である。自然に働きかけて、有用なものを創り出すこと、そして、それを他者と交換すること、これらは、人間社会の「自然」であると言えよう。だから、経済は、メディア界と理解することができるだろう。すなわち、差異の連結行為から、差異の連続化である商品を形成すると言えよう。だから、初めに、差異の連結ありきであり、それから、結果である製品、貨幣、信用等が生まれるということではないだろうか。ここで、差異⇒商品ないし差異⇒貨幣という方向性を確認しよう。
 さて、資本主義の問題は、貨幣経済ということで、貨幣自体に価値を置く傾向にあることである。しかし、貨幣を生むのは、本来、差異である。(ここで、重商主義重農主義の二項対立に触れると、それらは、交換と生産との対立であるが、それは、不毛な対立であろう。情報という概念を使えば、それは交換において差異があることになり、それ自体で、生産的であるし、農業生産だけが、富のベースではないだろう。)だから、資本主義は、差異の価値を評価する必要があると言えよう。
 しかしながら、連続化された資本主義は、差異を喪失しているのである。即ち、商品のための商品、貨幣のための貨幣を追求しているのである。つまり、本来、メディア界である経済を現象界に限定している誤謬を犯しているのである。富の源泉は、メディア界の差異の連結にあるのであるが、差異の連続化である商品・貨幣・資本が目的となって、本来の経済行為を破壊して、結果、人間社会、自然を破壊することになっているのである。グローバリゼーションが最たるものである。つまり、差異の連続化である富は、差異の新たな連結化、あるいは、差異の連結の反復へと用いなければならないということである。
 これを、郵政問題で見ると、郵貯簡保の資産を、差異の連結のために活用すべきであるということになる。国債化というのは、それは、差異の連続化であり、現象化の延長である。そうではなくて、新たな差異の連結を生むための、差異の政策が必要であるということである。国民一人一人が差異であるから、このために、差異的投資というものを考えるべきである。「ハゲタカ」に渡すなんてとんでもない話である。それは、差異化ではなくて、連続化の延長である。民主主義的差異経済システムの構築へと展開すべきであろう。