Hatena::ブログ(Diary)

soulram’s weblog このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-06-20

ニート

僕はニートじゃないんだけど、何となく気分は分かる気がします。誤解を恐れずにいうなれば、一種の病気っぽいところがある気がする。周りにいないわけじゃないけど、僕もそれほど優しかったり人に厚い人間ではないので、敢えてあまり関心を持とうと思わなかったというのもあります。以下のエントリに何となく、反応。

一度 ひきこもりにはまってしまうと怖くて動けなくなってしまう

自分天才哲学者にでもなったかのように世界を決め付ける

・・・・

同窓会のお知らせ(裏クロスブリード)

上記、事実かどうか分からないし、気持ちを入れるような話かどうかも分からないけど、ナントモ言えず感じ入る話でした。きっと、自分が親になったからだろうと思います。

外との関係を一切絶ってしまいたくなる衝動ってのは、きっと誰にでもあるし、正直、社会に出ていたって魂はまったく入ってない人なんて、大勢いる。そうした自閉的な気分は特別なことじゃないと思います。ただ、自分が外に出ない限り、今の世の中誰もひきづり出してはくれないというのは、確か。なぜなら、その人がいなくても世の中は回ってしまう。僕がいなくても、女房と息子は生きて行けるし、最初は悲しんでくれても、月日が経つと思い出になって日々の生活を営むようになるでしょう。

そうなると、結局は、私でいうならば自分家族とかかわりを続けて生きたいという動機付けが無い限り、ある日突然小さな出来事で全てが終わる可能性もある。ニートの人の話を聞くと、そんな気分になります。

私は何年も引きこもったことは無いので、実際にどのような心の動きかはわからないし、その人たちの立場はさらに実感の無い世界になるけど、人生を大きく捕らえるくらいしかできることは無いのだろうと思います。

そして、いくら病的な状況だとしても自分がその状況を出ようとしない限りは、そのままで、それはその人たちの意志であると受け取られるのだということも。「それでいいんだよ」と思うのであれば、その中で生きることができる限り生きるということになるのでしょう。

2009-06-09

ごく一部の人々

春山先生ブログより。

★「俺たちが高給だから、街が潤う」

破綻企業税金で豪華な生活を送る。他人の金銭的成功を妬まない米国民だが、さすがに税金が投入されれば話は別だ。非難の声が高まり、オバマ政権はその声に押されるように、年収規制を表明したのだ。しかし、ようやく動き出した金融機関の巨額報酬規制だが、これが適用されるのは幹部クラス以上に限られる。株式で支給されるボーナスは、公的資金を返済するまで換金できないが、基本的にはこれまで通りに支払うことができる。また、一般社員への報酬規制がかからない。

そして、いまだに高水準の給与を維持している。ニューヨーク市に住む金融関係者が受け取った2008年ボーナスは総額184億ドルで、1人当たり11万2000ドルにも達する。一般社員ボーナスは野放しでいいのだろうか?「何を言い出すの!私の年収って4割はボーナスなのよ。人の年収を、いきなり4割もカットするなんて、フェアじゃないわ」ウォール街を闊歩していた大手金融機関女性アナリストは、そう語気を強めた。「金融マンが巨額のチップを払うから、世間が潤っていることを、忘れてもらっちゃ困る」そんな理屈すらウォール街では、「常識」として語られる。果たして、彼らの常識はこれからも通じるのだろうか。

メリルの会計担当していたあるコンサルタントは、ウォール街のカネの流れを見続けてきた。そして、こう結論づけた。「彼らは例外なく、オフィスを超豪華にして、高級レストランで客を接待する。カネをぼろ儲けしていることを見せつければ、客も安心して資産運用を任せるからだ。それが彼らのビジネスモデルというわけさ」それを人々は、「虚業」と呼ぶ。そして、豪華な生活が続かなくなっていくとともに、ビジネスモデルは静かに産業史の舞台から消えていくに違いない。

おかねのこねた : 豊かで、健康で、活動的な、人生のために (春山昇華) : こんな事があったという記録 : 腐った根性

この話を読んでいると、なんともいえない気分になります。「当然」に感じていることって、人によりけりなんだよなって。赤字の部分なんて、普通の人が話していれば、「確かに・・・」と納得しそうになりますが、これが何千万も年収がある金融関係の人の話だと思うと、「バカかな、こいつは。」となってしまう。ただ、当人の生活水準からすると、「あれもできなくなるし、これもできなくなる・・・私が日々やってたことは、4割できなくなってしまう」と言うことですよね。それが、ヨットを持つことや、別荘を持つことであっても「自分にとって、コレは日常」と思っていることができなければ、それは、同じような不快感があるはず。

