ヴィクトリア朝と屋敷とメイドさん このページをアンテナに追加 RSSフィード


AMAZON『英国メイドの世界』へ  ■講談社より刊行しました! 屋敷の暮らしと使用人の仕事が分かる『英国メイドの世界』
 -屋敷で働くメイド・執事の仕事が分かる資料本『英国メイドの世界』:第一章の試し読み開始
 -出版化時にこだわった「読みやすさ」と「分かりやすさ」

 ■英国ヴィクトリア朝・屋敷や貴族関連の資料/映像をお探しの方にオススメ
 『ダウントン・アビー』を見る前に読んでおきたいカントリーハウスと職場の解説

 -SPQR[英国メイドとヴィクトリア朝研究]更新中




2006-04-14 ようやく最終回〜イギリス旅行記2005年

[][]その8:最終日

かなり間隔があきましたが、ラストです。


起床:06:00


最終日、前回の旅行ではヒースロー発11時の便で帰国しましたが、今回の全日空は19時発。十分に余裕があります。この日は、特に細かい予定は考えていませんでしたが、折りよく日曜日だったので、日曜にしか開いていない「Spencer House」訪問は確定でした。開場が10:30、微妙な時間なので他に立ち寄ることも出来ません。


他にどこか行きたい場所が無いかを真剣に考えましたが、「どうしても」という場所は思い浮かびませんでした。前回の旅行もそうでしたが、ある程度滞在していると、段々と疲れや倦怠が襲ってきて、観光に対して乗り気ではなくなってきました。いわゆる幸福感の飽和、ですね。


イギリスに行ければ幸せだったのに、段々と、そこに麻痺してくる、という感じでしょうか。本音を言えば、体が疲労していただけかもしれませんが。







予定1:Cromwell Roadを歩く

この日は最初にチェックアウトします。それから、何度かガイドブックを見て練習していた、「ホテルに荷物を預ける」お願いをしました。旅行前、いろいろなサイトをチェックしていましたが、ヨーロッパでは当たり前のサービスだそうで……


時間が有り余っているので、ひとまず、昨日とは違った経路でロンドンを歩こうと、Cromwell Roadを東に向かって進みました。もう、ロンドンを歩きまくりました、今回の旅行は。


自然史博物館

最初に通るのが自然史博物館、まだ開館していません。去年はここで友人と、おバカな写真を撮っていました。ところがおバカは世界共通らしく、外国の人も似たようなことを……その時は日曜日に訪問して、子供がものすごい数でいました。家族揃って、公共の博物館に来るんでしょうね。日本ですと、上野になるんでしょうか。


『名探偵ポワロ』でバーリントン・アーケードが舞台になった宝石泥棒の話で、この自然史博物館も舞台のひとつとして登場しています。


ヴィクトリア&アルバート博物館

何度もお世話になっている博物館ですが、ここもまだ開いていません。ふと顔を見上げてみると、上の階の外壁装飾に、彫像が幾つもありました。「もしかしたら」と思って探すと、案の定、ここでもミレイに出会えました。


ここまで来ると、久我の運がいいというより、ミレイがそれだけ有名なんでしょうね。


ハロッズ

開店しているじゃん、と最初に思いました。この時間帯は開店していませんが、年末に向けて、日曜日も営業とのこと。お土産を買いたい人、足を踏み入れたい人は事前チェックを。


今回の久我はウォーキング仕様だったので、結局、素通りでした。


予定2:HydePark


高級ホテル、マンダリン・オリエンタル、入り口には背が高くカッコいいドアマンがいます。いつか、泊まってみたいものです……



そのすぐ近く、連日通ったHydeParkの中は自転車レースの真っ最中でした。もう、なんとなく気だるかったので、ベンチに腰掛け、日に当たっていました。こういう時間も、いいのでしょう。




写真は馬の飲み水用の石桶です。ロットン・ロウがあるぐらいですから。




予定3:Greeen Park

それから、先日とは別の道を使って、GreenParkへ向かいました。日本大使館を眺めつつ、GreenParkの中を散歩して……



予定4:Spencer House

本当にあっているのかわからない



前日下見をしたものの、実はどこがSpencer Houseかの確証を得られませんでした。表に看板や目印が何もないのです。唯一、GreenPark側から見た屋敷の姿は写真が幾つもあるのですが、似ている建物があって、ちょっと判断に困りました。


が、目星をつけたところで待っていると、観光客っぽい人も姿を見せます。さらに、入り口の扉が開いて、中から出てきたお姉さんが小さな立て看板っぽいものを置きました。


ここが、Spencer Houseでした。


一流と思しきお姉さんたち

これが「英国クオリティです」と言わんばかりに、受付にいたお姉さん3名は背が高く、美しい人ばかりでした。屋敷で言えば金色の髪のパーラーメイド、ですね。S級です。ハウスキーパーっぽいおばさんもいましたが、その方も昔は美しかったのだろうなぁ、威厳あるなぁという感じで、ハウスキーパーっぽく、現場を仕切っていました。


中に入ると荷物を預けて、後はガイドの始まる10:30まで待ちます。Spencer Houseはバッキンガム宮殿のように時間での入場者数に制限があり、また屋敷の中の移動は自由ではなく、ガイドのコントロール下に完全に置かれます。


入場まで待機する部屋はMorningRoomで三方に肖像画が飾られています。部屋としてはちょっと狭いのですが、Spencer伯爵がビジネスの目的で使うとのことです。


多国籍

観光客は、多種多様でした。フランス、アメリカ、イギリス、そして日本。「本当に観光地で日本人に会わないなぁ……」と思いました。地下鉄のエスカレーターで日本人旅行者が近くにいた時、日本語に聞こえず、しばらく認識するのに時間がかかるぐらい、日本語を聞きませんでした。


それはさておき、ガイドは初老のおばあさんで、懇切丁寧に解説してくれます。英語能力が低い久我、本来ならば屋敷マニアの意地を見せたいところですが、SpencerHouseの歴史を何も知りません。なので、よくわからないまま、適当に聞き流していました。


アメリカから来た老夫婦のうち、奥さんの方がかなりマニアックなようで、ガイドの質問にも率先して答えていましたし、深い話題を突っ込んでいました。いるところにはいるものです。ダイアナ妃の勉強をしていれば、この屋敷のことも詳しくなれたかもしれません。


久我が気になっていたのは、ロングブーツに乗馬服っぽい格好をした、「この人、上流階級」という雰囲気を持つ女性でした。上流階級ならば平日に入れないのかなぁ、お供の人はいないけど、でも端然とした人だなぁと。


あんまり落ち着けない?

人が暮らしているところでもあるので、かなり制限があります。部屋に入っても踏み込める場所が限られ、またガイドの方のコントロールで動かなければならないので、今まで自由に、適当に観光していた久我には、若干、負担でした。


屋敷の内装そのものは色彩にメリハリが利いていて、「これぞ屋敷だ!」という豪華で立派な部屋も数多くありました。The Great Roomは本当にGreatで、久我の中のヴィクトリア朝イメージ、緋色を基調にした天井の高い大きな部屋で、きっと天井の複雑な紋様や空間の素晴らしさを、言語でも写真でも、伝えきれないでしょう。


そうかと思えば、薄い若草色の新古典様式的な部屋が幾つもあったり、ギリシア的な円柱があったり、ローマ的な石膏像があったり、個々の要素としては素晴らしいものの、なんというのか、四番バッターばかりのようで、その間を繋ぐ隙間、久我が大好きな廊下や窓、それに階段の下、という要素を、あまり感じられなかったのが、心に響かなかった理由かもしれません。


すごすぎて、麻痺してしまうのです。


本来ならば感覚を落ち着けるため、適当に休んだり、落ち着けそうなエリアでのんびり出来るのですが、時間制限・完全にガイドにコントロールされるので、そういう「間」がありませんでした。



窓から見下ろすGreenParkの光景はなかなかのもので、選ばれた階級の人々という気分を少しだけ味わえましたが、もう少し総合的に屋敷と言う空間を、感得できれば、或いは、もっとこの屋敷についての歴史を知っていれば、面白かったと思います。


尚、ここで結婚式も出来るそうです。他のイギリスのカントリーハウスでも結婚式はかなり受け付けているので、やってみるか、立ち会ってみたいなぁと思います。予定ないですが。


予定5:大英図書館

だいたいこれで正午ぐらいになりました。前回行きたくて行けなかった場所を巡ろうかと、一路、北を目指します。目的地は大英図書館です。かつては大英博物館の中にありましたが、蔵書の増加など様々な理由で切り離されて、今はEustonとSt.Pancraseの中間辺りの場所にあります。


St.Pancraseはものすごいですね。工事中でしたが。



大英図書館です。


特に本を読むつもりは無く、備え付けの書店を物色する程度でした。ここでは特に目新しい本を買うことはありませんでしたが、久我が好きな研究者の本が書棚に並んでいて、「大英図書館お墨付きだ!」と、感じ入った次第です。


大英図書館推薦のメイド本

Keeping Their Place

Keeping Their Place



久我が尊敬するダブルPamelaのうち、『ヴィクトリアン・サーヴァント』の著者Pamela Horn女史ではなく、マイナーな方のPamela Sambrook女史の最新刊なのです。発売と同時に買っていました。


本の内容は、今まで最も足りていなかった部分、「使用人だった人たちの生の声」です。様々な資料本を読んでいくと、いろいろな引用にぶつかります。そうなると、「どうせだったら、そうした引用に使われた本を読みたい」と思うようになります。


就職に際して、転職に際して、それに「紹介状」、主人と使用人の手紙のやり取りなど、手記や日記、手紙など現存する資料を惜しみなく紹介してくれているのが、同書です。


予定6:Foundling Hospital


去年の旅行で存在を知る

観光客にはほとんど知られることが無いマニアックな観光地です。ここの存在を知ったのはたまたまで、去年泊まったボニントンホテルにあったパンフレットです。




読んでみると、ホテルの近くにあった孤児院の紹介で、作曲家のヘンデルや画家のホガースなど、当時を代表する著名な芸術家が支援していたそうです。一度は訪問したいと思っていました。


大英図書館から南下し、しばらく細い道を歩いていくと、到着します。建物は小さく、学校のようでもあります。入り口で確か入場料を払って、中に入ります。ここの活動は現代も部分的に続いているようです。



創始者のトマス・コーラム。


1階はこの孤児院の歴史を紹介しています。創立以来、孤児院の記録が写真やテキスト、それに当時使っていた衣装などで紹介されています。建物の構造図などもありました。


2階は一転して、ささやかながらも美術館のように様々な絵画が飾られていました。キュレーター、というよりも現地のボランティアのおばあさんが、久我に話しかけてきて、部屋の中央にある洗面器のような、陶器の皿を紹介してくれました。


「ホガースが描いたものなんですよ」


画家として知られるホガース、その珍しい作品を、英語を聞き間違えていなかったら、見ることが出来たのです。他にも、テイト・ギャラリーで見たターナーや、英国を代表する画家たちの意外な作品が、ちらほらと見受けられました。


なんというのか、びっくりです。


3階でヘンデルの曲を聴く

3階で動ける場所は非常に少ないのですが、音楽室、というのか、小さな部屋があります。ここにはソファが並んでいますが、そのソファ、スピーカーつきで、ヘンデルの作曲した音楽を、自由に聞くことが出来るのです。


