ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん このページをアンテナに追加 RSSフィード


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 ■英国ヴィクトリア朝・屋敷や貴族関連の資料/映像をお探しの方にオススメ
 『ダウントン・アビー』を見る前に読んでおきたいカントリーハウスと職場の解説

 -SPQR[英国メイドとヴィクトリア朝研究]更新中




2016-10-19 ヴィクトリア女王の最新ドラマ

[][][]ITV『Victoria』 2016年放送のヴィクトリア女王の最新ドラマ

Amazon UKからヴィクトリア女王の最新ドラマ『Victoria』が届いたので、1話目を視聴しました。




女王の頼るべき人

序盤は影響力争いというか、子供扱いして権限を残したい母親 Duchess of Kentと、そのKent家に取り入っているSir John Conroy、このふたりとのコミュニケーションが面白いです。失敗を願うようなコミュニケーションが多く、周囲に支えてくれる味方がいない女王は強い反発を抱き、このふたり(あと母の侍女で、Conroyとの関係が疑われたLady Flora)からのコミュニケーションを拒否し始めます。


母の影響力が強いケンジントン宮殿から、バッキンガム宮殿への引越しは、さながら平城京から平安京への遷都のようでもあります。そして、この頃のバッキンガム宮殿は四辺がある今の形ではなく、あとで増築されたというエピソードも踏まえた外観になっています。ただ、さすがにそこはCGです。バッキンガムに移り住んだ女王は、自分をサポートする側近を自分で選び、当時の首相の2代目Melbourne子爵William Lambを頼るようになり、また自分の部屋と母の部屋を遠ざけます。


年齢が離れたMelbourne子爵が女王の庇護者として、教育者として、女王の自主性を重んじつつ、自身の影響力も自覚しつつ、抑制した距離感で側に支え始めます。権力を失い始めたSir John Conroyは焦りますが、追い打ちをかけるように、女王はSir JohnとLady Floraを戴冠式に呼びません。また、Lady Floraに妊娠の疑惑の噂が広まり、身の潔白を証明するため、Lady Floraは妊娠しているか物理的な検査を医師から受けるという、残酷な仕打ちを受けます。結果、彼女の妊娠はありませんでした。


https://en.wikipedia.org/wiki/Lady_Flora_Hastings


その後、彼女は死に至り、女王もその点で責められます。なお、このLady Floraにまつわるエピソードは、 以前に見たヴィクトリア女王の映画『ヴィクトリア女王 世紀の愛』にはなかったように記憶しています。これは、先の映画が「アルバート公との恋」がテーマのすべてではないので、より丁寧に描かれているからかもしれません。また、他の映画との比較ではジュディ・デンチが女王を演じた『Mrs Brown』(使用人Brownの影響力が大きく、その夫人と揶揄された未亡人時代)までいくのかな?とも思えました。


第1話は、戴冠式を迎えたのち、執務に励む女王の姿で終わっています。


見所1:家事使用人描写が充実している!!

今回のドラマで『ダウントンアビー』の影響を強く感じるのは、階下の描写を丁寧に行っている点です。即位した女王はすぐに階下にも手を伸ばし、元ガヴァネスのLouise Lehzenに階下の統括を任せます。面白くないのは元々いたハウスキーパー(侍女)と執事ですが、逆らえずにいます。


この階下の描写がかなり充実しており、たとえばケンジントン宮殿からバッキンガム宮殿に引越しをした際は、女王を描くだけではなく、階下の使用人の引越し後の仕事も描いているのです(ここで出てきたキッチンは、Harewood Houseで撮影したような気がします)


また、家事使用人はperksという、仕事を行う上で生じる「役得」として、たとえば料理で出た肉汁、たとえばこのドラマでは使ったロウソクのあまりや、女王の使い古した手袋などを、関わる使用人がいわば売り払って現金を手にする点についても描いています。このエピソードがLouise Lehzenの目に止まり、女王に報告されてあわや解雇か、というシーンにつながりますが、この辺の女王の対応はユニークでした。


