猛暑の中で考える、日本人にとっての「英語の発音」

猛暑で私の脳味噌はとろけそうで、「勉強」どころか、字が書いてあるものは読むと必ず目に入る「暑い」という字を見たくなくて新聞さえ斜め読みをしている私などとは違って、この暑さの中でも英語の勉強法、なかんずく 英語の「発音」について熱心にエントリーを書いていらっしゃる方がいて、本当は暑いので見なかったことにしたいのですが、自分と違う意見に対して疑義を呈さずに貯め込む、というのも体温が更に上昇しそうな気がするので、吐き出すことにしました。


リスニング、あと何が足りないか?
というエントリーを、くるぶしさんが書いていらっしゃるのですが、怠惰な私がこの暑さの中、長椅子からむっくり起き上がりパソコン開いて疑義を呈したい、くるぶしさんの意見とは、

最初に発音に投資しておくと、その後の学習効率は格段にあがる。

発音を否定されると人格まで否定された気分になる

語彙も文も無限だが知るべき音の数は有限
身につければ一生ものだし、あえて避ける理由はない。

そして、くるぶしさんが挙げている発音教材はその書名から見て、ド素人の私でもわかりますが、アメリカ風のアクセント」を規範にしているということ。

以上のご意見が、私の体温を上げているのです。
そこで私が感じる具体的な疑問ですが。
暑さで、脳内で論理的な文章を結ぶことができないので、伊丹十三の古典ともいえるエッセイに応援を頼むことにします。彼がイギリスにいた時のことでこう書いている箇所があります。

 ところで、わたくしは今、学校にはいって英語をならっています。アメリカ風の発音というのは、ヨーロッパやイギリスでは、えらく低く評価されているから、この機会にブリティッシュ・イングリッシュの発音に激しく迫ってみようと思うのです。
 イギリス風の発音は、例えばRを発音するとき、アメリカのように喉をしめない。子音は明瞭に発音し、例えばベターがベラーのようにならない。(中略)
 このイギリスの発音をマスターすれば、どこへ行っても恥ずかしくない。時にアメリカ人に、随分、癖のない発音だけれど、どこで習いました、なんていわれるよ。そういう時は大概、なに、日本のハイ・スクールで習ったきりです、と答えるけどね。

これは1965年出版された「ヨーロッパ退屈日記」の中の一文なのですけれども、45年!以上たった今でも全く色褪せる事なく、彼が書いていたことはまっこと本当である!とヨーロッパ滞在中にしみじみ思いました。例えば、彼はさりげなく
「ヨーロッパやイギリスでは」
とあたかもヨーロッパとイギリスは別物のように書いていますが、これは紛れもない真実なのでです(参照 「英語」はそんなにスゴい言語か? ⑤ イギリスはヨーロッパではない!?)。日本で流布している、「イギリスこそは、ヨーロッパの王道中の王道」というイメージは、全くの誤解であり、また、敗戦国根性というのかどうかわかりませんが、「アメリカ至上主義」というのももしかしたら日本だけのものなのかも?と思ってしまいます。実際、私の狭い経験の中でも、ヨーロッパでは「アメリカ人」というものが、あまねく尊敬されてはいないというか揶揄の対象になりがちである、ということは実感しました。しかも本国アメリカではいざ知らず、アメリカ人自身がそれを自覚しているということも。

