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2014-01-03 今年もよろしくお願いします

[]『ロードス島戦記』と『新ロードス島戦記



今年はリハビリがてら少しずつブログを書こうと思い、読んだ本を書いていきます。


ロードス島戦記が25周年ということで、電子書籍化したシリーズを読み始めました。私が『ロードス島戦記』に出会ったのは中学生の頃で、この時期、ロードス島は国産ファンタジーの最高峰だったと記憶しています。お金が無かった学生時代なので、一冊の本を何度も読むのは当たり前でしたし、『ロードス島戦記』の場合は、小説、リプレイ、OVA、カセットブック、TRPGのシナリオ、PCゲームと同じ世界観での異なるシナリオを何度も追体験したことで、自分の血肉といえる作品です。


そんな私が最も夢中になったきっかけは、OVAです。あの作品で動くパーン屋ディードリット、ギム、それにドラゴンなどを見たとき、感動しました。オープニングの曲を聴くと、今でも涙腺が緩むぐらいに、大好きでした。以下は、OVA化があった頃に購入した雑誌『コンプティーク』で当選したテレカです。20年ぐらい前ですね。今でも家宝です。




そんな私ですが、『ロードス島伝説』を読み損ねていたり、『新ロードス島戦記』を読んでいなかったりと、随分、アップデートについていけていなかったのですが、『ロードス島戦記』2巻を読み直して「ナルディア、良いキャラクターだったなぁ」と思い出し、そのナルディアが表紙の『新ロードス島戦記』に気づき、年末年始に読みふけっていました。




元々、『ロードス島戦記』は勧善懲悪というよりも、TRPG的に多様な視点で多様な立場の人々の群像劇的な意味合いを持ち、ある視点に立てばその人も正しい、というキャラクターたちが魅力でもありました。ベルドにはベルドの理念があり、その後を継いだアシュラムにはアシュラムの魅力があり、彼に付き従うことを選んだホッブやグローダーにも存在感がありました。


そうした、『ロードス島戦記』の系譜をさらに発展させていったのが、『新ロードス島戦記』でした。物語の主役はスパークで、マーモを統治する公王としての役割を求められます。魔獣、ゴブリンなどの妖魔、ダークエルフ、ファラリス信者といった「悪役」にされる存在が当たり前の住人として棲息する土地は、主要産業も無く、穀物の育ちも悪く輸入に依存するといった難治の地域でした。この時点で、この地を治めた暗黒皇帝ベルドの偉大さが伝わってきます。


率直な感想として、『機動戦士ガンダムUC[ユニコーン]』の小説を読んだ時の感想に近いというのか、「30歳を過ぎたおっさん」が読んでも物語として楽しめる設定や視点が存在している、というところです。さらに、これまでマルチメディア展開していた『ロードス島戦記』を遊びつくしてきた人々には懐かしい設定が活用されており、ロードスファンとして楽しみつくせる、集大成といえる作品でした。


特に面白かったのは、「アシュラム」「グローダー」の流れを引き継ぐ、マーモ帝国を復活させようと暗躍する人々です。彼らには彼らの理由があり、様々な策を張り巡らせてスパークを苦境に追い込んでいく展開と、その状況を人々を巻き込んで解決していくスパークの物語は、読み進めるのが楽しいものでした。部分部分で、「これはTRPGならばシナリオになるけど、小説だと割愛なのかな」というものも含まれていますし、その話の切り捨て方自体が昔との違いなのかもと。


パーンやディードリットといった原点のキャラクターの見せ場も輝いていますし、オールスター総出演ですが、あくまでも主役はスパークであり、スパークと戦う旧帝国の人々であり、さらに言えば、マーモに住まう住人すべてが魅力的に描かれており、本書における「ファラリス」の扱い方はこれまでの全シリーズを通じて、異色でした。多義的な価値観が並存する帰結としての平和は、まさに「灰色の魔女」が求めた世界に近しく、カーラが眠り続けているにはこの道しかなかったと思えるような、そんな印象を抱きました。


