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2006-01-15 イギリス旅行記〜不定期

[][]その6:3日目は遠征

起床:02:00、06:00

再び、目が覚めたのは午前2時。テレビをつけて、ぼけっと眺めています。日付は忘れましたが、『カードキャプターさくら』や『遊戯王』も放送していました……英語吹き替えになっていますが、声が太いです。


天気予報を見ると、午前中は雨が降り、十時ぐらいから段々と止んでいくとのこと。この日は、グリニッジと、『THE 1900 HOUSE』を撮影した場所に遠征予定でした。どちらも屋外、外は生憎の雨模様。午後には止むならば、どこか室内で時間を過ごせる場所は無いのか、それも早い時間に開いている場所は……と考えていたときに思いついたのが、聖ポール大聖堂でした。


今回の観光予定には入っていませんでしたが、一度はあの大聖堂の中に立ちたいと思っていました。初めて見たのはマール社の『100年前のロンドン』(ASIN:4837307205)の写真、その後、観光ガイドのカラー写真で見て以来、「実物見たいなぁ」と考えていたものの、すっかり忘れていた観光スポットです。


予定1:聖ポール大聖堂:08:20

Groucester Road To St.Paul

地下鉄Groucester Roadは、幾つか路線が走っています。今回使ったのはPiccadilly線です。そこから、前回の旅行では基点となったHolbornを経由し、そこでCenter線に乗り換え、その名もずばりSt.Paul駅で降ります。


駅から出てすぐ左手にカフェがありますが、その先に、大聖堂は威容を見せてくれました。





とにかく、巨大です。


大聖堂

正面に回って中に入ると、日本語での観光案内板もありましたが、開場は08:30、ここに来たのは08:25、早すぎました。しかも左側から入りましたが、そこは出口で、右側から入りました。


一度表に出て移動する途中、大聖堂の前で雨宿りをしているホームレスの人たちの姿がありました。扉一枚隔てた世界、神の国の門は閉ざされている、とどこかで聞いたようなフレーズと、きっと過去も同じような光景があったのだろうと、思わずにいられませんでした。




右側から入る頃には開場時間になりました。入場料は若干高めですが、日本語の小さな冊子をくれます。尚、教会の「聖堂」内部の撮影は禁止です。


『大』聖堂

あまり教会関連に縁が無く、去年のバース大聖堂が一度目の経験でしたが、本当に天井が高く、信じられないほどでした。いったい誰がどうやって建築したのか、この石造りの聖堂を、と考えてしまうほどにとても高い場所にまで装飾や文様が行き届いていて、これほど大きな「器」は初めて見ました。


大聖堂内部はまっすぐ「身廊」が伸びています。ここの「北側身廊」(入って左側)にはウェリントン公爵記念碑が。ここでもやはり英雄は英雄です。また、昨日コレクションを見たターナーの記念碑もあります。


が、やはり最も壮麗なのは「ドーム」です。天井を見上げると真上には「ささやきの回廊」がありますが、本当に巨大で、天井が高いです。世界の中心とは言いすぎですが、この中央に立つと、厳かな気分に包まれます。どうやって人間はこれほど大きなものを、と何度も考えてしまいます。


そしてこから見える奥の祭壇と聖歌隊席の天井は、黄金の輝きに満ち溢れ、美しさで心が震えました。その天井の真下は聖歌隊席で入れませんが、そこの周囲を歩いて、十字の形をした聖堂の奥の方にも歩いていけます。


そこは第二次世界大戦でイギリスに協力して参戦し、亡くなったアメリカ兵への追悼の場所でした。


地下へ潜った

話には聞いていましたが、聖堂の中は有名人の墓だらけです。バース大聖堂もそうでしたが、壁や床、いたるところに墓碑が残されています。特に地下はそれがすごくなっている……というので、足を運びました。左手の階段から降りて、時計回りに進んでいくと、ちょっと曖昧なのですが、壁か床かに、「Sergent」の文字を見つけました。


