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 ■英国ヴィクトリア朝・屋敷や貴族関連の資料/映像をお探しの方にオススメ
 『ダウントン・アビー』を見る前に読んでおきたいカントリーハウスと職場の解説

 -SPQR[英国メイドとヴィクトリア朝研究]更新中




2007-11-10 マリー・アントワネットとメイドの話

[][][]ヴェルサイユ宮殿と縁がある「デイリーメイド」

はじめに

今年の夏に友人とフランスに行っていました。目的としてはパリを歩くこと、美術館巡りだったのですが、ちょうどフランスに行くと決まったとき、何か「今までの自分と縁があるものが無いか」と考えました。


イギリスに行ったときも『エマ』アニメ版・ウィリアムの屋敷のモデルとなったカントリーハウス『Upstairs Downstairs』の撮影地『THE 1900 HOUSE』で使った家など、縁のある場所を訪問したり、イギリスの超人を宮殿に持ち込んで軽く荷物検査されたり、いろいろと思い出が残りました。


で、フランスです。(とりあえずそれっぽい写真を)





『三銃士』も『レ・ミゼラブル』もいまひとつぴんと来ません。時代的には好きな『失われたときを求めて』はまさしくフランスですが、「ゲルマントの方へ」と言われても、どこでしょうか、という感じなのです。あんまりパリに思い入れが無かったのも事実、美術館ぐらいしか知りません。


頼みの綱である超人も思い浮かばず、そうなると『のだめカンタービレ』、『不思議の海のナディア』ぐらいしか思いつきませんでした。(『ベルサイユの薔薇』は除く)



マングース in France




エッフェル塔の少女』(マイナス少女)


そんなときに思い出したのが、昔、同人誌で使ったエピソードです。


マリー・アントワネットにはメイドの経験がある?

実はヴェルサイユ宮殿はメイドとも縁が深い、かもしれないのです。久我の同人誌をお買い求めの方には繰り返しとなりますが(4巻です)、実はこの宮殿に居を構えていたマリー・アントワネットが「デイリーメイド」っぽいことをやっていた(誇張)、というエピソードがあるのです。


 一八世紀は、デイリーが上流階級に最も受け入れられた時期です。この時代、華やかな事例が幾つもあります。


『もしもお前の妻がいつも領地にいて、デイリーにいるのを好むならば、彼女の為に最大限の便宜を図ってあげなさい』(『カントリーハウスのキッチン』)という父から息子への言い伝えだけではなく、イギリスに広がったロマンティックな風潮によって、詩的で美的な要素を数多く備えた「デイリーメイド」とその仕事は、ついには王女の好むところとまでなりました。


 イギリスのシャーロット女王はデイリーにいることに最大限の関心と喜びを持ち、そのスキルを磨きました。そして、イギリスからフランスに渡ったデイリーは、かの地で最大限の賞賛を浴びました。


 一七八三〜八六年、革命で命を落とすことになるフランス女王マリー・アントワネットは、ヴェルサイユに小さな理想的な村を建築しました。そこで女王は侍女と共に、デイリーメイドの役割を演じ、清潔なデイリールームで、イギリスの流儀に従って、乳製品を作っていたのです。


同人誌『ヴィクトリア朝の暮らし4巻 貴族と使用人(三)P.89「デイリーメイド解説」より引用


参考文献『カントリーハウスのキッチン』=『THE COUNTRY HOUSE KITCHEN』(Pamela Sambrook著)です。邦訳と言うわけではなく、便宜上、和名をつけています。


観光ガイドには、マリー・アントワネットがメイドの真似事をした場所が残っていると記されています。ということで、これは行って来るしかないだろう、ということになりました。


ヴェルサイユ宮殿

ヴェルサイユ宮殿はパリから鉄道で30分ぐらいの距離にあって、電車一本で行けます。ただ、あまり遅い時間帯に乗るにはちょっと危険そうな雰囲気な鉄道ではありました。


久我が行った頃はちょうど観光客が多いシーズンだったので、そこそこ安心していろいろな場所にいけました。人が多いのは、たまにはいいものだと思いました。


駅名は『ヴェルサイユ・リブ・ゴーシュ』。いちいち、フランスの駅名は長いです。




駅を降りてから目の前の緩やかな坂道を登り、左に曲がるともう正面に普通にあります。残念ながら宮殿正面が工事中で眺めそのものはあまりよくなかったのですが、噂に名高い宮殿を散策しました。



宮殿入り口では荷物チェックがあります。オルセー美術館ルーブル美術館でも同様に荷物検査がありましたが、中での撮影はいずれの場所でも自由、ということで、スイッチが壊れそうなぐらい、弾けました。


残念ながら、興奮しすぎて手ぶればかりでしたが。


壮麗さで言えば現役のバッキンガム宮殿に軍配が上がりますが、歴史の重み、部屋の数や見学できる場所、それに内部にある礼拝堂、吹き抜け、そして玉座や寝室などはまさしく圧巻です。





興味深いのが1階の長い部屋です。昔の建物は「廊下」が無かったと言いますが、部屋がひたすらまっすぐ続いています。何が興味深いかと言えば、部屋ごとの色彩です。


壁紙とカーテンの色調が、きちんと各部屋で揃っていますし、家具(ベッドやソファや椅子)も、なるべくその部屋の色彩と調和するようにデザインされていました。






これは玉座?



ふと、窓から外を見ると、すごい光景が広がっていました。




「あぁ、これが本物か」


驚くぐらい、何も無いです。まっすぐ、人間によって調えられた生垣が伸びていて、先が見えません。いったいどれぐらいの人手がメンテナンスにかかるのか、想像できません。


広すぎる庭園




空が広いです、本当に。


そして緑が美しいです。




で、目的地はこの先にあるのです。


デイリーメイドの部屋は遥か遠く

ヴェルサイユ宮殿から庭園に出て、ひたすらに歩いて、ようやく離れの大トリアノンにつきます。バスもあるようですが、歩きで行く方は覚悟が必要です。20〜30分ぐらい歩きます。


観光ガイドには書いてませんが、ここまで来ようと思う女性は、ハイヒールでは絶対行かない方がいいです。鉄道で簡単に来れますが、街ではなく、「野」なのです。見かけた日本人女性は、ハイヒール脱いで、素足で歩いていましたから……




この先にあるのが、まずは「大トリアノン」です。ヴェルサイユ宮殿ほど大きくありませんが、内部はしっかり宮殿でした。ただ午前中には見学できません。(久我は小トリアノンとマリー・アントワネットの離宮を見てから、ここに戻りました)




