『子供らは 世界みんなの 宝もの』〜鶴と蝶に導かれて〜

2005-10-23 ありがとうございました

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今年の1月から約10ヶ月間、『子供らは世界みんなの宝もの』〜鶴と蝶に導かれて〜を応援して頂き、ありがとうございました。私の手元にある原稿を何とか他の方にも読んでもらえないかとの思いでブログ上でアップすることを思いついたのが、昨日のように思い出されます。


秘かに毎日楽しみにして下さった方、コメントやTBして頂いた方、またご自分のブログでも紹介して下さった方・・・。このブログを通して、色々な方とつながることができたこと、これは私にとって今までに感じたことのない新鮮な喜びでした。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。


最後に、今夏に起きた出来事をご紹介して、このブログ更新を終了したいと思います。何か子供が自分の手から離れていくようで、少し寂しいですね。後は、この『子供らは世界みんなの宝もの』〜鶴と蝶に導かれて〜が自由に飛んでいくのに任せたい、そんな気持ちです。


60周年、和解の時(1) 序章

60周年、和解の時(2) ペリーの手紙

60周年、和解の時(3) 嵐の予感

60周年、和解の時(4) 決着

60周年、和解の時(5) 私しかいない・・・

60周年、和解の時(6) 対面の時

60周年、和解の時(7) 共有

60周年、和解の時(8) 解放

60周年、和解の時(9) 源のつながり

60周年、和解の時(10) 夏祭り


今後の活動などについては、こちらのブログにアップしていくことになると思いますので、たまに覗きに来て下さいね。では、みなさんもどうぞお元気で・・・。

ぎょはぁ!!!!!ぎょはぁ!!!!! 2009/08/13 19:06
ヘイヘイ!!あひひひほはぁwwwwwww ちょwwいきなりごめwwwwww
寝てるだけで5 万もらっちゃって真面目な自分がヴァカらしくなってさwwwww
はぁーいま女シャワー浴びてんだけど、もう1ラウンドでまた5 万くれるってYO!wwwwww
またマグロでさっさと中 出 しするわwwwwwwwww

http://kachi.strowcrue.net/8nxacut/

2005-10-22 新しい挑戦

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数日後、私は希望の光を見つけた。現代の科学技術は、スペースシャトルで数百万マイル離れた月面に人間が降り立ち、安全に地球に帰ってくることができるし、潜水艦で深海の底に広がる未知の領域に入ることができる。どちらも完全に真っ暗な世界だ。これらの技術を応用して、無限に暗い環境にいる盲目の人達がより移動しやすくなるようなシステムを開発できたら、どれほど素晴らしいだろうか。


私は再び熱意を取り戻し、“スマートシティー”と名づけたこのシステムに興奮した。このシステムが他の身体障害者にも認められれば、再び人間の尊厳を持って社会の本流に戻って貢献する道が開ける。私はそう信じていた。しかしそれを設計する知識や能力不足に加えて、そのようなプロジェクトを成し遂げるための資金を持っていないことが悩みの種だった。“奇跡”が起こらない限り、ここから先には進めない。


1994年2月17日、その“奇跡”が起きた。私の提案した誘導システムについて相談するために、カリフォルニア第10地区のビル・ベイカー国会議員に会うことができた。彼はその後、カリフォルニアのリバーモアにある、ローレンス・リバーモア国立研究所(LLNL)の技術者らを加えて、会合の手はずを整えてくれた。提案されたプロジェクトは前へ進もうとしていた。全く見込みのないところから希望をつかんだことは、信じられないほどの喜びだった。暗闇の中だったからこそ、希望を見つけることができたのだ。


LLNLは、冷戦時の爆弾工場の1つであり、実験室はTAGSという電子工学の高度な誘導システム目標に発展してきた。実験室は“軍事から平和への転換”を遂げようとしていた。実験室の年長者であるトム・ムーアが、もし実現したら携帯電話と同様の効果だと言っていた。バス電車病院に通ったり、買い物や野球観戦に行く大勢の高齢者視覚障害者たちを支援することができる。まさに無限の可能性だ!