ソファに深々と腰掛けて、孤児院のためにその収益金の一部が寄付された『メサイヤ』を聞きながら、百年以上も前の時代に思いを馳せながら、静かに時間が過ぎていきました。


予定7:大英博物館


1回目に渡英した時のメイン観光地でした。あえてここに近いホテルを選ぶほどでした。

裏側から

今回は裏口から入り、エドワード七世に挨拶して、土産物を物色し、ロゼッタストーンと図書館を見て、通り抜けました。特別に見たいものが無かったので。


古本屋へ

その後は、博物館の目の前の通りにある古本屋に踏み入りました。昨年目をつけていたものの、友人の手前、入ることは出来ませんでした。去年は本を買いすぎて、荷物が異常に重くなったこともあって、今年はなるべく買わないように心掛けていました。とはいえ、眼鏡にかなうものは無く、無事に手ぶらで出ました。



去年泊まったボニントンホテル。


予定8:ホテル、そして空港へ



この時点ではまだ14〜15時ぐらいでチェックインには早かったですが、もうだいたいやりつくしたので、荷物を受け取り、空港へ向かいました。


全日空のカウンターは16時ぐらいには受付が始まっていたので、それからはしばらく、免税店で時間を潰し、後は飛行機の到着を待ちました。飛行機の搭乗ポートが決まるのは、かなり出発時間が迫ってからです。確か、テロ対策の意味があったかと思いますが、前回も、ぼけっとしていました。


それから、飛行機に乗り(満席)、あとはもうぐったりと寝込んで、日本に戻ってきました。日本に戻ってきたら、とても大変な事件が起こっていたのですが、こんな形で、二回目のイギリス旅行、初めての海外ひとり旅は終わりました。


本物のメイドさんには出会えませんでしたが、百年前のメイドさんたち、そして貴族や屋敷には、そこそこ近づけたのかなぁと思います。特に、今回は意地になってロンドンを歩きました。そういう目線、今後に活かせたらと思います。


長々とお付き合い、ありがとうございました。




2006-02-24 続き

[][]その8:4日目:後編:ロバート・アダムのカントリーハウスへ

予定6:大本命の屋敷・Osterley Parkへ

地下鉄で一本・意外と近い穴場のカントリーハウス

気になっていたカントリーハウスのひとつです。自分の中では、KenwoodHouseや、他のどの観光地よりも、今回の旅行のメインディッシュ、ここを味わいたいがために、旅程の最後に持ってきていました。


交通の便は非常によく、地下鉄一本で行けるカントリーハウスです。だいたい20分ぐらいで、到着します。この辺り、他のロンドン界隈の屋敷と違って、抜群の条件です。駅からも近いらしく、徒歩で行けます。という事前知識だけを頼りに、出かけました。


記憶を頼りに

駅はHeathlowの幾つか手前の駅、Osterleyです。駅の出口はひとつ、そこから出ると正面に非常に大きな車道があります。


過去に地図を印刷していたものの、この日、何を思ったのか、忘れていました。記憶によれば駅の北側にあるはずなので、ひとまずそこを目指しました。「とりあえず、左でいいか」と。


左にしばらく進むと、右に折れ曲がる道があります。その方向が北のはずなので、道なりに進んでいくと、どう見ても住宅街です。「間違えたかなぁ」と思いつつ、進んでいくと、T字路にぶつかります。駅の真北の方角、だったはずなので、ここで少し駅に近づく感じで東へ進むと、壁が見えました。


それは、非常に長く続く石壁で、向こう側に牧場らしき芝生が広がっていました。こここそが、カントリーハウス・OsterleyParkのエリアでした。


入り口から



それからしばらく壁際に歩いていくと、正面の門にたどり着きます。それはもうひたすら真っ直ぐな道で、屋敷が見えませんでした。




並木の道の両側は、先ほどの壁の向こう側の世界、芝生が広い範囲で広がって、住宅街から切り離されたカントリーハウスっぽい雰囲気(すごいところは山を越えるとか、ですが)を感じさせてくれます。KenwoodHouseと違って、中に入ってから迷う可能性は皆無でした。




左側の牧草地には、牛や馬が放牧されていました。




最高の眺め……ではなかったものの



十分ぐらい歩いていくと、ようやく舗装された道に辿り着きます。そこから道なりに歩いていくと、今度は正面左側に小さな池が広がっていて、そこからカントリーハウスの姿が見えました!




残念なことに、正面は修復中でした。




メインの建物は二箇所、本邸と、今は土産物屋や案内所、カフェの出来ている厩舎です。まず本邸に行きますが、正面玄関は工事中なので、入り口はその奥、側面からになります。なんだか使用人になった気分で入れて、最高でした。


入り口は地下

入り口はやや簡素なエリア、ここで荷物を預けて、中に入ります。地上にありますが、屋敷としては地下、になります。確か水色で、アダムっぽいです。


そこからGRAND STAIRCASEを上りますが、ここからもうアダムに包まれています。壁の色は柔らかい色彩、壁に据えられた紋様、そしてルーベンスの天井画。


Kenwood Houseよりも屋敷のすべてがロバート・アダムの個性で満たされています。階段の使い方、空間の見せ方が、非常に上手に思えました。屋敷のひとつひとつの壮麗さを物語るのではなく、屋敷という全体の雰囲気が圧倒的でした。




■PRINCIPAL FLOOR:1階

BREAKFAST ROOM

LIBRARY

TAPESTRY ROOM

EATING ROOM

CLOSET

GALLERY

ENTRANCE ROOM

DRAWING ROOM

STATE BED-CAHMBER

ETRUSCAN DRESSING ROOM

GARDEN ROOM


どこもかしこも印象に残りますが、玄関ホールが最も好きでした。高い天井、床に描かれたタイルの模様、天井や壁には白い石膏?で盛り上がった絵画や紋様が刻まれています。


OsterleyParkは正面がパルテノン神殿のようになっていて、円柱の合間を通り抜け、階段を上り、この正面玄関に辿り着く設計です。しかし、パンフレットによると、正面玄関であるこのホールは、必ずしも玄関として利用されなかったそうです。食事をする場所として、或いは、サロンとして絨毯を敷き、ソファや調度品を置いた写真が残っています。


では、そのとき、どこの入り口を使ったかといえば、今日、入ってきた入り口なのです。あそこは「使用人専用」ではなかったのです。Kenwood Houseもこんな感じの入り口でした。


■BEDROOM FLOOR:2階

YELLOW TAFFETA BED-CHAMBER

MR CHILD'S DRESSING ROOM

MR CHILD'S BEDROOM

MRS CHILD'S DRESSING ROOM


こちらの2階で見物できたのは、片側のウィングだけでした。ちょうど2階の窓から、工事・修復中の正面玄関の様子を見物できます。反対側にあるエリアには、ここからは行けませんでした。ドアが閉まっているのか、経路が無いのか、わかりません。


予定7:最高の地下・Osterley Park〜メイドさんの職場



そして、OsterleyParkは最大限、期待に応えてくれました。1階の奥の方、「主人たちが使わない」小さな階段を下りていくと、キッチン付近に出ます。

PASTRY ROOM

まず、出て左側に小さな部屋があります。窓際、明るい部屋で、大理石のような作業台がありました。久我の記憶では、こういう台は、「熱を逃がす」作業の為なので、PASTRY ROOMか、バターをこねるDAIRY ROOMだと思いましたが、PASTRYの方でした。


PASTRY ROOMというのは非常にマイナーな、カントリーハウスにあるか無いか、という部屋です。その名の通り、ペストリーをこねる・作る・焼く・保存するエリアです。PASTRY MAIDという職業もあったぐらいなのです。まさか、それほどレアな部屋があるとは思いもしませんでした。


KITCHEN

次に入るのはキッチンです。広いです。National Trustのお姉さんがいて、ちょっと解説をしてくれましたが、もう本当に最高の場所です。天井は高く明るく、銅の鍋は壁際の棚に並びます。壁際にはオーブンのほかに、パン焼き釜っぽい、PASTRY ROOMを置くだけのことはある、といった様子です。


この規模ならば、だいたいコック1、キッチンメイド3〜4人、ぐらいでしょうか? 広さと規模で言えば圧倒的にKenwood Houseの方が豪奢です。あそこは館より切り離されたエリアでしたので、そうしたスペースが確保できたのですが、ここは屋敷にくっついた場所なので、あの屋敷ほど広くは無いです。


ただ、機能別にエリアが分かれている、壁が青色、窓が大きく屋敷の外が見えるなど、開放感のある職場でした。


SCULLERY

キッチンに付属する場所として、先ほどのPASTRYと、もうひとつSCULLERYがありました。流し場で、キッチンで使った道具類を洗ったり、粗い仕事(皮むき、猟鳥や猟獣、いわゆる「Game」の皮はぎ・解体)をした場所です。


Osterly Parkは使用人にとって若干優しい設計をしているようで、この窓から屋敷の外、広がる世界を十分に眺めることは出来ました。


廊下を歩く

廊下は狭くなっていて、ちょっと通りにくいかもしれません。両側には、いろいろな部屋があります。残念ながら使途不明、入れない部屋も多くありましたが、STEWARD'S ROOM-ESTATE OFFICEと、当時のStewardの夫人の部屋(Housekeeper's Roomっぽい)にも入れました。


STEWARD'S ROOM-ESTATE OFFICE

領地管理人、といえるスチュワードのオフィスは、非常に立派な部屋で、とても使用人の範疇に納まるものではありませんでした。領地から上がる収益、農場の利益や小作料、地代など、屋敷の周縁に関する金銭の動きを管理していたのは、彼らです。その扱いは、紳士に似ている、と言えるかもしれません。


少なくとも、本日訪問したカーライルの部屋よりも、数倍、立派な内装をしていました。カントリーハウスの使用人は中流階級の家庭よりもいい食事にありつける可能性も高いですし、自分の家でないことを差し引けば、いい部屋を与えられていました。


ここにいたスチュワードは、隣に妻を住まわせていたそうで、その部屋も開放されています。


CELLAR

その名の通り、蔵です。ワイン専門と思いきや、巨大な樽を置いていたと思える設計でしたが、石炭も置いていたと記されています。いったい屋敷に何人の使用人がいて、ゲストがいたのか、と思えるほどに、本当に巨大な樽でした……


STRONG ROOM

強い部屋ってなんだろう、と思いましたが、金庫です。この中に屋敷の主人たちの貴重なコレクションが保管され、現在はその展示品を鑑賞できます。


映画『ゴスフォード・パーク』では、屋敷に入ったメイドがこの部屋に伯爵夫人の宝石類を預けていました。屋敷のガイドブックの地図によれば、この部屋の近くに幾つか部屋があるので、この周辺は多分、執事やフットマンのエリアになるでしょう。


SERVANT'S HALL〜使用人ホール

階段の下エリアで最も広い場所、使用人たちが食事をしたり、時にはダンスをしたりする舞台、になるこの部屋は、残念ながら往時の面影は一切無く、家具類がすべて取り払われて、ただの広い部屋になっていました。


それでも、小さな学校の教室ぐらいの広さがありました。


ジャージー家記念館〜昔は何に使っていたのか?

ここから幾つかが続き部屋になっていますが、この先は領有するジャージー家の記念館、この時期は第二次大戦中のユダヤ人避難の歴史を物語るような展示が開催されていました。全部で五部屋ぐらい、Stillroomっぽい部屋もありましたが、実際は何に使われていたのか、不明です。


屋敷の構図的に、足りない部屋として考えられるのは、「執事のPantry」、「Housekeeper's Room」(どちらかというとOfficeではなく、陶器類を保管する場所)、それに「StillRoom」でしょうか? PASTRY ROOMがあるので、StillRoomは不要かもしれませんが、想像力をかきたてられました。


執事関連の部屋は、屋敷の構造上、金庫やCELLARに近い場所だと思えるので、その付近の閉じている部屋がそうなのだろうと、だいたいわかりましたが、だとすると記念館の方は、女性使用人のエリアなのではないでしょうか?


