日本における英語能力試験は、TOEICではなくTOEFLで測られるべきだと思うのですが・・・。


早稲田大学卒業して慶応大学の大学院へ、自民党参議院議員になったものの離党して民主党に入党する、というイソップ物語のコウモリのお話を地でいくような経歴を持ち、そして今は落選中の「前」参議院議員田村耕太郎氏が、「TOEICか、TOEFLか?」という二択ではコウモリではなく旗幟を鮮明にしてアゴラで吠えていました。
TOEICはガラパゴス化した経産利権:アゴラ

調べ物をしていて松下政経塾のサイトを見ていると、入試でTOEICが義務付けられていた。財界関係の団体では常にこのローカルなテストTOEICの影がちらつく。アメリカでTOEICなんて誰も知らない。こんなことでは松下政経塾はいつまでたってもグローバルに通用するブランドにならないだろう。

だから、政経塾出身の外務大臣も前外務大臣も首相も、国際会議でも首脳会談でも「サシ」で話ができないのですね。当の田村氏は、他の場所でも同様の趣旨で吠えて発言しています。
電力利権と同じ構図?日本の英語教育のガラパコス化を招くTOEIC偏重と経産省の罪〜中韓もTOEFLに舵を切った!田村耕太郎の「坂の上に雲はない!」ダイヤモンド・オンライン (ほぼ上記と同じ内容)

田村氏の経歴についてはこの際置いておいて、このTOEICTOEFL、どちらを受験するか?」という問に関しては、田村氏の意見に全面的に賛成と言わざるをえません。田村氏の意見は自明であり、それ故に識者は勿論、市井の一オバサンであるわたくしでさえ、看破していたつもりでした。田村氏の言うように

TOEICがガラパコス試験であることは明らか

で、それなのに日本ではTOEICが英語の資格としては絶対的シェアを誇っているのは何故かと言えば、それは悪の枢軸である「経産省と財界」がタッグを組んで仕組んだ大陰謀という訳で、そのせいで日本のTOEFL平均点は北朝鮮よりも低いのだと思っていたのです*1。ちなみに、その後日本は北朝鮮とミサイル開発でなくTOEFLのスコアに於いて抜きつ抜かれつのデッドヒートを演じておりましたが、2010年の資料だと、日本が70点/120点なのに比べて、将軍様の国(2010年当時)は78点で大きく水をあけられております(日本は、63点のカンボジア、66点のタジキスタン、67点のラオスに次いでアジア堂々の4位入賞でした、但し「ビリから」数えて。)*2 。特筆すべきは、日本のスコアが悪いのは試験の中の「speaking」と「writing」のセクションが足を引っ張っているから、という事実なのです。
経産省の陰謀でTOEICのみが跋扈する日本では、他国に比べれば真面目と勤勉さが抜きん出ている日本の学生さんも会社員さんも皆、TOEICのスコアを上げるために「listening」と「reading」ばかりやるからして、日本人全体として「speaking」と「writing」が独立したセクションとしてあるTOEFLでの点数が一向に上がらないのではないか、と思っていたのです。

hatena のホッテントリーにも常に必ず「英語ができなかった私がTOEIC◯◯点とった方法」とか、「短期間でTOEICを〇〇点上げる方法」とかが、年中あがっていますし、先日、

ガラパコス、でも やっぱりTOEICーtogetter

というものを読みましたが、余りにも了見が狭いというか、日本人全体の英語力を考えた時、また将軍様の国改め、若き金大将の国にも劣るTOEFLのスコアを見ると、そーゆー問題ではない、というか、それではいつまで経ってもアジアの中で最下位辺りを低迷することになりかねません。

更に思えば一昔前ならば、日本人の英語能力を測る物差しは「英検」でした。英検は紛いなりにも3級以上は「英語による面接」というものがあり、1級の二次試験では、その場で与えられた「社会性の高い幅広い分野の話題」に関するトピックの中から一つを選んで2分間のスピーチをしなくてはなりません*3。いわゆる「英語のコミュニケーション力」「英語での発信力」を測ることに於いては、「英検」の方がマシに見えるのに、TOEICに比べると「英検」の影響力は今や風前の灯です(文科省経産省の力関係でしょうか)。

いつの頃からか、就職試験においても社会人になってからでも、「英語能力」を測るものとして、この多少はマトモな英検でもなく、そして世界で通用するTOEFLでもなく、TOEICになってきた最大の理由は、やはり田村氏の言うように「経産省の利権」だったのだと思い、だからしてなかなか「TOEICの牙城」は崩せないであろう、と思っていたのです、前掲のtogetterのように、この現状に順応している人が多いのも事実ですし。

ところが、こんな記事を見つけて、他の視点があったのかと思わず膝を打ちました!それはもう1年以上前に書かれたものなのですが、

TOEICではなくTOEFLを受験しよう、と考えてみた。【シンガポールで】国内MBAに行ってみた【働きます】〜京大MBA(京都大学経営管理大学院)な日々〜

この中で筆者のrintan0103氏が、同じ趣旨の問い、

「今後社会人には英語能力は必須だ!」と声高に叫んでいる日本の企業がなぜ英語の能力の判定にTOEICを使うのか?

