信じるものは救われる!?

あなたは『水は答えを知っている』(江本勝 著)という本を知っていますか。

私は、『金曜日のスマたちへ』(TBS系放送)の企画で、倖田來未の女子高校生向け臨時授業で紹介していたことがきっかけで、この本を手に取ってみた。

この本には次のような内容が書かれている。

コップに入れた水を二つ用意し、それぞれ「ありがとう」、「ばかやろう」と書かれた紙を張り、凍らせる。すると、「ありがとう」を貼りつけた水からは、美しい六角形の結晶ができるが、「ばかやろう」を貼りつけた水からは、形が崩れた汚い結晶ができたり、結晶自体が作られなかったりするという。

江本勝は“人の体は七割が水分でできている。つまり人は水なので、よい言葉を使うようにしましょう”と説く。「愛と感謝」世界を変えていくのだ、と。

倖田來未も芸能人が綺麗なのは、周りから「かわいい」、「美人」など、いい言葉をたくさん投げかけられるからだと言っていた。

合点!してしまった私は、身体の水をきれいにするよう心掛けた訳である。

ところが、今年に入ってから、この江本勝の主張をエセ科学だとする本が出版された。
その名も『水はなんにも知らないよ』(左巻健男 著)。

“無機の物質である水が言葉や音楽に反応するというのは考えられない”とのこと。どうやら『水は何にも知らないよ』で紹介されていた事象は、実験のやり方も大雑把で、温度も水蒸気の量も一定でないそうだ。水を凍らせるといろんな結晶ができるので、観察者がきれいな結晶を探せば見つかるだろうという。水が言葉を理解するということは荒唐無稽な話で、ニセ科学の典型的な例だと痛烈に批判している。

筆者は著書の中で、水に関わる他のエセ科学を紹介。それらを容易に信じてしまう日本人の科学リテラシーの低さを嘆いている。

『水は答えを知っている』は、道徳的に有効な説のため、教員団体(教育技術法則化運動「TOSS」)が飛びついたこともあり、学校教育の場にも広がった。筆者は、子どもたちに間違った科学知識が植えつけられることに危機感を覚えている。

さらに、科学的根拠がないにも関わらず、江本勝の団体が波動商売を行っていることは、如何なものかと思われる。

と言いつつ、御多分に洩れず私も、科学っぽい装いにだまされ、ホイホイと信じてしまった。科学リテラシーは、皆無である。

しかし、やはり汚い言葉を聞くと、イヤな気持ちになる。その言葉が自分に対してでなくても、不快になることは誰にでもあるはずだ。

逆に、綺麗な言葉や音を聞いていると、心が安らいでいく。

もちろん『水はなんにも知らないよ』の著者も、この原理は否定しないはずだ。

科学的な根拠がなくてもいい。きれいな言葉や音楽で、自分の心に流れる「水」が、浄化されると信じたい。信じるものは救われる、というのだから。

(敬称略)

“干物女”で何が悪い

リクルート社発行のフリーペーパー『L25』(2007年6月28日号 No.23)を読んでいたところ、あるページで目が留まった。嫌な予感がする。

台所まで行き、母の前で要点を掻い摘みながら音読。

――家でダラダラ過ごすのが大好きな怠け者。職場では、かろうじてOLらしさを装っているものの、家では高校時代のジャージー姿。長いこと恋愛から引退中。“恋愛するより家で寝ていたい”という女性・・・

「あら、それアンタのことじゃない」と母。

やっぱり。誰かに“あなたはそうだ”と言ってほしかった。

――どうやら、今はそういう女性のことを“干物女”というらしいよ。

母親、大笑い。自分だって信楽焼のくせに!(2007年5月13日付http://d.hatena.ne.jp/ssaa-bee/20070513 当ブログ参照)と思いつつ、否定できない私がいる。着てる着てる、高校のジャージー!苗字がしっかり印字されてるし。ないない、男っ気!と、自慢することではないけれど・・・。

さらに、
――私みたいな女は結構世間にいるのだなぁ
と、妙な安心感を覚えたのだから、もはや私は終わっているのかもしれない。

そんな“干物女”を扱ったコミック『ホタルノヒカリ』(ひうらさとる著)が、ドラマ化されることになった。
干物女”の主人公を演じるのは、綾瀬はるか。『anego』や『ハケンの品格』と同じプロデューサーが送るドラマだという。ちょっとドキドキしながら、初回放送を見守った。