もしも『ロードス島戦記』を読んでいて、『新ロードス島戦記』を未読でしたら、この機会にお読みいただくことをオススメします。


2011-05-07 発売日からもうすぐ半年

[]「どう振舞うか」が求められる『ログ・ホライズン

近代ヨーロッパ的な経済発展を軸にした国家・技術を扱った『まおゆう』には、世界史への関心以上に、現代に通じる生活様式や価値観の基礎を形作った近代に強い興味を持つ立場として、様々に反応するものがあり、その存在を知ってからは感想を何度か書いてきました。


『魔王と勇者の物語から受け取ったもの

『まおゆう』刊行を記念して、振り返る「近代」関連の書籍


『まおゆう』の次に広がる景色

その同じ時期、『まおゆう』の次に橙乃ままれさんが書かれているウェブ小説『ログ・ホライズン』を知りました。『まおゆう』はTRPG的に言えばリプレイ形式で書かれており(世の中向けの説明では「戯曲」との言葉が使われています)、いわば台詞が多くを占める構成をしています。


2ちゃんねるを軸に発表されるSS(ショートストーリー)を母体としている点で情景描写や小説的な要素は省かれ、演劇的に読み込んで読者の想像力に委ねられる部分がありましたが、『ログ・ホライズン』は小説の形式を踏襲し、『まおゆう』とは異なる見せ方をしています。緻密な描写で、世界を織っているというのでしょうか。


ログ・ホライズン』はウェブ公開され、また出版化もされたので興味のある方にはオススメしています。題材はMMO・オンラインゲームをベースとしたもので、これを読んで私はMMOを遊びたくなりました。


ログ・ホライズン (1) 異世界のはじまり

ログ・ホライズン (1) 異世界のはじまり



物語はオンラインRPGの『エルダーテイル』にログインしていた日本人ゲーマー3万人(他にも世界各地のユーザー)が、ゲーム世界内に閉じ込めら、脱出方法が見つからない中、その世界を生きていくというものです。私が『ログ・ホライズン』を作品として好きな点は、3つあります。


1.当事者としてどう振舞うか?

ゲーム世界に放り込まれた人々は、ルールがない状況に置かれます。そこでどのように振舞うのかは、自分の意志だけです。ゲームにおけるレベルの高さがこの世界での強さを意味し、そこでは強き者による無法や現実社会では行わないであろう行為も散見します。


環境が用意されたら、流されて何でもしてしまうのか?


環境が用意されても、自分は自分として振舞うのか?


ある意味で、前者はスタンフォード大学の監獄実験であり、また後者はヴィクトール・エミール・フランクルが『夜と霧』の有名な言葉に通じるものがあります。


この点で、主人公は後者の道を選び、周囲の人を巻き込み、動かしていきます。そのロジックや道筋が、とても面白いです。


2.「与えられた環境で最善を尽くす」から「最善な環境を作り出す」発想転換

2つ目が、これは『まおゆう』と共通していると思える、「強いられた環境であっても、自分で環境を作り出す・変えていく」点です。『まおゆう』はオーバーテクノロジー的な知識や高い技術を持つ魔王が周囲の人に影響を与えながら世界を巻き込み、「丘の向こう側に広がる世界」を見ようと試みる物語でした。


ログ・ホライズン』は元々はゲーム世界でありつつも、実際にその世界に閉じ込められていくと「現実」と変わらぬ点があり、ゲームだとの思い込みを捨て、現実世界と受け止めて、そこに存在する多様な可能性を試すところが好きです。


細かいところでは様々な意味での技術(たとえばMMOで用意された「生産」という行為から、ゲーム内キャラクターに用意されたコマンド入力・組み合わせの細部調整など)で環境を変えたり、やはり主人公が「ルール」を提示し、人を巻き込む、というところでしょうか。