「あれ、Sergentって画家なのに、ここに埋めてもらえるんだ」


聖人や教会関係者、騎士や貴族や王族などに混ざって、「画家」がいるのは意外でした。そこでふと「Sergentがいるならば、ミレイもいるんじゃないのかな?」と思い、意識しながら歩いていると、奥の方、北東の側でしょうか、ここでもミレイに出会えました。


「画家が貴族になれたり、国民的の尊敬を集め、ここに埋葬されるだけの存在だった時代だったんだなぁ」と、ヴィクトリア朝やその頃のイギリスを感じた瞬間でした。(ミレイは、はてなのキーワードによると、男爵(準男爵?)にまでなったそうです)


建築家の中にもSirの称号を与えられるものも多く、今のイギリスでもミュージシャンや俳優が称号を得ていますが、自らの意思で社会的階層を上がれた可能性、ヴィクトリア朝の立身出世の機会、そういう時代の息吹や文化を、感得した気になりました。

社会の中心にいた、世の中を動かしている存在としての画家という存在。これは、自分にとっては新しい視点でした。


地下1階の中心部には、ウェリントン公爵とネルソン提督の墓もありました。ネルソン提督は石の棺に入り、海戦から百年を記念する年だからか、花束がいっぱい捧げられていました。ここでもウェリントン公爵の人気を示すのか、献花は無かったです。


地下には売店や喫茶店もありましたが、教会という場所とそういうところ、いわゆる聖俗が普通に混ざっているところも面白いですね。しかも、故人の墓は気づいたら「踏んでいる」こともしばしばです。椅子の下になっていたりもしますし、「日本だったら祟られてしまうんじゃないの」と思えるような扱いですが、この辺りの差というか、向こうの人も意識しているのかしていないのかはよくわかりません。


ささやきの回廊まで 09:30

ここまでで一時間ぐらいが経過します。09:30から囁きの回廊への道が開きます。聖堂の十字架の交差する場所、この部分の天井はひときわ高いドーム状をしています。そこに上がることが出来るのです。ささやき声さえも木霊するというのが名前の由来です。


そこまで上がるのには、根性が必要です。階段をひたすら上り、高齢者には無理だろうと思える行程を経て、初めてその場所にたどり着けます。


『高さ30メートル』階段259段目


「やったー!」と、ここがひとつのゴールになるのだと思うのですが、反対側にさらに上への階段があります。そうです、聖ポール大聖堂は「天辺」まで上ることが出来たのです。それがどれだけ大変か、周囲の人がほとんどそこを目指さないので、肌でうすうす感じながらも、とりあえず行ってしまえと、頂点目指しました。


石の回廊 第二到達点


階段は狭く、中世の城を思わせるような作りです。円形になっていますが直径はきわめて狭く、ぐるぐるぐるぐると上に伸びています。途中途中、階段の踊り場には、情けか慈悲の心、というべき「ベンチ」がありますので、休みつつ、進んでいくと、第二到達点、「石の回廊」に着きます。


『高さ53メートル』階段378段目



ここは外に繋がっていて、雨が少々小降りになっていました。ここからでも十分ロンドンを見渡せますし、ふたつの塔が近くに見えますが、さらに頂点を目指して上り続けました。


こうなれば意地です。


金の回廊 へばりつくような階段

ここから、階段の質が大きく変わってきます。鉄骨の階段になるのです。


今までは建物に準拠した、という言い方は変ですが、建物の構造上、初めから設計されたと思えるものでしたが、ここからの階段は、「後で強引につけたんじゃないの?」と思えるように、複雑に入り組んで、聖堂の内部の空間に無理にすえつけたような、「じゃぁこの階段が無かった頃はどうやって上に行ったのだろう」と言う風に、いろいろと自問自答しながら、汗だくになりつつも、ここまで来たら引き返せないと、もうむきになって目の前の階段を、ひとつずつ消化していきました。