一階建てに見えながら、さすがに宮殿、中は広いですです。


さらにこの先に、「小トリアノン」があります。太陽王ルイ14世が愛人ポンパドゥール夫人と過ごした場所、というので、ここも小さいながら立派な屋敷です。





この「小トリアノン」の見学を終えてから、マリー・アントワネットが宮殿暮らしよりも好んだ、「王妃の村里」(ガイドブックの言葉)に入れます。


ここは庭園、というのでしょうか、平原が広がっていて、道もなかなかわかりにくくなっています。しばらく迷っているのか、正しいのかわからない道筋を進んでいくと、視界が広がります。





辿り着いたのが、これまでの宮殿からするとみすぼらしいぐらい地味な、農村の風景です。この簡素な建物で時間を過ごすことを、マリー・アントワネットは愛したと言うのです。


意外と言えば意外に感じますが、プライベートな時間を確保したかったのかなぁと、ちょっと王女を身近に感じたりするような(「愛の寝室」っぽい建物もあったり)建物がいろいろあるわけです。




そしてその中に、王女が楽しんだ「デイリーメイド」としての作業場もありました。自分が同人誌を書いた2004年当時、まさかあのエピソードの場所に行くとは想像もしていなかったでしょう。


デイリーメイドの職場


乳製品を扱うこともあって、気温が低かったり、作業する場所自体が熱を持たないように、机は大理石?製ですね。



床もきちんと石で舗装しており、水はけがいいように設計されています。残念ながら道具類を見ることは出来ませんでしたが、池のすぐ傍、という立地も気温を考慮してかと思います。正面(縦長の写真の奥の壁)には、ちゃんと水が出る噴水?のような仕掛けも用意されていますね。


ここでフランス王女がデイリーメイドと同じ仕事をしていたのかと思うと、感慨深いものがあります。


それにしても、牛はどこに放牧していたのか?


と言う感じで、今回の旅行記は終わります。中途半端な感じもしますし、他にもいろいろと書きたいことはありますが、同人活動のリハビリがてら、メイド繋がりということで長々しく書きました。


最後になりますが、「王女の里村」は「生半可な気持ちで行く場所ではない」ですし、「秋〜冬は相当寒いらしい(別の時期に行った友人談)ので注意が必要」です。乗り物がよいかと。




本当は宮殿入り口付近にある「大厩舎」「小厩舎」「馬車美術館」(上の写真)に行きたかったのですが、そんな元気が残らないぐらい、歩き疲れました……


最後にヴェルサイユ宮殿の広さが伝わるような写真を大きめのサイズでリンクしておきます。


あわせて読むならば

『シャーリー』フランス語版

イギリス旅行記


2007-09-01 『シャーリー』フランス語版

[][][]旅に出ていました

コミティアの翌日からフランスに出かけ、無事に帰国しました。


フランスはイギリスよりも開放的で、今回訪問したほぼすべての美術館・屋敷で室内撮影が許可されていました。なので、デジカメで1000枚以上、室内やら家具やら装飾やらを撮影してきました。イギリスの屋敷とフランスの屋敷は似ている部分と似ていない部分もありますが、革命が起きる国はすごい贅沢だなぁと、いう以前から抱いていた感想は、当たっていました。


という話はさておき、このブログをご覧の皆様へのお土産はと言えば。



ルーブル美術館の地下のショッピングモールで購入したフランス語版・『シャーリー』です。森薫先生の「あとがき」もばっちりフランス語です。




同ショップでは『エマ』が3巻まで販売されていたり、『週刊少年ジャンプ』作品が軒並み揃っていたり、アニメコーナーでは日本よりDVD-BOXが安かったり、日本製ゲームが多かったり、ネタに事欠きませんでした。


こちらは日本語版。

シャーリー (Beam comix)

シャーリー (Beam comix)



『シャーリー』を読んで、フランス語の勉強をしようかなぁと……


2006-04-14 ようやく最終回〜イギリス旅行記2005年

[][]その8:最終日

かなり間隔があきましたが、ラストです。


起床:06:00


最終日、前回の旅行ではヒースロー発11時の便で帰国しましたが、今回の全日空は19時発。十分に余裕があります。この日は、特に細かい予定は考えていませんでしたが、折りよく日曜日だったので、日曜にしか開いていない「Spencer House」訪問は確定でした。開場が10:30、微妙な時間なので他に立ち寄ることも出来ません。


他にどこか行きたい場所が無いかを真剣に考えましたが、「どうしても」という場所は思い浮かびませんでした。前回の旅行もそうでしたが、ある程度滞在していると、段々と疲れや倦怠が襲ってきて、観光に対して乗り気ではなくなってきました。いわゆる幸福感の飽和、ですね。


イギリスに行ければ幸せだったのに、段々と、そこに麻痺してくる、という感じでしょうか。本音を言えば、体が疲労していただけかもしれませんが。







予定1:Cromwell Roadを歩く

この日は最初にチェックアウトします。それから、何度かガイドブックを見て練習していた、「ホテルに荷物を預ける」お願いをしました。旅行前、いろいろなサイトをチェックしていましたが、ヨーロッパでは当たり前のサービスだそうで……


時間が有り余っているので、ひとまず、昨日とは違った経路でロンドンを歩こうと、Cromwell Roadを東に向かって進みました。もう、ロンドンを歩きまくりました、今回の旅行は。


自然史博物館

最初に通るのが自然史博物館、まだ開館していません。去年はここで友人と、おバカな写真を撮っていました。ところがおバカは世界共通らしく、外国の人も似たようなことを……その時は日曜日に訪問して、子供がものすごい数でいました。家族揃って、公共の博物館に来るんでしょうね。日本ですと、上野になるんでしょうか。


『名探偵ポワロ』でバーリントン・アーケードが舞台になった宝石泥棒の話で、この自然史博物館も舞台のひとつとして登場しています。


ヴィクトリア&アルバート博物館

何度もお世話になっている博物館ですが、ここもまだ開いていません。ふと顔を見上げてみると、上の階の外壁装飾に、彫像が幾つもありました。「もしかしたら」と思って探すと、案の定、ここでもミレイに出会えました。


ここまで来ると、久我の運がいいというより、ミレイがそれだけ有名なんでしょうね。


ハロッズ

開店しているじゃん、と最初に思いました。この時間帯は開店していませんが、年末に向けて、日曜日も営業とのこと。お土産を買いたい人、足を踏み入れたい人は事前チェックを。


今回の久我はウォーキング仕様だったので、結局、素通りでした。


予定2:HydePark


高級ホテル、マンダリン・オリエンタル、入り口には背が高くカッコいいドアマンがいます。いつか、泊まってみたいものです……



そのすぐ近く、連日通ったHydeParkの中は自転車レースの真っ最中でした。もう、なんとなく気だるかったので、ベンチに腰掛け、日に当たっていました。こういう時間も、いいのでしょう。




