ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん

家事使用人研究者の久我真樹のブログです。主に英国ヴィクトリア朝の屋敷と、そこで働くメイドや執事などを紹介します。

もうひとつのキャリア〜お金の話が出来る執事

最近、新しく執事の手記を入手しました。1940年代に刊行されたようですが、これが今までの執事のイメージが変わるぐらいに視点が違います。彼は公爵家でフットマンも経験しましたし、最終的に執事に落ち着きましたが、その途中で重ねてきたキャリアは異色中の異色です。



家庭内使用人を経験しつつ、ホテルのウェイターやパブの経営、フラット(食事つきの長期滞在ホテルみたいな仮住まいの場所)やクラブでの管理職(スチュワード)、そしてカフェの経営、ホテルのマネジメントまで行うのです。



フットマンや執事の将来的なキャリアとして、他の道筋があるのは知っていましたが、ここまで明確に「お金を稼ぐ」ビジネスに着手した執事は始めてみました。



お金に縁が深いというか、幼い頃に人助けをしてお金を貰い、その後、ホテルの同僚のメイドの進めで賭けた競馬で大もうけし、18ヶ月ぐらい働かず、療養したのに始まり、その二十年後ぐらいでしょうか、別の機会ではまた競馬の儲けでサイドカーも買いました。



第一次大戦で千ポンドの貯金を失ったり(遺産ではなく自力で短時間でそこまで貯蓄した使用人を知りません)、何度も投資したお金を失ったりと、多少の山っ気こそありますが、それにしても引く手があまたと言うか、有能な「稼げる」人物で、就職先にはまったく困っていませんでした。



同時代を生きた執事は就職先を見つけるのに苦労しましたし、「クラブ」での仕事も探したが見つからないと嘆きましたが、それは「お金を使うだけの使用人」と、「お金を稼げる才能を持つビジネスマン」の違いにあったのでしょう。



両者は使用人登録所(Registory)を利用しましたが、成功している執事は「彼らが得をするようにも」考えていました。彼はGive and Takeで、関係者が得をするような提案能力を持っていました。この手記の執事は本当に頭を使い、いろいろなところで工夫し、稼ぎました。



何が驚くかと言うと、本当にあらゆるところでお金の話が出ていることです。カフェの経営では「コストこれぐらい」「ひとりあたりの利益はこれぐらい」と試算していますし、「主人たちは『10人ぐらいの小さなパーティをしたいの』というけど、それにはお酒の準備や片づけまで含めてこれぐらいお金かかるんだよ」と数字を見せたり、とにかく数字に強いのです。



ホテルやフラットで経営者として人を使う際も、頭を使いました。第一次大戦前後にして、彼はメイドへの支払を「時給」にして、変則的な勤務をしても報酬を貰いやすいようにしました。



人を雇うにしても、彼の場合は「お店の収益」が頭にあり、他の使用人のように「必要だから雇う」ではなく、「利益を上げるのに必要な人件費を支払う」ことを念頭においていました。メイドの人件費が制度によって中間搾取されている場合には、他の抜け道を考案し、実際に汗を流すメイドが多くもらえるように、システムを変えました。



お店を経営するうえでの公的規制があっても、交渉可能なところがないかも考えて、規制すれすれのところで営業を行なう場合にも、事前に地元の警察に確認をして認めてもらい、「そのお店での最高売上」を叩き出しもしました。



もちろん、他の使用人とは違う事態にも遭遇しました。職経営を任されたクラブやホテルの上位の経営者が交代することで経営方針が変更され、働き続けられないと判断し、辞めたことも一度や二度ではありません。



ところが、本当に有能だったのか、すぐ仕事を見つけてくるのです。彼が仕事に困った様子は、ついに描写されませんでした。



一番面白かったのは、夏場は忙しい避暑地のホテルで経営の仕事をしていた際、ホテルのクライアントだったある富豪の女性にスカウトされたエピソードです。彼女が冬場に滞在したい屋敷を、彼女の弁護士の依頼を受けて手配し、交渉し、実際に交渉成立させた後は、執事として屋敷の切り盛りを行いました。



屋敷で女主人をもてなす時も、彼はお金を握っている弁護士に確認し、「お金、使いすぎていない?」と聞きました。利益を常に考えてきた彼にとって、使用人の仕事に戻った時、それが「お金を使うだけの仕事」だということが、頭から抜けなかったのでしょう。この視点は、他の執事にはありません。



どんなに最高の執事であっても、そのサービスによって、「主人に利益を出す」ことは出来ません。あくまでも主人の財産を使い、最高のもてなしをするのが、その限界です。



しかし、今回出会った執事は経営者として利益を出す事業に多く携わり、経営者としては成功していました。共同出資者や銀行と言う外的な要因で何度か貯金を失う点では「人を見る目」に甘さがありますし、競馬好きで競馬で儲けた額がすごすぎ、事業に対しても山っ気がありましたが。



人をもてなし、マネジメントする。最高のサービスを提供することで賃金を受け取るだけなのか(使用人)、儲けを得るのか(経営者)、活躍の場は違いましたが、屋敷で働く執事も意識を変えて機会を変えれば、彼のようなキャリアを築けたはずです。



貯金をして執事が使用人職を辞め、ビジネスを立ち上げるという話自体は何度か見てきましたが、実際にその道に進み、成功した人物として、この本は参考になります。とはいえ、ビジネスに必要な要素は創意工夫であり、この執事の性格(必要があればルールを変えていく・結果を出すために交渉する)も大きいのかなと思います。



非常に現代的で、ユニークな執事です。