について挙げていらっしゃる答の中に、今まで思い至らなかった理由がありました。

1. TOEFLに比べTOEICの受験料が安いため、就職志願者にも企業にも相対的に負担が掛からないから(TOEIC vs TOEFL=約5000円 vs 約17000円)。
2. TOEFLで英語能力を測った場合、高得点をとって海外MBA等に留学され、ひいては辞職されるのを恐れている。
3. TOEICで英語能力を測ることがベストだと思っている。
4. みんながTOEICで英語能力を測っているので、特になにも考えず、英語能力のものさしとしてTOEICを採用している。
5. ISOサギと同じで日本でのプロモーションにせいこ・・・おっとだれか来たようだ。

この2番目の理由

TOEFLで英語能力を測った場合、高得点をとって海外MBA等に留学され、ひいては辞職されるのを恐れている。

これには考えが及びませんでしたね〜。rintan0103氏の慧眼に感服です。けれどもこれは由々しき問題を孕んでいます。
何が「由々しき」なのかは、逆を考えてみるとよいと思います。

日本でもし、就職試験ではTOEICではなくTOEFLを課し、社内昇格試験でもTOEFLを課し、高校生の英語力検定もTOEFLを推進すればどうなるか?

TOEICや英検では測ることができない「speaking」と「writing」のセクションがあるTOEFLで高得点を上げるため、学生も社員も様々な手段を使って、先ず英語の「コミュニケーション力」を上げようとするでしょう。日本人はターゲットが定まれば、器用にあらゆる方法を考えてそれに向かって努力するのが得意ですから(今はネット上に教材は豊富ですし)。そういう人々が増え、結果的に「本当に英語が使える人が増える」ということは、そこまでは大学や企業にとって良いことかもしれません、勿論日本人にとって歓迎すべきことです。
けれども、TOEFL iBTで100点(満点は120点)をとれば、アメリカやイギリスの有名大学・大学院が要求する英語のレベルをクリアできるということですから(TOEICで満点の990点をとっても、ハーバードやオックスフォードには決して留学できません)、100点ホルダーの彼/彼女たちには、新たな選択肢が生まれることになるのです。

例えば、今は大学3年の12月から始まる就活ですが、大学3年の夏にTOEFLで100点をとれば、就活をしながら、否、就活が終わった4年の5月から欧米の大学院受験にかかりきりになることが出来る訳です。数ヶ月あれば大学院にアプライする書類も作れます。そうして見事合格通知を貰ったなら、学生の方から企業にお祈りメール(「貴社のこれからのご発展をお祈り申し上げます。」がテンプレ)を出して、卒業した年の秋から留学です。誓約書の問題があるのならば、半年勤務して給料泥棒してから退職すればよいことですし。

社会人にとっても、昇格試験のために頑張ったTOEFL100点のスコアを使えば、海外の有名どころのMBAに出願する最初の切符が手に入ります(その次にGMATやインタビューが控えていますけど)、TOEIC880点ではなくTOEFLで100点を取っていれば。

大学受験生にしても同様で、高校1〜2年生で英検1級ではなくTOEFL100点をとっていれば、日本の大学のAO入試に書く以外には使えない英検とは違って、スケジュール的にも余裕で日本国内の大学受験と平行して海外の有名大学にアプライするチャンスがあります(もうそれを謳ってお商売している予備校もありますが)。

その結果どうなるか?
日本の大学・大学院に於いては、必ずや最優秀層の一部がごっそり海外に流出するでしょうし、企業に於いても、最優秀の社員の一部がMBAを取るために退職してしまうでしょう。そして海外の大学・大学院を卒業した学生が、設備も予算も劣り、体制も旧弊な日本のアカデミアに戻ってくるでしょうか?MBAをとって、まだまだ年功序列が根強い元の日本企業に戻ってくるでしょうか?
チャンスを掴みいち早く「グローバル化」された日本人は、逆にそうして日本を脱していくでしょう。
これもいわゆる「グローバル化」であることは間違いありません。
けれども、そういう状態になった時の準備が日本の大学・大学院や企業にできているのか、と言えば甚だ疑問です。

個人個人で考えれば、少しでも良い環境で勉強出来るのならば日本の大学ではなく海外の大学を選ぶでしょうし、日本企業だろうが他国の企業であろうが自分のスキルを最大限生かせる職場を選ぶことは間違っていませんし、大いにそうするべきだと思います。
しかし、「グローバル化」の準備ができていない日本全体としてはどうなるのでしょうか?