そして、どれぐらい時間が経過したのか分かりませんでしたが、ようやく光が見え、聖ポール大聖堂の頂点に達しました。


『高さ85メートル』530段


ここが金の回廊です。


眼下に広がるロンドン




金の回廊はものすごく高く、また、人が一人通れるような幅しかない場所でした。(三枚目の写真の右端に角が見えます。ここと左側の黒い鉄柵との隙間はひとり分です)雨は止んでいましたが、風が強く、かなりびびりながら、ここだけに許された視界を、ロンドンを見渡せる世界を楽しみました。


この日は生憎の曇り空でしたが、もしも青空が広がっていれば、最高の気分になれたでしょう。次第に雨は止み始めて、雲も少しずつ消えていきましたが。


帰り道のことは、はっきり覚えていません。同じ階段数を下りたとは思いますが。人と人とが「すれ違えない」場所なので、往路と復路はまったく別の道筋になっています。


最初の訪問地でかなり疲弊しましたが、今回の旅行は万事、こんな感じでした。また、関係ありませんが、折角なので、大聖堂を見学される方は、四方をきちんと見て回ることをオススメします。久我は結局、思いがいたらず、二面しか見ていませんでした。後でガイド本を見ると、ちょっともったいなかったです。


予定2:『THE 1900 HOUSE』への旅:11:00

DLR

St.PaulからBankへ行き、そこからDLR(DocklandsRail)に乗ります。これはゆりかもめみたいなもので、ドックのある港湾方面を往来する路線です。こちらの東側が、昔のロンドンで貧民街があったいわゆる「イーストエンド」なのでしょうか? リージェントストリートが分断線とも呼ばれていますが、鉄道から眺める景色は、再開発されないままの古い建物が軒を連ねるていつつも、新しく綺麗なマンションが建っていたりと、両極端です。


ゆりかもめのように、非常に巨大なオフィスビルやショッピングセンターが駅とくっついていたり、そうかと思えば、周囲に何もビルが無いような普通の駅があったり、いろいろなものが混在している世界でした。


あまり観光客ふうの人はおらず、ここのエリアで生活する人、買い物する人が主要な乗客のようでした。その意味で、今まで乗っていたTubeとは少し違った感覚です。


Greenwichは地味

グリニッジのひとつ手前、カティ・サークで人がいっぱい降りていきました。観光ガイドでもグリニッジよりカティ・サーク、鉄道ならばメイズ・ヒルが観光にはいいとあります。久我は、グリニッジで鉄道に乗り換え、そこから『THE 1900 HOUSE』の舞台を探訪する予定だったので、そのままグリニッジに行きましたが、その理由が分かりました。


地味です。周囲に何もありません。


ここが世界遺産の名を冠する街だと言われても信じられないほどに、駅から見える光景は普通過ぎます。というか、周囲に「街」らしいものが見えません。便宜上名前を貰っているものの、実質はここには何も無いようでした。


DLRを降りると、目的地のCharlton目指して、NationalRailの鉄道に乗ります。プラットホームは若干離れていますが、改札はありません。列車が来たものの短く、乗客も少なく、気づいたら出てしまって、乗れませんでした。


次に来た鉄道に乗りましたが、この路線は今まで乗った鉄道の中で、最も雑然としていました。窓は傷だらけ、なぜかドアのすぐ横にゴミ箱が……初めて乗る人にはちょっとショッキングというか、あまり長く乗りたくない車両でした。


駅で降りるときはボタンを押して、ドアを開けます。目的地のCharltonは、一緒に乗っていた立派そうな人がドアを開けてくれたので、その後ろについていきました。ここでも出口に改札はありませんでした。


『THE 1900 HOUSE』の街へ到着する


『THE 1900 HOUSE』とは何か、を知りたい方のために簡単に説明すると、イギリスのテレビ局が普通の家族を募集して、三ヶ月間、十九世紀の暮らしをしてもらうというドキュメンタリーです。その彼らが住むことになった、当時を再現した建物のある街が、このCharltonにあるElliscombe Roadだったのです。


『THE 1900 HOUSE』の番組レポート


というお馬鹿な理由ではありますが、それ以上に、「現代イギリスを舞台に小説を書いてみたい。じゃぁ、ロンドンをちょっと離れた普通の街って、どんな雰囲気なんだろう?」という感覚を得たいというのも、大きな理由でした。