その一例。
ヨーロッパ及び世界各地のアメリカンスクール及びインターナショナルスクールのアメリカ人教師には、CIAの元諜報員が多いという話を、かなり昔にスパイ小説か何かで読んで頭に残っていました。その話の根拠は、「冷戦時代に、アメリカ人らしからぬ堪能な語学を駆使してヨーロッパ各地で活動していたスパイは、冷戦が終わってから仕事もなく、アメリカンスクールくらいしか勤め先がなかった。」ということらしいのですが、実際そういう楽しい(?)想像を巡らしたくなる人物がいました。
一人は息子の英語の先生。彼の英語は勿論アメリカ人の発音なのですが、英語の他にスペイン語がぺらぺら、ロシア語が少し喋れる、ということでした。大体、英語しか喋れないのがアメリカ人なのに、この語学能力はかなり変わっていてかなり怪しいアメリカ人のですが、その語学力を生かして大学などで教えばいいのに、と思ったらどうもアカデミックな裏付けはないらしい、という人物。もう一人もインターナショナルスクールの英語の先生だったのですけれども、英語の他に、中国語とロシア語(モンゴルにいたことがあると自称)、そして日常会話程度にはドイツ語とフランス語もできる、という人物。怪しい、怪しい、怪しい!現役スパイではないにしろ(二人とも、ショーン・コネリーダニエル・クレイグとはかなり違う体型と風貌なのですが)、若き日々はCIAの諜報員だったのではないかしら?、と私が楽しく想像するこの二人だったのでしたが、この二人が喋る英語の発音は勿論アメリカ風なのに、かの「often」という単語。日本の英語教育では中学レベルのこの単語を、「オフテン」と必ず発音するのです。息子の英語の先生に至っては、あろうことか、私と話していて、最初「オーフン」と「t」を発音しないアメリカ英語風に発音しておきながら、次の瞬間「オフテン」と言い直しましたからね。その時は実際、かなり私も驚きました。
インターナショナルスクールのミドルスクールに3年通った娘は、最後の2年間スノッブなベルギー人の女の子と友達だったせいもあって、日本に帰ってきてからも必ず「オフテン」と読んでます(本人スノッブなつもり)。「上手く発音しよう」という気がさらさらない、ジャパニーズイングリッシュの発音の息子でさえ、こちらもインターナショナルスクール時代の学年のリーダー格がイギリス人の優秀な男の子(ケンブリッジ大学に行ったらしい)だったせいか「オフテン」と発音。発音に頓着しない息子に、以前その理由を聞いたことがあったのですが、「『オーフン』って何となく幼稚っぽい、ていうか、とにかく『オフテン』の方が賢そうに聞こえる。」からだそうです(二人ともどうにか英検1級取得レベル。TOEFL iBT は娘98、息子は104。ドイツは非英語圏だから3年の滞在ではこんなもの?)
私自身、ドイツで幾つか通ったカルチャーセンターのようなところの英会話教室で、先生はイギリス人のこともドイツ人のこともオランダ人のこともありましたが、この単語の発音は皆揃って「オフテン」でした。
私など、中学高校とずっと日本で、日本の英語教育のみを信じ奉りひたすら真面目に勉強してきたのですが、それがガラガラと崩れ落ちましたね。だって、日本の英語のテストの問題には必ずある、
「次の単語のうち、下線部を読まない単語を選べ。」
とかいう問題で、
「often」の「t」は、最多出場ベスト3!
に必ず入っていると思いますけど、これってアメリカ英語においては、の条件付きの話だったのですね。アメリカ英語に於いてのみ「正しい」のでしょう。
暑さにも拘らず、長々と書いてきましたが、つまり言語において、しかも広く世界中で話されている英語という言語において、
「これが正しい発音だ!」と断定できるものはない
ですし、ですからくるぶしさんがおっしゃるように