例えば一方で、同じようにTOEFL100点を取っていても、経済的に留学が可能な人とそうでない人に分かれてしまうことも予想されます。海外の大学に留学するためには、地方から東京の私立大学に行くよりも遥かにお金がかかります。奨学金は狭き門ですから、留学を望む人全員が留学できるかどうかはわかりません。つまり、TOEFLのスコア以外に親の経済力によって、留学できる/できないが決まってしまうのではないでしょうか?
社会人になってからのMBA留学にしても、アメリカのトップスクールだと自費で行くとなると年間500〜800万円かかる(それが2年間)そうで、27歳で行くとして現役で就職してから5年間で1.000万円貯金できる人は少ないでしょうから、借金するか親の脛を齧って出世払いすることになるのではないでしょうか?

つまり、親の経済格差が、今も厳然としてある子供の教育格差(経済的に余裕がある層が、子供を義務教育の中学校の段階から私立に行かせる)の上に更なる格差を生みかねないのです。その格差を生まないためには、日本の大学・大学院、企業が「日本で頑張る」学生や社員に報いるだけの環境を用意していなければならないのですが、それが出来ているとは言い難い現状です。


・・・ということは、ということは。
もしかしたら、経産省は「利権」なんてちっちゃい視点からTOEICを推進しているのではなく、下々には思いもつかなかった国家的観点から、

・国民の中に、グローバル化できる層とできない層の格差を作らないため
・日本の大学・大学院や企業が、TOEFL100点を引っさげて外国へと最優秀層がごっそり抜けて、がたがたの骨抜きにならないため

そのために、賢明にも30年以上も前から戦略を練って財界や教育界も巻き込んで、TOEFLではなくTOEICを浸透させてきたのではないのか?というのは、美しき誤解でしょうか?(はい、誤解です)


北朝鮮TOEFLスコアが劣るという国辱ものの不名誉にも耐え、
コウモリのような「前」参議院議員から「利権欲しさ」と罵倒されても耐え、
外遊する大臣たちの誰一人として各国首脳と英語で討論できない無様さにも耐え、


そこまでして、国民やアカデミアや企業を守ってくれていたとは!!!
さすがは、旧通産産業省(もう一つ古く言えば、商工省)、考えることが違いますね!!!


・・・しかし、しかし、本当にこれが国のためになるのでしょうか?
真に採るべき政策は、日本の大学や企業をTOEICに絡めて姑息な方法で保護して延命させることではないはずです。
受験生や就活生、社員の英語能力を測る試験をガラパコス試験のTOEICではなく、国際的に通用するTOEFLにとしたとしても、人材獲得の国際的競争に持ちこたえられるだけの体力がある大学や企業を育てることではないでしょうか?
一方、企業や大学も、現状のままでよいはずがない、現状がいつまでも続くはずがない、と早く気付くべきでしょう。
企業は、経団連の意向のままにこの先もTOEICなんかを使っていたら、いつまで経っても本当に使える英語力を持った社員など育たないでしょうし、大学は、「秋入学」なんかの制度をいじる前に、一方では優秀な日本人学生を国内に引き止めるため、同時に一方では海外からの優秀な学生を迎えるために、あらゆる手を尽くすべきであり、実はそれはどちらも同じことをやればよいのです。曰く、奨学金の充実、住居や学習環境の整備、「日本の知を英語で教える」仕組み、などですね。


とすると、元に戻って、田村耕太郎参議院議員の主張は至極真っ当なものであり、この件に関しては田村耕太郎参議院議員を支持したいのですが、政治家としての田村氏を応援するかといえば、それは次の選挙で彼がどの政党からどのような理念で立つのかを見極めた上でのことになりそうですが。

*1:TOEFL平均点では北朝鮮に抜かれた日本の英語力

*2:http://www.ets.org/Media/Research/pdf/TOEFL-SUM-2010.pdf

*3:過去の出題例:科学の発展は常に有益か、芸術への財政的支援増加の是非、世界経済における日本の役割、選挙権の行使を義務化するべきか、遺伝子組み換え食品の安全性、公共の場における治安改善の必要性  [http://www.eiken.or.jp/exam/grade_1/contents.html:title=1級の試験の内容