Google Mapで調べた(ありがとう、GoogleMap)地図を頼りに、道を間違えず、すんなりと辿り着いたElliscombe Road。なんだか荒れている様子の看板を見て動揺しながらも、久我は計算違いに気づきます。




住宅街という雰囲気、久我は明らかに怪しいのです。「『THE 1900 HOUSE』の舞台を見に来たんです、はは」と通じるのか、周囲の風景を写すために、カメラを取り出すのも一苦労でした。確かに自分の住んでいる場所の近くでデジカメ持っている人がいたら、不気味でしょう。





というプレッシャーの中、それと思しき写真を撮ってみました。Elliscombe Road 50、ここが撮影の現場です。外観からは何もわかりませんし、改装した内部も元に戻してあるとは思います。


街そのものは、かなり地味というか、普通でした。大きな商店は何も無いようで、小さなお店が並んでいました。買い物は車で遠くに行くんだろうなぁとか、一軒家的な建物ではあるものの、エリアによっては庭が狭く、駐車できるスペースが無いので、正面の道の両側に駐車してあったり(ロンドンではこの光景を数多く見ました)。




ここの風景は、観光とは違う、イギリスの街に触れられた気がして、勉強になりました。


予定3:グリニッジ:12:30ぐらい?

『週刊世界遺産』で読んでから、行きたいと思っていたグリニッジ。海軍大学があったり、観測台があったり、海と馴染み深い街です。ここにある世界遺産は、「文化遺産カテゴリ」で、分類は「1・2・4・6」に該当するそうです。


1:人類の創造的資質を示す傑作

2:時代を越え、建築・技術・都市計画および景観の発展に大きな影響を与えたもの

4:重要な様式の建築物、重要な発展段階を示す景観の見本

6:普遍的な重要性を持つ事件、現存の伝統・思想・信仰や芸術、文化的所産に関係するもの

『週刊世界遺産』講談社2000年11/30 No.6 P.34より引用


2004年に訪問したバースが観光都市として、様々な博物館や観光名所があるように、グリニッジにも様々な場所があります。一度駅を降りれば、一日中見る場所があるような都市、というので、グリニッジは楽です。


グリニッジ・パーク

旧王立天文台

クイーンズ・ハウス

国立海事博物館

王立海軍大学

カティ・サーク号


Maze Hill駅

NationalRailに乗り、MazeHillで降りますが、自分と同じ方向に歩いていく人がいません。が、今回は駅を降りて普通に進んでいくと、目の前に案内板があります。左矢印がいっぱいあって、左を見ると、いっぱいの緑が見えます。あれが、グリニッジ・パークでした。


Raoyal Observatoryの文字を見て、最初、「監視台?」と思いましたが、これが「旧王立天文台」なんですね。


グリニッジ・パーク

多分ここはパークの北東で、そこから西に進んでいくと、目の前に丘が広がります。道路を挟んだ右手にはクィーンズハウス、左側の丘の上に、旧王立天文台が見えます。





が、目の前に見えるものの、そこへ行くのも一苦労でした。


王立観測所へ行くも工事中


ここはイギリスでも観光地になっているようで、高校生らしい人がいっぱいいました。地味で人が少ないところばかりに行っていたので、ちょっとほっとする場所でした。入場料は無料ですが、チケット頒布所があり、そこの窓口でチケットを貰い、門を通ります。


正面は混雑していて、特に二十四時間時計は写真を撮る人で混み合っていました。折角行ったのに、グリニッジ子午線はきちんと意識して見られたのか、曖昧です。


天文台は部分的にしか見られませんでした。博物館的に昔の観測器具があったり、天体望遠鏡があるエリア(メリディアン・ビルディング)は見物できました。そして偶然にも(書いている今気づきましたが)、この天文台の建築家は、直前に訪問した聖ポール大聖堂と同じ、クリストファー・レンでした。



歴史的な場所、見たかったフラムスティード・ハウスは「工事中」。中には、衣装をつけた人がいるっぽかったのですが……入れませんでした。オクタゴン・ルーム、ハリソン・ギャラリーを見られず、残念でした。