このエリアに下りてくるには、Kitchen前に出る階段と、もうひとつ、SERVANT'S HALLからGRAND STAIRCASEに通じるドアしかありません。だとすると、どちらにせよ使用人は主人たちと接する可能性がある道を通って、自分たちの寝室に行くことになります。それは、あまり考えられません。


仮説として幾つか考えられるもの


1:記念館は元々使用人の寝室だった

2:記念館の奥に使用人用の裏階段がある

3:屋敷の2階、主人たちの寝室エリアの反対側には使用人寮があるのではないか


とまぁ、勝手な想像をしていました。


■GROUND FLOOR

PASTRY ROOM

SCULLERY

KITCHEN

MRS BUNCE'S ROOM

STEWARD'S ROOM-ESTATE OFFICE

CELLAR

STRONG ROOM

SERVANT'S HALL

JERSEY GALLERY(5部屋)


眺める

表に出て、屋敷の裏手、ちょうどギャラリーに通じる外側のテラスに立ちました。ここから眺める景色は、芝生ばかりでやや平坦ではありましたが、見晴らしがよく、気持ちよかったです。


カフェで紅茶を



厩舎は改修され、カフェになっていました。ここで紅茶と、ケーキを頼んで、ちょっと休憩しました。値段は非常に良心的です。






この後、土産物を買い、帰りました。他にも屋敷の奥、庭園や施設を見ることは出来ましたが、時間や疲労を考慮して断念しました。生半可な覚悟で進むには、ちょっと広すぎたのです。


帰路につく



帰り道は、本来、駅からの近道だった道を通りました。正面からまっすぐ進むと、駅から出た時に正面にあった太い車道にぶつかります……つまり、駅を出て左に曲がれば、一回角を曲がるだけで、Parkに辿り着けたんですね。


これで、ロンドンでの旅の90%は終わりました。さすがに、これだけみっちりと出歩くと、疲れてきます。そして眠ります……


2006-02-19 イギリス旅行記・長いので前後編で

[][]その7:4日目:前編:ロンドン横断

起床:02:00、06:00

再び、目が覚めたのは午前2時。という暮らしが続きました。これは時差ボケなのでしょうか?


予定1:Eaton Place

ドラマ『Upstairs Downstairs』の舞台



イギリス・1970年代に放送され、第五シリーズ全68話まで続いたドラマ『Upstairs Downstairs』。日露戦争の1904年から始まり、使用人が主人公であるこのドラマの舞台を訪問したいと、2004年に渡英した頃より、考えていました。初めてのイギリス旅行は友人ふたりと一緒だったので、観光地とも呼べないこの場所に連れて行っては迷惑なので諦めましたが、今回は一人旅。


ドラマの公式ホームページを見ると、今も人が住んでいるものの、建物は残っているとのこと。それが、Eaton Place 65です。ということで、またしても観光地ではないですが、二日続けての舞台探訪を行いました。


『THE 1900 HOUSE』の舞台を訪問したように、今回のEaton Place訪問も目的があります。ロンドンの高級住宅街の面影を見ておきたい、歩いて肌で感じたい、との思いが強くあったからです。小説を書く上で、また同人誌の資料から知識以上の空気感を得る上で、実際に歩いて、歩いた人の視点でロンドンの街並みを描ければ、という部分もあったので、取材とも言えますね。とはいえ、再現するだけでは意味がありませんが。


Groucester Road To Sloane Square

だいぶこのエリアを拠点にしての観光にも慣れてきました。駅までの短い距離、信号の渡り方の感覚も取り戻し、地下鉄に乗ります。この日はCircle線に乗り、二つ先のSloane Squareまで出かけます。そこが、歩いて「Eaton Place」に行くには、最も適した場所だったからです。


今回の旅は、前にも書きましたが、「時間を無駄にしないために」行動時間を早めています。入場時間の早い観光地、無駄の無い移動、こういう舞台訪問は早い時間に。この日も出発はだいたい08:30ぐらいだったでしょうか? たった2駅しかないので、あっという間に到着です。


高級住宅街を歩く〜Mewsと

駅を降りると、Sloane Squareの名のとおり、「四角い」広場が駅前にあります。そこを手元の地図と見比べながら、一路、Eaton Placeを目指します。ヴィクトリア朝期ならば霧が出ていたり、家庭内の暖炉から煙が出ていた、或いは足元にきっと馬糞なんかがあったのでしょうが、現代ではそういうことも無く、新聞配達の人や、ごみ回収の人が普通に仕事をしていたような気がします。


スクエアの右上角に、北東へ伸びる道があります。多分、KING'S ROADの続き、ですかね。そこからCliveden Place、Eaton Gateを通過して、Eaton Squareにぶつかります。ここで左に曲がり、Chesham Stを通ってしばらくすると、Eaton Placeに辿り着きます。そう、あのドラマで見た舞台に、ようやく辿り着いたのです!


思い込み〜Eaton Place 65





高級住宅街っぽい雰囲気、玄関の真上には「テラス」、或いは「車寄せ」があり、「きっとお金持ちが住んでいるんだろうなぁ」という印象を受けました。同じロンドンの街並みでも、エリアによって、建物の玄関も違うんですね。




そして、ようやく見つけた撮影現場、遥々日本から来ました。「Eaton Place 69」を記念に撮影したものの、「確か、端の家だったよなぁ」と、場所が曖昧なまま、その場を去りました。住宅街と言う雰囲気に、気おされていたのでしょう。帰国して確認したら、「65」でした。


がっくりです。


『Upstairs Donwstairs』公式サイトでの撮影地レポート






BELGRAVE SQUAREへ



高級住宅街としてヴィクトリア朝でも知られる「BELGRAVE SQUARE」。数日前に見たオスカー・ワイルド原作『THE IMPORTANCE OF BEING ERNEST』の映画では、カントリーハウスから出てきたジャックが所有する、ロンドンのタウンハウスがありました。(ジャックが娘の結婚相手としてふさわしいか審査するブラックネル卿夫人の目からすると、このエリアは『よろしくない』との評価でしたが)


ここを歩いてみたかったです。Eaton Placeからも近い場所で、ウェリントン公爵記念碑のあるHydeParkCorner目指して歩き続けれ、通れる場所でした。


この界隈は大使館があちこちに居を構えていて、国旗がかなりの数、翻っています。高級住宅地の建物には幾つか特徴があります。ひとつはEaton Placeで紹介したような「玄関の真上のテラス」、もうひとつは建物の大きさ・高さです。


『Upstairs Downstairs』や、ロンドンで泊まっていたホテルも、よく考えれば、「高い階層」まであるんですね。地下1階に地上は屋根裏部屋を含めば、4〜5階建て。現代のマンションとさして変わりません。また、大きな建物も二種類あり、入り口の数が違っています。入り口が多ければそれだけ中が仕切られている、一軒家が幾つも連なっているイメージです。もうひとつは入り口が1つ〜2つ、これはきっと貴族のタウンハウスや、ホテルに近いものなのかと思います。


ということを考えつつ、歩いていくと、今度はバースで見た「クレッセント」(三ヶ月)の建物がありました。Wilton Crescentと名づけられたその場所は、ちょっと小さいですが、優雅な形をしていました。






順調に?進んでいたのですが、そのまま北上してHyde Park Cornerに出ようと思っていたところ、どこかで道を間違えてしまい、いつのまにか南下して、Victoria駅に向かっていました。辿り着いたのは、聖ピーター教会です。


St. Peter's




この後、GROSVENOR PLACEを歩いて、ようやく中間地点に着きました。


予定2:ロンドン散策

ウェリントン公爵記念碑

今回のロンドンで二度目になる、ウェリントン公爵記念碑の前に来ました。ちょうど朝日が昇り始めて、いい眺めでした。


Constitution Hill



それから思いつきで、『THE GREEN PARK』の南、Constitution Hillを歩きました。乗馬道があり、涼しげな朝の空気の中、森を通り抜けていくと、その先にはバッキンガム宮殿がありました。ハイドパークの「ロットン・ロウ」に通じる道、つまりこの先に宮殿があって、王族がここを通った道なのでしょうね。一年ぶりですが、なんとなくでたどり着きました。


バッキンガム宮殿

朝なのですが、少しだけ観光客がいました。太陽の光がとても強く、輝いていました。前回来た時は写真を撮るのに苦労しましたが、今回は自由な場所から、宮殿を眺めました。






Spencer Houseの下見

宮殿前の最も大きな通り、THE MALLを進みます。何か王室関連のイベントがあると、この通りが人々で埋まります。そこから、明日の最終日にどうしても訪問したかったSpencer Houseの下見をするため、MARLBOROUGH ROADを北上して、地下鉄Green Parkの方へ。






この辺りは、Lancaster House、Clarence Houseがあるそうです。セント・ジェームズ宮殿の横を通り、Spencer Houseを探しましたが、よくわかりません。それっぽい建物が二箇所あったのです。






Green Park側から見た建物の写真はあったものの、入り口の側には何も目印も表札も出ていません。多分ここだろうと目星をつけて、北に向かって歩きます。もう、歩いてばかりです。


予定3:PICCADILLY



最高級ホテル・リッツのあるPICCADILLY。フォートナム&メイスンもあります。ロンドンのメインストリートのひとつです。今度は東へ向かいます。がが、時間帯が早く、十時前なのでお店はほとんど開いていません。






途中、去年も通り抜けた「バーリントン・アーケード」の写真を撮影しました。『アガサ・クリスティの食卓』によると、この場所は、『名探偵ポワロ』の『ベールをかけた女』の舞台になったとのこと。記憶が正しければ、確かに、宝石店に押し入った男は、アーケードを駆け抜けています、ということで1枚。


リージェント・ストリート



しばらく進むと、交差点、PICCADILLY CIRCUSにぶつかります。この場所はREGENT STREETとPICCADILLYの交差路です。アニメの方の『エマ』の中でも、かなり重要な場所として登場してきています。




ということで、この辺りでだいたい10時ぐらいになります。土産物をデパートで買おうかと思いましたが、観光とショッピングが気持ち的に一致せず、面倒なので、そのままストリートを北上しました。


OXFORD STREETに出て、そこから西へ向かって歩き、Marble Archへと到達。というふうに、朝に出発して、ぐるりとロンドンを歩き回って、だいたい二時間近くが経過しました。


この次の予定地は、ケンジントン宮殿です。


予定4:ケンジントン宮殿への長い道程

Marble Arch



長谷川如是閑が書いていた「Marble Arch」、酷評されていました。バッキンガム宮殿さえも長谷川如是閑は酷評していましたので、話半分にせよ、あまり記憶に残らなかったのも確かです。


地下鉄Center線を乗り継いで、「Lancaster Gate」ケンジントン宮殿のある辺りまで移動しようと思っていたのですが、実はこの日、地下鉄はMarble Archより西へ行かないことになっていたのです。


戸惑った観光客?で駅は大混雑し、もうどうにも面倒くさくなって、「HydePark縦断の旅」再びです。友人が一緒にいればきっと、バスやタクシーを利用しましたが、運動を兼ねて、Hyde Park北東の端から、西のケンジントン宮殿まで、歩きました。


ラウンド池

いろいろとあって、なんとかケンジントン宮殿前のラウンド池に辿り着きます。サーペンタイン池ほど大きくは無いのですが、鳥の数が非常に多いです。


池の向こう側にはケンジントン宮殿が見えます。


ケンジントン宮殿

ケンジントン宮殿は前回行けなかった観光地です、というよりも頭の中に入っていませんでした。特に強く行きたい、とは思っていませんでしたが、宮殿なのだから、バッキンガムぐらいすごいのだろうと、期待していました。




右手にオランジェリー(温室)を改装したカフェ、左手には庭園があります。庭園といっても長方形の四方を生垣に囲まれ、観光客は窓のように空いた生垣の隙間から、中を見るだけです。ここにはリスが生息していて、ベンチの上やその辺りを普通に歩いていました。






宮殿の入り口では簡単な荷物検査をされます。しかし、バッキンガム宮殿のものものしい警備とは対照的で、もはやこの宮殿が「生きていない」ことを物語っているようです。入場料は一緒ぐらいなのですが……


博物館?