普通感覚

普通感覚ってどの程度の有効範囲があるんだろう。こないだの梅田さんの話で、「僕はこういう人間だから」というキーワードインタビューで沢山出てきたけれど、それはその人にとって「普通」という話。そして、年収数千万の4割カットの人の「普通」ってのもそう。僕にとっての普通もありますよ、そりゃ。晩酌をすることもそうだし、夜中まで起きてることも。

こうしてみていると、いかに「普通」という言葉が了見の狭い言葉なんだろうっておもいますよね。「普通・・・」と接頭語をつけてしまえば、民主的に聞こえる。多数意見の代弁に聞こえてしまう。以外と、「普通」と言う言葉事故を限定する言葉なのかもしれない。不思議なのは、「僕はそう思う、普通はどうか知らないけど」という言葉も、了見が狭く聞こえる。こっちのほうが潔いかもしれないけど、時と場合で、与える印象はとても違ってくる。

上記の引用でも、「虚業」と言われながらも、お客さんもその世界を当てにしてくると言うくだりがありますが、結局は人間なんて、そんなモンだってコトなのかしら。

誰のためにどこで何の話をしていて、自分は誰のどの話を聞いているのか。

こういう感性の違いを埋めることが良いと思われる場合と、そうでない場合がある。そんなことより、自己を限定して押し通すことが必要だという場面と、誰が何かのために話をしているときは、自分もその話を聞いてみるべきと言う場合と。

でも往々にして話を聞かない人は、何をしても短命だと思います。

そして、「普通・・・」と言う人ほど、私は信用していないという自分の基準を最近気がつき始めた。たとえそれが確かに世間一般の価値観を代弁していることであっても、相手に伝える際に、「普通・・・」と始めるのは、相手を限定使用としているんですね。同じことをされると、非常につまらない気分になるし、そういう相手がつまらない人に見えてくる。

・・・と、まぁ、こういうことを言っている私もそういう価値観に縛られているのかもしれないんですがね。しかしながら、それであっても、人の話を聞いて、自分世界を広げたいと思うスタンスは大切にしたいです。

2009-06-02

梅田さんやはてなダイヤリーなど・・・

久しぶりに、はてなダイヤリーの更新をしています。きっかけは、今回の梅田さんのインタビュー。疲れてんですかね。

日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編) (1/3) - ITmedia NEWS

やっぱり、人って、どうしたって疲れてれば、自分の好きなことに没頭してストレス発散したくなる。人によっては女に、買い物に、って俗物的なものになりますけど、教育が行き届いている人になればなるほど、ある意味、自分の頭脳の中で繰り広げられる世界に没頭しがちですよね。サバティカルという言葉を聞いた辺りから、ちょっと不思議な感じがしましたが、梅田さんも人間だってことですな。

web進化論で、ウチのサイトの「RSSを書くことの意味」とか「ブログを書くという行為がスキルアップにつながる話」とかを引用してくれた時は嬉しかったよ。自分はその頃の価値感はまだ機能すると思ってるよ。残念とか言う前に、昔の空気感を復活させてよ。自社でオリジナルサービス作れないから、任天堂のバックエンド担当とかやめようよ。

fladdict ? 日本のwebが「残念」というか、そもそもはてなが「残念」だ

とってもストレートなエントリにて、反応しました。任天堂の話とかって、私あたりはまったく評価しないんですが、そうはいってもはてなの「おもしろそうだからやってみようよ」って感じで手をつけたんだろうという解釈でした。

近藤さんも梅田さんも泥臭くは無い

どちらにしても、泥臭さは感じない。いうなれば、サイバーエージェントの社長さん、GMOの社長さん、ああいう人たちと違う感じの匂いはしますよね。それでいて、オピニオンリーダーとしてコレだけ話を振りまけていたところとか、パソコンオタクしかり、Geekしかりで良い反応を示していたのではないでしょうか。ビジネスという言葉よりも純粋な面が見えていた。

残念なのは、ここでスネちゃった感じがありますよね。近藤さんはアメリカから戻って京都に・・・とか、梅田さんはサバティカル・・・とか。この辺を素直に表現してるあたりが、なんとも言えず純粋な感じです。ただ、その世界観に共感したくて、あこがれて、日々の仕事から夢を見られる世界が見えた気がしたのかも。