大きなところでは、2巻以降になると思いますが、ギルド会館を巡る話が私にはとても面白いものでした。


きっと今の自分が置かれている環境にも多様な可能性があって、、あるいは組み合わせれば面白いものが、ただそれを見つけられないような。バラバラの物を繋ぎ合わせて絵を描くような楽しさも感じます。


3.均質化する能力設定により、英雄性の表現が発想や思考へ

ネットゲームというバックボーンから、主要キャラクターの能力差は「工夫」「発想」へと切り替わっているように思います。誰もがレベルを上げ、能力を強化できる環境なので、強さの絶対性は無く、その強さをどう使うかが問われています。その使い方が、私には面白いです。


また、異世界へ転送されるストーリーでは現実世界の経験や能力が多くの場合、新しい世界を生きる上で活用されますが、『ログ・ホライズン』の場合は、そこに会社員的な能力も持ち込まれています。


私はかつてネトゲで数十人を率いた妻の「マネジメント論」というのを読んで、果たして、ネットゲームの世界で数十人を率いる人は、現実世界でも同様に影響を及ぼせるのか、と言うところに興味を持ちましたが、そういう視点で見ても興味を引きます。


個人的に、私はTRPGをしていても『英国メイドの世界』の原点としてのTRPGとコレクションシリーズで書いたように、ゲーム世界の地図を見ると物流・補給経路を気にする方です。その点で、生産や物流、モノの話も多いので、『ログ・ホライズン』の世界を楽しんでいます。


2010-05-17 分断した知識と歴史と人をつなぐ物語

[]魔王と勇者の物語から受け取ったもの

昔読んだ『坂の上の雲』や『竜馬がゆく』で扱う題材がテレビドラマ化される中で、これらの作品は「その刊行当時、自分たちの社会や国を考え直す作品」としての位置づけがあったと思います。確か、ヴェネツィアを扱った塩野七生さんの『海の都の物語』や国家の栄枯盛衰を扱った『ローマ人の物語』も同様で、個人的にはこの界隈の小説が大好きです。


若い人向けの小説、という表現で良いのかわかりませんが、こうした国家や社会について大局的にものを見る小説の中には、『銀河英雄伝説』があります。ただ、相当前の日本で作られた作品で、普遍性があるとはいえ、今の時代は映していません。そこで、今の時代に『銀河英雄伝説』的な視点で物を見る、今を生きる世界の視点を相対化する小説ってあるのかなぁ、あったら読みたいと思っていたところに出会ったのが、最近、ウェブで熱くなっている『魔王「この我のものとなれ、勇者よ」勇者「断る!」』(以下、『まおゆう』)でした。


『ナウシカ』や『ガンダム』の「その先の物語」とは何か。


このブログを読んで、ちょうど気にしていた『銀英伝』的なものを指摘されていたので興味を持ち、読み始めました。特に、『あの丘の向こうに何があるんだろう?』との魔王の問いかけは、高度経済成長期の日本人に向けて描かれた『坂の上の雲』にも通じる物を感じました。


楽天家たちは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながら歩く。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。(『坂の上の雲』第一巻「あとがき」より引用)


今の日本はその坂を登り切った先の状況ですが、そこは様々に混沌としているように思えます。坂を上った後には何が広がっていて、その先にはまた坂があるかもしれない、崖かもしれない、平原かもしれない、何もないかもしれない。ただ、産業革命に代表される近代的な意味での経済成長に依存したシステム(商工業による生産・資源の活用)は環境破壊や資源の枯渇の末の戦争などを引き起こしているわけで、現在のシステム自体が問い直されている時期にあるとは感じています。努力すれば報われるとしても、何を努力していいのか分からない、様々なルールが壊れている現状認識に立つ私は、「この先、何が確立していくのか」「どうしたらいいのか」の答えを考えていますので、魔王が言うところの「丘の向こう」を知りたい想いに強く共感しました。


読むと非常に面白く、止まりませんでした。人類の文明の変遷・技術の発展、そして何よりも人の可能性を感じさせてくれる、歴史を振り返らせてくれる題材に満ちた作品で、一気に読みました。