ケンジントン宮殿は、個人的には満足できませんでした。宮殿の中が暗すぎ、地味すぎ、また宮殿保護の為かイミテーション的なものが目立ち、壮麗な雰囲気も厳かな雰囲気も感じられませんでした。


衣装や、いろいろな備品類が陳列されているので、博物館としてのイメージですね。バッキンガム宮殿は「宮殿に迷い込んで、圧倒され、ただ感嘆するのみ」でしたが、古色蒼然、「歴史」の過ぎ去った時間を体感する、その差なのかもしれません。


本によると、17世紀・ウィリアム三世とマリー女王がロンドンで彼らに適した住まいを探していて、見つけたのがこの宮殿(Nottingham House)でした。というふうに、初期から宮殿として建てられたわけではないようです。


19世紀のヴィクトリア女王の時代にはほとんど無視され、「他の宮殿の家具や絵画の倉庫」扱いされ、朽ちかける、とは言いすぎですが、それに近い状態になっていました。しかし、この宮殿でヴィクトリア女王は、女王になる以前、母と共にここに暮らしていたので、19世紀末に議会はリストアする資金を出し、1898年にリストアされたそうです。


その後、一時期は博物館として一般公開されたものの、第一次大戦中には慈善団体の事務所になったり、第二次大戦では爆弾の被害を受けたりと、様々な意味で「王族が暮らす宮殿」ではなくなり、「宮殿だった屋敷」という位置づけになっていました。そういう経緯を踏まえると、なんとなく宮殿についての感想として述べたものが、納得できます。


雑談:フットマン

唯一、道案内で立っていたフットマンっぽい格好をした人を見たとき、「あぁ」と思いました。背が高く、立派な人でした。


関係ないですが、従僕・フットマンの採用基準は身長、ところがこれは今もイギリスのホテルで当てはまると思うのです。街を歩いていると、多くの高級ホテルの前を通りますが、ホテルの前にはホテルを代表するかのように、ドアマン(という方が正しいでしょうね)が立っています。彼らは19世紀を想起させる制服に身を包み、ゲストの為に控えています。


ホテルに戻る

ケンジントン宮殿からホテルまでは近かったので、一旦、戻ることにしました。この後、南側のチェルシーにあるカーライルの家に行く予定なので、通り道です。


明瞭に場所は覚えていないのですが、多分、ケンジントン宮殿前の太い通り、「The Broad Walk」を南に進み、その端にあるPalace Gateから出て、ストラスモアホテルのあるCromwell Roadを目指して、まっすぐ南下していたときのことです。


ザンビア大使館でしょうか、なんとなく顔を上げて左側にあった建物を見ると、例の青い丸の標識が打ち付けられているのです。よくよく見ると、そこには彼の名前がありました。


偶然の出会い再び〜ジョン・エヴァレット・ミレイ

そこは、ミレイが生前過ごした家だったのです!






ミレイの絵を見に行ってたまたま銅像を見つけ、聖ポール大聖堂でも墓を探し当て、そして今日、偶然選んだ帰り道、見過ごしても不思議は無いのに、ミレイが生前住んでいた家の前を通ったのです。


まさに、ミレイに出会う旅でした。




予定5:チェルシー・カーライルの家

森薫先生も訪問

森薫先生が初めてロンドンを訪問した2004年。その時の旅行記で出ていて、一度は行ってみたかったのは、このカーライルの家です。


カーライルの家の外観のイラストは、以前に誤って二冊買ってしまった『Victorian Home』の中に掲載されており、そのイラストのコメントには、「カーライル家のメイドは地下で寝ていたが、彼女の為に屋根裏部屋を作った」というようなものがありました。


また、カーライル家はその一方で、メイドにはなかなか恵まれず、何度も入れ替わっている、悪戦苦闘している様子も資料として残されています。


その様子を見たかったのです。


再び住宅街

バスで行けばいいものを、と旅行記を見ている方は思うかもしれませんが、もう意地です。絶対に歩きます、という覚悟で、ホテルを出てから一路、南のチェルシーを目指します。チェルシーの辺りは地下鉄が無く、ちょっとロンドン中心地から外れた場所です。


ロンドンに到着した日に迷いかけた道を歩き、地図を頼りに二十分ぐらい進んでいくと、National Trustの看板を見つけます。その道を右に曲がると、本当に、普通の住宅街へ入り込んでいきます。


道を真っ直ぐ進み、T字路で左に曲がってしばらく行くと、それとわからないような、街並みに馴染んだ様子で、チェルシーの哲人、カーライルの家がありました。


普通っぽい、むしろ地味な家

あまりにも普通すぎ、興味の無い人にはそこが観光地だとはわからないでしょう。久我も最初、小首をかしげながら、ドアの前に立ち、ベルを鳴らしました。すると、中からNationalTrustの職員の人が顔を出し、中へ導いてくれました。


当時の一般的な中流階級の家庭?

ということで、カーライルの家に入りましたが、かなり狭かったです。とはいえ、予感はありました。建物に入る前に、例の如く「階段の下」の様子を気にしたのですが、そこが今までと違って地下の溝が、「きちんとした階段」ではなく鉄のはしご、人がひとり通れるぐらいの幅しかないのです。


特に地図はありませんが、だいたいひとつの階に2〜3部屋ぐらい、1部屋が6〜8畳ぐらいでしょうか、ちょっと日本のマンション的な広さです。それが、四階ぐらいまであります。


メイドの為に設けたという屋根裏部屋には残念ながら入れませんでしたが、最上階は書斎になっています。この部屋は、街の騒音から逃れる為、カーライルが仕事部屋にした、という解説を読んだ気がします。


狭さ=メイドもそんなに必要ない

天井もそれほど高くは無く、やや手狭な感じでした。これまでカントリーハウス、広い屋敷ばかりを見てきた久我にとっては、初めてとなる感覚です。


ここで人が暮らしているとなると、確かに大勢のメイドは雇えないでしょうし、必要ないんですね。メイドの雇用人数指針として『ミセス・ビートンの家政読本』が有名ですが、『COUNTRY HOUSE LIFE』の筆者は、この本を鵜呑みにする必要は無い、と解説しました。


収入ではなく、生活スタイルで使用人の数は決まると。


その言葉はカントリーハウスだけだと思っていましたが、実際は中流階級の家庭でも当てはまりました。「家の広さ」が、この境界線になりそうです。必要性があっても、家に収容しきれないのではないか、と。


メイドを寝かせる場所が無い家、キッチンでメイドを寝かせた家もあると聞いていましたが、実際にカーライルの家に来ると、当時そうせざるを得なかった家々の事情が、明白になります。


こう考えると、アニメ版『エマ』の最初の雇い主・元ガヴァネスであるケリーの家は、メイド一人、或いは経済力の面でも広すぎる、のかもしれません。とはいえ、現代人が親の遺産で「自分の経済力では買えない家に住む」ように、当時も同じことがあったのでしょう。


メインディッシュは最後に〜『階段の下』

久我はおいしいものは最後に取っておく方なので、この後、いよいよ地下にもぐり、キッチンへと向かいました。ここも当然のように手狭なのですが、いざキッチンに入ると、衝撃を受けました。


いきなり、部屋に入って左側にベッドがあるのです。ここは蒸気が篭るキッチンでは……広いことは広いですが、中央にテーブルがあって、壁にはオーブンやいろいろと食器棚もありますが……ここで働くメイドは、かなり気分が滅入るでしょう。


KenwoodHouseで見たキッチンは広すぎましたが、ここは本当に狭かったです。外を見る窓は大きめではありますが、格子がはまっています。地下なので、見上げる地上はほんのわずか。精神的に、やられそうな雰囲気です。カーライルの家のメイドが、次から次へと転職していった背景には、この職場環境の悪さもあるのではないでしょうか?


これでもきっと、ましな部類なのでしょうが。


午後は遠征

これで、午前中のミッションは終了です。なぜここまでロンドン観光に時間を費やし、あえて最初に次の目的地、カントリーハウス『Osterley Park』へ朝から行かなかったかといえば、単純に開館時間が13時だから、です。


長いので、いったん、切ります。


2006-01-15 イギリス旅行記〜不定期

[][]その6:3日目は遠征

起床:02:00、06:00

再び、目が覚めたのは午前2時。テレビをつけて、ぼけっと眺めています。日付は忘れましたが、『カードキャプターさくら』や『遊戯王』も放送していました……英語吹き替えになっていますが、声が太いです。


天気予報を見ると、午前中は雨が降り、十時ぐらいから段々と止んでいくとのこと。この日は、グリニッジと、『THE 1900 HOUSE』を撮影した場所に遠征予定でした。どちらも屋外、外は生憎の雨模様。午後には止むならば、どこか室内で時間を過ごせる場所は無いのか、それも早い時間に開いている場所は……と考えていたときに思いついたのが、聖ポール大聖堂でした。


今回の観光予定には入っていませんでしたが、一度はあの大聖堂の中に立ちたいと思っていました。初めて見たのはマール社の『100年前のロンドン』(ASIN:4837307205)の写真、その後、観光ガイドのカラー写真で見て以来、「実物見たいなぁ」と考えていたものの、すっかり忘れていた観光スポットです。


予定1:聖ポール大聖堂:08:20

Groucester Road To St.Paul

地下鉄Groucester Roadは、幾つか路線が走っています。今回使ったのはPiccadilly線です。そこから、前回の旅行では基点となったHolbornを経由し、そこでCenter線に乗り換え、その名もずばりSt.Paul駅で降ります。


駅から出てすぐ左手にカフェがありますが、その先に、大聖堂は威容を見せてくれました。





とにかく、巨大です。


大聖堂

正面に回って中に入ると、日本語での観光案内板もありましたが、開場は08:30、ここに来たのは08:25、早すぎました。しかも左側から入りましたが、そこは出口で、右側から入りました。


一度表に出て移動する途中、大聖堂の前で雨宿りをしているホームレスの人たちの姿がありました。扉一枚隔てた世界、神の国の門は閉ざされている、とどこかで聞いたようなフレーズと、きっと過去も同じような光景があったのだろうと、思わずにいられませんでした。




右側から入る頃には開場時間になりました。入場料は若干高めですが、日本語の小さな冊子をくれます。尚、教会の「聖堂」内部の撮影は禁止です。


『大』聖堂

あまり教会関連に縁が無く、去年のバース大聖堂が一度目の経験でしたが、本当に天井が高く、信じられないほどでした。いったい誰がどうやって建築したのか、この石造りの聖堂を、と考えてしまうほどにとても高い場所にまで装飾や文様が行き届いていて、これほど大きな「器」は初めて見ました。


大聖堂内部はまっすぐ「身廊」が伸びています。ここの「北側身廊」(入って左側)にはウェリントン公爵記念碑が。ここでもやはり英雄は英雄です。また、昨日コレクションを見たターナーの記念碑もあります。


