言語構造と差異:文法と不連続的差異/特異性:付録:一神教を「脱構

文字言語構造と差異:文法と不連続的差異/特異性:「一神教を解体する」を含む


問題は、例えば、一人称の主語と特異性の「私」とは、どういう関係があるのかということである。また、いったい、言語における人称や文型とは何か、という問題がある。問題を単純化しよう。言語における「わたし」、英語で言えば、一人称単数であるIとは何か。あるいは、「これ」thisとは何か。さらに、述語動詞とは何か。
 先ず、一人称単数のI「わたし」を考えよう。これは、当然、自我(エゴ)を指す言葉(代名詞)である。これは、同一性としての自我と特異性としての自我の両面をもつ言葉であろう。前者は、他者と比較しての自我であり、この比較の基準に同一性があるのである。つまり、差異・特異性を排除した「わたし」である。だから、この「わたし」とは、「あなた」や「かれ」、「かのじょ」と等価である。つまり、一般性の「わたし」である。ヘーゲル哲学の「わたし」である。
 それに対して、特異性の「わたし」がそこには、入っている。それは、メディア界の「わたし」であり、イデア界の「わたし」である。根源的自我・エゴである。即ち、三重の「わたし」が、言語の「わたし」に内包されていることになる。イデア界/メディア界/現象界の三層の「わたし」である。(シュタイナーの言う自我・アストラル体エーテル体・物質体は、この三層・三重の「わたし」として見ることができるのではないだろうか。)思うに、文学言語とは、この人称の三層・三重性を活用したものだろう。
 では、次に、述語動詞を見よう。I think.このthinkは、当然、三層・三重となる。イデアとして、メディアとして、現象として、thinkするのである。このように見ると、言語とは、不連続的差異論における三層性を表現するものであることがわかるのである。ただし、音声言語においては、二項対立構造・同一性構造が強くはたらくと言えるだろう。
 とまれ、言語は、本来、多層・多重性をもつのであるが、音声言語のもつ同一性・弁証法構造によって、現象界へと限定される傾向があると言えるだろう。とりわけ、西欧・欧米言語の場合、表音文字を使用しているので、その傾向があると言えるだろう。例えば、bigとpigである。それに対して、表意文字の場合、象形文字であり、イメージを活用していて、直観的であると言えるだろう。漢字の場合、「大」(dai)と「豚」(buta or ton)である。問題は、このイメージをどうとるのかである。視覚の問題である。そして、直観と想像力の問題である。視覚は、一見、現象に関わると思われるだろう。表音文字の場合、音素上の対立、pとbが生じるのである。つまり、対立・弁証法同一性構造が発生するのである。しかし、視覚優位の表意文字象形文字の場合、それは、発生しえない。対立・矛盾ではなくて、基本的には、並存・共存である。つまり、それは、自然を直観している記号であると考えられるのである。自然は、確かに、淘汰があるが、必要以上ではない。バランスを保つ淘汰である。共存的淘汰である。共生と言ってもいい。この自然の直観の記号が、表意文字象形文字ではないだろうか。結局、自然をどう見るかということでもあろう。
 視覚とは、光の感覚・知覚である。これは、メディア界的であり、同時に、イデア界的ではないだろうか。光とは何かである。また、視覚文字・視覚言語の問題である。ここで、直観で言うと、光とは、イデア界の不連続的差異・イデアの志向性そのものであると考える。それは、原光と言ってもいいかもしれない。おそらく、1/4回転によって、生起するメディア界が、光の世界である。より正確に言えば、イデア/メディア境界が光の世界であろう。表意文字象形文字は、ここを捉えていると思うのである。それに対して、表音文字は、メディア/現象境界を捉えているだろう。浄土宗の阿弥陀如来の無量光(アミターバ)であるが、それは、このイデア/メディア境界を指しているだろう。この境界で、原光が光に変換するのではないだろうか。それが、無量光として、認識されるのではないだろうか。【今、思ったが、原光とは、闇ではないだろうか。D.H.ロレンスが言った黒い太陽dark sunではないだろうか。『老子』では、《玄牝》(げんぴん)というが、それは、闇である。元暗である。初めに、闇ありきである。そう、これを、西洋は恐れてきたのではないか。初めの闇、これを恐れたのではないか。ここから、光が生まれたのではないだろうか。「光あれ」。そうすると、旧約聖書天地創造の神(ヤハウェではなく、エローヒームであろう。p.s. その通りであった。)は、この闇ではないだろうか。天地創造の神は、自身の原暗から、光を創造したのではないか(p.s. 正統的には、創造神は、無から天地を創造したことになっている。しかし、無=母=イデア界=エローヒームとするなら、一神教の神は、超越神ではなくなり、スピノザの神のような内在的な神であり、また多神教的母神・女神となる。超越一神教の「脱構築」である。正に、ポスト・一神教である。これは、大いに愉快である。p.p.s. しかし、これは、同時に、「新多神教」を意味する。これは、不連続的多神教だろう。)。また、さらに言えば、白人が恐れるのは、この闇、原初の闇ではないのか(コンラッドの『闇の奥』[『闇の心』と訳せる]を参照)。思うに、東洋は、この闇を捉えているだろう。つまり、「無」である。「母」である。ここで、想起するのは、ゲーテの『ファウスト』の「母の国」である。これこそ、根源的イデア界であろう。闇から光が生まれるのである。ここで、大江健三郎の名作『万延元年のフットボール』の冒頭を想起する。】
 ずいぶん、飛躍したが、ここで、簡単に整理すると、表音文字は、メディア/現象境界的であり、表意文字は、イデア/メディア境界的であるということである。同一性的か、差異的かということになるだろう。だから、三重・三層性をもつ言語ではあっても、表音文字表意文字の表現によって、質的に異なることになるのである。つまり、表音文字は、二重・二層性になる傾向にあり、表意文字は、本来の三重・三層性を保持する傾向があるだろう。