以下ネタばれになるので、他の人と被らない範囲で自分が興味を持った点について書きます。主に自分がどこに響いたのかのメモです。
















丘を目指す人々=産業革命以降の現代人か

私は英国のメイド雇用の歴史を研究していて、産業革命以降の国の発展と豊かになっていく構造に興味を持っています。イギリスで見られた雇用の流れは「商工業で都市が発展」(経済力を持つ)「仕事がない地方から、スキルがなくても勤められるメイドとして働く」(経済力がない)で、経済格差があればあるほどメイドになる人々の人件費が低く、一方で富裕化する人々は家事を他の時間に費やすために雇用を進めました。


今、世界各国の経済発展はだいたいイギリスと似た構造を辿っていて、産業革命的な軽工業→重工業→電機・クルマ製造という流れでの市場開拓は繰り返し、イギリス・日本・アメリカのような先進国から中国や韓国、他の国々へと広がっています。同様に、国内での鉄道の広がり、自動車の普及はインフラ開発を呼び込み、経済発展に繋がりました。この投資が一定段階を迎えた国々は、「発展していない国々」を市場とすることを求め、たとえば19世紀末のイギリスでは海外投資が盛んになりました。


中国が万博を行っているのも、最盛期を迎えた大英帝国時代のイギリスを比較すると、随分と興味深いものがありますが、その中国の戦略は時代は違えども似ているところは多いですし、貧富の格差が拡大する中(そして先に経済発展を遂げた香港でも)、メイドの雇用が一部では行われています。シンガポールやブラジル、サウジアラビアなどでも同様ですが、その時、雇用されるのは国内の人材だけではなく、経済格差がある海外の国からの移民が加わっています。


政治体制の相違はあっても国が産業によって発展する構造が似ていて、お金の流れも似ていて、資源の枯渇や奪い合い、競争による格差の拡大は起こっています。また発展した国は国全体が豊かになって人件費が高騰して国際競争力を失い(価格競争面で)、政府機構が肥大化し、さらに高い生活レベルの維持のために社会福祉が膨らみ、国家予算が圧迫される構造も繰り返しているでしょう。豊かになったとしても、行き詰っているように私は思います。


そうした現状認識に立った時に、岡田斗司夫さんの著書『ぼくたちの洗脳社会』を読み、そこで『第三の波』という著作を知りました。まさに、自分が感じていた経済発展の歴史を、『第三の波』は「農耕社会の成立」「産業社会の成立」と位置づけて分かりやすく解説し、腑に落ちるものがありました。


この延長として、「では、産業社会の次は何か」の先を語る「物語」を探していて、出会ったのがこの『まおゆう』ともいえます。(実際には「今」を形作る方の多くの要素に出会えました)


人類発展の歴史

『まおゆう』を読んで感じたのは、人類発展の思想・技術の歴史のインパクトです。多分、この本で描かれる知識をすべて知っている人はいるかもしれません。しかし、このように分かりやすくストーリーに仕立て上げられる人は、非常に少ないでしょう。魔王は最初に「定住して農耕を営む封建的中世までの社会」である人間界に、様々な知識を持ちこみます。私は英国メイドの歴史を学ぶ立場として、イギリスを軸に見ていますが、まず魔王は「農業革命」を引き起こします。


これは耕作地の有効活用と生産力の向上で、産業革命期に人口が増大したイギリスの食糧事情を支えたとされています。影響範囲は多岐に及びますが、他にもヨーロッパへ持ち込まれて今では主要作物として名高いジャガイモも登場し、食糧事情に劇的な変化を引き起こしていきます。


思想面では『まおゆう』の感想を淡々と書き連ねるや、今日上がっていたエントリ「社会科学論ノートからの抜粋 (まおゆうの感想) 」が詳しかったので割愛しますが、十字軍、プロテスタントの宗教改革にかかわるようなエピソードも盛り込まれていて、どんな角度からも、多くの読者が多面的に語れる内容になっていて、ここから人類の歴史に興味を持つきっかけになります。