が、やはり最も壮麗なのは「ドーム」です。天井を見上げると真上には「ささやきの回廊」がありますが、本当に巨大で、天井が高いです。世界の中心とは言いすぎですが、この中央に立つと、厳かな気分に包まれます。どうやって人間はこれほど大きなものを、と何度も考えてしまいます。


そしてこから見える奥の祭壇と聖歌隊席の天井は、黄金の輝きに満ち溢れ、美しさで心が震えました。その天井の真下は聖歌隊席で入れませんが、そこの周囲を歩いて、十字の形をした聖堂の奥の方にも歩いていけます。


そこは第二次世界大戦でイギリスに協力して参戦し、亡くなったアメリカ兵への追悼の場所でした。


地下へ潜った

話には聞いていましたが、聖堂の中は有名人の墓だらけです。バース大聖堂もそうでしたが、壁や床、いたるところに墓碑が残されています。特に地下はそれがすごくなっている……というので、足を運びました。左手の階段から降りて、時計回りに進んでいくと、ちょっと曖昧なのですが、壁か床かに、「Sergent」の文字を見つけました。


「あれ、Sergentって画家なのに、ここに埋めてもらえるんだ」


聖人や教会関係者、騎士や貴族や王族などに混ざって、「画家」がいるのは意外でした。そこでふと「Sergentがいるならば、ミレイもいるんじゃないのかな?」と思い、意識しながら歩いていると、奥の方、北東の側でしょうか、ここでもミレイに出会えました。


「画家が貴族になれたり、国民的の尊敬を集め、ここに埋葬されるだけの存在だった時代だったんだなぁ」と、ヴィクトリア朝やその頃のイギリスを感じた瞬間でした。(ミレイは、はてなのキーワードによると、男爵(準男爵?)にまでなったそうです)


建築家の中にもSirの称号を与えられるものも多く、今のイギリスでもミュージシャンや俳優が称号を得ていますが、自らの意思で社会的階層を上がれた可能性、ヴィクトリア朝の立身出世の機会、そういう時代の息吹や文化を、感得した気になりました。

社会の中心にいた、世の中を動かしている存在としての画家という存在。これは、自分にとっては新しい視点でした。


地下1階の中心部には、ウェリントン公爵とネルソン提督の墓もありました。ネルソン提督は石の棺に入り、海戦から百年を記念する年だからか、花束がいっぱい捧げられていました。ここでもウェリントン公爵の人気を示すのか、献花は無かったです。


地下には売店や喫茶店もありましたが、教会という場所とそういうところ、いわゆる聖俗が普通に混ざっているところも面白いですね。しかも、故人の墓は気づいたら「踏んでいる」こともしばしばです。椅子の下になっていたりもしますし、「日本だったら祟られてしまうんじゃないの」と思えるような扱いですが、この辺りの差というか、向こうの人も意識しているのかしていないのかはよくわかりません。


ささやきの回廊まで 09:30

ここまでで一時間ぐらいが経過します。09:30から囁きの回廊への道が開きます。聖堂の十字架の交差する場所、この部分の天井はひときわ高いドーム状をしています。そこに上がることが出来るのです。ささやき声さえも木霊するというのが名前の由来です。


そこまで上がるのには、根性が必要です。階段をひたすら上り、高齢者には無理だろうと思える行程を経て、初めてその場所にたどり着けます。


『高さ30メートル』階段259段目


「やったー!」と、ここがひとつのゴールになるのだと思うのですが、反対側にさらに上への階段があります。そうです、聖ポール大聖堂は「天辺」まで上ることが出来たのです。それがどれだけ大変か、周囲の人がほとんどそこを目指さないので、肌でうすうす感じながらも、とりあえず行ってしまえと、頂点目指しました。


石の回廊 第二到達点


階段は狭く、中世の城を思わせるような作りです。円形になっていますが直径はきわめて狭く、ぐるぐるぐるぐると上に伸びています。途中途中、階段の踊り場には、情けか慈悲の心、というべき「ベンチ」がありますので、休みつつ、進んでいくと、第二到達点、「石の回廊」に着きます。


『高さ53メートル』階段378段目



ここは外に繋がっていて、雨が少々小降りになっていました。ここからでも十分ロンドンを見渡せますし、ふたつの塔が近くに見えますが、さらに頂点を目指して上り続けました。


こうなれば意地です。


金の回廊 へばりつくような階段

ここから、階段の質が大きく変わってきます。鉄骨の階段になるのです。


今までは建物に準拠した、という言い方は変ですが、建物の構造上、初めから設計されたと思えるものでしたが、ここからの階段は、「後で強引につけたんじゃないの?」と思えるように、複雑に入り組んで、聖堂の内部の空間に無理にすえつけたような、「じゃぁこの階段が無かった頃はどうやって上に行ったのだろう」と言う風に、いろいろと自問自答しながら、汗だくになりつつも、ここまで来たら引き返せないと、もうむきになって目の前の階段を、ひとつずつ消化していきました。


そして、どれぐらい時間が経過したのか分かりませんでしたが、ようやく光が見え、聖ポール大聖堂の頂点に達しました。


『高さ85メートル』530段


ここが金の回廊です。


眼下に広がるロンドン




金の回廊はものすごく高く、また、人が一人通れるような幅しかない場所でした。(三枚目の写真の右端に角が見えます。ここと左側の黒い鉄柵との隙間はひとり分です)雨は止んでいましたが、風が強く、かなりびびりながら、ここだけに許された視界を、ロンドンを見渡せる世界を楽しみました。


この日は生憎の曇り空でしたが、もしも青空が広がっていれば、最高の気分になれたでしょう。次第に雨は止み始めて、雲も少しずつ消えていきましたが。


帰り道のことは、はっきり覚えていません。同じ階段数を下りたとは思いますが。人と人とが「すれ違えない」場所なので、往路と復路はまったく別の道筋になっています。


最初の訪問地でかなり疲弊しましたが、今回の旅行は万事、こんな感じでした。また、関係ありませんが、折角なので、大聖堂を見学される方は、四方をきちんと見て回ることをオススメします。久我は結局、思いがいたらず、二面しか見ていませんでした。後でガイド本を見ると、ちょっともったいなかったです。


予定2:『THE 1900 HOUSE』への旅:11:00

DLR

St.PaulからBankへ行き、そこからDLR(DocklandsRail)に乗ります。これはゆりかもめみたいなもので、ドックのある港湾方面を往来する路線です。こちらの東側が、昔のロンドンで貧民街があったいわゆる「イーストエンド」なのでしょうか? リージェントストリートが分断線とも呼ばれていますが、鉄道から眺める景色は、再開発されないままの古い建物が軒を連ねるていつつも、新しく綺麗なマンションが建っていたりと、両極端です。


ゆりかもめのように、非常に巨大なオフィスビルやショッピングセンターが駅とくっついていたり、そうかと思えば、周囲に何もビルが無いような普通の駅があったり、いろいろなものが混在している世界でした。


あまり観光客ふうの人はおらず、ここのエリアで生活する人、買い物する人が主要な乗客のようでした。その意味で、今まで乗っていたTubeとは少し違った感覚です。


Greenwichは地味

グリニッジのひとつ手前、カティ・サークで人がいっぱい降りていきました。観光ガイドでもグリニッジよりカティ・サーク、鉄道ならばメイズ・ヒルが観光にはいいとあります。久我は、グリニッジで鉄道に乗り換え、そこから『THE 1900 HOUSE』の舞台を探訪する予定だったので、そのままグリニッジに行きましたが、その理由が分かりました。


地味です。周囲に何もありません。


ここが世界遺産の名を冠する街だと言われても信じられないほどに、駅から見える光景は普通過ぎます。というか、周囲に「街」らしいものが見えません。便宜上名前を貰っているものの、実質はここには何も無いようでした。


DLRを降りると、目的地のCharlton目指して、NationalRailの鉄道に乗ります。プラットホームは若干離れていますが、改札はありません。列車が来たものの短く、乗客も少なく、気づいたら出てしまって、乗れませんでした。


次に来た鉄道に乗りましたが、この路線は今まで乗った鉄道の中で、最も雑然としていました。窓は傷だらけ、なぜかドアのすぐ横にゴミ箱が……初めて乗る人にはちょっとショッキングというか、あまり長く乗りたくない車両でした。


駅で降りるときはボタンを押して、ドアを開けます。目的地のCharltonは、一緒に乗っていた立派そうな人がドアを開けてくれたので、その後ろについていきました。ここでも出口に改札はありませんでした。


『THE 1900 HOUSE』の街へ到着する


『THE 1900 HOUSE』とは何か、を知りたい方のために簡単に説明すると、イギリスのテレビ局が普通の家族を募集して、三ヶ月間、十九世紀の暮らしをしてもらうというドキュメンタリーです。その彼らが住むことになった、当時を再現した建物のある街が、このCharltonにあるElliscombe Roadだったのです。


『THE 1900 HOUSE』の番組レポート


というお馬鹿な理由ではありますが、それ以上に、「現代イギリスを舞台に小説を書いてみたい。じゃぁ、ロンドンをちょっと離れた普通の街って、どんな雰囲気なんだろう?」という感覚を得たいというのも、大きな理由でした。


Google Mapで調べた(ありがとう、GoogleMap)地図を頼りに、道を間違えず、すんなりと辿り着いたElliscombe Road。なんだか荒れている様子の看板を見て動揺しながらも、久我は計算違いに気づきます。




住宅街という雰囲気、久我は明らかに怪しいのです。「『THE 1900 HOUSE』の舞台を見に来たんです、はは」と通じるのか、周囲の風景を写すために、カメラを取り出すのも一苦労でした。確かに自分の住んでいる場所の近くでデジカメ持っている人がいたら、不気味でしょう。





というプレッシャーの中、それと思しき写真を撮ってみました。Elliscombe Road 50、ここが撮影の現場です。外観からは何もわかりませんし、改装した内部も元に戻してあるとは思います。


街そのものは、かなり地味というか、普通でした。大きな商店は何も無いようで、小さなお店が並んでいました。買い物は車で遠くに行くんだろうなぁとか、一軒家的な建物ではあるものの、エリアによっては庭が狭く、駐車できるスペースが無いので、正面の道の両側に駐車してあったり(ロンドンではこの光景を数多く見ました)。




ここの風景は、観光とは違う、イギリスの街に触れられた気がして、勉強になりました。


予定3:グリニッジ:12:30ぐらい?