これが仮に実話だとして、そういうのが実際に流通して購入した人があとで知ったら、どんな気持ちになるのだろうか……時になります。


見所2:女王の衣装

DVDパッケージには英国Leeds近くのカントリーハウス、Harewood Houseでこのドラマで使うコスチュームの展示があるとのチラシが入っていますが、2017年からとのことで。この前の9月下旬の英国旅行で訪問した場所です。IMDB撮影地情報にはこの屋敷の名前もあり、出てくる模様です。


http://www.imdb.com/title/tt5137338/locations


女王が閲兵するときに着たという軍服的なスタイルは、ヴィクトリア女王が始めたもので、バッキンガム宮殿でも展示されていたのと同じもののように思います。また、引越ししてすぐ王座に腰掛ける女王はかわいく、その辺りは子供っぽいてんも描かれています。この時の女王は半袖パフスリーブのドレスを着ていて、これも以前見たことがある女王のドレスを想起させます。


この時期が華やかであればあるほどに、喪服をメインとしていく女王のその後が際立つ、かもしれません。


第2話を見て元気があれば、また書きます。

2016-08-27 あとすこしだけ。そして時は動き出す

[]『君の名は。』感想(ネタバレあり)



新海誠監督の最新作『君の名は。』を見てきました。新海誠監督の作品をきちんと見始めたのは2007年の『秒速5センチメートル』がきっかけでした。当時、この作品の第1話がYahooで公開されており、その桜の描写と、『秒速5センチメートル』という言葉、そして描かれた新宿の風景に興味を持ち、公開時は劇場まで行きました。桜、大好きなのです。そこから、過去作品を一気に見ました。


その後、新作が出るたびに見ていました。そして最近、久々の新作ということで映画より先に出た小説版を読み、公開初日に劇場へ行きました。今回は小説版を先に読んでからですが、「あと少しだけ」に届いた物語に、接することができたように思いました。そして、時間を経て遠ざかっていく物語から、近づいていく物語へと。


劇場の客層は幅広く、男女比が結構近しかったように思いました。全体には学生や20代前半が多かったです。自分自身は物語を楽しむ気持ちがありつつ、今回、新海誠監督はどういうふうに物語に決着をつけるのかが、とても気になっていた。で、多分、そういう心理で見る人を想定した展開もありました。


小説を先に読んでから映画を見て驚いたのは、小説では主体的に描写されなかった東京の舞台が描かれた際、知っている景色が多かったことです。こういう「小説」と「映像」といった表現手段の違いによって生じる驚きは、結構、好きです。個人的には、新宿や代々木、四谷、千駄ヶ谷、六本木など、見知っている景色が美しく描かれて、「桜の美しさ」に通じるものがありました。特に新宿は大学時代や会社通勤で20年以上使っていますし、新宿での買い物も多いので、だいたいが見知った場所でした。今日映画を見に行く時に通った道も、写り込んだ映画館も、六本木ヒルズも、国立新美術館も、代々木駅のホームも、様々な場所も。「仕事」を象徴するオフィスビルは、『秒速5センチメートル』同様に、西新宿のビル群で、そこは原風景のようなものなのかもしれませんね。


ということで、以下、ストーリーに触れるネタバレでの感想です。改行します。



































想い人と出会えた主人公

端的に言えば、新海誠監督作品の共通テーマと感じていた、「ここではないどこかにいる誰かを探すことで、目の前よりもそちらの世界に手を伸ばしてしまう」「理由のない喪失感」「現実の居心地の悪さ、欠落感」。その要素を小説版では「あと少しだけ」と表現していましたが、そこに手が届いた作品だったと思います。今回、主人公はその欠落の理由を持ち、かつその欠落を埋める想い人と出会うことができました。


秒速5センチメートル』ではその表現が端的で、中学時代の初恋が強すぎたが故に、少年の方はその後も彼女の面影を探し続けて、それを自分の心の中に置いたまま、高校時代もそして成人してからも、人と付き合っていても傷つけてしまう結末を迎える展開となっていました。それはさながら、呪いのようでもありました。


ほしのこえ』は別離から始まって二度と会うことができない関係で、「私たちは、たぶん、宇宙と地上にひきさかれる恋人の、最初の世代だ。」とのフレーズに全てが表現されています。次の『雲のむこう、約束の場所』も恋心を抱いていた少女が突然消えてしまい、彼女の行方を捜し、取り戻すために行動する少年が主人公でした。