写真は馬の飲み水用の石桶です。ロットン・ロウがあるぐらいですから。




予定3:Greeen Park

それから、先日とは別の道を使って、GreenParkへ向かいました。日本大使館を眺めつつ、GreenParkの中を散歩して……



予定4:Spencer House

本当にあっているのかわからない



前日下見をしたものの、実はどこがSpencer Houseかの確証を得られませんでした。表に看板や目印が何もないのです。唯一、GreenPark側から見た屋敷の姿は写真が幾つもあるのですが、似ている建物があって、ちょっと判断に困りました。


が、目星をつけたところで待っていると、観光客っぽい人も姿を見せます。さらに、入り口の扉が開いて、中から出てきたお姉さんが小さな立て看板っぽいものを置きました。


ここが、Spencer Houseでした。


一流と思しきお姉さんたち

これが「英国クオリティです」と言わんばかりに、受付にいたお姉さん3名は背が高く、美しい人ばかりでした。屋敷で言えば金色の髪のパーラーメイド、ですね。S級です。ハウスキーパーっぽいおばさんもいましたが、その方も昔は美しかったのだろうなぁ、威厳あるなぁという感じで、ハウスキーパーっぽく、現場を仕切っていました。


中に入ると荷物を預けて、後はガイドの始まる10:30まで待ちます。Spencer Houseはバッキンガム宮殿のように時間での入場者数に制限があり、また屋敷の中の移動は自由ではなく、ガイドのコントロール下に完全に置かれます。


入場まで待機する部屋はMorningRoomで三方に肖像画が飾られています。部屋としてはちょっと狭いのですが、Spencer伯爵がビジネスの目的で使うとのことです。


多国籍

観光客は、多種多様でした。フランス、アメリカ、イギリス、そして日本。「本当に観光地で日本人に会わないなぁ……」と思いました。地下鉄のエスカレーターで日本人旅行者が近くにいた時、日本語に聞こえず、しばらく認識するのに時間がかかるぐらい、日本語を聞きませんでした。


それはさておき、ガイドは初老のおばあさんで、懇切丁寧に解説してくれます。英語能力が低い久我、本来ならば屋敷マニアの意地を見せたいところですが、SpencerHouseの歴史を何も知りません。なので、よくわからないまま、適当に聞き流していました。


アメリカから来た老夫婦のうち、奥さんの方がかなりマニアックなようで、ガイドの質問にも率先して答えていましたし、深い話題を突っ込んでいました。いるところにはいるものです。ダイアナ妃の勉強をしていれば、この屋敷のことも詳しくなれたかもしれません。


久我が気になっていたのは、ロングブーツに乗馬服っぽい格好をした、「この人、上流階級」という雰囲気を持つ女性でした。上流階級ならば平日に入れないのかなぁ、お供の人はいないけど、でも端然とした人だなぁと。


あんまり落ち着けない?

人が暮らしているところでもあるので、かなり制限があります。部屋に入っても踏み込める場所が限られ、またガイドの方のコントロールで動かなければならないので、今まで自由に、適当に観光していた久我には、若干、負担でした。


屋敷の内装そのものは色彩にメリハリが利いていて、「これぞ屋敷だ!」という豪華で立派な部屋も数多くありました。The Great Roomは本当にGreatで、久我の中のヴィクトリア朝イメージ、緋色を基調にした天井の高い大きな部屋で、きっと天井の複雑な紋様や空間の素晴らしさを、言語でも写真でも、伝えきれないでしょう。


そうかと思えば、薄い若草色の新古典様式的な部屋が幾つもあったり、ギリシア的な円柱があったり、ローマ的な石膏像があったり、個々の要素としては素晴らしいものの、なんというのか、四番バッターばかりのようで、その間を繋ぐ隙間、久我が大好きな廊下や窓、それに階段の下、という要素を、あまり感じられなかったのが、心に響かなかった理由かもしれません。


すごすぎて、麻痺してしまうのです。


本来ならば感覚を落ち着けるため、適当に休んだり、落ち着けそうなエリアでのんびり出来るのですが、時間制限・完全にガイドにコントロールされるので、そういう「間」がありませんでした。



窓から見下ろすGreenParkの光景はなかなかのもので、選ばれた階級の人々という気分を少しだけ味わえましたが、もう少し総合的に屋敷と言う空間を、感得できれば、或いは、もっとこの屋敷についての歴史を知っていれば、面白かったと思います。


尚、ここで結婚式も出来るそうです。他のイギリスのカントリーハウスでも結婚式はかなり受け付けているので、やってみるか、立ち会ってみたいなぁと思います。予定ないですが。


予定5:大英図書館

だいたいこれで正午ぐらいになりました。前回行きたくて行けなかった場所を巡ろうかと、一路、北を目指します。目的地は大英図書館です。かつては大英博物館の中にありましたが、蔵書の増加など様々な理由で切り離されて、今はEustonとSt.Pancraseの中間辺りの場所にあります。


St.Pancraseはものすごいですね。工事中でしたが。



大英図書館です。


特に本を読むつもりは無く、備え付けの書店を物色する程度でした。ここでは特に目新しい本を買うことはありませんでしたが、久我が好きな研究者の本が書棚に並んでいて、「大英図書館お墨付きだ!」と、感じ入った次第です。


大英図書館推薦のメイド本

Keeping Their Place

Keeping Their Place



久我が尊敬するダブルPamelaのうち、『ヴィクトリアン・サーヴァント』の著者Pamela Horn女史ではなく、マイナーな方のPamela Sambrook女史の最新刊なのです。発売と同時に買っていました。


本の内容は、今まで最も足りていなかった部分、「使用人だった人たちの生の声」です。様々な資料本を読んでいくと、いろいろな引用にぶつかります。そうなると、「どうせだったら、そうした引用に使われた本を読みたい」と思うようになります。


就職に際して、転職に際して、それに「紹介状」、主人と使用人の手紙のやり取りなど、手記や日記、手紙など現存する資料を惜しみなく紹介してくれているのが、同書です。


予定6:Foundling Hospital


去年の旅行で存在を知る

観光客にはほとんど知られることが無いマニアックな観光地です。ここの存在を知ったのはたまたまで、去年泊まったボニントンホテルにあったパンフレットです。




読んでみると、ホテルの近くにあった孤児院の紹介で、作曲家のヘンデルや画家のホガースなど、当時を代表する著名な芸術家が支援していたそうです。一度は訪問したいと思っていました。


大英図書館から南下し、しばらく細い道を歩いていくと、到着します。建物は小さく、学校のようでもあります。入り口で確か入場料を払って、中に入ります。ここの活動は現代も部分的に続いているようです。