身につければ一生もの

と言える「正しい発音」とはそもそも存在しないのではないかと思うのです。

それなのに、くるぶしさんがおっしゃるように

最初に発音に投資

することは、極めて危険ではないでしょうか?それもアメリカ英語の発音に対して投資するのは、二重に危険だと私には思われます。それにくるぶしさんの主張、

よく言われるように、自分で発せない音は、聞き取ることができない。

ですけど、これは「発音とリスニング」だけの問題ではなく、年齢も関係してきます。ある一定の年齢を過ぎるとどんなに努力しても聞き取れない音があるわけで、翻って言えばどんなに努力してもある一定の年齢(それは10歳くらいでしょうか)を過ぎると発せない音があるのではないでしょうか?大体くるぶしさんの主張だと、アメリカ英語の発音を学んで聞き取れることができるようになったとして、ではアメリカ以外で話されている英語(こちらの方がずっとずっと話者としては多いと思うのですが)は発音できないから、聞き取ることができないことになってしまいます。それと無闇に「発音練習」を勧めるのは、あたかも「練習を積めば、ネイティブから『人格を否定されることのない』発音で英語が喋れる」という間違った幻想を与えることにならないでしょうか?いくら「発音練習」をしたところで、実際喋る段になると、発音は二の次になってとにかく単語と文章を組み立てて意を相手に通じさせることに必死になるのが普通の英語学習者ではないかと思います。そして、仮に発音の練習を積んだとしても、話す相手があなたが練習を積んだ英語ではない英語を喋る場合は、通じません。その良い例が、2009年大晦日紅白歌合戦でのキムタクだと思います。彼はきっと人知れず英語を勉強していると思いますし、きっとあのエスコートの台詞の練習だって何十回としたと思います。習ったことをプロとして完璧に再現して喋っていたことでしょう。でもスーザン・ボイルさんに彼の英語が通じなかったのは何故でしょうか?キムタクの努力が足りなかったからではなく、どういう形だったかはわかりませんが、きっとキムタクが手本とした英語がアメリカ英語であったのに対して、スーザン・ボイルさんはイギリスの中でもスコットランド出身だったからだと私は思います。
そもそもどこか特定の地域の発音に限定して発音練習をする前に英語学習としてすることは山ほどあるのであって、喋るべき文章を英語で組み立てることもできず、また文法滅茶苦茶の文章しか組み立てられないのに、先に「発音だけがネイティブ並み」になるなんてあり得ません。「英語の発音」というのは、最後にオプションで登るべき山であって、例えば、留学して英語はそこそこ喋れるけれどもあとワンランクレベルアップして発音を矯正したい、とか、ビジネスでは英語に困らないが更にスムーズに喋りたいから発音を勉強する、ということだと思うのです(参考:英語教育において「ネイティブ並みのきれいな発音は意味があるのか?)。その時に、お好みで「アメリカ風発音」でも「イギリス風発音」でも「オーストラリア風発音」でも「インド風発音」でも選べばよいのです(全て「ネイティブ英語」ですよ!)。
その中で、「イギリス風発音」に関心がある方には、お勧めできる本があります。これは子どもたちがインターナショナルスクールの英語の先生に、最初プリントとしてばらばらに配られたものの元本です。前半の母音や子音のあたりを読むだけでも、私でも「そうだったのか!こういう口の形で発音するのか!」と膝を打つことは多々ありましたが、悲しいかな、凡人には、実際の場面で
「英語で文章組み立てつつ、ケンブリッジ英語推奨の発音で発音する」
なんて芸当はできませんでした。文章を組み立てること、喋ること、に必死でそんな余裕はないのでした。ただ、日本の英語教育では教えてくれなかったことなので、とても参考にはなります。英語(イギリス英語)が好きな人は知っていて損はないと思います。

English Pronunciation in Use: Intermediate: Self-Study and Classroom Use (English Pronunciation in Use)

English Pronunciation in Use: Intermediate: Self-Study and Classroom Use (English Pronunciation in Use)

English Pronunciation in Use

English Pronunciation in Use



さて。
外交政策や防衛政策で「嫌米派」という言葉が出て来たのは、もうかなり以前だと思います。私はこの「嫌米派」に組する者ではないですが、それまでの妄信的或は狂信的アメリカ一辺倒の世界観を見直した、という意味では意義あることだと当時思いました。英語も含めた言語の世界でも、もうそろそろ
敗戦国国民が文化や言語まで「無条件降伏」、
という情けない状況を改めた方がいいのではないかと思います。それと意識無意識関係なく「白人崇拝」も同じくやめるべきだと思います。
ヨーロッパで数年暮らして、白人の中には確かに「人種差別」があることはわかっています。でも差別されている側が、している側を崇拝する「奴隷根性」の気持には私は到底なれません。
例えばこれから益々重要になる言語である中国語を学ぶ時、ここまで「発音」に拘り、くるぶしさんの言のように、

発音を否定されると人格まで否定された気分になる

と言う人がいるでしょうか?所詮外国語を外国人が喋っているのだから、日本人が英語の発音を「否定される」(そもそも「発音を否定される」という意味がわかりませんが)ことがあっても当たり前ではないでしょうか?会話とは双方向のコミュニケーションなのですから、意が通じない場合は、「ゆっくり言い直す」「違う言い回しで言い直す」ことをすればいいので、それで即「人格を否定された気分」というのは被害妄想も甚だしいと思います。ドイツ語でさんざん苦労したので、その気持は理解できますが(参照:ドイツで「文盲」を体験する)。でもそれは、「発音」が悪いからではなく、自分が滞在することになった当地の言語ができないことに由来するのであって、その言語をネイティブ並みに喋ろうなどと、最初からそんな大それたことは思いませんでしたね。

英語の「ネイティブ並みの発音」にこだわる人って、
黄色人種の中で自分だけが白人に近づきたい、
って言っているような気がします。
この無意識のうちの「白人崇拝」については前述の伊丹十三氏も書いていて、

