ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

ブロンテ三姉妹とメイドの関わり

とりあえず仕上げに入りました。あと7時間ぐらい作業に集中できれば、なんとかなる……といいなぁと。



メイドの資料を読んでいたら、参考文献にアン・ブロンテの手記が出てきました。彼女たちの家は貧しく、ふたりいたメイドをひとりに減らしました。母もいない家庭で、幼い三姉妹はその穴を埋めるべく、年老いたメイドの手伝いをして、掃除やベッドメイキングをしていたというのです。



コミックス『エマ』で、メルダース家の屋敷はブロンテ姉妹と縁のあるハワースにありました。久我は文学経由でこの時代をあまり見ていないのですが、こういう接点から誰か広げてくれると嬉しいです。作家の文学も大事ですが、当時生きた人の声、と言うものに最近意識が向いています。



仮にインターネットがどのような形にせよ百年以上続けば、こういうブログなどもそういう「当時を映した鏡」のひとつになるんでしょうか。その割には内容があれですが(笑)、とりあえずブロンテの手記を読んでみることにしました。時間が無いのであまり寄り道できないのですが、資料が届く頃には同人誌の入稿が終わっているといいなぁと。



以下は、このエピソードを紹介してくれた参考文献になっていた本です。



Anne Bronte: A Biography


見たことのない知識に遭遇した場合、原典を知りたい

ハウスキーパーの役目に、「チャリティの手伝い」というのがあります。



元々、『ミセス・ビートンの家政読本』には、女主人の役割として慈善事業をあげていますが、ハウスキーパーについては言及していません。



『ミセス・ビートンの家政読本』の底本である『THE COMPLETE SERVANT』や他の書物でも、ほとんど「チャリティとハウスキーパー」の関連を書いたもの見たことがありません。唯一、見たことがあるのは、『ヴィクトリアン・サーヴァント』です。




『家政婦はしばしば女主人が近隣の貧困者たちに事前を施すのを手伝った。また、地所内で働く労働者の子供たちのために娯楽を企画するなどして、彼らがその後援者に対して自然に敬意を示すように仕向けた』
(『ヴィクトリアン・サーヴァント』P.90より引用)


しかし、この知識がどこから来ているのか、わかりませんでした。上記は、文中にて「どこからの引用」と明記されておりませんので、根拠がわかりません。



当時のマニュアルにも出ていない職種がどこから来ているのか? 一冊でしか書かれていない知識と言うのは、極めて稀です。で、いろいろと参考文献を漁っていたところ、上記とまったく同一の文章を、一九六〇年代に刊行され、P.G.WODEHOUSEに推薦された本、『WHAT THE BUTLER SAW』で見つけました。



非常に運がいい、というのでしょうか。この運のよさは説明し切れません。




Sometimes the housekeeper was called upon to assist her mistress in dispending charity among the neighbouring poor, or even to take over his chore entirely. She would organise entertainment for the children of estate workers and ensure that suitable respect was shown by thme towards their benefactors.



『WHAT THE BUTLER SAW』P.120より引用


残念ながら、この本がどの資料を元にしたのかはわかりませんが、『ヴィクトリアン・サーヴァント』自体の引用元は、『WHAT THE BUTLER SAW』で間違っていないようです。



そうした点について、筆者の方も気づいていたのか、『ヴィクトリアン・サーヴァント』の刊行後に作られた使用人の本において、ハウスキーパーと慈善活動について言及されている箇所がありました。



こうしたことは、自分で資料本を作っている手前、他人事ではありません。しれっと書いていることも、時として自分の言葉なのか、知識の引用のつもりが文をそのまま使っている、ということが無いとはいえません。



巻数を追うごとに引用を明記するようになったのは自分への戒めでありますが、同時に、「出来れば他の資料本で出るような知識は扱いたくない」「どうせ扱うならば、その資料本の原典を扱いたい」という気持ちがあります。



『エマ ヴィクトリアンガイド』を見ても、『図解メイド』を見ても、使用人の知識に関してはだいたい引用元はわかります。使用人の歴史に関しては前も書きましたが、本当に資料本が限定され、誰かが書いている可能性が高く、誰が書いてもほぼ似た内容になります。



故に、今回の総集編ではなるべく扱いたくない、と思っています。



だから、引用元がわからない知識が知りたくなります。こういう観点で資料本を見ていると、「他の本で見ない知識を紹介してくれる筆者」の視点がものすごく気になります。それが思い込みなのか、その人独自の調査による結果なのか、少なくとも「その人の調査」であってこそ、学者の名に値すると思いますし、そういう学者を見つけるかが、自分にとっては大切なことです。



自分自身は学者でも何でもありませんが、「誰がオリジナルな情報を持っているか」を見極めるのが、同人誌において大切だと感じます。純粋な意味ではオリジナルな情報を自分で生み出してはいませんが、オリジナルが何なのか、それに近しいものがどこにあって、それが何なのかを伝えるのが、自分の立ち位置でしょうか。



あと、これは個人的な経験に過ぎませんが、引用は筆者の意図が強く反映されます。前後の文脈で意味が違うことさえあります。また、筆者によって同じモノを見ても、何を美しいと思い、引用するかも違っています。



であればこそ、興味を持ったエピソードの資料の参考となった文献を、入手可能な場合は読んでみようとしています。アン・ブロンテの手記も、もっと魅力的な情報が詰まっているはずです。



それは、久我の同人誌でも言えます。なるべく「ゴールの答え」を書くようにしていますが、同時に、膨大な情報を久我の主観で編集している「氷山の一角」でしかありません。もっと生活や文学や絵画や歴史や服飾に興味のある人がそれぞれ見たら、同じ資料を見ても、語りたいところはまったく違うでしょう。



最近、表紙の絵を頼むGENSHIさんに当時のドレスのモデルを伝えようとしたのですが、手元に資料が無く、映像の記憶もあまり無い次第で、焦りました。屋敷と階段とメイドとストーリーを見ていて、それ以外が弱すぎました。



森薫先生の作品が好きなのは、久我と興味軸が大きく違っているところです。『エマ』に登場する衣装の数々、生活のこまごまとしたもの、あれは久我の手に負えるものではありません。同じように、違う角度で、誰かが見た世界を、知りたいものです。



自分と違う人たちの視点、描く世界を、見てみたい。



それはひとつの旅に似ているかもしれません。



……翻訳したりまとめたりしないといけないのに、こんな長文をまた書いてしまいました。真面目に作ってますよ、ということでご容赦を。



とりあえず、今回使っている資料の一覧はこの辺です。



資料と要素のリスト化/今回利用する参考文献一覧