July 28(Wed), 2010
2010両国ピーターパンを観戦して思ったこと
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今年の春ごろにとある漫画からDDTとヨシヒコに関心をもって検索をかけ動画を一見して以来、雪崩のようにその世界にのめり込んでしまった。
こちらがその漫画。
それからネットで情報を得たり会場に足を運んだり幸運にもDVDをお借りしたりして知識を増やしはしたものの、ニワカファンはニワカファンでしかない。10年以上の歴史を持つDDTのたかが4ヶ月分だ。だから私がこれから書くことはまるっきり的外れかもしれないことを、卑怯ながらも前置きさせていただく。
のめり込んだきっかけはご多分に漏れずというべきか飯伏選手。飯伏選手の試合はとにかくキャッチーだ。プロレスを知らなくても面白いと思える試合をしてくれる。早く力強く高く、目の覚めるような動きと緩急で繰り返し見ても飽きることがない。技の繋ぎ方は流麗で一つ一つの所作がつま先まで美しい。背中のかっこよさは特筆もので、「鬼が宿る」とはこのことかと思わされる。
それからこれはあまり同意を得られそうにないけれど、ダウンした飯伏選手の背中を見て「私はこれを知っている!」と衝撃を受けたんだった。アングルのグランドオダリスク。裸婦像に似ていると思うのは失礼に当たるだろうか。しかも「解剖学的に正しくない」とされた背中に似ているなんて。とにかく飯伏選手のシルエットは現実には存在しないオダリスクの背中のように美しいフォルムだと私には思えた。
そして情報を漁っていくにしたがい、見たこともないような美しいフォルムをもつ人は見たこともないような奇特なキャラクターであることを知る。知ってますます好きになる。そうなると、飯伏選手のその先にあるものも知りたくなる。DDTの個性的な面々を知ってますます興味を持つ。だから私が観ているものは飯伏選手を起点としたDDT寄りのプロレスの世界だ。起点がハンセンかライガーか橋本か、なんて差はあれプロレスファンになるきっかけなんてだいたいがこんなものなんじゃないかとも思うけれど。
だから飯伏選手が両国を欠場すると知った時はがっかりもしたけれどそれより怪我の悪化という事態の方が心配だったし両国そのものへの期待は全然薄れてはいなかった。だって「あの」東郷さんと「あの」TAJIRIさんが戦うんでしょう?「あの」丸藤さんを生で観れるんでしょ?男色先生は今度はどんな仕事を見せてくれるんだろう。ガントレットはどうなるんだろう。ダークマッチで葛西さん見れるんだ!そしてなによりHARASHIMAさんを応援しなくちゃいけないもの! このように、すぐに通ぶりたがるおたくな性質が幸いして小鹿さん出場決定と聞けば「ああ、両国だからちゃんこつながりかあ・・・」とか考えてしまうくらいにはもうこの世界にはまってしまってはいた。
自己紹介ばかり長くなった。25日の観戦を終えて。
これは、このDDTという現象は、高木大社長の一生をかけて展開するパズルなのかもしれない。そんなことを考えた。大社長は中央不動の1ピースでありプレーヤーだ。自分というピースに親和性の高いピースを探し当てて結合しじわじわ大きくなっていくパズル。近侍はDDT選手の面々、その周囲にプロレス界とファン。「25日にUSTでプロレスやってるって言うから観てみたー」なんて人がいたらその人たちが一番外周に近いと言えるのかもしれない。それでピースがぴちっとはまったひとはパズルの一角として馴染んでいくんだろうし、ぽろっと外れる人もいるだろう。DDTの強さって、この外れた人を追わない大社長の忍耐強さなんじゃないかと考えた。絵面を大きくするために合わないピースを無理矢理ねじ込んだって脆くみっともなくなるだけだと大社長はお考えであられるのではないか。その大社長の美学が両国の会場の一体感を生み出したのではないかと私は考える。