最も強い印象を残した『秒速5センチメートル』で、結局、第1話で強く結ばれたはずの少年・貴樹 と少女・明里は、その後、別々の人生を歩みました。ラストシーンでふたりは踏切ですれ違い、出会えそうになりますが、通り抜けた電車が邪魔をして、貴樹は足を止めて電車が去るのを待っていたものの、明里は去っていき、お互いの顔を見ることはかないません。


「物語」の解釈によりますが、「あれ、ここで出会わないのか」と思ったものの、 [小説]『秒速5センチメートル』を読むと、貴樹の方は「明里とすれ違っていたならば、奇跡」と肯定的に捉えて、それからの一歩を踏み出していったように見えました。


その後、『星を追う子ども』は宮崎駿監督作品的な世界なのかなと思いつつ、別の世界・アガルタへと導かれていきます。この作品もその点では、「目の前の現実では得られない世界」を求めて、「ここではないどこか」へと旅立っていく話です。現実に喪失感があり、それを補完するものとして、「運命の人」「運命の場所」(宇宙空間や別世界)を希求して、現実よりも優先してしまい、今の自分を幸せにすることを許せないような強迫観念に似たような。


続く『言の葉の庭』では、これまでと表現が少し変わったと思えたのは、男子高校生と年上の女性の高校教師が気持ちを通わせた後、別れを迎える選択をした高校教師を、男子高校生が追いかけて、繋ぎとめようとしたことです。ここで主人公は自ら動き、その先がどうなるかはさておき、人と人が結びつくことを選ぼうとしました。


今回の『君の名は。』は、「少年と少女が出会う」という物語を描き続けたこれまでの作品の構図を持っており、主人公の少年が「運命の人・ここにはいない誰かを求め続けて、喪失感を抱える」という、これまでと共通した生き方をするのか、しないのか、新海誠監督がどういう描写を選択するのかが、個人的な注目点でした。


時間の経過の仕方と描写の変化

同じテーマが、形を変えて、その表現の仕方が歳月とともに変わっていき、広がっていき、響いた音によって作品自体も変わっていって。そんな「ほしのこえ」からの16年で描かれた円環を、感じ入る次第と、Twitterで感想をつぶやきました。これを言語化しておくと、最初の作品 『ほしのこえ』は時間と距離が隔たって行き、それは二度と戻ることがありませんでした。こうした「存在をお互いに自覚しながら、会えない」ことは、作品の根底に流れる喪失感にも繋がります。


今回の『君の名は。』は同じ時間をテーマにしつつも、終わった過去の時間を書き換えることで、現代の未来を書き換えていく展開で、その辺りは、不可塑的だった物語が、16年の歳月を経て、可塑的になっていったこともまた、上記に記した主人公が抱える喪失感が解消されるかとあわせて、大きな変化だったように思います。


かつ、小説版のあとがきを読むと、今回の作品は音楽をプロデュース・楽曲提供したロックバンドのRADWIMPSや映画監督、プロデューサーなど多くの方と作り上げたことで、作品の方向性も変わったのではないのか、と思えました。


小説は一人で書いたものだけれど、映画はたくさんの人によって組み立てられる構造物である。『君の名は。』の脚本は、東宝(映画会社です)の『君の名は。』チームと数ヶ月にわたり打ち合わせを重ねて形にしていったものだ。プロデューサーの川村元気さんの意見はいつもキレッキレで、僕は時折チャラいなあと密かに思いつつも(重要なことも軽そうに言う人なのです)、常に河村さんに導いてもらっていたと思う。(小説版より引用)


こうした点も鑑みると、一人で制作を始めた作品が広がり、その自身の発した作品によって多くの人に響き、動かし、その反響を自分自身も受けて、作品表現が変わっていったのかもと、思えました。


小説版と劇場版で最も驚いた場所

小説版と劇場版で、それぞれ「新海誠監督のこれまでの作品を知っている」からこそ、「え〜」と驚かされる箇所がありました。


小説版では成人した立花瀧(主役の少年)が、カフェで結婚するアベックの会話を聞きます。ここで「てっしー」という名前が出てて、これまでの新海誠監督作品のファンとしては、「え? 宮水三葉(主役の少女)とてっしー(三葉の高校の同級生)が結婚したの?」と一瞬、思ってしまいます。これがアニメでは映像で描かれているので、てっしーの結婚相手がもうひとりの高校の同級生・名取早耶香とわかります。


