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埼玉の古い地名を探す

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2018-06-16

[]浦和市大字町谷字前

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発見日:‎2017年8月28日

発見場所:さいたま市桜区町谷四丁目付近

に続いて前も発見。位置関係からいって、東京に近いほうが前で間違いないだろう。

今回の旧地名を発見した町谷四丁目であるが、町谷四丁目交差点を始点とする町谷本太線という都市計画道路が最近(2018年1月)開通した。もっとも、一部の未開通区間以外は既に開通していたのだが。

既に開通済みだった区間のうち、さいたま市役所の西と大戸中通りを結ぶ橋は鯛ヶ窪橋と名付けられた。これはこの辺りが鯛ヶ窪と呼ばれていたことによるが、かつては浦和町字鯛ヶ窪という地名であった。ちなみに鯛ヶ窪橋の下を通っているのは河川ではなく、武蔵野線大宮支線である。

2018-06-09

[]川越市大字南大塚字旭野東

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発見日:‎2018年4月28日

発見場所:川越市四都野台付近

アパートの木製表札から。画像ではほとんど読めないと思うが、肉眼でもかなり厳しい。字旭野との位置関係から推察してようやく解読できた。

しかし、字旭野の広大さに比べて字旭野東は四都野台の区域にしか存在しないレアな地名のようだ。四都野台の成立は1994年(平成6年)と周辺地域に比べて早く、新旧地番対照表がホームページに載っていない。したがって、字旭野東が本当に存在したのかどうかすら確認できない。

そういえば以前、大字南大塚から成立した町は南台以外すべて2000年以降に成立したと書いたが、四都野台も成立が2000年より古い。うっかり忘れていたわけではなく、四都野台の旧区域に大字南大塚が含まれるかどうか確かめようがなかっただけなのだが、今回現物をもって確認することができた。

2018-06-02

[]川越市大字南大塚字旭野

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発見日:‎2018年4月28日

発見場所:川越市南大塚三丁目付近

大字南大塚が存在していた範囲は広く、しかも最近になって町名地番変更された区域が多いため、小字付きの旧地名がたくさん見つかる。

今回発見した大字南大塚字旭野は、大塚新町、南大塚二・三丁目、大塚一丁目、むさし野にかけて広範囲に存在していた。旭野の名前はバス停や公園に残っている。

ちなみに大塚新田には字朝日野があったが、字旭野とは少し離れた現在の大塚二丁目のあたりに位置していた。また、大塚二丁目に隣接する旭町一〜三丁目は1965年(昭和40年)に成立した古い町であるが、由来はこの周辺が古くから朝日野と呼ばれていたことによるそうである。

2018-05-26

[]川越市大字南大塚字稲荷久保

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発見日:‎2018年4月28日

発見場所:川越市大塚新町付近

今回の旧地名を発見した大塚新町は、西武新宿線南大塚駅から北東に少し行った線路沿いに位置している。区域のほとんどは線路の南側だが、なぜか一部だけ北側にはみ出している。大塚新町の名前は大塚新田から取ったと思われるが、実際は大字大塚新田と大字南大塚が入り乱れて存在しており、今回の旧地名は大字南大塚のものである。

小字名の稲荷久保であるが、大塚新田のほうには稲荷窪という小字があり、隣接して位置していた。これと同じような例として、南大塚では字四ツ谷なのが大塚新田では字四都野となっていたりする。元は同じ地名だったのが、文字で記録する際に村ごとに別の字を当てたのだろう。

稲荷久保の稲荷は稲荷神社から来ていると思われる。大塚一丁目に窪稲荷神社というのがあるが、これは元は大塚新田字稲荷窪に存在した。窪稲荷神社があるから字稲荷窪というよりは、字稲荷窪にあるから窪稲荷神社と呼ばれるようになったというのが正しいようだ。

大塚という地名は古墳と関係がある。塚とは土を小高く盛った墓のことで、古墳はそれが遺跡となったものである。実際このあたりには南大塚古墳群が存在する。そして墓を見守る稲荷神がこの地に祀られていたから稲荷久保(窪)と呼ばれるようになったのではなかろうか。