中澤選手のファイアーバードに胸を打たれた人も多かっただろう。男色先生が声を振り絞るマットの下でメイド服の大男が何度も何度も目を拭うのを見た。メインの試合ではHARASHIMA選手はもう立てないんじゃないかと倒れる度に思った。立ち上がるHARASHIMA選手が信じられなかった。だから蒼魔刀が決まり新藤さんがHARASHIMA選手の名前をコールする声が歪んだのを聞いた瞬間、「あ、大社長、今なんかが完成したよ!」ってそんなふうに思った。故障者の多さとか、大変なことも多かったんだろう。その大変さのいちいちを私が知るわけもなく、わかるのはただいろんな人のいろんな努力やアクシデントやドラマが新藤さんのコールに結実した。そしてそれは美しかったということだけだ。そしてその道筋をつけピースを組んで絵を描いたのは大社長、高木三四郎なんだなあ。と。
DDTを見るとどうしても自分の仕事感、ひいては哲学の脆弱さというものをあぶり出される思いがする。なんでこの人たちはこんなに一所懸命になれるんだろうと憧れとともに我が身を振り返って焦燥感を覚えることもある。大社長は2年目の恐怖をたびたび口にされておられたが大社長がいるかぎりDDTは間違わない。迷わない。そんな気がする。3年目、なにを見せてもらえるのか本当に楽しみだ。私なんかまだこんなふうに日曜の余韻に浸っているというのに、ご本人たちはもう次に向けて動き出しておられるのが頼もしい。私もまんまとピースにはめられてしまったようだ。
飯伏選手にはとびっきりの笑顔とサインをいただけた。わたくしめなぞに笑顔を賜られるだけでももったいないのに、アニメとかで使われるキラキラエフェクトが現実に見えるような一点の曇りもない完全に善なる笑顔で目がくらみました。こんなにうれしいことはない。ララァならわかってくれるよね。あっせっかくここまでまじめに書いてきたのに。というかここまでなら「楽しかった夏の思い出」で終れたのだけれども。
25日当日は疲れきって帰宅後ばったりと寝てしまい、パンフを読んだのは次の日だった。そしてそこには「夢と元気をもらいました。ありがとうDDT☆」とかそういう世界では終われなくなってる男がいた。曰く天才。曰くトンパチ。曰く紙一重。あの笑顔の持ち主はこんなにもゲバな精神の持ち主なのかと打ちのめされた。
DDTにはポストモダンと評されるマッスルもある。マッスルは既存のプロレスの枠を土台にパスティーシュを描く。それは決してプロレスにゲバを仕掛けるんではなく愛をもって斜め後ろぐらいにそっと立つ存在であるように思える。それはプロレスを脅かさない。(ゲバととる人もいるみたいだけど)
飯伏選手はインタビューで「やれる範囲ではやり尽くしたんでここから先はやれる範囲の外に行かないと」と語っていた。これは一見マッスルの掲げる「プロレスの向こう側」を想起させるが、飯伏選手が表現したい「やれる範囲の外」にあるプロレスはマッスルの盟主坂井選手が表現してきた「向こう側」とは真逆のプロレスになるんじゃないだろうか。そして飯伏選手がその表現に着手した時(「こういうことがやれたらいいな〜(ポワポワ〜)」というレベルの話ならいいのだが彼ならいつかやりかねんという危惧を抱いてしまう)それはプロレスの枠に収まるものであるのかどうか。
飯伏選手はプロレスからソフィスティケイトされた部分を取っ払おうとしているように読めた。それがプロレスと言えるのか、は、おくとして、少なくてもスポーツじゃないように思う。それは思想で、その思想をプロレス表現を通じて世に問おうというならそれは芸術家という奴なんじゃなかろうか。あのインタビューを真に受けるのなら飯伏選手はプロレスのダダカンさんになってしまわれるんじゃないかとか・・・・本人がなりたいならそれでもいいのか・・・・いや別になりたいなんて一言もいってないけど。