創始者のトマス・コーラム。


1階はこの孤児院の歴史を紹介しています。創立以来、孤児院の記録が写真やテキスト、それに当時使っていた衣装などで紹介されています。建物の構造図などもありました。


2階は一転して、ささやかながらも美術館のように様々な絵画が飾られていました。キュレーター、というよりも現地のボランティアのおばあさんが、久我に話しかけてきて、部屋の中央にある洗面器のような、陶器の皿を紹介してくれました。


「ホガースが描いたものなんですよ」


画家として知られるホガース、その珍しい作品を、英語を聞き間違えていなかったら、見ることが出来たのです。他にも、テイト・ギャラリーで見たターナーや、英国を代表する画家たちの意外な作品が、ちらほらと見受けられました。


なんというのか、びっくりです。


3階でヘンデルの曲を聴く

3階で動ける場所は非常に少ないのですが、音楽室、というのか、小さな部屋があります。ここにはソファが並んでいますが、そのソファ、スピーカーつきで、ヘンデルの作曲した音楽を、自由に聞くことが出来るのです。


ソファに深々と腰掛けて、孤児院のためにその収益金の一部が寄付された『メサイヤ』を聞きながら、百年以上も前の時代に思いを馳せながら、静かに時間が過ぎていきました。


予定7:大英博物館


1回目に渡英した時のメイン観光地でした。あえてここに近いホテルを選ぶほどでした。

裏側から

今回は裏口から入り、エドワード七世に挨拶して、土産物を物色し、ロゼッタストーンと図書館を見て、通り抜けました。特別に見たいものが無かったので。


古本屋へ

その後は、博物館の目の前の通りにある古本屋に踏み入りました。昨年目をつけていたものの、友人の手前、入ることは出来ませんでした。去年は本を買いすぎて、荷物が異常に重くなったこともあって、今年はなるべく買わないように心掛けていました。とはいえ、眼鏡にかなうものは無く、無事に手ぶらで出ました。



去年泊まったボニントンホテル。


予定8:ホテル、そして空港へ



この時点ではまだ14〜15時ぐらいでチェックインには早かったですが、もうだいたいやりつくしたので、荷物を受け取り、空港へ向かいました。


全日空のカウンターは16時ぐらいには受付が始まっていたので、それからはしばらく、免税店で時間を潰し、後は飛行機の到着を待ちました。飛行機の搭乗ポートが決まるのは、かなり出発時間が迫ってからです。確か、テロ対策の意味があったかと思いますが、前回も、ぼけっとしていました。


それから、飛行機に乗り(満席)、あとはもうぐったりと寝込んで、日本に戻ってきました。日本に戻ってきたら、とても大変な事件が起こっていたのですが、こんな形で、二回目のイギリス旅行、初めての海外ひとり旅は終わりました。


本物のメイドさんには出会えませんでしたが、百年前のメイドさんたち、そして貴族や屋敷には、そこそこ近づけたのかなぁと思います。特に、今回は意地になってロンドンを歩きました。そういう目線、今後に活かせたらと思います。


長々とお付き合い、ありがとうございました。




2006-02-24 続き

[][]その8:4日目:後編:ロバート・アダムのカントリーハウスへ

予定6:大本命の屋敷・Osterley Parkへ

地下鉄で一本・意外と近い穴場のカントリーハウス

気になっていたカントリーハウスのひとつです。自分の中では、KenwoodHouseや、他のどの観光地よりも、今回の旅行のメインディッシュ、ここを味わいたいがために、旅程の最後に持ってきていました。


交通の便は非常によく、地下鉄一本で行けるカントリーハウスです。だいたい20分ぐらいで、到着します。この辺り、他のロンドン界隈の屋敷と違って、抜群の条件です。駅からも近いらしく、徒歩で行けます。という事前知識だけを頼りに、出かけました。


記憶を頼りに

駅はHeathlowの幾つか手前の駅、Osterleyです。駅の出口はひとつ、そこから出ると正面に非常に大きな車道があります。


過去に地図を印刷していたものの、この日、何を思ったのか、忘れていました。記憶によれば駅の北側にあるはずなので、ひとまずそこを目指しました。「とりあえず、左でいいか」と。


左にしばらく進むと、右に折れ曲がる道があります。その方向が北のはずなので、道なりに進んでいくと、どう見ても住宅街です。「間違えたかなぁ」と思いつつ、進んでいくと、T字路にぶつかります。駅の真北の方角、だったはずなので、ここで少し駅に近づく感じで東へ進むと、壁が見えました。


それは、非常に長く続く石壁で、向こう側に牧場らしき芝生が広がっていました。こここそが、カントリーハウス・OsterleyParkのエリアでした。


入り口から



それからしばらく壁際に歩いていくと、正面の門にたどり着きます。それはもうひたすら真っ直ぐな道で、屋敷が見えませんでした。




並木の道の両側は、先ほどの壁の向こう側の世界、芝生が広い範囲で広がって、住宅街から切り離されたカントリーハウスっぽい雰囲気(すごいところは山を越えるとか、ですが)を感じさせてくれます。KenwoodHouseと違って、中に入ってから迷う可能性は皆無でした。




左側の牧草地には、牛や馬が放牧されていました。




最高の眺め……ではなかったものの



十分ぐらい歩いていくと、ようやく舗装された道に辿り着きます。そこから道なりに歩いていくと、今度は正面左側に小さな池が広がっていて、そこからカントリーハウスの姿が見えました!




残念なことに、正面は修復中でした。




メインの建物は二箇所、本邸と、今は土産物屋や案内所、カフェの出来ている厩舎です。まず本邸に行きますが、正面玄関は工事中なので、入り口はその奥、側面からになります。なんだか使用人になった気分で入れて、最高でした。


入り口は地下

入り口はやや簡素なエリア、ここで荷物を預けて、中に入ります。地上にありますが、屋敷としては地下、になります。確か水色で、アダムっぽいです。


そこからGRAND STAIRCASEを上りますが、ここからもうアダムに包まれています。壁の色は柔らかい色彩、壁に据えられた紋様、そしてルーベンスの天井画。


Kenwood Houseよりも屋敷のすべてがロバート・アダムの個性で満たされています。階段の使い方、空間の見せ方が、非常に上手に思えました。屋敷のひとつひとつの壮麗さを物語るのではなく、屋敷という全体の雰囲気が圧倒的でした。