一方、劇場版の罠は、新宿警察署近くの歩道橋で雪の日にすれ違う、成人後の瀧と三葉の描写です。小説版では上記のカフェのエピソードの後、瀧と三葉は運命的な出会いをしていますので、そのふたりが最初にすれ違う歩道橋での描写が出会いのシーンになると思っていたものの、片方が振り向くと片方が背を向けて、お互いがお互いを意識しつつ、結局、ここでは別れてしまうのです。


「あれ、これはもしかして、『秒速5センチメートル』展開ですか?」「小説版と劇場版は違うエンディングですか?」と思いこまされそうになるものの、その後のシーンで、ふたりは出会うことができました。非常に主観的ですが、ここでふたりが出会うシナリオが作られた点で、新海誠監督作品で描かれるものも、変わってくるのではないかと思えたのです。


「ボーイミーツガール」作品として、主人公がようやく始まれるスタート地点に立てる結末を迎えられたことが、その作品が作られたことが、これまでの作品のファンとしては感想を書かずにいられないものでした。


あとすこしだけでいい、と俺は思う。

あとすこしでいい。もうすこしだけでいい。

なにを求めているのかもわからず、でも、俺はなにかを願い続けている。

あとすこしでいい。もうすこしだけでいい。

(小説版より引用)


この「なにかわからないなにか」として「あとすこしだけ」を願い続ける気持ちは、『秒速5センチメートル』を代表として感じた喪失感の描写の根底にあるものでしょう。その喪失感がようやく解消する、そのあとすこしだけに手が届く、それが『言の葉の庭』を経て、新海誠監督作品に感じられたことでした。届くことを、選んだのだなと。


この次の作品で、どのように広がっていくのか、楽しみです。


そして、この作り手としての表現の変化から想起したのは、ドストエフスキー作品です。


『白夜』や『虐げられた人々』、『罪と罰』、『悪霊』など、ドストエフスキー作品の登場人物たちの中には、「幸せになることを恐れている」「幸せになる選択をするならば、すべてをめちゃくちゃにしてしまう」ような強迫観念を持っている描写もありました。


しかし、最後の作品『カラマーゾフの兄弟』で登場した主役たるアリョーシャ・カラマーゾフは、ドストエフスキーの作品とは思えないほどに、人と人の間に生き、行動的で、誠実でした。そうした、ドストエフスキーのメインキャラクター描写の変化に象徴されることに似ているかもというのが、今回の映画を見て感じた、自分の中で最もしっくりくる感想でした。


2016-08-16 そのあたたかな世界に包まれて

羽海野チカの世界展 ハチミツとライオンと』感想

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コミケ終了後の夏休み2日目ということで、明日08/17まで開催の『羽海野チカの世界展 ハチミツとライオンと』に行ってきました。西武池袋本店2階ですが、無印良品がある方の別館なので、通常のルートでは行きにくく、地下1Fを通る感じになります。前に、同じ場所で羽海野チカさんの作品を見た記憶があったのですが、2009年の羽海野チカの生原画を堪能、「3月のライオン」原画展だったかもしれません。


そういえば今年の冒頭、羽海野チカ先生がダウントンしない英国ドラマを紹介してみるという記事を書いたのを思い出しました。


「オフィーリア」

展示会場を入ると、最初に『ハチミツとクローバー』の展示がありました。ここ数年読んでいなかったのですが、2005年ぐらいにITベンチャーで働いていた頃、同僚からおすすめされたのと、同じ時期にアニメのCM「人が恋に落ちる瞬間を はじめて見てしまった」というフレーズの美しさに響き、またアニメのオープニング曲、YUKIさんの『ドラマチック』が良くて、DVD初回特典付きを購入したのを覚えています。


という自分語りはさておき、この最初の展示でひときわ目を引いたのは、はぐちゃんが怪我をしてしまう文化祭の回を予兆したイラストで、久我が好きな19世紀の英国画家ジョン・エヴァレット・ミレイによる、「オフィーリア」をモチーフにした、水面に花とともにたゆたう、はぐちゃんの姿は忘れがたいものでした。このイラストを生原稿で見られたのは幸せで、なんども見てしまいました。