だが、早くも1話目でがっかり。

干物女”が恋をする?それなら“干物女”ではなくなるということ?
どんなにいい男が寄り付こうが、「デートするよりも家で寝ていたい」と突っぱねる綾瀬はるかが見たかったのに。

何だか“干物女”という生き方が否定され、女性は恋愛が全てだと諭されているみたいである。

そういえば、『やまとなでしこ』(2000年フジテレビ系で放送)でも、玉の輿を夢見る松嶋菜々子演じる主人公のスタイルは見事に崩れ去った。

早くも初回で、“干物女”から脱却したヒロイン。“干物な暮らし”でも充分幸せな毎日が過ごせることを証明してほしかった。

(敬称略)

あの娘とスキャンダル?

週刊誌の見出しを見ていると、ワクワクしてしまう。というのは、私だけだろうか。

週刊朝日』から『フライデー』まで、大抵の週刊誌の見出しをチェックしている。気になる記事は、コンビニエンスストアで立ち読み。

政治の裏事情や不正問題は気になる。
が、やっぱり雑誌をめくる手は、色恋を中心とした人間模様が書かれるページを開いてしまう。

好きな女優の離婚協議や人気若手女優たちの交友関係など、どこまでが事実なのかと半信半疑になりながらも、ついつい読み入る。

さらに、お気に入りのジャニーズアイドルをインターネットで検索してみたところ、出るわ出るわ、彼の情報が。

2ちゃんねるはもちろんのこと、様々なサイトに同じような文章が掲載されていたり、信憑性が疑われるような内容のものが多い。プライベートで女性と一緒に移っている画像まで流出しているのだから、プライバシーもへったくれもない。

芸能界、政界、スポーツ界・・・。“界”という文字がつく世界は、私たちが過ごしている世界とはどこか違うように感じる。彼らはどのような生活をしているのか。どんな恋愛をしているのか。どんな生い立ちがあるのか。知りたいという欲求は、誰もが持つ“覗き見”精神がともいえる。
“覗き見”に対する過度な欲求の例が、パパラッチだ。内容がスキャンダラスであればあるほど、パパラッチが得た情報は高値で取引されていく。売る方のマナーが悪いのか、買う方もマナーが問われるのか。そして、ダイアナ元イギリス皇太子妃の事故のように最悪な結果を招いてしまうことがある。

一方、最近は技術が進んでいるようで、合成写真がインターネットに流出するケースも多いらしい。こうなってくると、何が“事実”なのだか、分からなくなってしまう。もちろん番組宣伝のためや、自分を売り込むために、自らスキャンダルを提供する方々もいらっしゃる。

ふと見渡せば、私たちの周りでも、『TVガイド』もビックリな“男と女の愛の関係図”なるものが形成されているし、社内の勢力関係図だってある。実は、彼らと私たちが日ごろ行っていることはあまり変わらない気もする。

あるときは羨んでみたり、あるときは憤ってみたり、あるときは自分と同じだと、妙な安心感を覚えたりする。

と何だかんだ言っていても、好きな有名人の恋のお相手が気に入らない人だと、がっかりしてしまうのだが。

父の日に捧ぐ

今日は父の日。いざ我が父について書こうとしているのものの、なかなか筆が進まない。

――母の日に、母親のことを書いたのだから、今日は父親のことを書かないと!

と、力んだせいかもしれない。

父親と仲が悪いという訳でもなければ、父親が嫌いということでもない。思い出すと、噴き出してしまうようなエピソードも幾つもある。

それでも文章が湧き上がってこない。

今日の日本経済新聞『春秋』を読んでみると、世間様でも母親に軍配が上がっているようだ。古歌でも父を扱った例は乏しいらしく、現代歌人が多く扱いだしたという。寺山修司がその代表であるが、やはり彼の作品でも母親の方に力が注がれているらしい。

地震、雷、火事、おやじ”という言葉も死語となりつつあるだろう。大抵の家庭では、“地震、雷、火事、おふくろ”となっているのだから。もちろん我が家も・・・。いわゆる昭和的な父親は鳴りを潜め、女性の社会進出に呼応するがごとく、母親が家庭を取り仕切る。