ベルトを穫って、それがなんなの?という感覚には100%共感する。かつてのボクシングやプロレスのように「スポーツは貧乏人が一攫千金を狙える人生逆転の場(って寺山修司の刷り込みだろか)」ならば勝ち負けは必然的に耳目を集めるドラマになる、気がするんだけど、現状はそんなこともない。KOD無差別の煽りVで関本選手がベルトをアクセサリー呼ばわりしていたけれど、プロレス新参者の私にとってはそれは憎まれ口でもなんでもなくただの事実に思える。そんななか飯伏選手のモチベーションがベルトや優勝ではなく「線路でジャーマン」であることには何の疑問もないし、そういう人だから好きになったんだろうなあとは思う。
ただ、そういうことを言ってしまえる人の人生は、そこに口をつぐむ人の人生よりも険しいものになってしまうんじゃないかというのが心配だなあと思ってしまうわけで・・・・とりあえず不法侵入で捕まるくらいならいいけど自分や相手が怪我をするようなことだけ我慢していただければと思うのはファンのわがままでしょうか。これは新参ものゆえの心配し過ぎなんでしょうか。「ダイブして死んだら満足」なんて思うわけないよ。というこっちの気持ちがいくらかでも伝わるといいんだけれど。期待するな期待するなとそこまで言うのならもう期待はしないでおくけれども、せめて興行という枠だけは外さないでいていただきたいと切に切に願う。
例えば火焔太鼓は志ん生しかやっちゃいけねえって法があるわけでもない。また、オーディエンスは一回聴いたからもう聴かなくていいって思うもんでもないし、演者は毎回新しいサゲをつくらなくちゃいけないってこともないんだ。新しい試みは別にやっていくという前提で、普段のプロレスも「あー落語みたいなもんかー」って感じに思えれば少しは作業感や過度な期待に応えなきゃって感覚も減ったりしないだろうか。そもそも飯伏選手は一般に広めたいって言ってるけど私だってちょっと前までプロレスを全く知らない一般人だったんだから今のプロレスでも広がってるじゃないか。あれ?でもそれは私がDDTやプロレスにそもそも親和性のある人間だったからで一般人ではなかったということ?? あれ???
インタビュアーを務めた鈴木健さんの反応が面白すぎた。「プロレスを広めたいという気はあります」という飯伏選手の言葉を受けて「あるんですか!よかった」ってほんとにほっとしたんだろうなあと思ったんだけど、そのあとすぐ「広めたいのは自分のプロレス」と言葉を足されての「そっちを世間に届かせたいだけなんですね」というのがもう、なんかこの瞬間健さん諦めたなあ、みたいな。その後の微妙ななげやりっぷりがたまらなくおかしかったんだけど、「新しいプロレスを作ろうと」とか「続けます」という言質を飯伏選手から引き出して下さったことに心からお礼を言いたい。「散る」とか「ダイブ」のあたりで本気でぞっとしたので。
日曜からこっちほんとにいろんなことを考えされられた。両国に関わった皆さんが笑顔でいられる日が一日でも多くあらんことを願って終わります。お疲れさまでした!
それではまた会場で!
June 25(Fri), 2010
子供に見せたくない映画「アリスインワンダーランド」
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アンハサウェイは面白かった。あいつの私生活をずっとウォッチしていたい。可愛いし。ある意味一番バートンらしさが出ていたキャラだったのではないでしょうか。というか白の女王しか面白くない映画だったなあー。
本音を言うとあんなに素晴らしい美術ををあんなシナリオで浪費してしまったのはもう罪なんじゃないかとさえ思います。何の驚きも工夫もない映画。アリスが婚約パーティ会場を逃げ出すシーン、「棒立ちの招待客の前からただ離脱する」というあのしけた絵面ときたら!