山田さんは健気でいいですね。はぐちゃんとのペアで様々なガーリッシュな服装をしているのもまた似合っており、可愛いなぁと思えるものでありながらも、その流れで続く森田先輩のフィールドが、何かこう、気持ちが明るくなるような雰囲気でしたし、羽海野チカさんの世界として魅力的に感じられるものでした。


『3月のライオン』の多様性

『3月のライオン』も、桐山零の初期のひとり語りによるドロドロとした沈み込むような、閉鎖された世界の表現が黒を基調に描かれていましたが、次第に光を浴びていく、世界につながっていく漫画の展開もまた、展示で感じられました。おっさん達も健在で、個人的に応援している島田八段(『3月のライオン』5巻に感じた「人と人の様々な繋がり」で言及)のイラストも、よいものです。


「かわいらしい世界」が詰め込まれた、お菓子箱のような雰囲気も、貫かれています。前回の企画展で『ハチミツのクローバー』と『3月のライオン』でコラボしたイラストが、よいものでしたし、その並びにあった、和菓子屋の三姉妹のメイド姿もコミックスを見てから気になっていたものでしたし、羽海野チカさんが「可愛いコンテクスト」でメイドが描かれる存在になっているのも、メイド研究者としてはうなずけるものでした。もちろん、『ハチミツとクローバー』を含めて、童話的な、世界名作的な、民族衣装的な、多様なエプロンドレスの描写や、描かれていた『赤毛のアン』の表紙も、羽海野チカさんの世界観にふさわしいものでした。


こうした少女らしさの世界表現は、ひなちゃん(ひなた)のブロックに凝集されていたように思います。大正から昭和前期的なイラストがあったり、パフスリーブのワンピース、エプロン、おさげにおかっぱなどの髪型など、イラストが並ぶことでより強く、そこに込められた世界に漂う優しい眼差しを感じられます。


作り手としての削るような生き方

芸術家として生きるはぐちゃんは、他者の人生すべてを求めてしまうぐらいにその世界に没頭し、命を削るように作品を作っていました。その原型ともいうべき、生みの親の羽海野チカさんの創作もまた、壮絶さを感じるものでした。今回の展示で最も「羽海野チカの世界展」として、その世界を形作るものを表現し、感動したのは、妥協のない作り手としてのスタンスです。


それは、8ページ分の漫画のネームが完成に至るまでのプロセスを可視化した展示に凝集されています。ネームを描き上げた後、何度も何度も作品を再構成、ブラッシュアップさせて、結晶化させていく。第一段階から第二段階、第三段階と、その描き方もユニークに思えましたが、妥協せずに丁寧に作り上げる様子は、自分が読んでいる『3月のライオン』という漫画がこのように心血を注ぎ込んで作られていることに、震えました。


もうひとつ、今回の展示で「漫画家」としての羽海野チカさんの凄みを感じたのは、ショーケースの中に入ったイラストに色を塗っていくプロセスについてです。絵の具のパレットが展開されており、それぞれの絵の具の色の番号を記した数字が、カラーイラストの描かれたボードにも色のサンプルとセットで添えられており、デジタル化ではない形でのイラストの完成に向けた心の配りように、驚くのみでした。


私はクリエイターの方の制作現場を知らないので、ここで見ているものがひときわユニークなものでないかもしれませんが、繊細で美しく、可愛く、時に凄みがある世界を描き出す羽海野チカさんが、どれだけの時間と心を配って作品を描いているのかが、伝わってきた気がします。


クリエイターとしての羽海野チカさんの源流を感じさせてくれる展示が、セーターとワンピースです。特にワンピースの方は、ピンクハウスをモチーフとして手作りしたもので(一度も着られなかったとのこと)、作品の世界に存在する地に足がついた生活描写、ハンドメイドな雰囲気も、こうした生き方の積み重ねにあるのかなとも思いました。


明日までなので行ける方は是非

最後に、作家としての優しさを感じたのは、『3月のライオン』6巻を発売記念で、2011年7月22日付朝日新聞広告掲載のイラストです。私はこの企画を存じ上げなかったのですが、読者から応募した登場人物へのメッセージは心揺さぶられるものがありました。かつ、このイラストはオークションにかけられ、売り上げは全額、東日本大震災の義援金になったとのことです。