■PRINCIPAL FLOOR:1階

BREAKFAST ROOM

LIBRARY

TAPESTRY ROOM

EATING ROOM

CLOSET

GALLERY

ENTRANCE ROOM

DRAWING ROOM

STATE BED-CAHMBER

ETRUSCAN DRESSING ROOM

GARDEN ROOM


どこもかしこも印象に残りますが、玄関ホールが最も好きでした。高い天井、床に描かれたタイルの模様、天井や壁には白い石膏?で盛り上がった絵画や紋様が刻まれています。


OsterleyParkは正面がパルテノン神殿のようになっていて、円柱の合間を通り抜け、階段を上り、この正面玄関に辿り着く設計です。しかし、パンフレットによると、正面玄関であるこのホールは、必ずしも玄関として利用されなかったそうです。食事をする場所として、或いは、サロンとして絨毯を敷き、ソファや調度品を置いた写真が残っています。


では、そのとき、どこの入り口を使ったかといえば、今日、入ってきた入り口なのです。あそこは「使用人専用」ではなかったのです。Kenwood Houseもこんな感じの入り口でした。


■BEDROOM FLOOR:2階

YELLOW TAFFETA BED-CHAMBER

MR CHILD'S DRESSING ROOM

MR CHILD'S BEDROOM

MRS CHILD'S DRESSING ROOM


こちらの2階で見物できたのは、片側のウィングだけでした。ちょうど2階の窓から、工事・修復中の正面玄関の様子を見物できます。反対側にあるエリアには、ここからは行けませんでした。ドアが閉まっているのか、経路が無いのか、わかりません。


予定7:最高の地下・Osterley Park〜メイドさんの職場



そして、OsterleyParkは最大限、期待に応えてくれました。1階の奥の方、「主人たちが使わない」小さな階段を下りていくと、キッチン付近に出ます。

PASTRY ROOM

まず、出て左側に小さな部屋があります。窓際、明るい部屋で、大理石のような作業台がありました。久我の記憶では、こういう台は、「熱を逃がす」作業の為なので、PASTRY ROOMか、バターをこねるDAIRY ROOMだと思いましたが、PASTRYの方でした。


PASTRY ROOMというのは非常にマイナーな、カントリーハウスにあるか無いか、という部屋です。その名の通り、ペストリーをこねる・作る・焼く・保存するエリアです。PASTRY MAIDという職業もあったぐらいなのです。まさか、それほどレアな部屋があるとは思いもしませんでした。


KITCHEN

次に入るのはキッチンです。広いです。National Trustのお姉さんがいて、ちょっと解説をしてくれましたが、もう本当に最高の場所です。天井は高く明るく、銅の鍋は壁際の棚に並びます。壁際にはオーブンのほかに、パン焼き釜っぽい、PASTRY ROOMを置くだけのことはある、といった様子です。


この規模ならば、だいたいコック1、キッチンメイド3〜4人、ぐらいでしょうか? 広さと規模で言えば圧倒的にKenwood Houseの方が豪奢です。あそこは館より切り離されたエリアでしたので、そうしたスペースが確保できたのですが、ここは屋敷にくっついた場所なので、あの屋敷ほど広くは無いです。


ただ、機能別にエリアが分かれている、壁が青色、窓が大きく屋敷の外が見えるなど、開放感のある職場でした。


SCULLERY

キッチンに付属する場所として、先ほどのPASTRYと、もうひとつSCULLERYがありました。流し場で、キッチンで使った道具類を洗ったり、粗い仕事(皮むき、猟鳥や猟獣、いわゆる「Game」の皮はぎ・解体)をした場所です。


Osterly Parkは使用人にとって若干優しい設計をしているようで、この窓から屋敷の外、広がる世界を十分に眺めることは出来ました。


廊下を歩く

廊下は狭くなっていて、ちょっと通りにくいかもしれません。両側には、いろいろな部屋があります。残念ながら使途不明、入れない部屋も多くありましたが、STEWARD'S ROOM-ESTATE OFFICEと、当時のStewardの夫人の部屋(Housekeeper's Roomっぽい)にも入れました。


STEWARD'S ROOM-ESTATE OFFICE

領地管理人、といえるスチュワードのオフィスは、非常に立派な部屋で、とても使用人の範疇に納まるものではありませんでした。領地から上がる収益、農場の利益や小作料、地代など、屋敷の周縁に関する金銭の動きを管理していたのは、彼らです。その扱いは、紳士に似ている、と言えるかもしれません。


少なくとも、本日訪問したカーライルの部屋よりも、数倍、立派な内装をしていました。カントリーハウスの使用人は中流階級の家庭よりもいい食事にありつける可能性も高いですし、自分の家でないことを差し引けば、いい部屋を与えられていました。


ここにいたスチュワードは、隣に妻を住まわせていたそうで、その部屋も開放されています。


CELLAR

その名の通り、蔵です。ワイン専門と思いきや、巨大な樽を置いていたと思える設計でしたが、石炭も置いていたと記されています。いったい屋敷に何人の使用人がいて、ゲストがいたのか、と思えるほどに、本当に巨大な樽でした……


STRONG ROOM

強い部屋ってなんだろう、と思いましたが、金庫です。この中に屋敷の主人たちの貴重なコレクションが保管され、現在はその展示品を鑑賞できます。


映画『ゴスフォード・パーク』では、屋敷に入ったメイドがこの部屋に伯爵夫人の宝石類を預けていました。屋敷のガイドブックの地図によれば、この部屋の近くに幾つか部屋があるので、この周辺は多分、執事やフットマンのエリアになるでしょう。


SERVANT'S HALL〜使用人ホール

階段の下エリアで最も広い場所、使用人たちが食事をしたり、時にはダンスをしたりする舞台、になるこの部屋は、残念ながら往時の面影は一切無く、家具類がすべて取り払われて、ただの広い部屋になっていました。


それでも、小さな学校の教室ぐらいの広さがありました。


ジャージー家記念館〜昔は何に使っていたのか?

ここから幾つかが続き部屋になっていますが、この先は領有するジャージー家の記念館、この時期は第二次大戦中のユダヤ人避難の歴史を物語るような展示が開催されていました。全部で五部屋ぐらい、Stillroomっぽい部屋もありましたが、実際は何に使われていたのか、不明です。


屋敷の構図的に、足りない部屋として考えられるのは、「執事のPantry」、「Housekeeper's Room」(どちらかというとOfficeではなく、陶器類を保管する場所)、それに「StillRoom」でしょうか? PASTRY ROOMがあるので、StillRoomは不要かもしれませんが、想像力をかきたてられました。


執事関連の部屋は、屋敷の構造上、金庫やCELLARに近い場所だと思えるので、その付近の閉じている部屋がそうなのだろうと、だいたいわかりましたが、だとすると記念館の方は、女性使用人のエリアなのではないでしょうか?


