京都地裁・和久田斉裁判官による不当差別判決を糾弾する 京都大学は不当な「5年でくび」条項を撤廃し、ユニオンエクスタシー組合員を職場復帰させよ

2011年3月31日、京都地裁(和久田斉裁判官)は、私たちフリーター全般労働組合と友誼関係にある労働組合ユニオンエクスタシーの組合員による、京都大学からの「雇い止め」=不当解雇を無効とする訴えを却下する不当判決を下した。

判決文によれば、ユニオンエクスタシーの組合員の労働は「週30時間を越えない労働時間、補助的な職務内容であることを考慮した時給の設定」であり、「家計補助的労働」であると断じている。さらに、そのような「家計補助的労働」は、「労働契約が更新されなかった場合に当該労働者の生活そのものが崩壊することを想定しなければならない類型の労働とは言い難」く、このような求人に応じる労働者の多くは「税法上の配偶者控除が可能となるような年収に収まる程度の労働しか希望しない」と断言している。

まず、このような和久田裁判官の認識は、差別に満ちたものであり、私たちはこれを許すことはできない。
現在の非正規労働者が、いわゆる「正社員」との間で、同一価値労働同一賃金の原則など一片もないと言ってよい格差待遇に置かれている理由は、まさに和久田裁判官が言うとおり、それが「税法上の配偶者控除が可能となるような年収に収まる程度の労働」として想定されたからである。
その想定が生まれた時代においての「配偶者」とは、「入籍した男女のうちの女性」を指していた。
すなわち、「家計補助的労働」とは、男女が同一価値労働を行った場合の格差待遇を積極的に固定化する概念であり、その概念自体が女性差別である。
このことを現代においても論旨の根幹に置く和久田裁判官は、女性差別論者であるという他ない。

また、和久田裁判官の認識は、現在の非正規労働者が置かれている現状をまったく見ない、空理空論空想でしかない。
和久田裁判官の言う「家計補助的労働」に就労し、それのみをもって自らの生計を支える労働者など数え切れないほど存在する。
私たちは、組合員が納める組合費の額を、年収に応じてスライドさせている。120万円未満、120万円絵180万円未満、180万円以上360万円未満、360万円以上の4パターンである。そして、300名近い組合員のうち、最多のパターンは「120万円以上180万円未満」なのである。これはまさに「家計補助的労働」で得られる賃金と同じなのである。
当然ながら、私たちは男女その他含めさまざまな性別の組合員で構成されている。また、いわゆる「一人暮らし」の組合員もかなり多い。
そしてもちろん、ほとんどの組合員は、そのような労働契約を積極的に選んだのではなく、厳しい雇用状況の中で「選ばざるを得なかった」のである。 実に簡単な話であり、もちろん実に腹立たしい話でもあるが、これが現実なのだ。
私たちのこの現実を、和久田裁判官はどう説明するのか。組合員の多くが「家計補助的労働」であるならば、それはいったい誰の「家計」を「補助」するものなのか。組合員の多くは、その「家計補助的労働」を失った場合でも、生活そのものが崩壊しないのか。
和久田裁判官は、さまざまな多くのひとびとが置かれている現代の「非正規雇用」に置かれている労働者の生を切り捨て、差別する、許し難い人物でしかない。

さらに、和久田裁判官は、恐るべき主張を展開する。
ユニオンエクスタシーの組合員に対し、「京都大学を卒業した原告らが、家計補助的労働にしか従事できない客観的かつ合理的事情は全くない」「どのような世界観・人生観の下に就労したのかは明らかでない」「それだけで生活を営むことができる収入に見合う職業に就くべき」などと、驚くべき「説諭」を展開しているのである。
まず、ユニオンエクスタシー組合員の人生になんら責任を持たない和久田裁判官が、「家計補助的でない労働」に「就くべき」などとご高説を垂れること自体が「非常識」極まりない。和久田裁判官は、朝日新聞社が運営するサイトにおいて「法廷で非常識な言動をする人がいた場合、裁判官は決然と対応しなければならない」などと述べているが、であるならば、自らを退廷処分にでもすべきでしかない。
そして、この「説諭」は、現在の求人の困難さをまったく無視しているだけでなく、労働問題になんら関係しない組合員の「学歴」を持ち出し、特定の大学の卒業者を不当に差別している。

そして、和久田裁判官の差別は、労働組合そのものにまで及んでいる。
ユニオンエクスタシーによる労働争議・自主管理の過程では、ドラム缶風呂に入るという、創意工夫あふれる表現行為が行われた。このことを、和久田裁判官は「労働組合活動の一環として行われたとしても、様態は社会常識を外れている」と断じ、「一人前の社会人として教職員として勤務する者の行動として許容し難い」、だから「これを理由の1つとして雇い止めしたことは不当労働行為ではない」としたのである。
和久田裁判官は、「社会常識を外れている」ような争議の結果、組合員を解雇したり差別待遇したりしても、それは不当労働行為ではない、という恐るべき「解釈」を主張した。しかし、労働組合に対する「社会常識」が、「ストライキは迷惑だから辞めてほしい」という意見であるようなケースは無念ながら存在する。それに対する雇用者の不当解雇を「社会常識に反するから不当労働行為ではない」などとするならば、そもそも団体行動権の意味がなくなってしまう。
和久田裁判官の労働組合観は、「社会常識を守るよい組合」「社会常識から外れる悪い組合」を司法が選別し、後者への不当労働行為の成立を制限するという、恐るべき労働組合差別に他ならない。
付け加えるならば、和久田裁判官は、京都大学学生による類似の行為は「社会を知ることが要求されない面もある学生であれば」許容され得るのだ、とも主張している。このことは、大学自治(の内実や是非はともかく)の担い手である学生を「社会を知らなくてもよい場合がある」などと「半人前」扱いする、学生差別でもある。
さらに、和久田裁判官は、ドラム缶風呂を「否定する」ために、「軽犯罪法1条20号に該当するおそれ」に言及した上で、「テレビジョンのバライティーで見られるような無人島などでドラム缶の風呂に入るのとは訳が違う」なる例を唐突に持ち出し、「お笑いで済むような問題ではなくなる」としている。
これは、和久田裁判官の「テレビであれば、お笑いであれば許され得る」という価値観に基づいているとしか読めないが、その根拠、すなわち「お茶の間」では「全裸でのドラム缶風呂」が許容される一方でそれが京大時計台前においては許されない根拠は、一切示されていない。
「お笑い」「テレビ」の中には「許され得る特別な空間」を認め、それ以外は認めない、という考え方は、「お笑い」を差別する構図であり、また人間の表現行為を貶めている。このような和久田裁判官の差別に満ち溢れた「社会常識」観を、私たちは絶対に許容することはできない。

女性差別非正規労働者差別、学歴差別労働組合差別、学生差別、お笑い差別と、差別のオンパレードを判決文に盛り込んだ差別者=和久田裁判官を、私たちは厳しく糾弾する。
そして、これら差別に貫かれた3・31京都地裁判決を絶対に許さない。
そして、京都大学が不当な「5年でくび」条項を撤廃し、ユニオンエクスタシー組合員を職場復帰させるまで、微力ながら支援を闘い抜いていく。
以上、ここに決意し表明する。

2011年4月4日
フリーター全般労働組合