 初めて外国の空港に飛行機が滑りこんだ時、わたくしは窓の外を眺めながら、奇妙な感慨に捕われたのを憶えている。
 その時、わたくしは見るともなく、飛行場で働いている何人かの労働者を眺めていた。団扇のような形の標識を振りながら、飛行機を停止位置に誘導している男、ガソリンを積んだ黄色い小型トラックから、何やら担ぎ出している男、エンジンの音に耳を塞ぎながら、飛行機が停止するのを待っている何人かの労働者たち。彼らは、ひどくだらしなく、うらぶれて見えたが、まぎれもなく白人であった。
 わたくしが、白人の下層労働者の姿を肉眼で見たのは、これが初めてであって、彼らのみすぼらしい、無知な様子が、わたくしには、よほど珍しい、不思議な、予知しなかった存在として写ったようである。白人が、あんな雑役をやってるぞ!と心の中に叫んで、わたくしは密かに恥ずかしくなった。これでは、例の、ロンドンでは乞食でさえも英語を喋る、という古くさい冗談から一歩も出ていないのではないか。
 自分の心の中のどこかに潜んでいた白人崇拝の念が、わたくしをひどく驚かせたのである。(中略)
 相手がウェイターであれ、タクシー・ドライバーであれ、彼らが、彼らの母国語を、当然のことながら自由自在にあやつるのを聞くと、彼らの姿が何かひどく権威を持ったものに感じられ、わたくしは、自分がその前で間違っている一人の生徒であるかのような気持になってくるのである。

伊丹十三氏は1933年生まれ。存命ならば77歳。彼でさえ、気付いたことを、英語談義が喧しい21世紀初頭の日本人も気付いてもいいのではないかと思うのです。
確かに、今、英語は重要な言語です。けれども、過大評価する必要もないのではないでしょうか?
ドイツ人や、そしてフランス人の方がより熱心なのですが、英語教育は昔では考えられない程盛んです、「Engish」と言ったら、文字通り「イギリス英語」を指すのですけどね。今久しぶりに昔私がドイツに住んでいた頃通っていた公的カルチャーセンターのようなところの英語のコース一覧を見てみましたが*1今出ている数多の講座の中で、たった一つだけ「North American Conversation Practice」というのがありました、つまり他は「English」といえば「イギリス英語」つまりCambridge大学の一連の英語教育関連のレベル分けとか検定とかテキストとかに準拠しているのです。あれだけイギリス人を見下しているフランス人はともかく、一応先の大戦では日本と同じ敗戦国であるドイツですが、「英語コンプレックス」ましてや「アメリカ英語コンプレックス」など全くないですよ。ドイツ人らしく、翻訳マシーンのように、ドイツ語の文章を無理矢理英語に置き換えてとにかく喋りまくって力づくで意を通じさせる、という彼らの姿を見ていると、「語学ってこれでいいんだ」と思わされますし、そういう扱い(単なる「道具」扱い)を受けている「英語」に同情すら感じます。

また同じアジアの隣国、韓国や中国はどうでしょうか?
確かに韓国がアメリカに憧れる様は、ホワイトハウスそっくりの青瓦台やら、政府高官の(実際にアメリカ留学帰りが多いのですが)「アメリカナイズ」された振る舞いの様を見るにつけ、こちらはベルサイユ宮殿のミニチュアの赤坂離宮などがあることも忘れて、近親憎悪に近い気持も抱くのですが、少なくとも、韓国はアメリカに対して敗戦国ではないのですから、単純な憧れであって卑屈な同化意識ではないと私は思います。ただインターナショナルスクールでも、一番の教育熱心な親、というのはどの学年でもダントツで韓国人でしたね。韓国人の親に比べると、日本人の親って気合いが足りないというか・・・。
それはさておき中国だって勿論アメリカに対して敗戦国ではないですし、国の一部が長い間イギリスに占領されていたにも拘らず、流石中国三千年の歴史、といいましょうか、とことん「中華思想」の国というか、英語やその後ろにあるイギリスやアメリカに対して、卑屈な気持、即ち、
英語ネイティブでもないのに、英語ネイティブ並みの発音に憧れる
ということは中国人にはないのではないでしょうか?
英語は通じればよく、それ以上でもそれ以下でもないのでしょう。彼らにとっても、「英語は道具」だと思います。
インド人も然り。・・・もう説明する必要もないでしょう。



何だか日本人だけが英語を過剰に特別視して、肩に力が入っているように思えるのですね。欧米系の言語であっても、フランス語やドイツ語、スペイン語を学ぶ人の方が遥かに気楽に楽しんで学んでいる気がしますし、中国語や韓国語は本当にその言語とそれが話されている国が好きで学んでいる人が殆どではないでしょうか?
日本人の英語力が、一段階アップするとしたら、逆説的ですが「白人崇拝」も捨て「ネイティブ並み発音信仰」も捨てて、「単なる一つの言語」として英語に向かい合えた時だと、私は思うのです。