例えばこうしたらどうだろう。陳腐だけど。「婚約の証として差し出された宝石を何故かウサギがくわえて逃げる。アリスと招待客はウサギを追う。ウサギはウサギ穴へ。捕まえようとしたアリスは足を滑らせ穴の中へ」とか、こんなんでもいいじゃん。一瞬宝石=経済力に屈服しそうになる「現実を見始めたアリス」を表現することもできるかも。陳腐でも、そのほうが映画らしい。ウサギを追う過程でドタバタも組み込めるし。とにかく、「棒立ちの人々の前から何の摩擦もなく離脱する」なんてサービス精神足りなすぎだと思うのよー
最初にそういう描写をしとけば「ウサギはアリスをジャバウォックを倒す勇者と見込んでアンダーランドへ引きずり込んだアリス擁立者」ってキャラ付けができるし、「ジャバウォックを倒さないなら宝石を返さないよ!」って宣言してアリスに戦う動機を与えることもできる。ウサギとの対比で「アリスを勇者と認めないアンチアリスキャラ(途中で和解する)」だって造れるじゃない。で、ラストは宝石を求婚者につっかえして、なんか決め台詞でもいったらよっぽどそれらしいと思うんだけども。
この例が素晴らしいとは言わないけど、だだ滑りかもしれないし。でも、この映画からはもっと面白くしてやろうという制作側の情熱みたいなものは残念ながらわたしはあまり感じられなかったのでした。
自分に子供がいたらこの映画は見せたくないな。「ワンダーランド」がこんなつまんない場所だと思われたらかなわん。なんでジャックの馬一言しかしゃべんないのよ!ジャックと馬で組んで赤の女王を陥れようとしてるとかそういう展開だってあるだろー。なんでオールドミスのおばちゃんディスられておわりなんよ! 彼女はアンダーランドでは強キャラのはずだろう!? アリスのピンチに颯爽と現れて救ってくれる出来る魔女の立ち位置のはずだろうがー!(そして現実世界に戻ったアリスにウィンクで目配せしてエンド) ベタでいい、陳腐でいい、「なんにも絡んでこない」よりかお約束の方が全然ましだと思うのね!!
上に書いたことを映画化するとジェニファーコネリーのラビリンスになりますねという話もあるけれども。ラビリンスの冒頭、頭に花を飾りドレスを着てお姫様然として登場したジェニファーが、7時の鐘を聞いてあわてて走り出そうとドレスをたくし上げると下にはジーンズという、「予想外の演出」、これが工夫だしサービスで、こういうふうにくすぐられたいからこそ映画を見に行くんだけどな。などと思いましたです。この冒頭部分に伏線や意味がぎゅっと詰まってるんですよね。飼い犬の名前がマリーンだったり。そういうくすぐり、伏線が全然ない(活かされてないというべきか)映画、それがアリスインワンダーランドでございました。
ほんと美術が好みなだけに惜しさ悔しさもひとしおです。私は「子供がいたら絶対に見せたい映画」を見たいんだよー! ああ、うん、これだ。「子供がいたら絶対に見せたい映画」それがいい映画。子供向け映画じゃなくてもさー、マルホランドドライブとかも自分に子供がいたとして二十歳超えたら見て欲しいなあとか思うもの。
May 01(Sat), 2010 「NINE」見てきました
「NINE」見てきましたー豪華で大変よろしゅうございました。
雀の渡世 | |
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- ロケの魅力満載ですばらしい。フェリーニ見たことないけど観てみたくなったというかローマ行きたい。
- ファーギー迫力あってよかった。向こうのタレントは鍛え方が違うなー。
- どこをとっても絵になる。挿入歌の通り。
- ニコール出てくると「ラスボスキター」と思ってしまうどうしても。
しかし「Bye Bye Life」のない「All That Jazz」は締まらないなーとも思いました。死なないんだから山崎豊子の「ぼんち」的なオチでもつけて悲壮なコメディにしちゃうのがこのテーマには合ってる気がする。
追記。よく考えたらグイドは愛人一人しかおらん! いやもっといるんだろうけど映画時間的にはステファニーとは未遂だしニコールが演じた女優は据え膳はいただきません状態だし、あと出てきた女といったらお母さんと世話焼きのおばちゃんと昔お世話になったお姐さんと奥さん。ちっともたいはいてきじゃないじゃないですか! フォッシーは元愛人に愛人役を演じさせたとゆーのに、そのへんマイルドにしちゃったのは勿体ない。
余計なお世話なんですがマーシャル監督はもっと沢山成功作も失敗作も撮影してからこれ撮ればよかったんじゃないの、その方がお客さんも感情移入して観れたんじゃないのーなどと思いました。あとミュージカル映画というのならダンサーが足りてなかろう! 女優さん一人一人は素晴らしいのだけど同じような曲ばっかりで平坦だなーという印象でした。Keep it Gay!は至言だったと思うですよ。
しかしみんな歌うまー。機械の力? 素で上手いの?