そうそう、「コロッケ」の展示もユニークでしたし、ブンちゃんの写真も良かったですね。「3月のライオン お茶の間の川本家」を表現したミニチュアも含めて、とにかく「羽海野チカの世界展」の名にふさわしい展示ばかりでした。そいて、副題の「ハチミツとライオンと」に限ったものではなく、クリエイターとしての羽海野チカさん自身を知る・作家としてのあり方に接することができ、そのあたたかで優しい世界に包まれる展示でした。


明日08/17までなので、このブログを読んで興味を持たれた方は、是非に。


公式サイト:『羽海野チカの世界展 ハチミツとライオンと』


※事務的なコメント

通常の美術展と違い、展示作品全てのリスト配布は無かったようです。図録に相当するイラストセレクションを購入しましたが、それも全てを掲載しているわけではありません。


2016-08-15 旧朝香宮邸へ、リニューアル後初めて

東京都庭園美術館「こどもとファッション」の展示

コミケの感想は後日。


f:id:spqr:20160815222525j:image:left今日はコミケ後の夏休みということで、東京都庭園美術館の「こどもとファッション」の展示を見に行きました。twitterでフォローしている人たちが話題にしていることと、昨日お会いした方から説明を受けた展示内容に強い興味を持ったからです。


東京都庭園美術館の建物自体は好きで、何度か足を運んでいましたが、リニューアルしてからは一度も行っていなかったので、折角だからと行くことにしました。


東京都庭園美術館の「こどもとファッション」紹介ページ


今回の企画がユニークだったと思えたのは2点あります。


1) こどもの衣装に集中しており、数多くの衣装が展示されていたこと。比較用に大人の衣装もあったけど、ここまでこどもの衣装がまとまった展示を見たことが私の経験上、ありませんでした。こどもの靴や靴下、すごろくや図版などもあわせて展示されていて、こどもを取り巻く文化が垣間見えます。


2) 展示はヨーロッパだけだと思っていたのですが、その影響を受けた明治以降の日本のこども服(洋服)や、それらをモチーフにした絵が展示されていたこと。この話を知人に聞いたことが、「足を運ぼう」という動機にもなりました。1階がヨーロッパ、2階が日本と建物のフロアによる内容の変化も、良い構成でした。


私は日本の明治以降のこどもの衣装に詳しくはないですが、特に気になったのはエプロンの導入や、エプロンドレス的な衣装の多さです。そうした衣装の実物が展示されているだけでも驚きましたが、エプロンをつけたこどもを描いた当時の雑紙や絵画が非常に印象的でした。「これが日本なんだ」と驚きもしました。絵画では、明治27年頃の「はるの像」(紙中糸子、No.89)では幼女が着物にエプロンをつけ、明治45年の「遊戯」(秦テルヲ、No.93)では数多くの子どもたちが和服+エプロン姿で手をつないで遊んでいる姿が、同様に「あそび」(北野常富、No.94、明治末期から大正初期)でもエプロンが目を引きます。


あと、服の装飾の歴史というのか、シンプルな布地から、レースや刺繍、織などの装飾が盛り込まれていき、衣類の線が複雑化していく様子もまた、面白かったです。どれぐらいの制作時間がかかったのかと思えるような服も散見しました。


メイド研究者なのでメイドっぽいイラストやエプロンドレスについて

これらについても話しておきますと、ひときわ印象に残った展示は『プリンセス・パーティ』。1993年に販売していた子供服を用いたと記載があれど、1993年にエプロンドレスなどが流通していたことは目を疑いました。自分が生きていた時代ながら、その当時に関心がない領域は未知ですね。


メイド的なものでは、こどもを着替えさせているメイドの写真(フレデリック・ボワッソナ『身づくろい」No.54)があったり、19世紀の作家ケイト・グリーナウェイのイラストが展示されていたりと、自分にとっては意外な展示も多かったです。グリーナウェイの展示の近くにあった楽曲集『幼い子どもたちのための古い歌』(1883年、ルイ=モーリス・プテ・ド・モンヴェル)も、私にはとても19世紀の作品に見えませんでした。そこに描かれた、列になった子どもたちのイラストのタッチと、その着ている衣装とが、どちらもモダンに見えたからです。