このエリアに下りてくるには、Kitchen前に出る階段と、もうひとつ、SERVANT'S HALLからGRAND STAIRCASEに通じるドアしかありません。だとすると、どちらにせよ使用人は主人たちと接する可能性がある道を通って、自分たちの寝室に行くことになります。それは、あまり考えられません。


仮説として幾つか考えられるもの


1:記念館は元々使用人の寝室だった

2:記念館の奥に使用人用の裏階段がある

3:屋敷の2階、主人たちの寝室エリアの反対側には使用人寮があるのではないか


とまぁ、勝手な想像をしていました。


■GROUND FLOOR

PASTRY ROOM

SCULLERY

KITCHEN

MRS BUNCE'S ROOM

STEWARD'S ROOM-ESTATE OFFICE

CELLAR

STRONG ROOM

SERVANT'S HALL

JERSEY GALLERY(5部屋)


眺める

表に出て、屋敷の裏手、ちょうどギャラリーに通じる外側のテラスに立ちました。ここから眺める景色は、芝生ばかりでやや平坦ではありましたが、見晴らしがよく、気持ちよかったです。


カフェで紅茶を



厩舎は改修され、カフェになっていました。ここで紅茶と、ケーキを頼んで、ちょっと休憩しました。値段は非常に良心的です。






この後、土産物を買い、帰りました。他にも屋敷の奥、庭園や施設を見ることは出来ましたが、時間や疲労を考慮して断念しました。生半可な覚悟で進むには、ちょっと広すぎたのです。


帰路につく



帰り道は、本来、駅からの近道だった道を通りました。正面からまっすぐ進むと、駅から出た時に正面にあった太い車道にぶつかります……つまり、駅を出て左に曲がれば、一回角を曲がるだけで、Parkに辿り着けたんですね。


これで、ロンドンでの旅の90%は終わりました。さすがに、これだけみっちりと出歩くと、疲れてきます。そして眠ります……


2006-02-19 イギリス旅行記・長いので前後編で

[][]その7:4日目:前編:ロンドン横断

起床:02:00、06:00

再び、目が覚めたのは午前2時。という暮らしが続きました。これは時差ボケなのでしょうか?


予定1:Eaton Place

ドラマ『Upstairs Downstairs』の舞台



イギリス・1970年代に放送され、第五シリーズ全68話まで続いたドラマ『Upstairs Downstairs』。日露戦争の1904年から始まり、使用人が主人公であるこのドラマの舞台を訪問したいと、2004年に渡英した頃より、考えていました。初めてのイギリス旅行は友人ふたりと一緒だったので、観光地とも呼べないこの場所に連れて行っては迷惑なので諦めましたが、今回は一人旅。


ドラマの公式ホームページを見ると、今も人が住んでいるものの、建物は残っているとのこと。それが、Eaton Place 65です。ということで、またしても観光地ではないですが、二日続けての舞台探訪を行いました。


『THE 1900 HOUSE』の舞台を訪問したように、今回のEaton Place訪問も目的があります。ロンドンの高級住宅街の面影を見ておきたい、歩いて肌で感じたい、との思いが強くあったからです。小説を書く上で、また同人誌の資料から知識以上の空気感を得る上で、実際に歩いて、歩いた人の視点でロンドンの街並みを描ければ、という部分もあったので、取材とも言えますね。とはいえ、再現するだけでは意味がありませんが。


Groucester Road To Sloane Square

だいぶこのエリアを拠点にしての観光にも慣れてきました。駅までの短い距離、信号の渡り方の感覚も取り戻し、地下鉄に乗ります。この日はCircle線に乗り、二つ先のSloane Squareまで出かけます。そこが、歩いて「Eaton Place」に行くには、最も適した場所だったからです。


今回の旅は、前にも書きましたが、「時間を無駄にしないために」行動時間を早めています。入場時間の早い観光地、無駄の無い移動、こういう舞台訪問は早い時間に。この日も出発はだいたい08:30ぐらいだったでしょうか? たった2駅しかないので、あっという間に到着です。


高級住宅街を歩く〜Mewsと

駅を降りると、Sloane Squareの名のとおり、「四角い」広場が駅前にあります。そこを手元の地図と見比べながら、一路、Eaton Placeを目指します。ヴィクトリア朝期ならば霧が出ていたり、家庭内の暖炉から煙が出ていた、或いは足元にきっと馬糞なんかがあったのでしょうが、現代ではそういうことも無く、新聞配達の人や、ごみ回収の人が普通に仕事をしていたような気がします。


スクエアの右上角に、北東へ伸びる道があります。多分、KING'S ROADの続き、ですかね。そこからCliveden Place、Eaton Gateを通過して、Eaton Squareにぶつかります。ここで左に曲がり、Chesham Stを通ってしばらくすると、Eaton Placeに辿り着きます。そう、あのドラマで見た舞台に、ようやく辿り着いたのです!


思い込み〜Eaton Place 65





高級住宅街っぽい雰囲気、玄関の真上には「テラス」、或いは「車寄せ」があり、「きっとお金持ちが住んでいるんだろうなぁ」という印象を受けました。同じロンドンの街並みでも、エリアによって、建物の玄関も違うんですね。




そして、ようやく見つけた撮影現場、遥々日本から来ました。「Eaton Place 69」を記念に撮影したものの、「確か、端の家だったよなぁ」と、場所が曖昧なまま、その場を去りました。住宅街と言う雰囲気に、気おされていたのでしょう。帰国して確認したら、「65」でした。


がっくりです。


『Upstairs Donwstairs』公式サイトでの撮影地レポート






BELGRAVE SQUAREへ



高級住宅街としてヴィクトリア朝でも知られる「BELGRAVE SQUARE」。数日前に見たオスカー・ワイルド原作『THE IMPORTANCE OF BEING ERNEST』の映画では、カントリーハウスから出てきたジャックが所有する、ロンドンのタウンハウスがありました。(ジャックが娘の結婚相手としてふさわしいか審査するブラックネル卿夫人の目からすると、このエリアは『よろしくない』との評価でしたが)


ここを歩いてみたかったです。Eaton Placeからも近い場所で、ウェリントン公爵記念碑のあるHydeParkCorner目指して歩き続けれ、通れる場所でした。


この界隈は大使館があちこちに居を構えていて、国旗がかなりの数、翻っています。高級住宅地の建物には幾つか特徴があります。ひとつはEaton Placeで紹介したような「玄関の真上のテラス」、もうひとつは建物の大きさ・高さです。


『Upstairs Downstairs』や、ロンドンで泊まっていたホテルも、よく考えれば、「高い階層」まであるんですね。地下1階に地上は屋根裏部屋を含めば、4〜5階建て。現代のマンションとさして変わりません。また、大きな建物も二種類あり、入り口の数が違っています。入り口が多ければそれだけ中が仕切られている、一軒家が幾つも連なっているイメージです。もうひとつは入り口が1つ〜2つ、これはきっと貴族のタウンハウスや、ホテルに近いものなのかと思います。