あんまりにもずーっと「Producers」を見続けてたんで、「NINE」を観て「わあー、映画だなあー」となんか感心してしまいました。逆に言うと、カット割りがうるさすぎるような気も。これが他のジャンルの映画なら私だって「カット割りが」なんて賢しらなことは言いませんけどミュージカルであればダンスシーンは長廻しでみせてくれよーと思ってしまうのです。シカゴもそれだけが本当に残念で。
マーシャル監督とストローマン監督のミュージカル観の差なんですかね? マーシャル監督はカッコいいイメージを追求しました!って感じの映像でPV的で、こっちの方が迫力もあるし現代的で受けるんだろうなあとは思うんだけど、役者さんの魅力も細切れになってしまってる感があり。たいして踊れない人でもカットカットで繋いでいけばそれなりに見えそうだし。
ストローマン監督はコメンタリーでも「この長廻しに耐えれるネイサンレインってすごいでしょ?」みたいなこと言ってましたから役者のことを信頼してるからできる長廻しではあるんだろうなあ。ネイサン個人を、というよりアクター総体そのものを信用してる気がする。舞台人だなあ。そして私はそっちの方が好ましいなーと思ってしまったです。それをいうならマーシャル監督も舞台人だったわけだけど、この人元から映像に行きたかった人なんじゃないのかなーなどと。
しかし、ナインを観た後のプロデューサーズののんびり具合といったら。しゃべってる人の横でしゃべってない人が棒立ちになってるのはやっぱり映画として駄目なんじゃないかと思うんですけどもうアディクトなのでそれすらも愛おしいなあって観ております。あと、登場人物がお互いの方を向かないでカメラに向かって横並びで立つの。どんだけ舞台よ!という。
それにしてもナインは興行成績どうだったんでしょう。シカゴのヒットでミュージカルいけるんじゃん!って流れで作った映画なのだろうから、これがコケちゃうとミュージカル映画の今後にも関わってきちゃうんじゃないかと心配なのですが。というかこの21世紀にMGMの残り香ただようプロデューサーズが撮影されたことの方が奇跡なんでしょうか。
セクシー路線ではマーシャル監督にまだまだ頑張っていただくとして、ハッピー丸出しな牧歌的なミュージカルもどんどん作られて欲しいものです。
February 25(Thu), 2010
The Producersマメ知識など
すずめのおすすめ | |
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前の日記に続いてぐぐって知り得た知識や気付いたことなどプロデューサーズについてちょこちょこと。
- 主人公二人はユダヤ人であり、ユダヤ人がヒトラー賛美の芝居を作るというところが最高に皮肉な作品であるとのこと。作中で自分たちがユダヤ人だということを明言するシーンはないけれどアメリカ人なら?名前で察することができるそうです。特にレオはジョイス「ユリシーズ」の主人公と同じ名前である。更に言えばブロードウェイはほとんどユダヤ人が牛耳ってる世界なんだそう。現実世界のプロデューサー、メル・ブルックスがそもそもユダヤ系。
- そのメルは映画では「鳩のヒルダ」と「黒猫のトムさん」役でクレジットされています。驚きなのは作曲もメルだったんですね!「Springtime」シーンで「突撃隊員メル」の声をあててるのも本人ですが元映画の同じパートもメルが歌ってました。その様子がこちら。
同じショーパンでもブラウンシャツのほうが可愛いなあ。しょうがないことだけどなんかみんなおばちゃんに見える。あと、あんな格好をさせられたユマのことはみんなもっと評価するべきだと思います!
- そのユマの役はもとはニコールがやるはずだったんですって。ニコールほんとにミュージカル好きねー。しかしながらこんだけ可愛いユマが観れたのだから私にとっては結果オーライでした。ユマちゃんは足あがらない可愛い!