建物を鑑賞する楽しみ

展示のユニークさもさることながら、やはり旧朝香宮邸は素晴らしいのです。正面玄関のルネ・ラリックのガラスの装飾。様々な部屋の天井と照明、壁面の美しさ。階段マニア的には、玄関ホールから通じる表階段と、奥にある裏階段の2つが、たまりません。天井の高さも楽しめますし、存在そのものが美術品の館です。


そして現地で『アール・デコ建築意匠: 朝香宮邸の美と技法』を購入しました。結構な値段をしたので買おうか迷いましたが、中身に「建築にまつわる費用」の詳細が出ていたので購入を決めました。セメント代とか水道工事費、館の工事費用から、家具まで様々です。


中でも個人的なお気に入りは、それぞれに仕入先も記載されていること。たとえば、妃殿下下居間緞帳代68円、たとえば受付レース取り付け代2290円。いずれも三越から。消耗品(文具)や器具代、通信費、給料、電気代までの詳細もあるので、生活風景マニアには最高の資料です。




f:id:spqr:20160815222526j:image:leftf:id:spqr:20160815222527j:image:left

屋敷といえば正面と、庭に回って裏の姿を見ることも醍醐味です。唯一残念なのは、庭園のほとんどが整備工事中だったことです。


今回の展示は8月31日までということで、ご興味のある方は是非。

2016-08-06 コミックマーケット90新刊告知

[]新刊『ある英国メイドの職場遍歴』 2016年夏コミ向け

久しぶりに更新します。コミケ88新刊『メイドイメージの大国ニッポン世界名作劇場・少女漫画から宮崎駿作品まで』以来の新刊です。


今回の新刊は16ページの冊子(コピー誌ではなく、同人印刷所によるオフセット)で制作しました。久しぶりにイラストなし、情報のみです。委託できる本の形態ではないので、コミケでの頒布のみになります。原点回帰的に、ガチな英国メイド本ということにて、当日はよろしくお願いします。


タイトル:『ある英国メイドの職場遍歴』

著作:久我真樹、イラスト:なし

仕様:A5サイズ、16ページ

内容:テキスト

サークル:SPQRコミックマーケット90 3日目「西地区 "ね" 11a」」で頒布開始

価格:100円

Webコミケカタログ:https://webcatalog.circle.ms/Circle/12704964/

委託:なし


ここ数年、日本のメイドブーム関連の新刊と、池袋のメイド喫茶ワンダーパーラーカフェとのコラボ創作『屋根裏の少女たち Behind the green baize door』など、英国メイドの資料からは遠ざかっていたので、英国メイド関連同人誌制作のリハビリということにて。


今回の内容は、実在する英国メイド(コックに転身)、Jean Rennieの15箇所の職場経験と、それぞれの職場で出会った人たちのエピソードを書きながら、Jeanの人生を追いかける冊子になっています。


本当は他の使用人も主役として、彼らが働いた屋敷・同僚たちを描く本にしたかったのですが、Jeanの転職回数が多すぎて、今回、コミケ用に確保できた作業時間で終わりませんでした。冬はゲームキーパーの本も考えたいところではありますが、申し込むべきか考えているところです。ここ数年、仕事が忙しく……


とはいえ、英国メイド関連の研究を怠っているわけではなく、少しずつ資料も増やしています。たとえば、以下の画像の2冊は『英国メイドの世界』を書いていた当時、その存在だけを他の資料で知っていながら、入手できなかった本です。今は手元にあります。以下の画像の赤本は「愚痴が多い、失敗経験豊富な執事」Eric Horne(大好き)の2冊目。緑本は成功した執事W.Lanceleyの本です。




他にも間に合わなかった資料があります。『英国メイドの世界』を書いたときには伯爵家でゲームキーパーの息子として裏方事務をする人を紹介しましたが、刊行した後にそのお父さん(ヘッド・ゲームキーパー)の本を入手できたのです。そのお父さんの本は、別のゲームキーパーの本で、誤って人を撃ってしまったエピソードの参考文献として出てきたものでした。


で、その資料本はゲームキーパーが管理している猟鳥の数字や、領地内の狩猟エリア(猟場、beat)の地図とかもあって、面白いのです。


最後に、当日は売り子として、過去お世話になったメイドさんにまた来ていただけることになりました。


当日、お会いできれば幸いです。