木造トラス格納庫

紫電改:格納庫は今も現役 姫路に移築、倉庫に
2016年08月11日


現在倉庫として活用されている川西航空機鶉野組立工場格納庫だった建物の一部。短い木材を組み合わせた「トラス構造」の梁で強度を保っている=兵庫県姫路市西中島で

 第二次世界大戦中、兵庫県加西郡(現・加西市)の川西航空機(現・新明和工業)鶉野(うずらの)組立工場は、戦闘機を数多く製作した。その格納庫の一棟は戦後71年経過した今も、姫路市内で現役の資材倉庫として活用されている。当時の最新鋭機「紫電」「紫電改」の格納庫だった内部は、飛行機を収容するため柱がない頑健な構造で、当時の名残を色濃く残している。所有する山口運送(本社・姫路市保城)の山口賢祐社長(52)は「偶然残った貴重な建物。大切に使いたい」と感慨深く語っている。【山縣章子】

 幅約24メートル、奥行約33メートルの倉庫は約11メートルの高い天井に覆われ、室内は広い空間が広がる。天井は三角形を組み合わせた頑丈な梁(はり)で支えられ、特徴的な骨組みは「トラス構造」になっている。

 鶉野工場の建設が計画された1943(昭和18)年ごろ、設計に携わった小野市の建築家、内藤正克さん(93)は「戦時中で鉄はまず手に入らず、木材ですら貴重だった。天井は短い4メートル以内の木材をつぎ足して強度を保った」と振り返る。木と木のつなぎ目には薄い板をボルトで留める補強もした。44年12月の開設後、工場では「紫電」「紫電改」510機が組み立てられ、飛行機が完成すると、隣接する鶉野飛行場で試験飛行した。

 加西市教委などによると、工場は45年7月などに空襲を受けたが、現存する格納庫は戦火をくぐり抜けた。内藤さんが終戦後の秋、故郷に戻った時、「まさか残っているとは」と驚いたという。

 戦後、格納庫は姫路市の農機具会社が引き取り、移築されて工場に。その後、工務店の倉庫を経て、約8年前から山口運送の資材倉庫として活用されてきた。

 山口社長によると、以前の持ち主は「建設当時の構造を聞いて、同じように組み立て直した」と話していたという。現在も時折、建築や戦跡に関心のある人たちが見学に訪れる。

 元々、組立工場があった鶉野飛行場一帯は、悲劇が語り継がれる場所でもある。太平洋戦争末期、姫路海軍航空隊に練習生による特別攻撃隊「白鷺隊」が編成され、多くの戦死者を出したからだ。山口さんは「若者が無駄死にする戦争はいけない」と改めて語り、「鶉野では保存運動も盛んだと聞く。いつか倉庫を元の場所に戻せるといいのだろうが」とつぶやいた。

 見学を希望する場合は、事前に山口運送事業部(079・222・2453)に確認する必要がある。

〔播磨・姫路版〕