- ちなみに鳩を動かしてたのは無駄に??ジムヘンソンスタジオの人形師たち。9人が鳩小屋の中にぎゅうぎゅう詰めにされながら操作していたとのこと。
- 「プロデューサーズ」の時代設定は1959年とのことで、「Never Say Good Luck on Opening Night」で「春の日のヒットラー」をかけるシューバート劇場に掲示されていたポスターは左から「レッドヘッド」「マイフェアレディ」「サウンドオブミュージック」「destry rides again」(ぐぐってもよくわからなかった)「ウェストサイドストーリー」。錚々たる演目群。59年のトニー賞はフォッシーのレッドヘッド(主演がグエン・バードン)が総ナメだったようですが、この「プロデューサーズ世界」ではフォッシーとロジャーが競い合っているのだなあと思うとなかなか面白い。
- 実際のプロデューサーズはそのシューバート劇場のお向かいのセントジェームス劇場で上演されていたとのこと。その間シューバートではモンティパイソンのスパマロットを上演していたという記述を見かけました。モンティパイソンにしてもプロデューサーズにしてもなんであんなに公認会計士を蛇蝎のごとき扱いに処するのか。と思っていたらパイソンズがメル・ブルックスの影響下にあったのではないかという考察を書いてらっしゃる方もいました。
- 同じような小ネタにおばあちゃんたちのアパートの表札にアン・バンクロフトの名前が。メルの奥様だったそうです。じゃあ他には?と思って一時停止して見てみたんだけどあとはロスチャイルドとかカーネギーとかお金持ちの名前(ユダヤ人?)のなかに「J・ギャツビー」があったりしました。他にもいろいろネタがありそうなんだけどわからん!
- 名作ミュージカルのパロディネタはたっくさんありそうなので細かく解説してるページとかあったら教えて下さい。とりあえずマックスの挨拶「ハロー、ゴージャス」はファニーガールからだったりするのかなとか、案内嬢はモンロー&ラッセルのパロなのかなとか、ロケ撮影のおばあちゃんのダンスシーンはスイートチャリティ臭がするぞーとか思ってるんですけどどうでしょう。そういえば舞台版のラストで「ファニーボーイ2」の看板がかかるところが痛快だったのになんで映画では使わなかったんだろう?
- なにげにプロデューサーズの終わり方とマシューの「フェリスはある朝突然に」の終わり方が一緒。偶然じゃなくて敢えて、だと面白いなー。役者冥利に尽きるとはあのナンバー「GoodBye!」を歌う権利を得るということなんじゃないかとさえ思う。そう言う意味でユマは得してるなーいいなーって思ってしまいます。
なんかもっといろいろあった気がするんだけどもー。思い出したら追記することにしておこう。この日記で誰か一人でもプロデューサーズに興味を持ってくれる人がいてくれたらいいなーと祈りながらおやすみなさい。
マシューブロデリックが可愛すぎて生きるのがつらい
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こんにちは、タイトル通りの状況ですこんにちは!