QUEEN'S HOUSE


王立天文台から見下ろせる場所に、クィーンズ・ハウスはあります。名前の由来はジェイムズ1世が、妻アン女王の別荘として作らせたものです。建築家は、イギリスの屋敷建築で、パラディオ様式を最初に導入した「イニゴー・ジョーンズ」です。



綺麗なデザイン16〜17世紀の屋敷ですが、あまり古めかしい感じもしません。宮殿らしいのですが、あまりそういう感じもしません。正面玄関からは入れず、両翼に広がる階段の真ん中にある扉から、地下に潜ります。


1階の正面玄関ホールは吹き抜けになっていて、2階からメインホールを見下ろすと、床の鮮やかな白と黒のタイル模様に目を奪われます。尚、メイン・ホールは立方体12メートルで設計されているそうです。


あとは螺旋階段ですね、シンプルで綺麗なデザインでした。なんというのか、屋敷も生活の匂いがする・しないで、残る印象が違うのかもしれません。思い入れが無かったのか、あんまり覚えていないのです。キッチンとか使用人とか、そういう匂いがしないからでしょうかね?


国立海事博物館



恥ずかしい話ですが、入り口が分かりませんでした。正面から行けばすぐ分かる場所にもかかわらず。ここも入場料は無料です。三階建ての建物はかなり広く、正に博物館でした。個人的に見たかったのは、タイタニックなどで知られる、19〜20世紀初頭の豪華客船の内部です。


豪華な客船内部だけではなく、他の三等の船室なども扱っていて、当時を想像させるものでした。他にも衣装類が充実していて、海軍軍人の服装や探検隊の衣類なども残っています。


あとは、日本の軍船の模型と脇差のセットもありました。『坂の上の雲』の関連で広瀬武夫の本を読んだりしますが、彼が渡英した折、日露戦争前の日本は数多くの軍船をイギリスに発注していました。そうした事務所がロンドンにもありましたし、日本海軍とイギリスは、第二次大戦での戦争もありましたが、それ以前にも関わりを持ちました。


日本のこうした博物館を詳しく知らないのですが、ここでも絵画は数多くありました。交易で扱った珍品など、本当に船が扱ういろいろなものがありました。他にネルソン提督の展示もしていましたが、これは時間が無かったので入りませんでした。ただ、内容的に、グリニッジに来たら見てもいいものの、わざわざここだけを見に来る場所ではないと感じました。


なんというのか、グリニッジは「全体としては観光名所が多い」ですが、そのひとつひとつの観光場所で見ると、やや物足りなさが残りますし、久我の方でも勉強不足や準備不足があったかと思います。イギリスに住んでいる家族連れが、休日に足を運ぶような場所ではないのかなぁと、今になって感じました。


国立海軍大学


最も今回見たかった場所、でした。日露戦争以前には日本からの留学生もいたのだろうと想像しました。残念なことに見物可能な場所では卒業式をしていて、入れませんでした。ここの建物で勉強できたらいいなぁと、少し憧れました。




このグリニッジの街、海軍以外では、以前紹介した明治時代にイギリスで活躍した日本人画家・牧野義雄が下宿した街でもありました。








カティ・サーク号


最後に立ち寄ったのが、本来はスタート地点になると思える、カティ・サーク号です。19世紀の快速帆船、ということで興味があったので、中に入りました。がががが、ここはもう子供向け、子供だらけでした。



当時の快速帆船の歴史や、交易で扱っていた品々、地下には船首像もいろいろとありました。船の甲板は生活――そう、久我は結局生活用品や暮らしの道具が好きなんですね――の匂いがするものばかりでした。第一にキッチン。狭い厨房ですが、当時の光景が残っていました。オーブンとか、鍋とか、もうたまりません。






船員の船室と対照的だったのが、船長の部屋です。部屋と言うよりも生活空間と言うのか、幾つも部屋が連なって、部屋ではなくエリアでした。海事博物館とセットと言うか、お互いにお互いを補い合うようにイメージできれば、面白いかと思います。