参考1:玄牝
http://www.netwave.or.jp/~m-kenji/page/rousi/rousi006.htm
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Tachibana/8318/roushi_4.html
http://homepage2.nifty.com/ETSUGEN/gai2.htm
http://www.nature-n.com/manga/htm/1004-j.htm
http://d.hatena.ne.jp/antares/20051231
http://www.asahi-net.or.jp/~qh4s-kbym/Tao1.html


参考2:エローヒーム
エローヒームの由来は実に興味深い。「神々」であり、最高神エルの息子たちである。そして、エルとは、民衆に、バールと呼ばれていたと述べられている。バールとは、ヤハウェが攻撃した自然宗教の神である。おなじみのバール神であろう。すると、旧約の神とは何ぞや、ということになるだろう。ヤハウェバール神を攻撃する。しかし、バール神は、エローヒームの父である。そして、エローヒームはヤハウェと同格である。すると、ヤハウェは、分身を攻撃していることになるだろう(p.s.  ここは、論理がすべってしまっている。エローヒームはヤハウェの同格ではなくて、分身の子供たちである。だから、バール神を攻撃するとは、自分の父を攻撃していることになる。しかし、この父エルであるが、これは、母だと私は思うのである。つまり、ヤハウェは、自分の母を攻撃しているのである。そのように見れば、典型的な父権神話のパターンを確認することができる。参照:バビロニア神話。また、そうみると、ギリシア神話の世代交替の出来事を想起する。ウラノス→クロノス→ゼウス。)。一種、分裂症である。しかし、これは、不連続的差異論から見ると、正しいのである。メディア/現象境界において、ユダヤ教が発生している考えられるのであるから。即ち、同一性(ヤハウェ)が、メディア差異(バール神)を否定し、排除すると考えられるのである。
 ここで、付け加えると、旧約聖書は、単に一神教の書物ではなくて、多神教の書物と考えるべきであろう、D.H.ロレンスが述べていたように。つまり、明瞭に、エローヒーム(神々)が存しているのだから。そして、さらに言えば、エローヒームとは、《母》であろう。イデア界であろう。神々(無数・無限の不連続的差異)が、天地創造するのであろう。この点は後で、検討したい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Elohim_%28gods%29


「新井奥邃の「父母神」とグノーシス派の「母父」なる至高神 」
http://shumpu.com/ohsui/geppou04-1.html

その他、エローヒーム関連
http://www.hat.hi-ho.ne.jp/ists1970/holiness06fr.html
http://www.kirisuto.info/msg1/m12step02.htm
http://www.pandaemonium.net/menu/devil/El.html
http://72.14.203.104/search?q=cache:K49LTthmnwcJ:hw001.gate01.com/yuji-toki/nazotoki-1.html+%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%80%80%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%80%80%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%AF&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=17&client=firefox


参考3:バビロニア神話、シュメール神話
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%88
http://blogs.yahoo.co.jp/sinagawa50/archive/2005/10/2
http://en.wikipedia.org/wiki/Mesopotamian_mythology
http://en.wikipedia.org/wiki/Mesopotamian_religion


参考4:ギリシア神話ウラノス、クロノス、ゼウス等
http://elaela.ndap.jp/myths.html
http://www.sparta.jp/file18.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9
http://www.kitashirakawa.jp/~taro/lit59.html
http://www.mirai.ne.jp/~panther/myth/myth04.html
http://himika.m78.com/12sign/sinwa/souseiki.html
http://nekomusa.hp.infoseek.co.jp/zeus2.html