プロテスタントの普及も活版印刷がかかわっていますが、その辺りもきちんと踏襲しつつ、私が非常に面白いと思ったのは、「紙が普及していない社会=読み書き能力が低い=紙を読めない人にどう伝えるか」として、「吟遊詩人」を選んでいる点です。この辺、技術や教育レベルに応じた情報の伝わり方にも注目しているのも秀逸です。(印刷関連の話は以下が参考になります)




また、政府機構の発展や軍事組織の技術史的にも、人類の発展の歴史を踏襲しています。難民救済策として、古代ローマで行われた軍人による土木技術・工兵として社会インフラを整える技法や、軍人を植民させて開拓を行わせる手法、大砲の登場を予期して城壁の構造を変える話(私は『コンスタンティノープルの陥落』『ロードス島攻防記』を連想しました)なども盛り込まれていますし、昔学研で出た戦術本で見たスペインの戦術「テルシオ」的なものも登場していました。知っていることと物語が繋がると、オタクな自分には嬉しいです、はい。


他に特筆すべきものがあれば、「国家政治の複雑化による事務処理の増加・財政の変革・中央集権化」と、「銃の登場が引き起こした国民皆兵の強さ」についての流れが非常にスムーズで分かりやすくなっています。見る人が見れば、どこまでも広げられるでしょう。それだけ、多くの要素を包み込んでいます。


個人的に、『まおゆう』は「仮に、今が不幸に見えたとしても、人間は何とか生活水準を上げる発明をやってきた」「その照らされた技術によって、今がある」「それは技術に限らず、思想や物の見方、国家制度などのシステム含めたすべてにいえる」ことであって、そうした人類が得ている「財産」(マイナスも含めて)を見直し、読者に対して、今の時代の「丘の向こう」を見ようと、問いかけているように感じられます。


ところどころ、物語の中の人々へ向けられた熱いメッセージが込められています。物語の中を生きる多くの人へ向けられた「演説」がこれほど多い作品も珍しいのではないでしょうか。


過去に存在した思想や技術、人々の想いの一つ一つが社会に与えた影響を可視化し、希望を持たせてくれるようにも思います。冒頭の話に出した『第三の波』でいう現代社会を形作る「産業社会」の実現が小説内部では行われ、その行き詰った今の先にある「丘の向こう」の景色を私は見たいと思っていましたが、まず「自分が今いる場所」や「目指すべき丘」を、考えるきっかけを貰いました。


あと、献身するメイド像、日本的な「磨きあげられたメイド表現」は素敵でした。


「丘の向こう」へ通じる道へ

筆者である橙乃ままれさんの最新作ログ・ホライズンは、直截的に書かれていた要素を小説表現としてのものに変え、別の形で現代的な部分を取り上げつつ、非常に面白い作品にしています。こちらも読み進めて、止まりませんでした。ネットゲームを題材にしていますし、個人的にネットゲームをやっていませんし、最近のこの界隈の小説をまったく読んでいませんが、楽しめましたし、久しぶりに「続きが読みたい」境遇を味わいました。


ある種、主人公たちが置かれている境遇は「現代人」が置かれている状況にも転換できます。橙乃ままれさんは、人間を信じている、何かを変えた意志を信じている、そして共通点を探して「繋がり」を生みだす仕組み作りとしての「法」「経済活動」「商行為」を照らし直している感じがします。今の時代の雰囲気を紡ぎ、照らし、「その先を見せる」稀有な作り手に思いますし、『ログ・ホライズン』は連載中で、完結が楽しみです。


それとは別に、何よりも、同じ時代に「閉じ込められたプレイヤー」として現代を生きている立場ですから、良きプレイヤーに出会えるように、プレイヤーと共有できる価値やルールを自分でも見つけていきたいです。


第三の波 (中公文庫 M 178-3)

第三の波 (中公文庫 M 178-3)