当人からしたら、「これって、なんのはなし?」という感じで、理解しずらいのかもしれません。スネてるわけじゃないよ、と。

「あるプロジェクト」

こういうプロジェクト、こういう試み、という言葉で終わらせてもいい話って沢山あると思うのです。そうなって欲しいとか、そうならないで欲しいとか、そういう希望ははっきり言ってなくて、どっちでもいい。時代の一ページで終わったところで、誰も何も思わないでしょうしね。

ただ、それを決めるのは、経営に関わる人たちでしょう。自分達の存在価値を、どう見積もるのかはその人それぞれでしょう。ただ、一つ感じるのは、自らの振り返りを臆面無く振りまく上司ってのは、下から見るとイザッて時なんともいえない頼りなさがあるのは確か。ある意味人を見てるわけだけど、やっぱり会社とかプロジェクトって人がやることだから、それを無視できないってのはあるはずです。「あぁ、そんなプロジェクトもあったよね」・・・そんな言葉が似合う会社も沢山ありますよね。

自己満足

自らの存在価値と、世の中のニーズとすり合わせて、共存共栄している・・・ふりして、儲けてる。飲み屋で例えちゃうけど、行きつけの飲み屋にいって飲みますよね。でも金はしっかり取られて、たまにちょこっとサービスがあるけど、マスターのちゃっかりしてる部分が見えたりして。だから「マスター、もうちょっと負けてよ」なんて少し言ってみたりするけど、結局またそこに行ってしまう。その飲み屋が無くても困らないけど、あったほうがより良い。無くなったら、似たような店を探すもんです。はてなのサービスって、そんな感じ。世の中で必ずしも必要とされているわけではないけど、あったほうがいいだろうと思われているもの。そういう中で、自分達の価値を訴求するのが、DSだったのかな。

ちょっと残念だったのは、梅田さんが「自分社会的に認知されている立場から離れて発言しますが・・・」といっていました。この話を誰がどれだけ理解するのかって。どっかの国と日本を比較してるみたいだったけど、この話ってアメリカだろうが、日本だろうが、それを素直に飲み込む人がいたとしたら、その人は何人でどこに住んでいようと、結局オメデタイ奴だと思いますね。

2009-04-13

G20が行われたロンドンでの話し

f:id:soulram:20090413082724j:image:left

最近金融の歴史にもかかわる本を読んでいるところですが、「銀行家(Banker)」と呼ばれる人たちの特殊性というか、外から分かり難い実態といいますが、そういうものを感じています。良い・悪いという判断は別として。

「4月バカ(April Fools' Day)の日」をもじって、そう名づけられたこの日、金融街「シティー」には、銀行救済に反対する人々が集結し、デモを繰り広げていた。英銀行大手ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドの店舗は暴徒に襲われ、窓ガラスが粉々に砕け、コンピューターや家具などが外に放り投げられた。

対話なき「金融バカの日」の悲劇:日経ビジネスオンライン

まぁ、こんな記事が出ていたので反応してみましたが、「俺達が戦いたいのは、銀行家であって警察ではない」と叫ぶ男性がいたなど触れられていました。

誰が何で誰を操作しているのか、ってことを感じさせられますよね。無力感まで行かないけど、世の中を俯瞰しようとすると、どうしても一度自分の小ささと世界の広さを感じて萎縮しそうになります。

どの銀行家も十把一絡げにしませんが、やはり代々にわたり強烈な支配力を持っていたんだろうな、特に西洋では、その力が如実に感じられるのかもしれないと思いました。

2009-04-06

ソフトウエア開発はアートである、という話

中島さんのブログは、とっても面白いです。勿論知り合いでもなんでもないので、話したことも無ければ、何も知らないんですが、なんというか、メッセージは伝わってくる。

「日の丸OS」だったはずのB-Tronもどこかに行ってしまったし、そもそも「戦略的OS」を意図的に作るってことにかなり無理があるんじゃないかと思える。結局のところ、ソフトウェア作りはアートに近くて、大企業が資金力にまかせて優秀なエンジニアを集めても無理があって、少人数で作ったものが市場原理で自然淘汰されてこそ良いものができると思うんだがどうだろう。

Life is beautiful: 「戦略的OS」の開発がことごとく失敗している点に関する一考察

この方の経歴をもって、「ソフトウエア作りはアートに近くて、大企業が資金力に任せて優秀なエンジニアを集めても無理がある」って言い切られちゃうと、なんとも言えず納得させられてしまいますね・・・。