『週刊世界遺産』で読んでから、行きたいと思っていたグリニッジ。海軍大学があったり、観測台があったり、海と馴染み深い街です。ここにある世界遺産は、「文化遺産カテゴリ」で、分類は「1・2・4・6」に該当するそうです。


1:人類の創造的資質を示す傑作

2:時代を越え、建築・技術・都市計画および景観の発展に大きな影響を与えたもの

4:重要な様式の建築物、重要な発展段階を示す景観の見本

6:普遍的な重要性を持つ事件、現存の伝統・思想・信仰や芸術、文化的所産に関係するもの

『週刊世界遺産』講談社2000年11/30 No.6 P.34より引用


2004年に訪問したバースが観光都市として、様々な博物館や観光名所があるように、グリニッジにも様々な場所があります。一度駅を降りれば、一日中見る場所があるような都市、というので、グリニッジは楽です。


グリニッジ・パーク

旧王立天文台

クイーンズ・ハウス

国立海事博物館

王立海軍大学

カティ・サーク号


Maze Hill駅

NationalRailに乗り、MazeHillで降りますが、自分と同じ方向に歩いていく人がいません。が、今回は駅を降りて普通に進んでいくと、目の前に案内板があります。左矢印がいっぱいあって、左を見ると、いっぱいの緑が見えます。あれが、グリニッジ・パークでした。


Raoyal Observatoryの文字を見て、最初、「監視台?」と思いましたが、これが「旧王立天文台」なんですね。


グリニッジ・パーク

多分ここはパークの北東で、そこから西に進んでいくと、目の前に丘が広がります。道路を挟んだ右手にはクィーンズハウス、左側の丘の上に、旧王立天文台が見えます。





が、目の前に見えるものの、そこへ行くのも一苦労でした。


王立観測所へ行くも工事中


ここはイギリスでも観光地になっているようで、高校生らしい人がいっぱいいました。地味で人が少ないところばかりに行っていたので、ちょっとほっとする場所でした。入場料は無料ですが、チケット頒布所があり、そこの窓口でチケットを貰い、門を通ります。


正面は混雑していて、特に二十四時間時計は写真を撮る人で混み合っていました。折角行ったのに、グリニッジ子午線はきちんと意識して見られたのか、曖昧です。


天文台は部分的にしか見られませんでした。博物館的に昔の観測器具があったり、天体望遠鏡があるエリア(メリディアン・ビルディング)は見物できました。そして偶然にも(書いている今気づきましたが)、この天文台の建築家は、直前に訪問した聖ポール大聖堂と同じ、クリストファー・レンでした。



歴史的な場所、見たかったフラムスティード・ハウスは「工事中」。中には、衣装をつけた人がいるっぽかったのですが……入れませんでした。オクタゴン・ルーム、ハリソン・ギャラリーを見られず、残念でした。







QUEEN'S HOUSE


王立天文台から見下ろせる場所に、クィーンズ・ハウスはあります。名前の由来はジェイムズ1世が、妻アン女王の別荘として作らせたものです。建築家は、イギリスの屋敷建築で、パラディオ様式を最初に導入した「イニゴー・ジョーンズ」です。



綺麗なデザイン16〜17世紀の屋敷ですが、あまり古めかしい感じもしません。宮殿らしいのですが、あまりそういう感じもしません。正面玄関からは入れず、両翼に広がる階段の真ん中にある扉から、地下に潜ります。


1階の正面玄関ホールは吹き抜けになっていて、2階からメインホールを見下ろすと、床の鮮やかな白と黒のタイル模様に目を奪われます。尚、メイン・ホールは立方体12メートルで設計されているそうです。


あとは螺旋階段ですね、シンプルで綺麗なデザインでした。なんというのか、屋敷も生活の匂いがする・しないで、残る印象が違うのかもしれません。思い入れが無かったのか、あんまり覚えていないのです。キッチンとか使用人とか、そういう匂いがしないからでしょうかね?


国立海事博物館



恥ずかしい話ですが、入り口が分かりませんでした。正面から行けばすぐ分かる場所にもかかわらず。ここも入場料は無料です。三階建ての建物はかなり広く、正に博物館でした。個人的に見たかったのは、タイタニックなどで知られる、19〜20世紀初頭の豪華客船の内部です。


豪華な客船内部だけではなく、他の三等の船室なども扱っていて、当時を想像させるものでした。他にも衣装類が充実していて、海軍軍人の服装や探検隊の衣類なども残っています。


あとは、日本の軍船の模型と脇差のセットもありました。『坂の上の雲』の関連で広瀬武夫の本を読んだりしますが、彼が渡英した折、日露戦争前の日本は数多くの軍船をイギリスに発注していました。そうした事務所がロンドンにもありましたし、日本海軍とイギリスは、第二次大戦での戦争もありましたが、それ以前にも関わりを持ちました。


日本のこうした博物館を詳しく知らないのですが、ここでも絵画は数多くありました。交易で扱った珍品など、本当に船が扱ういろいろなものがありました。他にネルソン提督の展示もしていましたが、これは時間が無かったので入りませんでした。ただ、内容的に、グリニッジに来たら見てもいいものの、わざわざここだけを見に来る場所ではないと感じました。


なんというのか、グリニッジは「全体としては観光名所が多い」ですが、そのひとつひとつの観光場所で見ると、やや物足りなさが残りますし、久我の方でも勉強不足や準備不足があったかと思います。イギリスに住んでいる家族連れが、休日に足を運ぶような場所ではないのかなぁと、今になって感じました。


国立海軍大学


最も今回見たかった場所、でした。日露戦争以前には日本からの留学生もいたのだろうと想像しました。残念なことに見物可能な場所では卒業式をしていて、入れませんでした。ここの建物で勉強できたらいいなぁと、少し憧れました。




このグリニッジの街、海軍以外では、以前紹介した明治時代にイギリスで活躍した日本人画家・牧野義雄が下宿した街でもありました。








カティ・サーク号


最後に立ち寄ったのが、本来はスタート地点になると思える、カティ・サーク号です。19世紀の快速帆船、ということで興味があったので、中に入りました。がががが、ここはもう子供向け、子供だらけでした。



当時の快速帆船の歴史や、交易で扱っていた品々、地下には船首像もいろいろとありました。船の甲板は生活――そう、久我は結局生活用品や暮らしの道具が好きなんですね――の匂いがするものばかりでした。第一にキッチン。狭い厨房ですが、当時の光景が残っていました。オーブンとか、鍋とか、もうたまりません。






船員の船室と対照的だったのが、船長の部屋です。部屋と言うよりも生活空間と言うのか、幾つも部屋が連なって、部屋ではなくエリアでした。海事博物館とセットと言うか、お互いにお互いを補い合うようにイメージできれば、面白いかと思います。


Marks & Spencer

帰りはようやく見つけたスーパーのMarks & Spencerに入り、寿司パックを買いました。中に入っている練りワサビや紅しょうがは「日本製」でした。米はぱさぱさで硬かったですが、そこそこ美味しかったです。


ホテルに戻るも

この時間ではまだ16時ぐらい。昨日は疲弊しきっていましたが、今日はそうでもありませんでした。なので、近所のヴィクトリア&アルバート博物館に行こうと、補給を終えるとすぐ出発しました。




予定4:ヴィクトリア&アルバート博物館



土産物

最初に見るものは、いつも土産物屋です。ここには美術館が所蔵する品々の本が置いてあります。衣装や食器類の設定資料になるものを前回の旅行では必死に物色しました。が、今回は捜してみて、幾つか見つけたものの、「重い」「高い(20ポンド以上)」ので、断念しました。


資料を集め始めてかなりの歳月が過ぎるので、そろそろ手当たり次第に買うのを止めなければ、破綻します。適当に見物しながら、見物に回ります。内部での写真撮影は許可されていますが、確か、公開は行けなかったと思うので、載せません。


今回の目的はただひとつ。ウィリアム・モリスの部屋を発見することです。いろいろと見ても良く分からず、前回は見つけられなかったので「上の方にあるんだろう」という目算で、動き始めました。


が、その前に、臨時の展示を見ました。


衣装展

19世紀以降の様々な上流階級っぽい衣装のコレクション展示を、臨時で行っていました。入り口には王冠と王錫を持ち、首には真珠のネックレス、シルクの白いドレスには色とりどりの宝石がちりばめられていました。


後は、バースの衣装博物館で見たような、華やかな上流階級のドレスが目白押しです。クリノリンやバッスル、女性に限らず男性の真紅のハンティングコート、タキシード、20世紀に入ってからの『VOUGE』的な女性服もいろいろとありました。


ロバート・アダム再び

ヴィクトリア&アルバート博物館には、いろいろな年代の「部屋」を再現しているスペースがあります。ロバート・アダム様式の天井の紋様、壁のデザイン、暖炉などが、暗い証明の中、見物することが出来ます。天幕つきのベッド、チップンデイルの家具、イギリスの美術館にはイミテーションも多いですが、なんとなくの雰囲気が伝わればいいので、楽しめます。他にも、いろいろな建物の模型と設計図があります。クリスタル・パレス、国会議事堂など、資料的にも十分面白いです。



食器類

圧巻なのは、生活用品や道具です。鉄製品はアイロンや鍵、調理器具、燭台、暖炉の火かき棒が、銀器では食器(ナイフやプレート、皿、給茶のポット、さらには巨大なワインクーラー)、さらにガラスの向こうにはテーブルの上にコーディネートされた花や燭台、フォークやスプーン、ナプキンまであります。過去に、NHKでヴィクトリア&アルバート博物館を見た際、見物したかった場所です。(なぜかその近くに、ウェディングドレスと、喪服がありました)


迷走、そしてモリスの部屋

前回見つけられなかった、ウィリアム・モリスのデザインした部屋。前回は1回を隈なく探したつもりになって見つけられなかったので、上の階にあるのだろうと思い込んで探していましたが、見つからず、入り組んだ階段を移動して降りていた頃、偶然、「1階」で見つけました。


部屋は暗く、人通りも少なく、近くを通る観光客の人も、ほとんどが通過していました。中に入ると、床や天井や壁紙、モリスのデザインした模様で囲まれています。語弊があるかもしれませんが、部屋が暗く、人も少なく、怖かったです。


場所は正面入り口の正反対側、最も遠い北側の場所です。ここからは建物の西側出入り口が近いです。そこからクィーンズ・ゲートの通りに出て、後はホテルに戻りました。


帰還して、いつものコースです。三日連続、18時ぐらいに睡眠に突入しました。明日が一応宿泊できる最終日、メインディッシュともいえる「OsterlyPark」への訪問が待っています。


2006-01-09 続けて

[][]その5:2日目は屋敷行き

起床:02:00、06:00

翌日、目が覚めて窓の外を見ると、まだ外は真っ暗。午前二時です。もう一度眠りにつきましたが、目覚めてもまだ午前六時。外は真っ暗、なんとなく窓の外を眺めて、夜明けのロンドンを待ちました。


赤みがかった夜明けの空が、段々と抜けるような青空に変わっていき、霧のロンドンとは程遠い鮮やかな夜明けを見ることが出来ました。


朝食:07:30

ホテルのレストランへ向かい、イングリッシュ・ブレックファーストを楽しもうと、そういう優雅な気分でいました。そうした期待に応えるように、レストランは天井が高く、かつてここで舞踏会が開かれたのではと思えるほどに広く、壮麗な内装でした。


この雰囲気に気おされつつ、席に着きますが、ビュッフェ形式の食事はやや品目が少ない感じでした。前回のボニントンホテルでは受付でルームナンバーを告げ、あとは自由にビュッフェ形式の朝食を楽しめました。席に着くと紅茶とトーストはホテルのウェイターが持ってきてくれます。


今回も席に着くと綺麗なお姉さん(メイドさんの格好ではなく、ウェイターっぽい姿)が質問に来ますが、どうやら様子がおかしいのです。メニュー表を見せてくれたのですが、「朝食は別料金」。しかも、朝から13ポンドぐらい……他にメニューがないかを良く探しましたが、隣にあるメニューは「追加料金8ポンドで、イングリッシュ・ブレックファーストを」。朝から4200円を払うつもりはありません、さすがに。


ここまで来て逃げるわけにも行かず、がっくりしながら、せめていい場所を眺めようと、悲しみの朝食は始まりました。朝食の味は普通……今回の旅行は大丈夫なのだろうかと、本気で心配しました。


予定1:Kenwood Houseへ

日本でも有名な屋敷

この日はロンドン郊外、小説版『エマ』では、ウィリアムの屋敷(ジョーンズ家)があるハムステッドへ行く予定でした。ここにはロバート・アダムが関わったカントリーハウス・Kenwood Houseがあります。この屋敷は日本人には有名で、ネットで検索するとあちこちに名前が出てきます。


有名な理由は二つ。ひとつは映画『ノッティングヒルの恋人』で登場したこと。もうひとつは、日本でも人気のある画家フェルメールの絵画があること。そして今後はもしかすると、『エマ』の舞台のひとつ、になるのかもしれませんね。


そしてネットの情報で共通していたのは、「迷う」ことでした。バスもありますが、駅から二十分ぐらいとのことで、迷うことを前提に、入場時間の午前十時ぴったりに入れるように早い時間に出発しました。


地下鉄で移動:08:00出発?