映画館で見たっきりだったプロデューサーズを数年ぶりにレンタルで見返してみたら記憶にある以上にマシュー・ブロデリックが可愛らしくかっこ良く、DVDとサントラを手に入れて毎日のように見たり聴いたりしています。
舞台版ではトニー賞12冠という偉業を達成しながらも興収的にも賞レース的にもコケちゃってシャレになってないという映画版プロデューサーズ。確かに映画館で見た時は「面白かったけどなんかおかしいなあ」という煮え切らなさを感じたものでしたが、今回見直して思ったのは「もっとお金も時間もふんだんに使わないと舞台は映画にならないんだなー」ということでした。
なにしろ編集がぐだぐだすぎる。そしてそのぐだぐだを引き起こしてるのが、素材の足りなさだったんじゃないのかなと勝手に推測しています。世界の広がり時間の広がりを感じさせるカットが全然足りてないんですよね。そしてそれが、額縁の中に2時間なり3時間なりを凝縮する形で表現する舞台作家さんの癖が作用した結果、というか簡単に言えばやはりお金の動かし方を含めた映画作りのノウハウが足りてなかったのかなと。
スーザン・ストローマン監督の音声解説でメル・ブルックスにこれ以上お金はかけちゃ駄目って釘を刺されたエピソードなんかもあって、「足が出そうになった時にどうするか」ってノウハウが足りなかったのかもしれないなあとか余計な想像を巡らしています。そう言う想像を誘発させてくれるのもバックステージものの楽しみだということで。
YouTubeで確認したんですけど映画のプロデューサーズはびっくりするぐらい舞台そのまんまなんですね。映画版の意図するところが「ブロードウェイに来れない人たちにもこの作品を見て欲しい」「そしてブロードウェイにやってくるきっかけにして欲しい」ということらしいので、そう言う意味ではこれは決して失敗ではないと思うんです。比較的舞台に免疫のある、そして元々の舞台に興味のある私には、これはかなりいい形で映画化してくれたなーと今では思います。が、いかんせん「映画」を楽しみにしてきたお客さんには物足りないところもあっただろうなと。
しかしながら、「映画的」な楽しみ方をちょっと脇においてブロードウェイ・スターの芸、ミュージカルというジャンルを堪能しようと思ったらこれはすっごくいい映画だなあと思うので、ぜひまだ見ていない方はそういう視点で見ていただきたいなーと。
名実共にブロードウェイのトップスターであるネイサン・レインのくどいぐらいの名調子とそれを堅実に受けるマシューのコンビネーションが素晴らしい。ネイサンがぐるぐるこっちを振り回してくれるのでマシューの優等生っぽい素直なお芝居でほっとしてしまう。「My Blue Branket」を握りしめて白目剥いて「Ahhhhhhh」ってやるののどこが優等生かって話もありますけれども。ネイサンが達者なのは当然としてマシューのレシーブあってのトニー賞だったと思わずにいられません。
舞台人だなあと思わされるのが「これ役のレオ・ブルームじゃなくてマシュー・ブロデリックになっちゃってるよね?」って顔をしてるカットがわりかしあって、よりリアリティを求められる映画のお芝居というよりも「お約束」をきちんと理解してるお客さん向けのお芝居をしてるよなーというところ。そしてそんなときの顔が何よりキュート。DVDのおまけのNG集を見てると笑いを堪えるのに必死だったんだなーなんて思ってしまうシーンもしばしば。ダンスも「スターのダンス」であってダンサーのダンスじゃないかもしれないけどそこがまた素敵。プロデューサーズにはまってからアイドル俳優?時代の「フェリスはある朝突然に」を観たんですが、フェリスがそのまま成長しちゃったみたいな人なんじゃないかなあ、だったらいいなあとか思っちゃいます。
歌もいいんだ、声が優しく伸びて、朗々として。ネイサンが「King of Broadway」(このナンバー、カットしなきゃよかったのにね)ならマシューは王子様ね。うっとり。「I Wanna be a Producer」の「'cause Here I Came!」の開放感、「That Face」のロマンチックさ。そりゃ惚れるだろうって話ですよ!
ゲイリー・ビーチとロジャー・バート演じるおかまカップルもすーーーっごくいい。特に映画のハイライトである「Springtime for Hitler」上演部分のゲイリーの大熱演は(「プロデューサーズ世界」において)主演男優賞ものだと思いました。現実では助演男優賞を獲得したわけですが。動きの一つ一つがびしっと決まっててしかもエレガントで目に耳に心に気持ちいい! このシークエンスはブラウンシャツのダンスと衣装もいいですね。さすがとしか言いようがない。
動画のタイトルおかしいけど間違ってないよ!にこにこでみんなとキャッキャいいながら観てみたいなー。長くなったのでたぶん続く!
spook7
おおおお? どこのどなたか存じませぬが胸躍る情報をありがとうございます!ぐぐる旅に出ます!
spook7
そしてそっこーみつけました! ありがとう!ありがとう!