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎

銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎


関連リンク

以下、『まおゆう』を読んだことをきっかけのひとつにした、読書遍歴的なものです。


『まおゆう』刊行を記念して、振り返る「近代」関連の書籍(2010/12/04)


2009-10-13 いつものごとく、秋は読書

[]『午前零時のサンドリヨン』感想(ネタばれなし)

午前零時のサンドリヨン

午前零時のサンドリヨン



ミステリ小説は好きです。といっても最近はヴィクトリア朝と使用人資料に圧倒的にリソース(時間とお金)を費やし、ほとんど読まず、アガサ・クリスティを読み直すか、ヴィクトリア朝を舞台にしたミステリ経由でサラ・ウォーターズをチェックするか、京極夏彦さんの新刊(主に京極道シリーズ)が出たら買うぐらいの状況です。


最近のミステリは不勉強ですが、今回読んだ『午前零時のサンドリヨン』はネットでサラ・ウォーターズやヴィクトリア朝経由で接点があった相沢沙呼さんが第十九回鮎川哲也賞を受賞された作品とのことで、購入しました。


今、1.5周目です。


以下、ミステリとしての感想を書けるほど最近のミステリを知らないので、本から感じたことです。


一度目は自分が知らないマジックに魅了されたように、ページをめくっていました。二度目でじっくり腰を落ち着けて、ちりばめられた伏線や伝え方、明らかになったことで伝わる登場人物の感情表現を、楽しんでいます。ミステリの系統は数多くありますが、今回描かれた世界や舞台の温度は、久我の好みでした。「本人が心底好きな題材」をメインのモチーフにしていて、好きを語ることの力強さを感じ、その好きでなければ見えない視点と自分にとっての未知の題材に興味を持ちました。


作品を通じて流れるテーマや伝えたいことだと自分が感じたことは、まえがきに書かれていたことや、マジックを通じて人に伝えていく、人の気持ちが人を動かしていくこと、なのだと感じました。ネットの時代だからこそ、この価値観は、非常に同時代的であると思います。楽天的とはいわれてもいますが、『ウェブ進化論』的な要素として、見ず知らずの誰かの書いたものが、表現したものが、人を楽しませようとした気持ちが、伝わっていく。それを受け取った人から、また別の人へと波及していく。そしてその感想を、筆者に返せる。もちろん、ポジティブもネガティブも含めて過去の時代に体験したことがない評価を浴びることになりますが、僕はこの感想を書くことで、いろいろと自分の中のことを考えることもできました。


根本的に、自分がなんでミステリが好きかといえば、「問題が解決される」からです。少なくとも殺人事件が起こり、なんだかんだで犯人が捕まる。そして終了。(この図式に挑むものとして『うみねこのなく頃に』はすさまじいレベルの挑戦をしていると思います) 時に残虐な描写や、美意識のために描かれることも少なくないと感じていますが、「課題達成型」と「問題解決型」では、自分は「問題解決型」が好きです。会社の仕事でも問題解決の方が向いています。


ある種、正義の味方は悪を必要とする的な議論であり、人が問題を抱えている状況を欲しているような側面もありますが、そういった主体的なものがありつつも、自分には見えない自分の能力や視点が他の誰かの役に立つかも知れず、それに気づいた他者がパズルのように組み合わせていく可能性を、自分自身は好んでいます。


これは山本弘さんの『詩羽のいる街』の読後感に似ています。


誰もが探偵小説の主役になれるわけではありませんが、「問題を解く」こと自体は、日々誰の周辺でも起こっていますし、本人にとって些細なことでも、その言葉や行いが、人を変えることもあります。他人に関心を持つと、急に見えることもあります。個人で解決できなかったとしても、人に相談することで解決することもあります。もちろん力になれないときもありますし、手ひどい拒絶を受けるかもしれませんが、そうした「日常」を照らした作品に思えるのです。