一方で、描かれる父親像も変わってきているのではないか。宮崎駿作品『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』に登場する、自分の子どもを温かく見守り、優しく包み込んでくれるような父親だ。時代が求めたのか、時の流れがそうしたのか、いつしか父親も“癒し系”となってきた。強いインパクトは与えなくても、充分な愛情で満たしてくれる父親たち。
ここでお勧めしたいのが、『そのときは彼によろしく』(市川拓司著)と『恋愛時代』(野沢尚著)に登場する主人公の父親たち。両方とも恋愛小説であるが、これらの本で最も心が震えるのは、それぞれの父親が子どもを想う姿なのである。

雷を落とす存在から、陽だまりを提供する存在へ――。
“お父さん天気図”も様変わりである。

我が父は、何をもたらしてくれているのだろうか。隣の部屋から父親が聴く野球中継のラジオの音が漏れている。

――勝ってくれよ、阪神タイガース。おやじの心に雨を降らせないで

アイドルに条件?

5年前、私の就職活動は、モーニング娘。から始まった。6期メンバーを募集する『LOVEオーディション2002』が行われたのである。安倍なつみが大好きだった私は、モーニング娘。のファンでもあった。

なっちのお近づきになれるし、アイドル引退後もつぶしが効きそうだと、訳の分からぬ考えを起こした私は、応募を決意した。

ところが、である。

応募資格は、“中学1年生から高校3年生までの女性”とされていたのだ。ハタチにして、年齢制限に引っかかってしまった。やっぱり、5期メンバー募集時に応募していればよかったのか・・・。(5期メンバーの応募資格に年齢制限はなかった。)と、これまた、間抜けなことを考えていたのだが、同時に、「何か違うな」という思いが芽生えた。

モーニング娘。になるために年齢制限があっていいのだろうか――。

モーニング娘。は、もともとテレビ東京系『ASAYAN』で放送された「シャ乱Qロックヴォーカリストオーディシション」の最終選考で落ちたメンバーが集まり、手売り5万枚のインディーズ活動から這い上がってきたグループ。

モーニング娘。」と命名されたとき、『ASAYAN』の観覧席からは、バカにしたような失笑にも近い笑いが起きた。人気が出てきた矢先に、ボーカルの核を担っていた福田明日香が卒業を表明した。同日発売した鈴木あみの「BE TOGETHER」とのCD売り上げ対決で惨敗したこともあった。そして、「LOVEマシーン」で初のミリオンセラーを達成する。

様々な苦難を乗り越え、トップアイドルとなったモーニング娘。は、あらゆる女性に夢と希望を与えるべき存在なのだ。極端な話、ばあちゃんがモーニング娘。に入ってもいいと思う。

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♪いくつになっても〜 WOW 青春だよ♪
「そうだ!We're ALIVE」より

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と歌っているのは、“娘。”自身なのだから。

中澤裕子モーニング娘。を脱退した頃の『AERA』によれば、彼女が脱退したことで、30代の女性ファンが離れていったという。

今や初期メンバーから4期メンバーの全員がモーニング娘。から姿を消し、最年長は20歳の高橋愛である。脱退・卒業の対象は、いつだって古株や年長メンバーなのだ。

加護ちゃんが、喫煙するのもいいけれど(違法だが)、辻ちゃんが、でき婚するのもいいけれど(旦那が食わしていけるのかという心配があるが)、もはやモーニング娘。が、ゴシップか、メンバーの卒業・増員でしか、話題を提供できないグループになってしまったことが悲しい。

庄司智春との交際が発覚した藤本美貴も、モーニング娘。を脱退したが、GAMとしての活動は続ける。

異性との交際は、モーニング娘。ではご法度でも、GAMでは許されるらしい。そういえば、相方の松浦亜弥w-inds.橘慶太との交際が『フライデー』で報じられたときも、松浦亜弥自身から“アイドル”としての反省の弁を述べるコメントもなければ、所属事務所のアップフロントエージェントでの外面的な位置づけが変化したとも感じられない。

モーニング娘。と同じ事務所の“アイドル”であるのに、どうも解せない。“アイドル”というよりも、“モーニング娘。”であり続けることは、いろいろと制約があるように感じられる。そもそも“アイドル”であることに条件があるのだろうか。

『モーニングセットの様にお得感があり楽しめるユニット』ということでつんくから命名されたモーニング娘。
何だか在籍しているメンバーにとってはお得感はなさそうだ。

(敬称略)

延長放送だっていらない!?