ということを考えつつ、歩いていくと、今度はバースで見た「クレッセント」(三ヶ月)の建物がありました。Wilton Crescentと名づけられたその場所は、ちょっと小さいですが、優雅な形をしていました。






順調に?進んでいたのですが、そのまま北上してHyde Park Cornerに出ようと思っていたところ、どこかで道を間違えてしまい、いつのまにか南下して、Victoria駅に向かっていました。辿り着いたのは、聖ピーター教会です。


St. Peter's




この後、GROSVENOR PLACEを歩いて、ようやく中間地点に着きました。


予定2:ロンドン散策

ウェリントン公爵記念碑

今回のロンドンで二度目になる、ウェリントン公爵記念碑の前に来ました。ちょうど朝日が昇り始めて、いい眺めでした。


Constitution Hill



それから思いつきで、『THE GREEN PARK』の南、Constitution Hillを歩きました。乗馬道があり、涼しげな朝の空気の中、森を通り抜けていくと、その先にはバッキンガム宮殿がありました。ハイドパークの「ロットン・ロウ」に通じる道、つまりこの先に宮殿があって、王族がここを通った道なのでしょうね。一年ぶりですが、なんとなくでたどり着きました。


バッキンガム宮殿

朝なのですが、少しだけ観光客がいました。太陽の光がとても強く、輝いていました。前回来た時は写真を撮るのに苦労しましたが、今回は自由な場所から、宮殿を眺めました。






Spencer Houseの下見

宮殿前の最も大きな通り、THE MALLを進みます。何か王室関連のイベントがあると、この通りが人々で埋まります。そこから、明日の最終日にどうしても訪問したかったSpencer Houseの下見をするため、MARLBOROUGH ROADを北上して、地下鉄Green Parkの方へ。






この辺りは、Lancaster House、Clarence Houseがあるそうです。セント・ジェームズ宮殿の横を通り、Spencer Houseを探しましたが、よくわかりません。それっぽい建物が二箇所あったのです。






Green Park側から見た建物の写真はあったものの、入り口の側には何も目印も表札も出ていません。多分ここだろうと目星をつけて、北に向かって歩きます。もう、歩いてばかりです。


予定3:PICCADILLY



最高級ホテル・リッツのあるPICCADILLY。フォートナム&メイスンもあります。ロンドンのメインストリートのひとつです。今度は東へ向かいます。がが、時間帯が早く、十時前なのでお店はほとんど開いていません。






途中、去年も通り抜けた「バーリントン・アーケード」の写真を撮影しました。『アガサ・クリスティの食卓』によると、この場所は、『名探偵ポワロ』の『ベールをかけた女』の舞台になったとのこと。記憶が正しければ、確かに、宝石店に押し入った男は、アーケードを駆け抜けています、ということで1枚。


リージェント・ストリート



しばらく進むと、交差点、PICCADILLY CIRCUSにぶつかります。この場所はREGENT STREETとPICCADILLYの交差路です。アニメの方の『エマ』の中でも、かなり重要な場所として登場してきています。




ということで、この辺りでだいたい10時ぐらいになります。土産物をデパートで買おうかと思いましたが、観光とショッピングが気持ち的に一致せず、面倒なので、そのままストリートを北上しました。


OXFORD STREETに出て、そこから西へ向かって歩き、Marble Archへと到達。というふうに、朝に出発して、ぐるりとロンドンを歩き回って、だいたい二時間近くが経過しました。


この次の予定地は、ケンジントン宮殿です。


予定4:ケンジントン宮殿への長い道程

Marble Arch



長谷川如是閑が書いていた「Marble Arch」、酷評されていました。バッキンガム宮殿さえも長谷川如是閑は酷評していましたので、話半分にせよ、あまり記憶に残らなかったのも確かです。


地下鉄Center線を乗り継いで、「Lancaster Gate」ケンジントン宮殿のある辺りまで移動しようと思っていたのですが、実はこの日、地下鉄はMarble Archより西へ行かないことになっていたのです。


戸惑った観光客?で駅は大混雑し、もうどうにも面倒くさくなって、「HydePark縦断の旅」再びです。友人が一緒にいればきっと、バスやタクシーを利用しましたが、運動を兼ねて、Hyde Park北東の端から、西のケンジントン宮殿まで、歩きました。


ラウンド池

いろいろとあって、なんとかケンジントン宮殿前のラウンド池に辿り着きます。サーペンタイン池ほど大きくは無いのですが、鳥の数が非常に多いです。


池の向こう側にはケンジントン宮殿が見えます。


ケンジントン宮殿

ケンジントン宮殿は前回行けなかった観光地です、というよりも頭の中に入っていませんでした。特に強く行きたい、とは思っていませんでしたが、宮殿なのだから、バッキンガムぐらいすごいのだろうと、期待していました。




右手にオランジェリー(温室)を改装したカフェ、左手には庭園があります。庭園といっても長方形の四方を生垣に囲まれ、観光客は窓のように空いた生垣の隙間から、中を見るだけです。ここにはリスが生息していて、ベンチの上やその辺りを普通に歩いていました。






宮殿の入り口では簡単な荷物検査をされます。しかし、バッキンガム宮殿のものものしい警備とは対照的で、もはやこの宮殿が「生きていない」ことを物語っているようです。入場料は一緒ぐらいなのですが……


博物館?



ケンジントン宮殿は、個人的には満足できませんでした。宮殿の中が暗すぎ、地味すぎ、また宮殿保護の為かイミテーション的なものが目立ち、壮麗な雰囲気も厳かな雰囲気も感じられませんでした。


衣装や、いろいろな備品類が陳列されているので、博物館としてのイメージですね。バッキンガム宮殿は「宮殿に迷い込んで、圧倒され、ただ感嘆するのみ」でしたが、古色蒼然、「歴史」の過ぎ去った時間を体感する、その差なのかもしれません。


本によると、17世紀・ウィリアム三世とマリー女王がロンドンで彼らに適した住まいを探していて、見つけたのがこの宮殿(Nottingham House)でした。というふうに、初期から宮殿として建てられたわけではないようです。


19世紀のヴィクトリア女王の時代にはほとんど無視され、「他の宮殿の家具や絵画の倉庫」扱いされ、朽ちかける、とは言いすぎですが、それに近い状態になっていました。しかし、この宮殿でヴィクトリア女王は、女王になる以前、母と共にここに暮らしていたので、19世紀末に議会はリストアする資金を出し、1898年にリストアされたそうです。


その後、一時期は博物館として一般公開されたものの、第一次大戦中には慈善団体の事務所になったり、第二次大戦では爆弾の被害を受けたりと、様々な意味で「王族が暮らす宮殿」ではなくなり、「宮殿だった屋敷」という位置づけになっていました。そういう経緯を踏まえると、なんとなく宮殿についての感想として述べたものが、納得できます。