だいたい9時ぐらいにGroucester Roadから地下鉄を乗り継ぎ、目的地のHampstead駅に到着しました。Hampstead駅は地下鉄で言うとエリア3ぐらいなので、注意が必要です。駅を降りると目の前に坂道があり、ここを上がっていけば辿り着くだろうと、右に曲がって坂道を上り始めました。


だいたいこういうところがいいかげんなのですが、そういう寄り道も見越して、早めの行動をしています。方位磁石が本気で欲しいとも思いました……


森の中にいる

しばらく進むと、左手に池のようなものがあって、そこからさらにまっすぐ進むと右手に立て看板があり、そこに「Hampstead Heath」の文字がありました。Kenwood HouseがあるHampstead Heathの入り口です。


このまま車道沿いに進めば目的地の屋敷に辿り着けるのですが、例によって久我は「なんとなく」の感覚で「Hampstead Heath」に入り込みました。こっちから屋敷に辿り着いた方が面白いだろうなぁと、そういう気持ちです。自転車で通り抜ける人や、犬の散歩で歩いている人が多いので、大丈夫だろうと一歩を踏み出しました。


道を入るとすぐ、丘の上から、霧に包まれたロンドンを見渡すことが出来ました。朝の黄金の光に包まれて、その鮮やかな光景にしばらく心を奪われました。写真ではうまく撮影できませんでしたが、朝目覚めるたびに、こうした眺めを見渡せるならば、確かにこの辺りが「高級住宅地」というのもうなずけます。


そこから道なりに歩いて行きますが、段々と道が消えていくような気がします……芝生ではなく、足元は土に。今までは暖かい日に当たっていたのに、気がつくとちょっと肌寒く。


「あれ?」


そう、いつのまにか「森」の中にいました。「歩道」がありません。

それもホラー映画(『スリーピー・ホロウ』など)か中世ファンタジーの、薄暗く鬱蒼として不気味な森……見てください、この木の根を。カメラの都合で色彩が伝わりきらないのが残念ですが、何か違う世界。夜に迷い込んだり、太陽が出ていなかったら、恐怖で怯えることでしょう。


このままでは「まずいかも」と道をいろいろと探しましたが、道なき茂みの向こう側に、散歩している人影を見つけ、無理やり茂みの中を突っ切って道に出て、看板を見ると。


「Hampstead Heath」の入り口……別のスタート地点に戻ってしまったのです。さすがです。


Kenwood Houseへ

気を取り直して、地図を見ながら今度は迷わないように、道を進んでいきました。今度の道は開けていて、散歩で犬を連れて通る人が多く、親子連れもいました。安心です。途中、迷ったものの、そこは「Dairy」でした。


そのまましばらく進んでいくと、ようやくKenwood Houseの門に到着しました。




カントリーハウスに到着するまでも「美しい風景」という話がありますが、このKenwood Houseもその通りでした。上の並木道を通り抜けると、すぐそこにKenwood Houseが姿を見せるのです。


がががが、入場時間は……午前十一時! 去年の調査では十時でしたが、最新情報をチェックしなかったばかりに……現在の時間はまだ09:50。あと1時間、過ごさなければなりません。


周囲を散策1〜キッチン

ひとまずいろいろ見て回ろうと歩き出しました。Kenwood Houseは屋敷の北側を正面に、西側には「ウィング」とでも言うべき、使用人たちがいたと思われるエリアがあります。後で買ったパンフレットによると、ここは「Service Wing」。ここにトイレと、かつてキッチンだった場所があり、今はカフェとレストランになっています。


キッチンだった場所はかなり広く、今はテーブルが幾つも並んでいて、さながらレストランのようで、隔世の感がありますが、四方の壁には百年以上前の痕跡が残っていて、調理器具や皿が並んでいますし、奥には開放式のレンジもあります。流しやオーブンなど、マニアックな久我にとっては嬉しい発見でした。


他に浴場もありましたが、ここはちょっと寒そうでした……その名も、Cold Bathでしたし。


周囲を散策2〜ミューズとキッチンガーデン

というふうに、いろいろと屋敷に隣接したエリアを歩いていると、木造の離れの建物を発見しました。そこは、Mews、つまり厩舎でした。壁にある張り紙によると、アポイントメントをすれば見物できるとのことですが、語学力が無く、一人旅では弱気なので、今回は諦めました。


厩舎の先には、ちょっと小さな建物と庭園風の場所がありました。見てみるとそこは、Kitchen Garden。最近勉強している、キッチンガーデンが目の前にあったのです。


イギリスの庭園は有名ですが、中でもカントリーハウスと切り離せないのがキッチンガーデンです。ここでは屋敷に必要な野菜や果物、それに異国の花や珍しい植物、そして季節をずらした野菜などを育てていました。


話すと長くなりますが、『秘密の花園』を読んだ時、疑問に思わなかったでしょうか?


『どうして庭園は壁に囲まれていて、鍵がかかっているのか?』


まだ詳しく調べていないのでざっくりとしたものですが、壁は一種の「温室」的な役割を果たしました。冷たい風を遮るのです。本当の温室は閉鎖してセントラルヒーティングのように密閉していましたが、暖房費やコストがかかります。


壁に囲まれたエリアはそこまでしないものの、冷たい風への耐性を備え、植物を育てる環境を整えるためにありました。


もうひとつ、壁に関して面白いのが、果樹の育て方です。初めて見たときは意味がわかりませんでしたが、イギリスのガーデナーは果物の木を植えるとき、壁に打ち付けました。


これには装飾的な意味合い、枝葉をコントロールして綺麗な形にするという意味と同時に、「太陽の熱を受ける壁の温度で、樹が温まるようにする」という効果もあったのです。


目の前には、そうして育てられた樹木があります。これらを間近に見られただけで、早く来た甲斐がありましたが……それでも時間はまだまだあります……ベンチに座って、日に当たり、しばらくイギリスの空を眺めていました。


空の色は日本と同じですね。観光地に来て、ぼけっと日に当たって空を見ている、何をしているのでしょうか?






ようやく入場:11:00

11:00、いよいよ入場できます。


写真集で見ていたケンウッド・ハウスをついに見物できるのです。最初の入場客として入った玄関ホール。思ったよりも天井は低いものの、見上げた先の装飾はまさにアダム。水色の扉と、薄い若草色の壁面、やや屋敷としては小さな印象でしたが、これが多分、最初に訪問したカントリーハウスになります。


床は木製で、ちょっと意外でした。


それから時計周りに移動しました。


正面ホールの隣はGreatStaircase、直訳すれば偉大な階段、屋敷のメイン階段です。とはいえ、玄関ホールに直結しておらず、廊下にあるので、ちょっと日本的な感じもします。


落ち着いた色合いの木製の手すり、そしてそれを支える黒く塗られえた鉄製の支え(柵というべきでしょうか)、ここにもアダムの趣味が見られます。メイドたちにとっては装飾が多くて、掃除して磨くのは大変だったことでしょうね。


ここの床も木製で少し不思議な感じがしましたが、このまま階段を上らず、まっすぐ進みました。そこから左に曲がるとLobbyになり、DiningRoomへ通じる場所。ここは、屋敷の中でも壮麗な部分のひとつといえるでしょう。


部屋自体は狭いのですが、天井は吹き抜けぬなっていて、柔らかい白い光が降り注ぎます。床は色を組み合わせた石で飾られていて、これぞまさに屋敷だという雰囲気でした。屋敷のパンフレットの表紙の写真も、このLobbyを使っています。


行き止まりのDiningRoomを見てからそのまま戻っていくと、今度は左手にLibraryがありますが、ここは本当に素晴らしいとしか言いようが無い部屋でした。


写真で見たときは小さいという印象だったのですが、実際はかなり広くなっていました。入り口の扉が狭いのですが、そこから一歩踏み入ると天井は高く、室内が一気に広がります。


床は緋色の絨毯が敷き詰められ、内部には白い円柱が立っていて、左手にはThomas Chippendale(イギリスに行くと頻繁に見る名前、チップンデール)がデザインしたという鏡、右手にも大きな四角い鏡がありました。壁は書棚にもなっていますが、あくまでも主役はこの部屋で、天井はバッキンガム宮殿とは違った意味で、美しい装飾と色彩と壁画で彩られていました。


ため息しか出ません。


ここの部屋は多分ですが、わざと入り口を狭くして、中に入ったときに感じる広がりをより感動的なものにしているのかと思います。何度も往復して、見惚れてしまいました。


二階にはペンダントなどに施した細密画のコレクションがありました。あと屋敷にはフェルメールの『ギターを弾く少女?』という絵もありましたが、Libraryの印象が強すぎ、あとはあまり覚えていないのです……


尚、Libraryと対になるOrangery(温室)は撮影に使っていたようなので、見物できませんでした。という感じで、初めてのロバート・アダムの屋敷訪問は終了です。


帰り道

帰りは迷うのも嫌なので、素直に車道に沿って帰ることにしました。そちら側には駐車場もありましたが、やけに混雑しています。そういえば、なぜか子供をつれた家族が非常に多かったです。


しばらく歩いていると、三人組のお年寄りに道を聞かれました。


「ケンウッド・ハウスはこのまままっすぐ行けばいいのかい?」

「はい、まっすぐ行くと門があるので、そこを右に曲がります」


なぜかこの日も道を尋ねられました。地元民には見えないはずなのですが、こんなところを一人で歩いていると、旅慣れているようにも見えるのでしょうか?


というイベントの後、しばらく歩いていって、ちょっと寄り道を考えました。実は来る途中に、NationalTrustが管理しているというFenton Houseの看板を見つけていたからです。しかし、そこから適当に歩いていたので、目的地は見つからず、そのまま駅に戻りました。(今調べると、この時間では開いていなかった模様です。昔の楽器のコレクションがあるとのこと)


このぐらいで、だいたい12:30ぐらいだったでしょうか。


English Heritage:Kenwood House(Libraryの写真がトップに)


予定2:Tate Britainへ

予期せぬ出会い〜ジョン・エヴァレット・ミレイ

ロンドンの北から、今度は南へ向かいます。目的地はTate Britain。前回の旅行で行きたいと思っていたものの、降りる駅Pimlicoは若干主要幹線から外れていて、スケジューリングが難しく断念しました。


とはいえ、Hampstead駅からはNorthen線、Euston駅でVictoria線に乗り継ぎ、スムーズに行けました。Pimlico駅を降りると、だいたいの人が同じ方向に歩いていきますので、そこについていけば間違いないと思って歩いていき、実際に間違っていませんでした。


場所はテムズ川沿い。この時期はドガ展を臨時でやっているようで案内のポスターを地下鉄各所で見ましたが、今回の目的では無いので、スルーしました。美術学校らしき建物の向かい側に、神殿のように広がるテート・ブリテンを発見しましたが、ふと目の前にある銅像に気づきます。


その銅像こそ、「ジョン・エヴァレット・ミレイ(Sir John Everett Millais)」。『ヴィクトリア朝万華鏡』で彼が描いた、発狂して流れていく『オフィーリア』を見て以来、気に入っていた画家です。日本で「ヴィクトリアン・ヌード展」が開催された折も、半分は彼の絵を見る為に足を運びました。(半分はアルマ・タデマの『ローマ風呂』:仮称の為でしたが)