ちなみに南大塚、大塚新田だけでなく、隣接する大字脇田にも字稲荷窪町という小字があった。なぜ町が付いているかというと、以下のような事情による。江戸時代、川越城下町の発達にともない、隣接する郷村地域にまで町が広がっていった。脇田村にはかつて猪鼻町、堺町などの町があったが、地租改正の際にこれらの町名のいくつかは小字に引き継がれ、字猪鼻町などとなった。一方、農村部については字西原畦、字稲荷窪畦のように「畦」の字が付けられたが、これを「マチ」と読ませたようだ。その後、畦は町に統一され、大字脇田の小字となったという訳である。

2018-05-19

[]新座町大字片山字天沼

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発見日:‎2017年9月7日

発見場所:新座市栄三丁目付近

今回の旧地名を発見した新座市栄の一部は、南で隣接する東京都練馬区大泉学園町の一部と一体となって碁盤目の街区を形成している。ここは大正時代に箱根土地株式会社が学園都市として開発した区域であり、現在は住宅地となっている。新座市は栄えている区域が市内で分散しているが、ここもその一つである。住所は新座市であるが、生活圏は完全に練馬区と一体化している。

大泉学園都市のうち埼玉県側の区域は当時は片山村で、後に新座町大字片山となった。東京都(府)側の区域は大泉村大字小榑であったが、その前身である小榑村は埼玉県新座郡に属していた。したがって、大泉学園都市の区域は元を辿ればすべて埼玉県の領土なのである。

小字名の天沼はバス停「天沼マーケット前」に残っている。天沼マーケットそのものも建物は残っているようだが、現在は休憩所として使われているらしい。

2018-05-12

[]上尾市大字平塚字大音

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発見日:‎2018年1月21日

発見場所:上尾市平塚二丁目付近

平塚はJR高崎線北上尾駅から東にかなり行ったところにあった大字である。区域の大半は大字のままであるが、北部の一部区域のみ町名地番変更が行われ、平塚(一・二丁目)などとなった。この町名地番変更も土地改良事業に伴うもので、大字菅谷、須ヶ谷の全域とともに実施された。区域のほとんどは農村であるが、今回の旧地名を発見した平塚二丁目には大音(おおおと)団地がある。

大字平塚はかつて上平村に属しており、現在はこのあたりの地域は上平地区と呼ばれている。上平地区のうち北上尾駅に近い区域は2014年(平成26年)に町名地番変更により上平中央となった。上尾市のホームページにある旧新・新旧住所対照表を見ると、この区域はかつて大字上尾村、上、久保、西門前、南が入り乱れて存在していたことがわかる。大字南字南とか香ばしい地名も散見されるが、残念ながらこれらの旧地名は(小字付きのものは)一つも見つけられていない。

一方、土地改良事業が行われたのは上平地区の東北端であり、東で伊奈町と接している。最寄り駅も埼玉新都市交通伊奈線の羽貫駅となり、上尾市を超えて伊奈町に入るといきなり住宅地になる。

2018-05-05

[]上尾市大字向山字中道

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発見日:‎2018年1月2日

発見場所:上尾市向山二丁目付近

大字壱丁目の旧地名をどうしても見つけたくて、向山二・四丁目を探索に行った。区域をしらみつぶしに探した結果、唯一見つかった旧地名がこれである。違う!これは俺が見つけたかったヤツじゃない!!

結局大字壱丁目の旧地名は見つからなかったが、代わりに面白いものを見つけた。〇丁目という字名が町を区分する丁目と勘違いされるはあるが、大字壱丁目を「大字」という町の一丁目と取るとは、自分には到底思いつかない発想である。

ちなみに大字壱丁目を「大字一丁目」あるいはただの「一丁目」「1丁目」としている表記は頻繁に見かけた。古い地理院地図でも昭和53年と昭和61年に発行されたものでは「一丁目」と書かれている。「壱」という漢字は「一」の旧字ではなく大字(だいじ)であり、常用漢字である。したがって、そのまま使っていいはずなのだが、旧字だと勘違いして修正してしまったのだろうか。