そして、いわゆる「ミステリの感想」として正しいのか分かりませんが、この小説は題材となっているマジックのようです。題材としているマジックの与える影響と、読後の感想が与える影響が、一致している、と思えるのです。物を作ることを大切にしているのが感じられますし、時に存在そのものを拒否されることもありますが、人を驚かせること、楽しませること、「相手がいて、自分がいる」ことが、伝わってきます。


コミュニケーションの絶対量が増えていても、質的には落ちているようにも思えればこそ、作品が提示している在り方、人との関わり方は同時代的であり、その伝えること・伝わっていること・伝わらないことを含めて、人間らしいなぁと思うのですし、不確実性の塊である人間こそがミステリの魅力でもありますね。


表紙の絵も可愛いですし、デザインの細かい所でもこだわりが感じられますし、読みやすい作品でした。ここに登場した手品を映像で見てみたいですし、その他、登場したいろいろなものに、興味が広がりました。


関連

小説『詩羽のいる街』感想(2008/10/02)

ちょうど1年ぐらい前ですね。不思議なものです。


2009-05-04 読書のGW

[][]こっそりロシア

思うところがあると、いつも司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』を読みます。ところが、中学時代に親から買ってもらった単行本版を何かの機会に処分してしまって、手元にありません。図書館で借りようとしたものの、単行本も文庫もどちらも1巻が無く、困りました。


久しぶりに司馬遼太郎さんの作品で何か読むものはないかと探したところ、『菜の花の沖』を見つけました。ちょうど最近読んでいた本に「エカテリーナ2世にスカウトされたガーデナー」の話があったので、「ロシア」と関係のある本として、『菜の花の沖』を思い出した次第です。


『菜の花の沖』は江戸時代の生活に関わる資材を扱う交易の話で、読んでいて非常に楽しいです。生活で必要な品々がどこから来るか、というのはLand AgentやGardenerへの興味とも重なりますし、そうした商業に携わることで社会的に上昇していく(結果としてで、楽しさの根幹は「問題解決」「課題達成」にありますが)主人公を見るのは、心地よいです。


他に、『Cranford』や『North & South』とBBCドラマでお世話になっているエリザベス・ギャスケルの作品を読もうと思い、『ギャスケル短篇集』も借りました。


ギャスケル短篇集 (岩波文庫)

ギャスケル短篇集 (岩波文庫)



これに掲載されていた「ジョン・ミドルトンの心」をまず読みました。「ジョン・ミドルトンの心」にはエレナ(愛称・ネリー)という少女が登場しますが、注釈を読んだところ、「ヘレナ・エレンの愛称」「ギリシャ語で『光』」を意味すると、とありました。


ネリーという名前は、自分が大好きなドストエフスキーの作品『虐げられた人びと』(彼の作品の中では一番好きです)に登場する少女の名前でもありますが、なぜエレーヌという名の彼女の愛称がネリーなのか、よくわかりませんでしたが、長年の疑問(といっても解答を求めていませんでしたが)が氷解しました。


虐げられた人びと (新潮文庫)

虐げられた人びと (新潮文庫)



このネリーはロシア文学史上最大のツンデレだと思うのですが、その辺りは機会があれば。命がけですからね(にしても、ブログに文字としてツンデレと書くのはなんか気恥ずかしいですね)


そして、ギャスケルのその次の短編「婆やの話」を読もうとしたのですが、どう見てもメイドの一人称物語です。ちょっと心が落ち着いてから読もうと思います。多分、昔読んだ場合と、今の知識で読んだ場合では、見える世界も違うのでしょうね。行間読みまくりで、心が落ち着きません。


さらに余談があり、翻訳者は日本ヴィクトリア朝文化研究学会所属で、久我に声をかけてくださった松岡先生でした。


そんな感じで並行して何冊読んでいるんだという感じですが、GWを楽しんでいます。


『坂の上の雲』は忘れずに読まなければ……


あ、そういえば新しい執事の手記発掘に成功しました。尊敬するPamela Sambrookさんのとある寄稿を読んでいたところ、今まで見たことの無い名前の執事を見つけました。