『文楽の歴史』
こんばんは。
本棚の整理をして目が合ったのと、週末の文楽鑑賞に合わせて『文楽の歴史』を昨日から読書😄
「はじめに」あるように、文楽の魅力が「なぜ」消えたのか気になるところ。
「文楽」と呼ばれるようになった「文楽座」の元を辿れば竹本義太夫さんの「竹本座」につながってるんやでな、と改めて思った。
加賀掾vs義太夫は、渡辺保さんの『江戸演劇史』で初めて知って、加賀掾に涙したことが思い出される…。
加賀掾はどんな想いやったんやろう…。
私に泣かれても困るんかな?😄
近松門左衛門の作品は一回切りが多かったと。
曽根崎心中ですらそうなんかな?
って心中物は禁止されるしな。
今、公演中の『炬燵』はググったら1778年と。
『網島』の初演は1720年。
『網島』の改作はいつなんやろう。
5日、一回目の観劇に行って(一部のみ)、「炬燵は初めてです」ってお話したら、この時も近松は一回切りやったそうと仰ったし、網島より炬燵の方をよく上演していたと伺った。
その時に近松半二はん作と聞いて、八重垣姫の半二はん!と、興奮した😄
それからTwitterの神津先生が菅専助作とつぶやいていた。
知らないことがまだまだたくさんある。