テート・ブリテンの訪問理由は、彼のオフィーリアの絵を見るためでしたので、こんなところでまったく意図せずにその作者の銅像に出会えたのは、嬉しい偶然でした。


しかし、この偶然か、必然か、意識した途端に見え始めたものは、旅行中、ずっと続きました。まさに、今回の旅は「ミレイに出会う旅」だったのです。


テート・ブリテン:13:00

臨時のドガの方は入場料が必要で、また若干混雑していたので、今回は無料の常設展示を見ることにしました。それだけでも十分な分量のコレクションが展示されています。


階段を上った入り口ホール、着飾った幼い少女の絵がありました。なんとなく見覚えがあるタッチ……そう、最初に見た絵画も「ジョン・エヴァレット・ミレイ」でした。


絵画はもう、それこそたくさんありすぎて、ひとつひとつコメントすることも出来ませんが、次に目に飛び込んできたのは、アーサー・ヒューズ『四月の恋』。鮮烈なスカートの青?紫?、ヴィクトリア朝の批評家ラスキンが、急いで買ったエピソード(『ヴィクトリア朝万華鏡』)を思い起こしました。


ヴィクトリアン・ヌード展を見に行ったときも思ったのですが、向こうの絵画は大きいキャンバスに描かれたものが多いです。そして、それだけの絵画を収めるにふさわしい美術館で見られるのは、幸せでした。


そして、ようやく待望の絵画『オフィーリア』に出会えました。それは非常に大きく、美しい絵画でした。


さらに、その隣にもミレイの絵がありました。


それは腰に手を当てて背筋を伸ばす女性、青い服の鮮やかさと、女性の柔らかさが魅力的な絵でした。


他にも、かつて買った英書『THE RISE OF THE NOUVEAUX RICHES』の表紙の絵も見つけました。作者はJohn Singer Sergent。サージェントの絵はもうひとつあって、それは日本人にとっても馴染み深い「提灯」を題材にしたものでした。


そして、ウォーターハウスのグィネヴィア王妃の絵を見て、感情は飽和してしまい、クライマックスに突入しました。


絵画の話は詳しくないのですが、他にも幾つかエピソード的な話で言えば、ターナーの常設展をやっていて、彼が実際に使った絵の具セットやラフスケッチを見られたのは、貴重な体験でした。絵画を見る機会はありますが、ではどのように絵を描いていたのか。特にラフスケッチは、小説を書こうとしたときに知りたいことでした。


そのターナーが訪れた屋敷チャッツワース(デボンシャー公爵家)の内部をいろいろと描いていたのも、チャッツワースそのものに興味のある久我としては、印象深いものでした。


印象深いものしか記憶には残らない、記憶に残るイベントとして認識されないとは思うのですが、いろいろと広がりが繋がっていく感覚が気持ちよかったです。


wikipedia:ジョン・エヴァレット・ミレイ(オフィーリアの絵も)

Tate Britain



ミルバンク・テムズ川・ビッグベン

ミルバンク

帰りは地下鉄に乗らず、サラ・ウォーターズの小説『半身』の舞台となったミルバンクの監獄があったエリアを通りました。ミルバンク・タワーらしきものもありましたが、過去の痕跡を残すようなものは見つけられませんでした。


それから国会議事堂・ビッグベンを目指して、テムズ川の横を北上しました。国会議事堂の南側には小さな公園(Victorian Tower Park)がありますが、そこから見えたのが、このヴィクトリアン・タワーです……青空を背にして伸びる尖塔が目の前に広がって、素晴らしい光景でした。




国会議事堂

国会議事堂前は観光客であふれかえっていました。普段はカメラを出すのはためらいがあるのですが、この時ばかりは他の人々に交ざって、いろいろと写真を撮りました。しかし、クロムウェルの像は人気が無いようでした……









ウェストミンスターからHyde Parkへ

この後、地下鉄を使って、Hyde Park Cornerを目指します。ウェストミンスターの地下はまるで未来の基地のようなデザインをして、かなり地下深くまでエスカレーターで潜っていきます。前回の旅行ではこの駅で友人とはぐれてしまったのを思い出しました。そのときは、駅を降りたその先に、確か記憶が間違っていなければ銃をぶら下げた警官がいて、びびったような……


それからJubilee線でGreen Parkまで出て、Piccadilly線に乗り継ぎ、HydeParkCornerに出ます。この辺りは去年の旅行でも来ているので、そこそこ安心感がありました。


予定3:Apsley House 15:00

英雄の邸宅〜ウェリントン公爵

HydeParkCornerで降りた理由は、前回の旅行で行き損ねた場所、Hyde Parkのすぐ傍にある屋敷Apsley Houseがあるからです。残念ながら外壁を工事をしていて去年の姿(写真)は見られませんでしたが、今年は中に入って見物できるとあって、期待で胸が高まります。


ナポレオンとの戦争では、ふたりの英雄がいます。ひとりはトラファルガーの海戦のネルソン提督、今年はちょうど海戦から二百年が経過しています。もうひとりがワーテルローの戦いでイギリスに歴史的勝利をもたらしたウェリントン公爵です。そのウェリントン公爵の屋敷が、Apsley Houseです。


現在はEnglish Heritage(National Trustのような組織でKenwood Houseもここの管理下にあります)が管理し、一般に公開されていますが、素晴らしい場所にあるわりに、意外と観光客は少ないのです。


穴場かもしれませんが、その理由は、様々な観光資源に恵まれるロンドンの中では「地味」で、やや趣味が貴族的であるせいかもしれません。


入り口の扉を開けると、内部はやや薄暗くなっています。ここから巨大なナポレオン像がある階段を上がると、二階に出ます。そして、ここがなぜ主要な観光名所になれないのか、という答えもわかるかと思います。


派手すぎる? エドワード朝とヴィクトリア朝

ここはウェリントン公爵の戦勝記念館であって、英雄を称える絵画や銀細工、宝飾品があまりにも多すぎます。ロバート・アダムが関わっているからこの屋敷を訪問したのですが、残念なことに、ロバート・アダムの内装の多くは、その後に関わった建築家Wyattによってことごとく「上書きされている」ようでした。


アダムは明るい色彩、落ち着いた雰囲気の屋敷のインテリアを心がけていましたが、Wyattは強い色彩、エドワード朝的な金色や黄色、そしてストライプで飾り立てたようで、色彩が強いのでおとなしい風景画は埋もれていました。


この建築家は久我としては「派手すぎる」デザインを好んだようで、落ち着きませんでした。内部に飾られている絵画や美術品は美術的な価値より歴史的な価値に重きを置き、さらに内装もゴージャス過ぎる、けれどバッキンガム宮殿ほど突き抜けていない、という具合でした。


ただ、華やかな往時の社交界を連想させる「The Waterloo Gallery」だけは、別格でした。ここは小さな体育館ぐらいの広さで、かつては大きなダンスパーティが開催されたであろうことは想像できました。その広さと天井の高さはとにかく圧巻で、部屋の隅の椅子に腰掛けて、百年前を思いながら、しばらくの間、その空間を眺めていました。


果たして、どんな令嬢たちが踊っていたのか?

これだけ広い床、高い天井、掃除はどうしていたのか?

メイドは何人ぐらい働いていたのか?

この屋敷にメイドたちは住んでいたのだろうか?


屋敷の1階や地下にはいろいろな食器類もありましたが、豪華すぎて、あまり記憶に残りませんでした。ただ食器類だけはそれなりに綺麗で、往時の生活を思わせるものでした。


久我はロバート・アダムが好きなだけに、そこを上書きした建築家に偏見を持っています。なのでかなり批判的にこの屋敷を書きましたが、ロンドンの中心にあり、訪問しやすい屋敷なので、一度見ておいて損は無いと思います。


かなり疲れていたのも原因かもしれません……この日、ロンドンは暑かったのです。そして、中学生の部活動の如く、この日最後の行軍へ。


English Heritage:Apsley house/The Waterloo Gallery


予定4:Hyde Park:16:00

ロットン・ロウ

『エマ』で有名になったロットン・ロウ(王の道)、今回の旅行でも通りました。かつては社交の為に馬車や馬に乗った人々が通りましたが、今はたまに乗馬の人が通るのみです。


ここからは直進行軍で、HydeParkの散歩をして、今日一日の旅行を終えようと決めました。


秋の公園内は暖かな日差しに照らされて、黄色く染まった木々が輝いていました。ロンドンの秋を感じるのに、これほどふさわしい場所は無いと思えるほどに、ゆっくりとした時間が流れ、時々はベンチに腰掛けて、目の前の光景を楽しみました。


明治時代の長谷川如是閑もここに立ち寄り、詳細なレポートを記しています。ちょっとそこから引用して、往時の雰囲気をお伝えしたいと思います。

ハイド・パークの貴族的趣味は、ロットゥン・ロウとリングに遺憾なく発揮される。これはロンドン名物の一として世界的に有名なものだ。ロットゥン・ロウというのは、蛇の池(サーペンチーン)の南に沿うて、ハイド・パーク・コーナーからケンジントン・ガーデンスまで、美しい並樹の間を一直線に通っている一マイル半もある馬場だ。Rotten Rowを直訳すれば、枯れた列で、何のことか解らぬが、これは仏語のRoute du Roiの訛りで、昔この馬場に入る者は、皇室から特権を投げられた貴族に限ったので、王の路という名が起こったものだとある。今は誰れでも自由に馬を入れられるが、それでも自ずからの習慣で自ら特権のある事を自認するか、あるいはこれに匹敵する自信のあるものでなければ、敢て此処に馬を馳せざる事は、ハイド・パーク・コーナー門内のベンチに腰掛ける女に、一定の自任乃至自信を要すると同じ具合である。朝の八時頃、午後の五時前後、此処に来て見ると、シルクハットの紳士、山高帽の貴女が、一頭何千ポンドというような月鹿毛、磨墨の轡を並べて、雲集している様は、日本ではちょっと見られない図だ。

『倫敦!倫敦?』長谷川如是閑・著 岩波文庫P.61〜62より引用(ASIN:4003317629

だいたいにおいて如是閑が解説してくれていますが、途中でサーペンタイン池にも立ち寄り、秋の公園の風景を楽しみました。





ロットン・ロウの終点?


アルバート公像




前回の旅行では行けなかった場所は、ケンジントン宮殿や、ヴィクトリア女王の夫であるアルバート公像、そしてアルバート・ホールなど、ちょっと西側のエリアでした。今回はその西側のエリアに近いところにホテルを確保しているので、なんなく辿り着けました。


ただ、この頃には本当に疲弊が著しく、ケンジントン宮殿に足を伸ばすのは不可能だと判断し、アルバート公像を眺め、アルバートホールを一瞥して、帰路に着きました。



QUEEN'S GATEまで歩いて、昨日迷った辺りを通り抜け、左手に自然史博物館を眺めながら、十字路では右に曲がり、そしてホテルに戻って、この長い一日は終わりました。


ホテル:17:00

ホテルに戻るとさっさとシャワーを浴びました。ロンドンは日本よりも暑く、とても汗をかきました。一日中歩いていたので足の疲労も相当だろうと、準備していたシップを貼り、寝る前にストレッチをして、あとはもう爆睡です。かなりの距離を歩いたので、中学生の頃の部活を思い出しました。


十分すぎるほどに歩き回りましたが、同じ行程を友人と一緒に行くのは不可能だったでしょう、と思えるほど過酷なスケジュールだったかもしれません。しかし、これは今回のロンドン旅行ですべての日に当てはまりました。


そして目覚めるのは、再び午前二時。というところで、また翌日に旅行記は続きます。


光る謎の飛行物(嘘)