「そうよ、私が殺したのよ」。

そうか、田中美奈子(役名:浅野令子)が犯人だったのか!日本テレビ系ドラマ『金田一少年の事件簿 学園七不思議殺人事件』(1995年4月8日放送)の終盤。手に汗握る展開に、当時13歳の私は録画ビデオに釘付けだった。

で、動機は!?

田中美奈子が自白を始めようとした途端、録画が終了し、砂嵐が巻き起こった。

なぜ!?

ここは“じっちゃんの名にかけて”謎を解かねばと意気込んだ訳だが、何ということもない。同日の巨人戦放送が延長されたため、肝心のドラマのラストシーンが、録画しきれていなかったのである。

あれから10年以上経った。機器は変われど、我が家のテレビ録画は相変わらずVHS。しかも、Gコードにすら対応していない骨董品のような代物である。
今でも好きな番組を録画するときは、前枠を注意深く確認することを怠らない。

ところが、最近では延長放送する試合やプロ野球中継自体が少なくなった。特に関東地区で放送されることの多い巨人戦を軸に考えるとその変化は顕著である。

日本テレビが、巨人戦の一部の放映権をNHKに売却し始めたのが、約6年前。徐々に巨人戦放送の延長時間を短くしていき、ついに延長放送を取りやめたのが約1年前。

その日本テレビ。数字を取れる王子様が見つかれば、たちまち東京六大学野球を放送し出すのだから、恐れ入る。

巨人ファンはもとより、プロ野球ファンは、有料の専門チャンネルを契約しなければ、プロ野球放送を見ることはできない状況だ。視聴率のドル箱であるサッカーW杯なら当たり前のように延長放送はされるだろう。やはり民放テレビ局は、視聴率が全てなのか。

では、視聴率をどこまで取れれば、延長放送は復活するのか。10%、それとも、15%?
もちろん、延長放送自体が、プロ野球ファン向けの対応であり、通常枠番組のファンにとっては不必要なものだという議論もある。

一方、追い討ちをかけるように、人気がある日本人プロ野球選手は次々とメジャーリーグへ移籍している。数字も選手も逃げていく日本のプロ野球

「“政治と宗教とプロ野球”の話はしてはならない」とはよく言ったものだ。

(敬称略)

(注)冒頭の台詞はうろ覚えなことをお詫び申し上げます。正しい台詞をご存知の方、教えてください!

飲み会もいらない!?

ビールがおいしい季節になってきた。

飲み会がさぞ盛り上がるのだろうが、最近の若者はドライで上司からの誘いを簡単に断るそうだ。(『日経ビジネス』2007年2月19日号参照) 

“ノミュニケーション”は“タバコミュニケーション”と並び、社会人にとって重要なコミュニケーションツールだと主張する人もいる。

仕事上の連絡や表面的な会話だけが行き交う“仮面職場”が増えていると言われている。そこで、“ノミュニケーション”の出番となる訳だが、勤務時間の中で取れないコミュニケーションが、なぜ飲み会という舞台になると成り立つのだろうか。

プライベートなことに踏み込んでほしくない人もいる。毎回耳にタコができるほど、同じ話をする人もいる。ここぞとばかりに上司にゴマをする人もいる。

それぞれの仕事に対する価値観が飲み会に反映しているようにも思う。

飲み会での会話は難しい。それぞれに話題のラインがあるような気がする。それ故、上滑りな言葉が流れてしまう。そこは、“仮面職場”さながら“仮面舞踏会”のようだ。

会社や上司、時には顧客の愚痴を言って盛り上がるケースがある。それは、その場しのぎのストレス解消にはなるかもしれないが、愚痴の原因となる問題の根本解決にはならないことが多い。
あの頃はよかったと、昔を懐かしむケースもある。それは、感傷にふける思い出話としてはよいかもしれないが、今をよくしていくことが重要であるし、それを聞く若手はどのように反応すればよいのか分からない。

参加して楽しくない飲み会は、何だか疲れるだけだ。
職場の活気と飲み会の盛り上がりは相関関係にあるような気がする。

そういえば、我が職場の飲み会も年齢問わず参加率が悪い。思い切って路線を変え、「てもみん」会にしてみるのはいかがなものか。

(注)今回のブログで取り上げた飲み会は、会社のレクリエーションとして開催する飲み会を取り上げています。