雑談:フットマン

唯一、道案内で立っていたフットマンっぽい格好をした人を見たとき、「あぁ」と思いました。背が高く、立派な人でした。


関係ないですが、従僕・フットマンの採用基準は身長、ところがこれは今もイギリスのホテルで当てはまると思うのです。街を歩いていると、多くの高級ホテルの前を通りますが、ホテルの前にはホテルを代表するかのように、ドアマン(という方が正しいでしょうね)が立っています。彼らは19世紀を想起させる制服に身を包み、ゲストの為に控えています。


ホテルに戻る

ケンジントン宮殿からホテルまでは近かったので、一旦、戻ることにしました。この後、南側のチェルシーにあるカーライルの家に行く予定なので、通り道です。


明瞭に場所は覚えていないのですが、多分、ケンジントン宮殿前の太い通り、「The Broad Walk」を南に進み、その端にあるPalace Gateから出て、ストラスモアホテルのあるCromwell Roadを目指して、まっすぐ南下していたときのことです。


ザンビア大使館でしょうか、なんとなく顔を上げて左側にあった建物を見ると、例の青い丸の標識が打ち付けられているのです。よくよく見ると、そこには彼の名前がありました。


偶然の出会い再び〜ジョン・エヴァレット・ミレイ

そこは、ミレイが生前過ごした家だったのです!






ミレイの絵を見に行ってたまたま銅像を見つけ、聖ポール大聖堂でも墓を探し当て、そして今日、偶然選んだ帰り道、見過ごしても不思議は無いのに、ミレイが生前住んでいた家の前を通ったのです。


まさに、ミレイに出会う旅でした。




予定5:チェルシー・カーライルの家

森薫先生も訪問

森薫先生が初めてロンドンを訪問した2004年。その時の旅行記で出ていて、一度は行ってみたかったのは、このカーライルの家です。


カーライルの家の外観のイラストは、以前に誤って二冊買ってしまった『Victorian Home』の中に掲載されており、そのイラストのコメントには、「カーライル家のメイドは地下で寝ていたが、彼女の為に屋根裏部屋を作った」というようなものがありました。


また、カーライル家はその一方で、メイドにはなかなか恵まれず、何度も入れ替わっている、悪戦苦闘している様子も資料として残されています。


その様子を見たかったのです。


再び住宅街

バスで行けばいいものを、と旅行記を見ている方は思うかもしれませんが、もう意地です。絶対に歩きます、という覚悟で、ホテルを出てから一路、南のチェルシーを目指します。チェルシーの辺りは地下鉄が無く、ちょっとロンドン中心地から外れた場所です。


ロンドンに到着した日に迷いかけた道を歩き、地図を頼りに二十分ぐらい進んでいくと、National Trustの看板を見つけます。その道を右に曲がると、本当に、普通の住宅街へ入り込んでいきます。


道を真っ直ぐ進み、T字路で左に曲がってしばらく行くと、それとわからないような、街並みに馴染んだ様子で、チェルシーの哲人、カーライルの家がありました。


普通っぽい、むしろ地味な家

あまりにも普通すぎ、興味の無い人にはそこが観光地だとはわからないでしょう。久我も最初、小首をかしげながら、ドアの前に立ち、ベルを鳴らしました。すると、中からNationalTrustの職員の人が顔を出し、中へ導いてくれました。


当時の一般的な中流階級の家庭?

ということで、カーライルの家に入りましたが、かなり狭かったです。とはいえ、予感はありました。建物に入る前に、例の如く「階段の下」の様子を気にしたのですが、そこが今までと違って地下の溝が、「きちんとした階段」ではなく鉄のはしご、人がひとり通れるぐらいの幅しかないのです。


特に地図はありませんが、だいたいひとつの階に2〜3部屋ぐらい、1部屋が6〜8畳ぐらいでしょうか、ちょっと日本のマンション的な広さです。それが、四階ぐらいまであります。


メイドの為に設けたという屋根裏部屋には残念ながら入れませんでしたが、最上階は書斎になっています。この部屋は、街の騒音から逃れる為、カーライルが仕事部屋にした、という解説を読んだ気がします。


狭さ=メイドもそんなに必要ない

天井もそれほど高くは無く、やや手狭な感じでした。これまでカントリーハウス、広い屋敷ばかりを見てきた久我にとっては、初めてとなる感覚です。


ここで人が暮らしているとなると、確かに大勢のメイドは雇えないでしょうし、必要ないんですね。メイドの雇用人数指針として『ミセス・ビートンの家政読本』が有名ですが、『COUNTRY HOUSE LIFE』の筆者は、この本を鵜呑みにする必要は無い、と解説しました。


収入ではなく、生活スタイルで使用人の数は決まると。


その言葉はカントリーハウスだけだと思っていましたが、実際は中流階級の家庭でも当てはまりました。「家の広さ」が、この境界線になりそうです。必要性があっても、家に収容しきれないのではないか、と。


メイドを寝かせる場所が無い家、キッチンでメイドを寝かせた家もあると聞いていましたが、実際にカーライルの家に来ると、当時そうせざるを得なかった家々の事情が、明白になります。


こう考えると、アニメ版『エマ』の最初の雇い主・元ガヴァネスであるケリーの家は、メイド一人、或いは経済力の面でも広すぎる、のかもしれません。とはいえ、現代人が親の遺産で「自分の経済力では買えない家に住む」ように、当時も同じことがあったのでしょう。


メインディッシュは最後に〜『階段の下』

久我はおいしいものは最後に取っておく方なので、この後、いよいよ地下にもぐり、キッチンへと向かいました。ここも当然のように手狭なのですが、いざキッチンに入ると、衝撃を受けました。


いきなり、部屋に入って左側にベッドがあるのです。ここは蒸気が篭るキッチンでは……広いことは広いですが、中央にテーブルがあって、壁にはオーブンやいろいろと食器棚もありますが……ここで働くメイドは、かなり気分が滅入るでしょう。


KenwoodHouseで見たキッチンは広すぎましたが、ここは本当に狭かったです。外を見る窓は大きめではありますが、格子がはまっています。地下なので、見上げる地上はほんのわずか。精神的に、やられそうな雰囲気です。カーライルの家のメイドが、次から次へと転職していった背景には、この職場環境の悪さもあるのではないでしょうか?


これでもきっと、ましな部類なのでしょうが。


午後は遠征

これで、午前中のミッションは終了です。なぜここまでロンドン観光に時間を費やし、あえて最初に次の目的地、カントリーハウス『Osterley Park』へ朝から行かなかったかといえば、単純に開館時間が13時だから、です。


長いので、いったん、切ります。