1994年7月21日、TAGSプロジェクト財政援助金を受けるため、ワシントンDCで開かれた米国議会の小委員会の席に呼ばれ、カリフォルニア州議会議員下院議員、そして大統領の心に訴えかけ、輸送委員会と連絡を取り続けながら4年後を待ちに待った。しかし、全ての努力甲斐なく、資金援助を受けることは現実にならなかった。LLNLは、資金援助なしでこのプロジェクトを進めることは困難だという決定を下した。


もちろん、私は失望させられ、気を落とした。しかしこれは失敗ではない。ただ挑戦し続けるだけだ。私はしばしば障害に不平を言ってきたが、今はそれが支えとなっている。結果はともあれ、他の人と交わる機会を多く得られたということは、私が恵まれた道の中にいるということだ。私にとって重要なことは、肉体的な障害と心の闇に向き合った数年間があったからこそ、自分自身を守っていた“繭”を破ることができ、国の違いや痛みを超えて、ついに他の人を助ける道を見つけることができたということだ。

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2005-10-21 新しい挑戦

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収入のある仕事を失った時は、絶望的な気持ちになった。慈悲深い労働者や納税者の親切な行為によって、政府からわずかな障害者年金を受け取ることはできたが、それだけで人間の尊厳を認められることはなかった。ただ生きるためだけに、“援助”をもらって暮らしていくという生活は、私にとっては屈辱的なものだった。しかし、私の生活はその援助に頼らざるをえなくなり、日常的な行動のほとんど大部分は、“目の見える人”のなすがままだった。竜巻の中で1枚の木の葉があてもなくクルクル回るように、私の心が休まる場所はなかった。この竜巻の嵐の夜の中で、私は問わなければならなかった。

「一体いつまで怒り、落ち込み、否定し、自分を哀れみ、恥と不名誉の中でもがいているのだ? なぜ“普通”でも“完全”な人間でもない個人として、もう二度と目の見える人たちと同じようには社会に貢献できないと認めなければいけないのか?」


その時突然、1946年の春、原爆後に避難した紅葉村から再び広島市に向かった時の光景が思い浮かんだ。私の魂の奥深くに眠っていたあの“命をくれた青い草”記憶がよみがえり、再び前へ進むのを助けてくれた。私は改めて思った。

「小さな草が生き残れるなら、私にもできるはず!」と。私は決して打ち負かされてはいないと思えるようになった。私はこの“障害”を、私自身と他の人々が人間の尊厳と誇りを持って意味のある人生を見つけるのを助けるという前向きな目的のための動機としてとらえようと決心した。新しい挑戦とともに、肉体的な“障害”に直面することができたのだ。


尊厳と気高さ、自分自身の誇り、そして人生の生きがいを持つことは、私達が生きていく上で必要なものだ。私は“目が見える”人達のように、再び社会の本流に戻って、かつてしてきたような社会貢献をしたかった。最大の希望は、なるべく他の人に頼らないことだ。まずは、盲導犬ミチと白状とともに社会の生産的なメンバーになることに集中しよう。


盲導犬ミチは、偉大な友となりパートナーとなった。お互いの気持ちや性格を知るのに3ヶ月ほどかかった。ハーネスを通じて、ミチがどこへ行こうとしているのかが分かるようになった。優しくしてもらいたい時には、大げさに尻尾を振りながら私の手を舐めに来る。私達の間に大きな信頼関係が生まれていた。


ミチのおかげで、生活は素晴らしいものに変わった。しかし、ミチがいつも私をうまく導けるとは限らなかった。公共の交通機関を使うのは簡単にできても、複雑な交差点の横断や初めての道や場所では、私がミチにどちらの方向に向かうかの指示を与えなければならない。自分がどこにいるのか分からないと、ミチに指示を与えることはできないのだ。私には“機械的な目”が必要だった。交通機関から障害物をなくし、ただ安全であるというだけでなく、視覚障害の人が移動するのを援助するための何らかの装置が必要だと実感していた。自分のいる場所を知り、行きたい場所へ行けたり、乗りたい乗り物を識別したり、障害物を探知して回避したり、緊急時には呼び出しができたりする何らかの装置・・・。

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