もう一度観たかったんだケープカナベラル・・・・
ありがとう謎の人・・・・
fl
無事見つけられたようで何よりでふ。
ひっそりとやりたげだったのでサイト名までは出さなかったんだ、ゴメンネ。
テキっ娘。とかの回想録書いてるサイト無いかなーと巡回してたらたまたまここを見つけて、「ん、こりゃもしかして知らないかな?」と思いおせっかいを焼いてみた!
順序が逆もいいとこだけど管理人さんのミク論(2009/3/11)は面白かったです。
『ヴァーチャルな事象は仮想された時点でそれは既に実在しているものという感覚』という一文はちと混乱したけど。Virtualってまんま仮想じゃなかろうか。
現象、事象、そして存在は不特定多数の「誰か」との共通認識になった時、既に「存在している」
…とか、ボクなりに言葉に還元するとこんなんなんじゃないかと思いますた。
spook7
拙文にまで目を通していただいてありがとうございます&拙い文から意を汲み取っていただけて幸いです。
あのミクにまつわる考えも天野さんから受けた影響が大きいです。早速「※の方」読み返してたんですけど「魔女界は想像の産物であり、ファンタジーやメルヘン、虚構や妄想の産物である。だからこそそれは厳然と存在する。想像した以上、それは無ではありえないのだ 漫画と魔法は何でもアリです」って書いてあって、あーこれこれと思い出しました。
思えば読者の共通認識を高めるために「能力」にヒーロー的な外観をデザインして「スタンド」と命名した荒木先生はやっぱ天才だなーとかそんなことを考えましたー。
図々しい話ですがテキっ娘騒動回顧録、あったら私も読んでみたいです! 面白いページがあったらまた教えて下さいませー
November 04(Wed), 2009
切ない気持ちになったので人の黒歴史を晒して憂さ晴らしする夜。
雀の渡世 | |
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毎度毎度部屋の掃除をするたびにちらっと覗いては血圧が上がる思いをする黒歴史ノート。なんとなく捨てられずまた元の場所に戻してしまったけれど、今回わかったことがある。昔の私は結構真剣に絵を描いてたし想像力もあった!想像力というか「こーいうの好きだから真似しちゃおー」というその程度の根性はあった!真似しきれずださーーーいところに着地する、その着地点がわたくしの個性ではありました・・・・
小説(!)も構成は破綻してるけど雰囲気だけは体を成していて、あー自分は高校生ぐらいが能力のピークだったんだなあと微妙に苦い気持ちになったりしましたのよ。
それ以上に苦い気持ちにさせられたのはファンロードのきれっぱし。大好きだった投稿イラストページをはがしてとっておいてあったんだけど、あんなに好きだった、そして後にはプロになった常連さんたちがたいしてうまくないではないか。今のPixivの神絵師たちと比べたら児戯のようなイラストの数々。ああー。上手いか上手くないかはほんとうにどうでも良いことだったんだね。とにかく描く。描いて人に見せる。それを弛まず続けることが大事だったんだね。
凄い絵をたくさん見て凄い絵描きをたくさん知って、到底こうはなれっこないって感想しか今は持てないから、それすらも激しい後悔には至らなかったりすることもまた不甲斐ないと言えばいえるわけですけれども。
一方サラは頑張ってスターダムにのし上がったのだった。
こんなふうに頑張ったのだった。
頑張っている人には頭が下がるのであった、確かに「これはひどい」と言いたくなる気持ちもわき上がってきたりはするんですけれども。
ooo0_temaki_0ooo
え、え、え、えーーーー!!!!
サラブライトマン…天使のような女がこんなことも…衝撃ー
古書祭り楽しかったのナー おたから本も買えてサインも無事もらえてよかった!
spook7
久々に衝撃を受けたよこのビデオ。もう歌えるくらい何度も見てしまいました。
これほんと「世界一ダサイPV」と同じくらい伸びてもいいと思われるんじゃがあんまり流行るとサラから削除依頼がきそうなのでもどかしいです!
神田楽しかったよー、今度一緒にいってよー




プロレス者30年くらいやってますが、
あなたは一流の「プロレス者」です。
面白い!