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私は一つ懺悔しなければならない大変な重大な過ちを過去に犯している。


妹がいるのだが当時付き合っていた外科医が病院に詰めていると信じきっていたら浮気をしていたのが発覚しその後破談した。
すると両親は焦ったのか狂ったように次々とお見合いを設定し家には男性の写真がうずたかく積まれていった。


ある日いたずら心で男性のプロフィール写真を玄関から廊下をつたって妹のベッドまで並べたことがある。


その晩妹は発狂した。「オニババ」になった。


飲み干した一升瓶を振り回し叩き割り包丁を振り回しカーテン、ソファー、柔らかいものはことごとく斬りつけ破り裂き窓ガラスを粉砕した。


全身流血。目の焦点は定まらず完全に「逝っていた」。


しょせん女。いとも簡単に押さえつけた。しかしすさまじい後悔の念に苛まれた。


申し訳ない。忘れることはない。


その後バタバタと事は運びやがて結婚していった。
ドナドナ感は・・否めなかった。



戦争に負け連合国に「これで服を作りなさい」とポツダム宣言という布と設計図を渡されそれを基に日本国憲法という服を作り着ることになった。
「個人の尊厳」、世の中で一番大事な価値観は「個人主義」ということにしよう。あなたにとって一番大切なものは家父長でも両親でも家族でも国でも地域共同体でも天皇でもなくあなた自身なんだ。あなたは誰のものでもない、あくまでもあなたのものとして、個人として尊重されるんだ。
そういう服を作った。


内的革命から生まれたものでないが故によくわからないうちに作られたその服はあまりに立派で大きすぎてかえって居心地が悪かったりした。
しかしやがて体も大きくなり「こんなものかな」といろいろ試しているうちにその居心地良さにだんだん気づいてきた。


服を着て50年。ようやくその服の仕様がわかり始め今まさに変革期にあると思う。
お互いを最終的に又はある程度理解しあうまでに価値観が激しくぶつかり合い傷つけ合わざるを得ない。これは不可避である。本来民主主義というものはそういうものだから。
独裁主義、全体主義だったら楽である。価値観は一つしかない。衝突も摩擦もない。絶対的価値観に従うだけだから。


しかしその傷の深さやそれを癒す能力、今以上に力強くなる能力は千差万別である。運動選手のように食事をして寝て次の日には回復する人もいれば回復不能なダメージを受けてしまう人もいるはず。
どうか相手の受け入れる精神力、精神的余裕なども総合的に考慮して言動していただけたらと思う。
あくまでも相手あっての言動だから。「オニババ」にしてしまうから。





個人主義では幸せ感はその人それぞれ。それこそが日本で一番大切なものであり、それを尊重して大事にしてあげる。それが今の日本国憲法の考え。


時間が経過しやがてその個人主義的発想が行き渡りきちんと根付けば多くの女性にとってもっと住みやすい国になると思う。