Marks & Spencer

帰りはようやく見つけたスーパーのMarks & Spencerに入り、寿司パックを買いました。中に入っている練りワサビや紅しょうがは「日本製」でした。米はぱさぱさで硬かったですが、そこそこ美味しかったです。


ホテルに戻るも

この時間ではまだ16時ぐらい。昨日は疲弊しきっていましたが、今日はそうでもありませんでした。なので、近所のヴィクトリア&アルバート博物館に行こうと、補給を終えるとすぐ出発しました。




予定4:ヴィクトリア&アルバート博物館



土産物

最初に見るものは、いつも土産物屋です。ここには美術館が所蔵する品々の本が置いてあります。衣装や食器類の設定資料になるものを前回の旅行では必死に物色しました。が、今回は捜してみて、幾つか見つけたものの、「重い」「高い(20ポンド以上)」ので、断念しました。


資料を集め始めてかなりの歳月が過ぎるので、そろそろ手当たり次第に買うのを止めなければ、破綻します。適当に見物しながら、見物に回ります。内部での写真撮影は許可されていますが、確か、公開は行けなかったと思うので、載せません。


今回の目的はただひとつ。ウィリアム・モリスの部屋を発見することです。いろいろと見ても良く分からず、前回は見つけられなかったので「上の方にあるんだろう」という目算で、動き始めました。


が、その前に、臨時の展示を見ました。


衣装展

19世紀以降の様々な上流階級っぽい衣装のコレクション展示を、臨時で行っていました。入り口には王冠と王錫を持ち、首には真珠のネックレス、シルクの白いドレスには色とりどりの宝石がちりばめられていました。


後は、バースの衣装博物館で見たような、華やかな上流階級のドレスが目白押しです。クリノリンやバッスル、女性に限らず男性の真紅のハンティングコート、タキシード、20世紀に入ってからの『VOUGE』的な女性服もいろいろとありました。


ロバート・アダム再び

ヴィクトリア&アルバート博物館には、いろいろな年代の「部屋」を再現しているスペースがあります。ロバート・アダム様式の天井の紋様、壁のデザイン、暖炉などが、暗い証明の中、見物することが出来ます。天幕つきのベッド、チップンデイルの家具、イギリスの美術館にはイミテーションも多いですが、なんとなくの雰囲気が伝わればいいので、楽しめます。他にも、いろいろな建物の模型と設計図があります。クリスタル・パレス、国会議事堂など、資料的にも十分面白いです。



食器類

圧巻なのは、生活用品や道具です。鉄製品はアイロンや鍵、調理器具、燭台、暖炉の火かき棒が、銀器では食器(ナイフやプレート、皿、給茶のポット、さらには巨大なワインクーラー)、さらにガラスの向こうにはテーブルの上にコーディネートされた花や燭台、フォークやスプーン、ナプキンまであります。過去に、NHKでヴィクトリア&アルバート博物館を見た際、見物したかった場所です。(なぜかその近くに、ウェディングドレスと、喪服がありました)


迷走、そしてモリスの部屋

前回見つけられなかった、ウィリアム・モリスのデザインした部屋。前回は1回を隈なく探したつもりになって見つけられなかったので、上の階にあるのだろうと思い込んで探していましたが、見つからず、入り組んだ階段を移動して降りていた頃、偶然、「1階」で見つけました。


部屋は暗く、人通りも少なく、近くを通る観光客の人も、ほとんどが通過していました。中に入ると、床や天井や壁紙、モリスのデザインした模様で囲まれています。語弊があるかもしれませんが、部屋が暗く、人も少なく、怖かったです。


場所は正面入り口の正反対側、最も遠い北側の場所です。ここからは建物の西側出入り口が近いです。そこからクィーンズ・ゲートの通りに出て、後はホテルに戻りました。


帰還して、いつものコースです。三日連続、18時ぐらいに睡眠に突入しました。明日が一応宿泊できる最終日、メインディッシュともいえる「OsterlyPark」への訪問が待っています。