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埼玉の古い地名を探す

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2018-07-14

[]浦和市大字瀬ヶ崎字前島

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発見日:‎2017年8月20日

発見場所:さいたま市浦和区瀬ヶ崎五丁目付近

旧浦和市の中東部には瀬ヶ崎、木崎、山崎など「崎」の付く地名が多い。崎は台地の先端を意味しており、上記地域はすべて大宮台地上に位置している。瀬ヶ崎は大宮台地の端ではないが、河川の浸食によって削り出された舌状台地の先端に位置していたためにそのような名が付いたと思われる。

小字名の前島も台地由来と思われる。川に挟まれた台地を島に見立て、その前面を前島と名付けたのではないだろうか。前島の名は前島第1〜第4公園、前島自治会などに残っている。

2018-07-07

[]浦和市大字松本新田字坂下

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発見日:‎2018年4月15日

発見場所:さいたま市南区松本四丁目付近

松本新田は旧浦和市の南西端に位置していた大字である。現在は松本(一〜四丁目)などとなっており、大字区域は残っていない。

松本新田は元々笹目領に属していた。明治の合併で美女木村・内谷村・曲本村・松本新田が合併し、美谷本村となった。その後、笹目村との合併で美笹村となり、さらに(旧)戸田町と合併して(新)戸田町となった。しかしその後、内谷・曲本・松本新田が戸田町から分離し、浦和市に編入された。

小字名の坂下であるが、松本新田には田畑、荒井、坂下といった小名があったそうだ。以前に発見した字田端も田畑から来ているのだろう。坂下という名前からは高低差のある土地を思わせるのだが、実際はこの辺りは荒川沿いの平坦な土地で坂らしい坂は見当たらない。

2018-06-30

[]浦和市大字曲本字丸丁

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発見日:‎2017年12月29日

発見場所:さいたま市南区曲本二丁目付近

今回の旧地名は私が発見したものではなく、本ブログの読者である soranami さんから情報提供いただいたものである。この辺りは私も何度か調査したのだが、これは見つけられていなかったので大変ありがたい。私一人ではやはり探索に限界があるので、今後もぜひ読者の皆さんとともに埼玉県の旧地名を発掘していけたらと思う。

さて、今回の旧地名を発見した曲本二丁目であるが、大字曲本から曲本二丁目が成立したのではなく、その間に西浦和四・五丁目が挟まっている。したがって、今回発見した旧地名は二度の住所変更に耐えて生き残った希少なものといえる(厳密にはさいたま市への移行と区制施行を加えて四度)。

小字名の丸丁であるが、地理院地図や角川日本地名大辞典の小字一覧には「丸町」と書かれている。丸丁と丸町、どちらが正しいのだろうか。

実は「丁」という字は「町」の略字なので、どちらも正しいのである。ただ一般には、距離や面積の単位として用いる場合にのみ、町を丁と略すことが多いようだ。たとえば、町を区分けするときに使う「丁目」という言葉は、主要道路に面した町を1丁(約109m)の長さで区切ったのが由来と言われている。

丸町の場合、小字一覧では「マルマチ」とルビが振られており、元は農地の境界を表す「町」を意味していたと思われるが、その後「マルチョウ」と読まれるようになり、丸丁と略して書かれるようになったのではないだろうか。

2018-06-24

[]浦和市大字田島字北

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発見日:‎2018年2月18日

発見場所:さいたま市桜区田島四丁目付近

西に続いて北も発見。よーし、こうなったら東西南北コンプリートしてやるぞ!

今回の旧地名を発見した田島四丁目には田島第一自治会、田島第七自治会、田島北自治会、田島西自治会の4つの自治会がある。田島北自治会、田島西自治会はそれぞれ字北、字西から取ったのだろうか。同町内には田島西公園がある。

2018-06-23

[]浦和市大字田島字西

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発見日:‎2017年12月27日

発見場所:さいたま市桜区田島五丁目付近

前の次は西と無味乾燥な地名が続く。西といっても大字田島の西端という訳でなく、さらに西には字櫃沼があった。もっと西の荒川沿いには大字田島字秋ヶ瀬、字平野原が現存している。

大字田島には西だけでなく、東西南北すべての小字があった。しかし少し古い地図では西だけが西耕地となっており、さらに古いものでは北が北村となり、東と南は消えて代わりに中組、前耕地、田中、小橋などとなっている。

角川日本地名大辞典の小字一覧には前耕地が載っているほか、本村というのがある。この本村がいくつかの小字に分割され、のちに住宅地の開発に伴って東西南北に整理されたのだろうか。情報がなさすぎてほとんど推測でしかないが。

2018-06-16

[]浦和市大字町谷字前

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発見日:‎2017年8月28日

発見場所:さいたま市桜区町谷四丁目付近

に続いて前も発見。位置関係からいって、東京に近いほうが前で間違いないだろう。

今回の旧地名を発見した町谷四丁目であるが、町谷四丁目交差点を始点とする町谷本太線という都市計画道路が最近(2018年1月)開通した。もっとも、一部の未開通区間以外は既に開通していたのだが。

既に開通済みだった区間のうち、さいたま市役所の西と大戸中通りを結ぶ橋は鯛ヶ窪橋と名付けられた。これはこの辺りが鯛ヶ窪と呼ばれていたことによるが、かつては浦和町字鯛ヶ窪という地名であった。ちなみに鯛ヶ窪橋の下を通っているのは河川ではなく、武蔵野線大宮支線である。

2018-06-09

[]川越市大字南大塚字旭野東

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発見日:‎2018年4月28日

発見場所:川越市四都野台付近

アパートの木製表札から。画像ではほとんど読めないと思うが、肉眼でもかなり厳しい。字旭野との位置関係から推察してようやく解読できた。

しかし、字旭野の広大さに比べて字旭野東は四都野台の区域にしか存在しないレアな地名のようだ。四都野台の成立は1994年(平成6年)と周辺地域に比べて早く、新旧地番対照表がホームページに載っていない。したがって、字旭野東が本当に存在したのかどうかすら確認できない。

そういえば以前、大字南大塚から成立した町は南台以外すべて2000年以降に成立したと書いたが、四都野台も成立が2000年より古い。うっかり忘れていたわけではなく、四都野台の旧区域に大字南大塚が含まれるかどうか確かめようがなかっただけなのだが、今回現物をもって確認することができた。