往々にして戦略とは・・・

なんか、よくわからないけど戦略という言葉はいろんなところで使われます。「戦略的に考えると・・・」とか、「戦略がなかったから・・・」とか。言葉を変えると、「計画」だったり、「手順」だったりすることも多くて、「マーケティング」という言葉の定義が日本語では曖昧なのと似た感覚を受けます。

戦略的OS、ここでは大企業が収益を見込んで市場投入しようとしたOSということでしょうかね。確かに、ITって企業の戦略には役に立っても、それそのものが戦略的に発生しているものではないのかもしれない。アートというと、「絵画」とか「彫刻」とか、そういうものを私はイメージしちゃいますが、いうなれば「あったらいいな」という感覚かな・・・。だから、いうなれば、石油ポンプとか、男性ブリーフの穴とか、なんかそういう「アイデア一発」ものの積み重ねに近い・・・感じ?

ともかく・・・

まだ確たる何かがある分野ではないのかもしれません。昔ネットワークを弄ってたとき、RFCを読んでいて、「世界中のビジネスは、こんな不安定な仕様をインフラにしようとしてるんだな・・・」って思った覚えがありますが、結局は柔らかくて変わりやすく、誰が見ても確たる価値なんて分からないモノなのかも知れない。

でも、そんなものが世の中はたくさん溢れてて、実際には決められた枠のほうが世界よりも断然狭い。そう考えると、何事もアートという世界なのかもしれません。価格表が無い業界が、既存の社会に強烈な提案をするときに、膨大な利益を生むんですよね。なんだか分からないものを扱っている人ほど、大儲けする。

2009-04-03

言葉の意味

なんとなく反応してしまったので・・・。

言葉の裏側…… つまり、そう言った上司本人も人間。であれば、感情もある。そういう人間の「好きなように」という言葉の裏側は、実は「上司本人が思う、納得できる好きな方向で」という意味なんですね。その上司が満足する方法でやることが、「好きなようにやること」というわけです。決して、あなた本人がやりたいようにやることではない。

「好きなようにやれ」という言葉の裏側にあるもの--田代センセーのメンタルテクニック(9) - ZDNet Japan

どういう意味だったか・・・ということを後でおさらいするのは大切だし、まぁ、それができないと何時までも分からない言葉だらけになっちゃうわけですが、そもそも「好きなようにやれ」といわれて、やって怒られて・・・それが、どれほどのことかなという気もします。カウンセラーの方に対して何かを思うというのではありませんよ。なんというか、こういう議論がネタになるということ自体に興味を持ちます。

「好きなようにやったら怒られましたぁ・・・」って、別にそんなに悩むことでもないように思えます。まぁ、実際そういうところで悩んでくれる方が居るから私のいい加減な性格が救われているということもありますが、そもそもが「じゃあ、何で好きなようにやれっていったんだ」っていう疑問を個人がもって解決してゆくというプロセスのほうが、あらかじめ人を読もうとするよりも大切なんじゃないでしょうか。こういう事件は何時でも何処でも発生しますが、そのフォローとハンドリングを若いうちから学ぶべきなのではないかな。

「好きなようにやってしまいました」で、いいじゃないですか。そもそも、怒る上司はその程度なのです。部下とのコミュニケーションが取れていなかったと反省すればいいじゃないのかな。「本日は無礼講」といわれて、本当に無礼講になっても許される人と、許されない人っていますが、まぁ、その話の延長って気もしますね。

2009-02-19

バフェット氏の資産目減り

4分の1がなくなっちゃったバフェット氏。それでも、長期的に見てバークシャー・ハザウェイ社(BRKa)の株価への影響は限定的・・・に見える。

[ニューヨーク 17日 ロイター] 著名投資家ウォーレン・バフェット氏が率いる米投資会社バークシャー・ハザウェイ(BRKa.N: 株価, 企業情報, レポート)(BRKb.N: 株価, 企業情報, レポート)の米国株式ポートフォリオが、2008年第4・四半期に大きく目減りしていたことがわかった。米大手金融機関数社へのエクスポージャーが大きかったことが主な要因。

</pp> <pp> バフェット氏の投資会社の米株ポートフォリオ、第4四半期に大きく目減り</pp> <pp>| Reuters</pp> <pp>

よくみると、リーマン・ショックのとき過去最高をつけていたんですね、この銘柄。ここまで行くと落とし穴があるのでは・・・と思ってしまう。実際、W.バフェット氏がなくなるのもそんなに遠い未来ではないでしょうから、その後どうなるのでしょうね。